【食】

宝生は水浴みから戻ると「お先に上がりました」と志摩に手ぬぐいを渡した。そして志摩の前に水浴みを終えている勝呂の横の丸太に腰を下ろし、傍に置いてある串刺しにされた魚を三匹、焚き火に当たるよう地面に突き刺した。これで志摩が帰って来る頃には丁度良く焼き上がっているだろう。洗ったばかりの髪に煙の匂いがつくのが厭で、せめてもの抵抗として団扇で煽ぐ。もう少し勝呂に近づけば完全な風上だが、志摩の手前これ以上近付くことは憚られた。

けして口には出さないが家族のように大事な……実際、志摩の兄は自分の姉の夫なのだから家族なのだけど、親友でもある志摩が無駄に傷付くところは見たくない。本人は認めたがらないが彼はたしかに勝呂に惚れている。

「志摩遅いな……」

勝呂がキョロキョロ後ろを振り向き志摩を探すのに思わず吹き出しそうになる、勝呂が水浴みに行っている間の志摩もこんな風にしていた。自分達が座っている岩影のすぐ後ろにある泉にいて、水を叩く音が時折聞こえるというのにお互いの気配をすぐ近くで感じていないと心配なのか。そうだろう、勝呂も志摩に惚れていて二人は両想いなのだ。まだ気持ちを伝え合っている訳ではないが、見ていれば解る。

「匂いを落とすのに手間取っているのでしょう」

貧しい旅の間、石鹸など買う余裕はないし、あったとしても自然の泉の中で使うのはどうだろうと思う。でも、ただの水を浴びているのだから汚れは落ちても匂いまでは簡単には落ちない。そう言うと勝呂は納得したように頷いた。

志摩からは血のにおいがする。それは野盗や、今なお勝呂を狙ってくる刺客を倒しているからもあるが、山で狩りをするからでもある。今日だって兎を獲って血抜きをし、干し肉にしていた。それは保存食とし、今は川で釣った魚を食べているが、時々志摩が狩ってきた動物も食べていた。仏教の戒めに則って食べられる種類は限られていたが、ひょっとして下手な農民なんかより滋養のあるものを摂っているんじゃないかと思う。

「ねえちゃんは山菜採りしといてや。坊は火熾しと寝床確保おねがいします」
「なんでお前が仕切っとんねん」

今朝方、宝生は志摩の桜色の髪をスパンと叩いた。どうして役割分担を勝手に決めてしまうのかと腹が立ったのだった。確かに血の苦手な自分に狩りや釣りが出来るか解からないが“する”ことは可能だ。それが敬愛する勝呂の為なら。訓練をすれば旅路を襲ってくる輩だって倒せないことはない、不殺生を誓う勝呂の代わりに、だがそれを志摩は許してくれない。

宝生が血を嫌うのは、まだ物心つく前に人が殺された場面を見てしまったからだと姉が言った。殺されたのは勝呂の母親で、その隣では赤子の勝呂が眠っていた。あの時、宝生が気付き大泣きしなければ暗殺者は勝呂のことも殺していただろう、つまり宝生は勝呂の命を守ったということになる、それは彼女にとって一番誇らしいことなのに、己の血嫌いが陰を落としているようで厭だった。

(私やって……)

中腰になって火へ近づくと焦げて仕舞わぬように魚をひっくり返し、また丸太に座る。今はこれくらいしか出来ないけど、せめて魚を捌けるくらいにはなりたい。昔は花嫁修業だといって野菜の切り方なんかを姉に習ったんだ。アイツに教えを乞うのは癪だが、頼めば志摩も教えてくれるだろう。大切な姉が幸せになり、危険もあるが自由に過ごしている。そんな宝生にとって、いつか勝呂や志摩に手料理を作ってやるのが目下の野望だった。自分で言うのもなんだが無欲なもんだろう、権力の為に勝呂を殺そうとする者や勝呂の“力”を求めて狙ってくる者に比べれば、誰だって無欲に見えてしまうけど。

「どうした?」

剣呑な雰囲気を呼んだのか心配げに勝呂が訊ねてくる。宝生は微笑みを浮かべて言った。

「いえ、別に志摩の匂いを嫌いやないな、と思っただけです」


志摩からは血のにおいがする――
志摩からは血の通ったモノのにおいがする――

勝呂とはまた違った意味で、彼のことも尊敬していた。

「ほ、宝生!?おまっ!?」

狼狽する勝呂を見て、宝生がいらぬ心配をかけてしまったかと気付くのは一刹那後。