桜色歌と繋がっていますが単品でも読めます




もし俺が一冊の本やったら、どんな装丁でどんな文字で書かれてるんやろう
文語体?口語体?俺視点?誰か視点?内容は、どんなことが書かれているんやろう
嘘ばかりかもしれないし本当のことばかりかもしれない
分厚いのかもしれないし薄っぺらいかもしれない
もしかすると暗号で書かれていたりして
すべて想像だからこそ解らない

でも、ただ一つこれだけは確かなこと
きっと表も裏も分厚いカバーで覆われてるに違いない

持ち主以外は中身を知ることが出来ない本なんやろうな――



【秘me蛍】



全寮制の正十字学園の春は慌しい。
無事卒業の決まった生徒たちが荷造り最後の思い出作りにと忙しいからだ。
それでも普通の生徒は仮卒期間中に全て終わらせられるのだが祓魔塾のメンバーは事情が少し異なった。
卒業する三年生たちの荷物を運び出す為に宅配の業者が外部から出入りする為、ドサクサに紛れて侵入してくる低級アクマが多いのだ。
祓魔師になって年の浅い塾生たちがそれを祓う任務に当たる、剣技の講師は「こんな奴らの相手なんか朝飯前だろ」と言っていたが何せ数が多いので朝飯前から夜食の時間まで学園中を駆けずり回ることになった。
そんなことを仮卒の期間中続けていた志摩の荷造りは遅れに遅れ、卒業式の前夜まで掛かってしまった。
ただ勝呂たちと悪魔を探して学園中をくまなく見て回れた為、思い出作りは出来たな、と志摩にしては珍しく前向きに考えられられた。
自分の意志とは関係なく入学した所なのに、もう生徒として通うことはないのだと思うと何やら感慨深いものだ。
胡坐をかいて落書きばかりされた三年分の教科書をペラペラと捲りっていた志摩はある1ページでピタリと指が止まった。
最後の荷物、あとは紐で括ってゴミに出すだけのものを持ったまま静かに目を閉じる――志摩は昔から棄てることが下手だった。
幼馴染や友人はむしろ志摩は棄て上手だと思っているだろう。
執着していたものが無くなるのは辛いから、どうでもいいものばかり集めるようになり、手放さなければならないものは最初から望まない、いつの間にかそういう風になってしまったから、そんな志摩の性質を知っているのは十歳上の兄と……心の隙を狙うアクマだけだ。
人に対して一線を引いて接するのも、執着してしまうのが怖いから、悪縁でも奇縁でも一度繋いでしまった糸を完全に断ち切ることが出来ない、本人が面倒くさいと思っている性格だ。
ビリ、と小さな音を立ててそのページを丁寧に破いていく、そして半分に折りたたんだ紙を鞄のなかに入れて荷造りを再開した。

「やっと終わったんか?」

ゴミを収集所まで持って行った帰りに志摩は自販機の前でコーヒーを飲む勝呂に会った。

ちらりと顔を合わせて眉間に皺を寄せながら主語のない問いをかける勝呂、機嫌はさほど悪くない。

「ええ、思ったより荷物多くて」

「いらんもんばっか持ちよるからや」

「あはは……」

(ええ、ほんまに)

本当に必要なものなど、なにも持っていない。

祓魔師として使うのはこの身体と父から譲り受けたキリクくらいで後のものはどれも取り替えがきくものばかりだ。

「んなら明日に備えて早よ休めよ」

「坊の方こそ」

缶コーヒーを横に置いて、代わりに本を持ちだした勝呂に苦笑を零す。

こんな時まで勉強か、と思ったが装丁を見ると文庫本のようだった。


「坊は、その本好きですよね」
「まぁ……ええ本は何度読んでも面白いからな」

勝呂の声のトーンで面白いと言うのは本当のようだと解かった(そもそも彼が嘘を吐くとは思っていないけれど)文字に向かって伏せられる瞳には当然志摩など映っていない。

風呂の後でいつもより柔らかそうな髪とは対照的に明るい蛍光灯に照らされた睫毛は硬そうだ。

小さい頃はあの睫毛が頬に触れるくらい近くにいれたのに、この高校に入学した頃からだろうか、この幼馴染と上手く会話が出来なくなった。

彼は沢山チャンスをくれていたのに自分は沢山嘘を吐き過ぎていたから、結局素直になり損なった。

この距離ももう慣れてしまったけど……明日からはもっと遠くなるのだ。

「おやすみなさい……」

「おお」

不意に、もし自分が一冊の本だったら、と思ってしまった。

用がなくなれば棄てられてしまう教科書の様なものなのか、それとも何度も読み返される文庫本の様なものか……

ああ考えるのはよそう、早く此処を離れなければ、志摩の事まで勝呂はどんどん読んでしまう。

次の日、卒業式が終わってすぐに寮へと戻り志摩は荷物を新居に送る手続きをした。

勝呂や小猫丸は学校に残り恩師や同好会のメンバーに挨拶をして来ると言っていたのでまだ当分は帰ってこない。

志摩も仲の良かった女の子たちと話して帰ろうと思ったが、もうお別れだと思うと意味がないことのように感じた。

「……今回は坊も第二ボタンねだられてるんやろか……」

中学までは忌み寺の子として疎まれてきたけれど、高校に入ると彼は本来もっと幼い頃から得る筈だった人気を取り戻した。

文武両道、強面だが愛嬌のある顔をしていて真面目で感情豊か、モテないはずがないのだ。

きっと今も女の子に囲まれてる、中学の卒業式の時のようにズルをして彼の第二ボタンを手に入れることなんて不可能なのに

『そっちも今日、卒業式だったでしょ?今回はちゃんと勝呂くんから貰えた?』

志摩の元には中学時代の女友達からメールが届いていた。

中学の卒業式で自分の代わりに勝呂の第二ボタンを貰ってきてくれた一番仲の良かった女の子だ。

志摩の勝呂への想いを知っても軽蔑する事なく付き合ってくれて、その時と交換した志摩の第二ボタンを今も大事にしてくれていると言ってくれている優しい子からだった。

しかし、なんて返事を書いていいか解からなかった志摩は散々悩んでそのメールを無視することに決めた。

きっと彼女なら察してくれるだろう。

(ああ……あの時の坊のボタン返さないかんな)

