小さい頃は彼岸花が好きだった

墓地に多く咲くそれは死者に寄り添う優しい華に見えたから

そう話すと志摩は、あの花の根元には毒があるのだと言った

墓を荒らそうとする獣が近寄ってこないように墓地に植えてあるのだと言った

それじゃあ死者を護る強い花なんやな、と言ったら志摩は俺の手を強く握ってきた

そして何度も何度も頷いた

そうやな、そうやな……って

秋の夕暮れのことだった


――でも、これは誰の墓なんやろう?



小さい頃は桜が嫌いだった

多くの人に愛でられるくせに弱い風ひとつですぐに散ってしまうから

なんて薄情なんや、そう話すと坊はお前、桜造なんて名前のくせに桜が嫌いなんかと笑った

桜はけして薄情なんかじゃない、だって今年散っても来年また同じ場所で花を咲かせる

この場所に人が来なくなったって毎年変わらず花を咲かせるんや

それじゃあ桜は信義に厚い花なんやなと言ったら、坊は俺を抱きしめた

桜は何度も何度も咲くのだと教えてくれた

だから、だからな……って

春の早朝のことだった


――でも、桜造って誰のことやろう?


鮮やかなはずの朱色はセピアの世界に塗りつぶされて
綺麗なはずの薄紅色はモノクロの世界に覆われていた





【花】





「坊!志摩!見てください!女将さんが貸してくれはったんですよ〜!」

京の街に門を構える老舗旅館『とらや』の一室で可愛らしい女の声が響く。

「お〜可愛らしい浴衣やなぁ」
「明日の花祭りコレで行ったら良えって言ってくれはったん!!」

袖を通していない浴衣をぎゅうぎゅうと抱き締めはしゃぐ姿に、宝生もまだ十代の乙女なのだなぁと勝呂は目を細めた。藍染の浴衣に錦糸の帯は彼女によく似合うだろう。

「でもなぁ宝生、仕事で行くってこと忘れたらあかんで」
「そこんとこは重々承知しとりますから安心してください」
「もぅ坊ったらそんな堅いこと言わはらんと、ねえちゃんやって女の子なんやからたまにはお洒落して歩きたいよなぁ?」

久しぶりの畳やーと、行儀悪く寝転がっている志摩が勝呂の膝元まで転がってきて袖を引っ張りながら言った。

「そうですえ旦那はん」

お茶を淹れてくれていた女将もはんなり笑いながら同意する。この人が今回の依頼人、よく祓魔を依頼してくる上流階級の者と違い勝呂を同等の人間として扱ってくれるので、この人の前では志摩や宝生も本来の人懐こさを発揮している。

「そうやんなー女将さん」
「ほらほら坊、依頼主さんもこう言っとりますし」

女将の腕にぎゅーっとしがみ付く宝生と、勝呂の膝に顎を乗せて正面から見上げてくる志摩に絆されて、勝呂ははぁと溜息を吐く。

「……まぁ、でも用心しとけよ?」
「不貞な輩がおっても坊には指一本触れさせませんから安心しといて!」
「私らが命に代えてもお守りします!」
「そういうことやなくてな……」

用心しとけの意味を履き違えている二人にもう一度大きく溜息を吐きながら頭を撫でると、褒められたと勘違いしたのか嬉しそうに目を細める宝生と真っ赤になって固まる志摩。自分から触るのは良くても相手から触れられるのは駄目らしい。しかし志摩の気持ちに一切気付いていない勝呂は寂しそうに微笑むのみ。

「苦労しはりますねぇ」

果たしてそれは誰に対しての言葉なのだろう。



* * *




花祭りを一言でいえば、釈迦像に甘茶をぶっかける祭りである。と志摩は思っている。
きっと勝呂に言えば呆れられるし、一般人でももう少しマトモな答えを出すと思うが自分はこれでいいのだと思っていた。志摩は仏門に下ったとはいえ仏に従うつもりは一切ない。自分には勝呂の心が全てだ。彼を護る為にいくつも罪を犯してきたし、これからも犯していくだろう。
それでも己の所業が世間に知られてしまえば良くて破戒僧、悪くて罪人と呼ばれ、勝呂や宝生や今は棄てた家の者に迷惑が掛かってしまうから表向きはきちんと仏法に従う僧侶の振りをしている。肩書きの裏にいくつもの罪を隠し、人の好い笑顔の下に醜い素顔を隠す。これまで志摩は嘘ばかり吐いてきた。
その全ては大切な者の傍にいる為……最悪、傍にいられなくとも影で彼を護れればいいと思っているが、彼に認識されず生きる事なんてこの世の地獄だろう。どうせ死んでも地獄に落とされるのだから、せめて生きている内は好きな場所にいたい。血塗れた自分が勝呂の傍にいれるのはきっと今世限りなのだから、そのくらい赦してほしい……志摩は花御堂の中で微笑む慈愛の仏に語りかけた。


