上京してきてからの知人に、勝呂、志摩、三輪の関係を話すと時代劇もしくはファンタジーの世界の住人の様に思われてしまう。つまり現代的ではなく現実的でもないということだ。しかし明陀には“伽樓羅”と“不浄王”そして“倶利伽羅”の存在があった。明陀の始祖“不角”は伽樓羅を宿した倶利伽羅を振るい不浄王を倒し、その右目を地下に封印したという、その秘密を護り、家を護り、血を護り生きる為、明陀は百五十年もの間ずっと変わらぬ繋がりを保ってきた。
なにかを“護る為”にまた他の何かを護り続けなければないのだ。長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれだけど、その時間に明陀の一族全員の命が懸けられてきた。人の一生が八十年だとすれば、そのに二回分の人生が懸けられてきた。
護るべきは何か、京の街か家の名か、それとも誰かの約束か、いずれにせよ勝呂の家は護って護って護って――そしてそれが彼の一番大事なものに成っていったのだ。

「伽樓羅を自由に使えるようになりたいんです」

彼がシュラにそう相談したのは純粋な向上心からだった。それに罪はない。恐らく勝呂は立場も実力も上であるシュラの言葉を真摯に受け止め実行するだろう、謙虚で殊勝なことだと思う。それを忌々しいと感じてしまうのは己の我儘だろうと志摩は口を噤んで笑顔を作った。この人は何を言ったって自分の意志を変えないから。

シュラは暫く考えた結果「もう一度伽樓羅を召還してみろ」と言った。シュラや講師達の立会いの下で行えるように手配するから待っていろと命じられ頭を下げた。いざという時は燐がいるから大丈夫という判断だった。それから数週間後。

「がんばってね勝呂くん」
「ま!なんかあったら俺が助けてやるから好きなようにやれよ」
「阿呆、ちゃんとやったるわ……でも、万一の時は頼むで」

召還するのが焔の悪魔だからといって全員が火器演習場に移動した。緊張気味のしえみや燐が励ましているのを見て志摩は苛々が募っていく。だいたい大袈裟なのだ、火属性の最高位の伽樓羅を召還するのを「たかが」なんて云わないが勝呂の血があればアレを従わせられると聞いている。だからそんなに警戒することはない、大丈夫……勝呂の身に危険が及ぶことなんて有りはしない――不浄王の時だって坊はしっかりやったじゃないか――

「……死んだら線香くらい上げたるんで安心してくださいね!坊」
「志摩さん!そんな縁起でもない!」

笑顔は作れていたのに口をついたのは随分と棘のある言い方だった。冗談でも酷いともう一人の幼馴染から非難を受けて志摩は更に笑みを嫌味なものへ変化させる。

「そんな心配せんでも俺は大丈夫やで」
「は?誰が心配してるなんて言いました?」
「ふん、お前の顔見とったら気合入ったわ……ありがとな」
「なっ!?それどういう……」

強く反論しそうになったが寸でで言葉を押し殺した。最近勝呂に対して感情が抑えられなくなってきている。志摩にとってそれは良くない傾向だった。自分は別に勝呂の不興を買いたいわけじゃない。シュラに先導され部屋の中央へ歩んでいく勝呂の後ろ姿を眺めながら、必死で自制を掛けた。自分はいつも好い加減で飄々としていて本当か嘘か分からないような言葉で坊を惑わして……――頭の中で繰り返す内にだんだん心が凪いできた。これなら落ち着いて伽樓羅召還を見守れそうだ。
一方勝呂は、既に伽樓羅を召還する為の詠唱を始めている。周りが固唾を呑んで見守る中、着々と行うべきことを行ってゆく。彼を中心に空気がピリピリと張り詰めていく、皆が額に汗を浮かべる中で勝呂は顔色ひとつ変えない。まだ未熟に見えるかもしれないけど、彼は努力の才能と度胸の強さなら燐にだって負けたりしない。

(しってる……)