そう思いながら右の胸ポケットから“学業成就”と書かれた“お守り”を取り出す、左側の胸には今もキリクが仕込んであることが少し哀しい。

「面倒なんは嫌いやのに」

――嫌いになれない――

そっと“お守り”の表面を撫でる、中身は中学卒業時に手に入れた勝呂の第二ボタンだが詰まっているのは恐らく恥ずかしい青春の欠片だ。

本当はずっと持っているつもりだったけれど、雪男から第二ボタンの由来を聞いた時から、彼の傍を離れる前に返さなければならないと思っていた。

『第二ボタンとは軍人が二度と帰って来れぬかも知れない任務に行く際に、家族や恋人へ贈ったのが始まりだと謂われています』

きっと今の時代じゃ誰もそんなこと意識していないけれど、志摩はそれを自分が持っていて良いものだとは思えない――勝呂が死ぬ場所が戦場であってはならないからだ。

夏でも秋でも冬でもいいけど、出来ればこんな春の日に……柔らかい布団の中で沢山の家族や仲間に見送られて逝く未来を願うから、だから

(でも……せめて……)

志摩は昨日鞄の中へしまった一枚の紙を取り出した。

次に文章が書かれている部分と挿絵の部分の間に折り目を付け、今度はきちんと鋏で切る。

そして文章では無く挿絵の部分を四つ畳んで(四という数字は不吉だと一瞬過ぎったが、想いを葬り去る意味でいえば)お守りの中へ入れた。

ふと思いついたように自分の二番目のボタンも取って中へ一緒に入れた。
“学業成就のお守り”は京都へ戻り大学へ進学する彼に贈るのに丁度いい入れ物じゃないだろうか、志摩が使っていたものではご利益はなさそうだと笑われるかもしれないが、きっと彼は喜んで貰ってくれる。

何故なら……――

「坊、こんな俺を、今まで面倒みてくれてありがとうございました」

京都へ向かう新幹線の改札で志摩は深々と頭を下げた。

この日の為にわざわざ黒く染め直した髪を睨むように見ながら勝呂は声を詰まらせる。

「そんなん……俺の台詞やろっ!」

その手には志摩が渡した“お守り”が大事そうに納められている、それだけで今までのことが全て報われる気がした。

子猫丸は先程から黙って俯いて、涙を堪えている。

「ややな、そんな顔せんといてよ……俺までつられてしまいそう」

志摩がそんなことを言うから、子猫丸から堪らず嗚咽が漏れた。

最後にこの人が泣いた所を見たのは何時だろう?もうハッキリとは憶えていない。

幼馴染だというのに、自分達はこれまで何度もこの人の前で泣いて慰められてきたのに……

普段どこか冷めた瞳をしているこの人の、その頬を濡らす涙がとてもアツイことを知っているのに

「別に泣いてもええんやで」

志摩は東京に残り祓魔師として働く。

コイツは、自分達と別れて、どこでどうやって泣くのだろう?

今「そうやな、最後やし」と笑ったコイツに此方の方が泣きたくなる。

「最後なんて言うなや……」

「すんません、でも俺は……」

もう嘘も建前も顔に張り付かせる余裕はない。

「じゃあ、お二人ともお元気で」

「あぁ、お前もな」

「志摩さん!たまには帰ってきて下さいね」

「はい……」

ブザーが鳴り、新幹線の扉が閉まる。

「さようなら」

さようなら

小さくなっていく新幹線を優しく見つめながら、二人の前では言えなかった言葉をそっと口に出す。

寂しいなんて今更……

この人達と同じ場所へは行けないことは生まれた時から決められていた。

忌み寺の出生だと疎まれながらも信頼を勝ち取ってきた勝呂、これからは皆を支え皆に支えられながら生きていく。

あまり信用されていない志摩は奥村兄弟と共に、本部で監視されながら生きる。


「ゆく蛍……」

左胸のポケットの中から一枚の紙を取り出して、そこに書かれている一文をポツリと詠んだ。

切り取られたもう半分は勝呂が持っているのだと思うと胸に甘い痛みが広がった。

この想いにどうか、一生気付かないでいてほしい


勝呂がお守りの中を開くのは
そこに入れられた紙に書かれているのが教科書の挿絵だと気付くは
そこに入れられた二つのボタンのうち一つが中学時代の彼のものだと気付くのは
自分は志摩のことをどうしようもなく愛おしいのだと気付くのは

彼が大学を卒業し、明陀宗を継いだ夜――


その時、志摩はもうどこにもいなかった。









志摩くんは生きてます!居場所探して絶賛逃亡中です。

作中で志摩くんが歌ったのは伊勢物語の『ゆく蛍 雲のうへまで いぬべくは 秋風ふくと 雁に告げこせ』って歌です