「おい志摩ぁ!なにぼけっとしとんねん!おいてくでーー!」

志摩の思考を掬い上げるかのように、聴き慣れた声が少し離れた場所から聞こえる。言葉は鋭いが口調が穏やかで、彼が今とても安らかな気持ちでいることが解かった。一応任務中なのにと呆れながら、珍しく緊張を解いている彼を諌めることはしなかった。

「ああ、すいません」

今まで語りかけていた仏に素っ気なく背を向けて、連れ二人の元へそそくさ走っていく。志摩が戻ってきたのを確認したところで宝生が勝呂の袖をくいくいと引っ張った。

「坊!あのっちょっとそこの飴屋を見ててええでっしゃろか?」
「……ええで、買ってきい」
「へ?」

境内に並ぶいくつかの店の中で、飴細工を作る職人を見ていたいと願った宝生に勝呂は快く許可をする。それどころか普段は許さない買い食いまで許したのだ。

「ええんですか?」
「ああ、折角の祭りやし楽しみや」

そう言われ宝生は頭の中でぐるぐる考える。今の懐事情を考えると無駄遣いなんて出来ない筈だ。昨日は旅館にタダで泊めてもらい滅多に食べられない豪華な食事まで頂いたのだから、これ以上の贅沢は身に毒だとけど……しかし勝呂の好意を無下にするわけにもいかない。いったいどうしたら……

「そうや!ひとつ銀造に土産に買っていってやろう!!」
「……持っていく間に溶けてしまうやろな」

色々考えた結果、自分は贅沢はできないけど志摩の養子にならと思ったのだろうが間髪入れずツッコミが入った。何やらやり込められた様な表情をする宝生にククっと喉で笑い、その頭を撫でた。

「お前いつも頑張っとるからな、ご褒美や」
「……それなら坊や志摩やって頑張ってます」

手を払われることはなかったが拗ねた様に顔を逸らした宝生、彼女は昔からこうだった。目上の者が少しでも褒めると「姉の方を褒めてやってください」と遠慮ではない何かで訴えてくるのだ。ただ純粋に、自分より優れている相手や努力していると思う相手が自分より報われてない事を嫌がる。二人ともそんな彼女が好ましかった。

「でも俺も志摩も甘いものが好きってわけちゃうしなぁ」
「坊!ご褒美やったら俺!花街に繰り出した……ゴフゥ」

ご褒美と聞いて即座に女遊びを要求する志摩にすかさず勝呂の肘鉄が入る。身長差の所為で胸に直撃した。

「お前一応僧侶やろ……少しは自重せえ」
「うぅ……解かってますよ、軽い冗談やないですか」

そう言ってスタスタと先へ歩いて行ってしまう勝呂の後頭部を恨ましげに見詰めた。肘が入ったのは丁度錫杖が仕込んである場所だったので大した痛みはないが心臓が圧迫されて苦しかった。対する勝呂の肘は痺れてもいないらしい、戦闘能力なら自分の方があるのに筋力や法力は敵わないのが少し悔しかった。

(だいたい俺、坊一筋やし……)

本人には絶対に言えないことを考えながら錫杖を持ち上げて胸を擦る。もう苦しさはなくなったけれど何となくだ。志摩が立ち止まっているうちに今度は宝生が勝呂に近づく。

「すいません、坊、私少し縁日を見て回りたいんで……少し志摩と時間潰しててくれませんか?」
「あ?別に俺ら付き合ってもええで?女一人やと危ないやろ」
「大丈夫です。まだお日様がこんな高いんですもん」

宝生は勝呂にしか聞こえない小さな声で続けた。

「私からのご褒美です。志摩と二人でお花でも見とってください」
「ッ!?」

そう言い放って、動揺している勝呂から離れて行った。胸を擦っていた志摩も勝呂がひとりになっている事に気付き、先程まで宝生がいた場所、勝呂の懐の中に入ってくる。それに一瞬ドキリとした

「あれ?ねえちゃんどっか行かはったんですか?」
「ちょっと縁日見て回るから、花でも見て待っとけて」
「へぇ……でも」
「どうした?」
「お釈迦様から離れて大丈夫なんやろか?」

最近、京の都で仏像の盗難事件が多発しているそうだ。そこで勝呂達が依頼されたのはその“仏像泥棒”から“お釈迦様”を守ることだった。祓い屋の仕事ではないけれど普段悪魔を相手にしている三人なら人間なんて簡単に捕まえられるんじゃないかと女将が依頼してきた。と志摩は聞いている。

「ああ、噂の仏像泥棒なら大方の検討が付いとるらしい」
「はぁ?」

怪訝に眉を細める志摩に勝呂は自分だけが聞いた話を始めた。

「女将の知り合いの刀匠からな相談されたんやて」
「刀匠?刀鍛冶ですか?」
「ああ、んでな、その刀匠の親父さん……日本一の鍛冶師って呼ばれてるお人なんやけど、その人が何者かに攫われたらしいんや」
「えええ!?」