ずっと、見てきたから知ってる。勝呂は守られてばかりの己を情けないと自嘲するけど、誰かが離れていくのを己の所為だと責めるけど、それは優しいからで……いつか皆を護れる存在になろうと頑張っているからだ。そんな彼を嗤う権利なんて誰にも無い。面倒くさくて暑苦しくて一番苦手な類の人間なのに志摩は勝呂を嫌いになりきれないでいた。部屋中に響き渡る彼の力強い声に体中が囚われていく。
勝呂の周りに円状の印が浮かび上がり、そこから焔が噴出した。勝呂に焔に対する恐怖がないなんて思えないけれど、それに包まれるとどこか懐かしい気持ちにさせられた。青でも黒でもない、赤い焔は何代も明陀を護ってきた色。勝呂に流れる血が、これは安全だと語りかけてくる。

「あれは……」

背の高い焔の中にいる勝呂よりも先に高座にいたメフィストが気付いた。その声にハッとして皆が視線の先を見ると伽樓羅ではない影が焔の中に浮かび上がっていた。講師陣が一斉に戦闘隊形に入り、燐と志摩と子猫丸は勝呂の傍へ寄ろうとするのをシュラから制止させられた。

「ちょっと待て!……あれは」

シュラの瞳が細められる、焔と空気中の塵が光って見えにくいが、人影ではないか。いや人型の悪魔かもしれないけれど。勝呂もそれに気付いたのかゆっくりとその影の周りの焔を抑えるよう命じる。するとそこから見えてきた顔に驚愕することになった。

「志……摩……?」

焔の中から顔を出したのは志摩と瓜二つの人物だ。けれど志摩よりも大人びた顔立ちをしていて焔の中だから判り辛いが志摩よりも薄い紅色の髪を持った青年。見える所だけでも傷だらけで黒い半袈裟の所々に斬られたように裂けている。

「坊?」

その青年も勝呂に気付き驚いた顔をしている。そしてハッと自分の身体を見た。

「え?なんで?俺生きとる……?」

声も、志摩のものとそっくりだった。そうしている間にメフィストやシュラ塾生達が勝呂の周りを囲む。志摩は勝呂を庇う様に目の前に出て青年と対峙した。悪魔が自分に化けて勝呂を襲おうとしているのかもしれないと思ったら身体が勝手に動いたのだ。

「……」

志摩を見て青年は更に目を見開き、固まってしまう。

「あなた志摩くんですか?」

しかしメフィストに呼ばれると其方を向いた。

「ヨハンさん?」

その姿形でヨハン・ファウストの名を呼ぶ人物をメフィストは一人知っている。

「ああ、貴方は志摩“桜造”くんですね?」
「桜造?」

青年を警戒しながら正体を知っている様子のメフィストの言葉に全員が耳を傾ける。メフィストは横目で志摩を見た。

「志摩廉造くん、あなたの前世ですよ」
「え?」

なんでそんな者が此処に?と疑問に思った。しかし、そう言われてみると不思議と納得できてしまう。今まで勝呂に攻撃しないかばかり気になっていたけど魂が共鳴するというか、自分と同じ気配を感じるのだ。

「前世……じゃあ俺の生まれ変わり?」

桜造と呼ばれた青年がぽつりと呟く。二人の志摩を交互に見るとその髪色の違いに気付く、志摩の髪が桃色なら桜造の髪はその名の通り桜色、しかも天然色故に光に当たると透けて見えた。

「うそ……そんな……」

桜造の声が涙声に変わったのに気付いた勝呂はハッと顔を上げて彼を真っ直ぐ見た。桜造は勝呂の方へ手を伸ばそうとしたがグッと堪え、その手を自分の口元に添えた。ふるふると震えながら、涙を目じりに溜めてゆく。

「俺……生まれ変わっても坊の傍におれとるん……?」

信じられないという様に、嬉しそうに、竦み上げるかの様に言って。一筋の涙を流す。

「……」
「たとえ夢でも良い」

夢だから言える、やっと言える。桜造は涙を拭って勝呂に向かって笑った。不恰好で歪な笑みだけど、本物らしい。

「アンタに会ったら言いたいことあったんや」

志摩はイヤな予感がして止めようとしたけれど、声が出せなかった。まるで魂が拒んでいるかのように身体が少しも言う事をきかなかった。止めなきゃ坊が聞いてしまうのに――

「なんや?言うてみ?」

勝呂はその場を一歩も動かず優しい声で桜造を促す。その声を聞いてまた魂が悲鳴を上げた。許しを得た桜造は胸元に手を当てて必死に訴える。自分の時間が少ないことを解っているのだろう。彼は足元から焔に混じり消えそうになっている。


――約束破ってゴメン
最期までアンタを護れんでゴメン
裏切ってゴメン

「アンタを護る為にはああするしかなかったんや!」

桜造はボロボロの身体に残った最後の力を振り絞るように叫んだ。聞いている者の心を抉るような悲痛さがあった。

「坊が嫌いなんて……嘘や、嘘やで?アンタは俺の誇りやった……アンタの為やから俺はどれだけ手を汚しても平気やった……」

坊とおれて幸せやった、と本当に幸せそうな泣き顔で言う。もう彼の身体は半分以上消えていて、勝呂は近寄って抱き締めたい衝動を抑えるのに必死だった。だってそんなことをしたら志摩“廉造”を傷つける。

「坊……坊……ほんまに今も俺の傍におってくれとるの?なら、嬉しい……」

――今度こそ、アンタのこと最期まで護るからな……

最後にそういって“桜造”は消えていった。伽樓羅の焔も次第に弱まっていく。気の抜けた志摩と力を使いすぎた勝呂は同時にその場に座り込んでしまった。髪を乱しハァハァと息をしながら勝呂は志摩を睨んだが志摩は俯いたまま顔を上げない。今、名前を呼ぶのは酷というものだろう。裏切っただの、嘘吐いただの、先程の言葉はなにより志摩を恐怖させたに違いない。

「……なんやったんですか?今のは」

暫く経ち、恐々と子猫丸がメフィストに訊ねた。顎鬚を撫でながら彼は答える。

「そうですねぇ、あの子が……桜造くんが亡くなったのは伽樓羅の焔によってなので……虚無界を通じてあの時代と繋がったのではないかと」

「伽樓羅の焔で!?」

難しい話はよく解らない燐だったがそこだけに反応して驚愕の声を上げた。さっきの青年は今わの際だったのか?あんなに若く?塾生の顔が徐々に青褪めていく。

「ちょっと待てや、伽樓羅の焔で灼かれて……?」

体調の戻った勝呂が声を凄めながら問いかけた。メフィストは冷ややかな目で見下ろして答える。勝呂がなにを問いたいのかしっかり理解しているようだ。

「ええ、あの子を殺したのは明陀宗初代座主“不角”こと勝呂明士」

今まで名前を聞いたことがあるだけの先祖の存在。明陀の中では英雄のように語り継がれてきた初代。己の生きる道の原点となった人物。

「勝呂くんの前世ですよ」

それが、志摩を殺した……――

「え?坊の前世がさっきの人を……?何故」

反射的に訊いてしまってから子猫丸は「しまった」と後悔する。背後にいる二人を振り向けない。

「さっき本人が言ってたでしょう、桜造くんが裏切ったからですよ……明士くんも真面目な子でしたから赦せなかったのでしょうね」

「裏切ったって……?」

「外道に手を出したんですよ……でも、さっきの彼を見るに何か事情があったようですね」

深刻な表情で話を聞く周囲とは対照的にメフィストはどこか楽しげに語っていた。これで長年の謎が解けたというように。

「ずっと不思議だったのです。あんなに一途で忠誠心の高い桜造くんが何故明士くんを裏切ったのか、と……そうか、彼の為だったのですか」

“一途”“忠誠心が高い”など、今の志摩とは大よそ結びつかない表現で形容される前世。でも先程の彼を見れば理解してしまう。彼がどれだけ“坊”のことを好きだったのか、きっと何を犠牲にしてでも護りたい相手だったのだと。そして彼の根本にあるものが志摩と同じだという事も、大人達は解からずとも塾生たちは感じてしまっていた。

パチン!