いきなりの展開に目を見開いた。

「え?え?でもそんな人が攫われたなんて言ったら今頃大騒ぎやありません?」
「どっちかっていうと裏で有名な人らしいから表の噂にはならへんのやろ」
「裏って……」

――祓魔を生業とする者達の世界のことか

「仏像が盗まれるようになったのも丁度同じ時期らしい」

それを聞いてピンときてしまった。盗まれた仏像達の多くは青銅や銅で作られたものだ。それを盗んだ犯人と刀匠を攫った犯人が同一だとすれば……

「まさか……仏像溶かして刀造らせとるってこと?」
「まだ確証はないけどな」

だとしたら何と罰当たりな。信仰心の碌に無い志摩でも思うくらい惨いことに思えた。

「じゃあ今回のほんまの依頼は……」
「ああ、仏さんを盗まれん事やない、犯人のアジトを付き止める事や」
「やから俺らに依頼してきたんですね」

仏像を溶かして造った刀を欲しがるなんて同業者に違いない。結界が張られてる可能性の高いアジトだって勝呂なら破る事が出来ると考えたんだ。

「お前が釈迦に見惚れとる間に宝生にも説明して、花御堂の中に蛇を忍ばせてる」
「別に見惚れとったわけやないけど……」
「そうか?熱心に見とったやん」
「……そんなことより、泥棒に蛇付けて俺達は後で追跡するって事でええの?」

それならずっと釈迦像を見張っている必要はないというか、見張っていたら逆効果だろう。なんでそんなこと今まで黙ってたのかと問うと、ギリギリまで外に漏らしてはいけない作戦だったのだと返ってきた。

「別に女将はお前らを信用しとらんわけちゃうで、けど用心には用心を重ねんとな」
「わかっとるわ!別にそんなことで拗ねたりせえへんので心配せんで!」
「拗ねとるやん……」

敬語、崩れとるで――と、どこか嬉しそうに微笑んだ。



* * *



「ここら辺はまだ桜が咲いとるんですね」

宝生に言われた通り、桜のよく見える坂道を二人で歩いた。

「せやなぁ……」

勝呂の安穏な表情を見て、嬉しくなる。昔は窮屈な家の中で、ずっと気を張ってばかりだったから。この人がこんな風に外で花を愛でる機会なんて無かった。

(……あ、確かあったな、二度くらい)

一度目は夕暮れの彼岸花。勝呂の母の墓の前で。あの時自分は言葉を知らなくて何も言ってはあげられなかったけど……まだ穢れ無き手を貸すことだけは出来た。
二度目は、こんな風に散る桜の中だった……


「志摩?」

『桜造?』

振り返る顔が、幼い頃のそれと重なって見える。桜色の髪だからって安直な理由で付けられた名前を、あの時はじめて好きだと思えた。


「ねえ、坊……」


――俺は、咲けるやろか?

儚く散ったとしても、また同じ場所に花を咲かせる花の様に……何度でも何度でも、愛する人の傍で咲くことは赦されるだろうか?


「うん、なんや?」

(昔みたいに名前で呼んでくれへんのですか?)


そう……思ったけど、聞けない。


「いや……こんな日和やと歌でも謡いたくなりますなぁ」


聞けない言葉を誤魔化して、笑った。
笑顔は得意だ。何故かいつも嘘を見抜いてしまう勝呂だけど、志摩が本気で作った笑顔にだけは騙されてくれた


「ん……ええで、謡いやぁ」
「ええの?ほんじゃあ」

勝呂が苦笑しながら答えると、志摩は大きく腕を振りながら伴奏から歌いだした。

「トントンしゃんしゃんトンしゃんしゃん」

慈愛に満ちた眼差しを遮るように、勝呂より一歩前を歩きながら昔兄に教えてもらった覚え歌を口ずさむ。

「坊さん頭は丸太町ぃー」
「お?それか」
「つるっとすべって……なんやっけ?」

と、元気よく歌いだした割りに最初の方しか覚えてない志摩に、勝呂はぶはっと噴き出してしまった。

「竹屋町やろ?」
「そ、それそれ……えっと」
「水の流れは夷川」
「あーもう!坊!先うたわんといてや!!」
「クク……すまんすまん」

一人が笑うと、もう一人も自然と笑顔になる。志摩は作り笑いを止めて、満面の笑みで勝呂を見上げた。この人の笑顔をこれからも守っていくのだと決意して。
いっそ時が止まってしまえばいいのに、そうもいかない。この世の全ては因果応報だから、きっと何度生まれ変わったって自分はこの人と一緒にはなれないのだ。でも、それでもきっと自分は何度でもこの人に恋をする。叶わなくたって我慢するから。

「坊」
「ああ、どうした?」


これくらいのご褒美もらったって構わないでしょう?



「“桜”は好きですか?」



きっと貴方は気付かないけど――






つづく