神妙な空気を払拭するかのようにメフィストの指を鳴らす音が響いた。彼はそのまま「どうして手袋をしたまま指パッチンが出来るんだ」なんて場違いにも思ってしまった燐の手をとる。


「さて、行きましょうか」
「へ?」
「他の方は無理ですが、貴方の身体なら大丈夫でしょう」

「え?なに?なんだよ」

ニコニコ笑いながら要領の得ない話をし始めた兄に警戒し始める燐。そんな二人の兄を見て雪男も焦り出す。

「もう一つ不思議なことがあったんですが、こういう事だったんですね」

「だからなにがだよ!さっきから何言ってんのか全然わかんねえんだけど!!」

「そうか、だから“彼女”の使い魔はあんな色をしてたのかー」

「無視すんなよ!」

燐の手をとったままクルクル踊るように回って、メフィストはもう一度指を鳴らす。すると大きな古時計が部屋の真ん中に出現した。燐はイヤな予感がして手を振り払おうとするが、もう遅い。メフィスト時計の蓋を開きその中へ燐を放り込んだ。

「っちょ!?」

「兄さん!!?」

「燐!?」

「奥村くん!!」

なにをするかと見守っていた出雲、雪男、しえみ、子猫丸が一斉に叫ぶ。勝呂も具合の悪そうな志摩を気遣いながら燐が消えた古時計の方を冷や汗混じりに見詰めていた。一同に振り返ったメフィストは舌をペロリと出してウインクをかました。

「兄さんをどこやったぁああああああああ!!!」

ある晴れた夜のこと、正十字学園の火器訓練室に一人の祓魔師の声が木霊する。



* * *



メフィストによって古時計の中に放り込まれた燐は、深い闇の中をゆらゆらと堕ちていっている最中だった。ただの暗闇かと思えば所々に穴が開いていてそこから光が漏れている。このままではあの中のどれかに落ちてしまうのではないかと危惧していると目の前に大きな魔方陣が現れた。出雲が使っていた魔方陣に似ていると思った瞬間、その陣の真ん中に吸い込まれるように落ちて行った。そして突然目に入った明るい明りに目を眩ませていると、なにか柔らかいものの上に落とされた感覚がした。

「わー!見て見て八雲ちゃん!綺麗な火の玉が出て来たよ!!」

「火の玉じゃなくて鬼火でしょ……もう」

どこかで聞いたことのある声がすぐ近くで聞こえると燐はパッと目を開いた。すると同級生の女子二人の顔が至近距離にあり、思わず「ギャッ」と声を……あげることが出来なかった。

「でも本当珍しい“青い色の鬼火”なんて初めて見るわ」

興味津々といった様子で突いてくる顔がいつもより大きく見える。というか此処はどこだと。一回転しながら辺りを見渡すと在るもの全てが大きく映った。それに先程から自分は声を上げている筈なのに何も発せられていない。

(え?なんだこれ?)

勿論混乱するが、そんな燐を無視して目の前の少女二人は尚も会話を続ける。

「とりあえず名前決めてあげたら?」

「そ、そーだね!えっと……そうだな……」

ここに来て漸く、この二人が自分の良く知る杜山しえみと神木出雲ではないことが解かってきた燐。ひょっとして使い魔として召喚されたんじゃないだろうかと思い始めた。

「燐!火の玉だから燐って名前にする!!」

(おお!?コイツしえみソックリの癖に鋭い!)

「へえ……燐ね、良い名前じゃない」

(そんでコイツは出雲ソックリな癖に素直だ!)

なんて失礼な事を思っていると、急に体が揺れ、視線が上がった。しえみソックリな少女が立ち上がったのと同時に自分の視線も上がったみたいだ。どうやら自分は少女の掌に乗れる大きさの鬼火(恐らく青い焔)になっていて、話すことは出来ないのだと、珍しく察しの良い燐は考えた。

「雪ちゃんと仲良くしてくれるかな?」

(雪ちゃん!?雪男もいんのか!?)

こんな姿になってしまって厳しい弟に説教されるんじゃないかと身構えていると、少女は陣の書かれた紙を開いて「おいで雪ちゃん」と気の抜けた声で呼びかけていた。

(雪ちゃんて……)

そこから出て来たのは、しえみが連れている緑男によく似た形の雪だるま。雪男じゃなくてスノーマンだった。燐は安心したような残念なような気持ちになりながら、同じ悪魔なら自分の言葉も解かるのではないかとスノーマンに語りかける。

(おい!雪!お前俺の言葉聞こえるか!?)

思いきり叫ぶのだが、如何せん口がないので音になって出て行かない。スノーマンは燐の方を見ながらキョトンと首を傾げていた。雪ちゃんなんて名前だけど、彼はどちらかというと幼少時の雪男のような性格らしい。鬼火の姿で項垂れたって誰も気付いてくれないが、出雲は燐がどこか元気がないのを察したのか「うーん」と唸りながらやはり至近距離で見詰めてきていた。顔が近すぎて照れる。
すると……

「すいませーん、杜山さんいますかー?」

またも、聞き慣れた声が聴こえてきた。これは志摩だ。

「いますよーどうぞ上がってきてください」

「はいお邪魔しますー」

そう言って部屋の中(気付くのが遅いが、時代劇に出てきそうな作りの部屋だった)へ入ってきた少年を見て燐は驚愕する。まだ幼い顔をしているが、つい先ほど伽樓羅の焔の中に消えた彼と同じ服を着ていた。ひょっとしてこの人物は志摩の前世で……ここは初代勝呂のいる時代なのではないか?燐は記憶を巡らせた。此処に自分を送り出したのはメフィスト、彼は時の王と名乗っていたから人ひとりタイムスリップくらいさせられるのかもしれない。

「あ、八雲ちゃんや久しぶり……遊び来とったんやね」

「ええ、アンタ……大丈夫?」

「ん?俺は元気やで、杜山さんいつもの解熱剤ください」

元気と言いつつ志摩の顔色は優れなかった。それに八雲という少女に話し掛けられたのに淡々と返し、すぐに話を杜山という少女に振ったことが彼の具合の悪さを物語っているんじゃないかと燐は周りを飛び回りながら思った。燐に気付いている筈なのに何も言わないのも可笑しい。

「かしこまりました……勝呂くんまだ熱下がらないの?」

棚から薬を取り出しながら杜山が訊ねると志摩は気落ちした様子で答えた。

「うん……あ、でも杜山さんの薬飲むと暫くは楽になるみたい」

「そっか」

後半は明るい声を出すよう努めたみたいだけど、表情はやっとのことで作った笑顔だと隠せていなかった。志摩の前世は現世の志摩より嘘を吐くのが下手なようだ。

「なに?アイツ具合わるいの?」

「……ええ、こないだ仏像泥棒捕まえた時に負った傷が長引いてるみたいで」

「仏像泥棒?」

「うん、仏像溶かして刀作っとった連中、そこの頭以外は捕まえたんやけどな……頭には刀持って逃げられて、それ追いかけてってる最中に攻撃されて」

説明している内にどんどん声が小さくなっていっている志摩。

「あの時、俺が坊を独りにせんかったら……」

「馬鹿ね、そしたらアンタが代わりに怪我してたかもしれないでしょ?」

「そっちの方がええやん!!」

彼が思わず言ってしまった言葉に燐は驚く。自分の世界の志摩は痛いのも苦しいのも嫌いだったのに……そんな言葉が自然と出てくる程こちらの志摩は勝呂を護ることに忠実なのだろうか。そんなの絶対勝呂は怒るだろうに。八雲も同じように思ったのか呆れたように溜息を吐いて首を振っている。

「はい、志摩くん。今回は多めに配合してるから」

「おおきに杜山さん、杜山さんの薬良く効くから助かるわー」

「ありがと……でも早く薬が必要なくなる方がいいから」

「うん、おおきに……」

そして志摩はお代を渡すと急ぐのか二人へ手短に挨拶して来た道を帰って行った。彼が出て行った戸を見詰めながら杜山が呟く。

「……私は志摩くんも心配だな……志摩くんは痛くても絶対誰かを頼ろうとしないから」

「そうね……アイツ嘘吐きだもんね」

――本当は勝呂が好きな癖に女好きの振りして。嫁を娶らず養子をとるくらい勝呂一筋なのにね――

苦笑混じりに落とされた言葉にも色々と気になる所はあったが、燐はそれよりも怪我をしたという勝呂の方が気になった。だから急いで志摩に付いて行く。

「あ!燐!どこいくの!?」

呼び止める杜山の声など聞きやしないで。ここで燐が追いかけたから、志摩が勝呂を裏切った真相を知ることができたのだ。



燐が志摩に追いついた時、彼は人気のない道で、伽樓羅のような赤い焔を纏った勝呂ではない男と対峙していた。眼に確かな殺意を湛えて。

「それ、ほんまなん?」

志摩の口から出たとは思えないくらい鋭い声が突き刺さっているのに、相手の男は笑顔のまま「そうだよ」と頷いた。どこかで見た顔だが燐には思い出せない、それも仕方ない……燐はその男に一度しか会ったことがないのだから。

「そうだよ、彼が今高熱に魘されているのは体内に伽樓羅の焔を取り入れた所為さ」

「取り入れたって……アンタが埋め込んだんやろ!?」

燐は激昂する志摩など初めて見る。いや、この志摩と自分の知る志摩は別人なのだけど、あまりに似ているから。全然違うと思っていた性格も、根底の部分では似ているのかもしれない。彼が自分の震える手を押さえ、必死に落ち着こうとしているのが見えた。


「……それで?俺はどないしたらええの?」

「クス……頭の良い子は話が早くて助かるよ」

男が笑みを深めた。ああこの笑みを見て思い出した。コイツは藤堂だ。明陀を陥れ、雪男を苦しめた、燐にとっても赦せない相手。

「もう解かってるだろうけど、勝呂明士の命は僕等の手の内にある。もし君がこの条件を飲んでくれなければ彼の五臓六腑はただちに焼き爛れるだろうね」

頭のそう良ろしくない燐でも解かる。これは取引ではなく脅迫だ。藤堂は勝呂を人質にとって志摩を脅している。燐は青い焔で男を焼ききってしまおうと心で念じた。

――やめなさい、彼を倒しても無意味です

するとメフィストの声が聴こえたと同時に火力が急激に下がり、燐はその場に浮いていられず地面に落ちてしまった。

(てめえぇメフィストなにしやがった……ッ!!)

――なにって、歴史に干渉しようとする弟に手綱をつけただけですよ

飄々と悪気なく宣った自らの兄に向い、燐は帰ったら燃やす!と決意した。

「アンタら何が目的なんや」

「うん、実は僕等の雇い主は不治の病に落とされていてね、それを直すためにはどうしても不死鳥の再生力が必要なんだけど……」

藤堂は自分の肩程の位置に浮かんでいる鳥籠を撫でた。あの中に眠っているのが不死鳥――伽樓羅――か。

「まだ完全に目醒めている訳じゃないんだ」

だからこそこうして捕まえて、力を利用しておけるんだけどね、と藤堂は頭を掻きながら続ける。

「だから君には伽樓羅を完全に目醒めさせてほしい」

「……そんなこと俺に出来るわけ」

「なぁに簡単さ、君の力を使って“不浄王”を召喚してくれたらいい」

「……え?」

何を言っているのか、一瞬理解出来なかった。

「宿敵である不浄王が現れれば伽樓羅も目を醒ますに違いない」

「でも、そんなことしたら京の街が……」

「勝呂くんがどうなってもいいの?」

「……」

――馬鹿ですね、たとえ伽樓羅を目醒めさせることが出来たとしても、今度は伽樓羅を掌握する為に勝呂くんが利用されるに決まってるのに

(そうなのか!?)

燐にしか聞こえないメフィストの声が残酷なことを告げる。それじゃあ、どう足掻いたって勝呂や志摩の命が危険に晒されるのではないか。

「まぁ今すぐに答えを出せとはいいません。次に逢う時までに決めておいてください」

「あ……」

「安心して、君が帰り着く頃には勝呂くんの具合も完全に良くなっていますから」

自分達で苦しめておいて、なにが「安心して」なのだろう。しかし志摩はそれを聞いて涙が出るほど安堵してしまった。

「では、失礼します。この事は他言無用ですよ……知られれば勝呂くんの立場が危うくなるだけですから」

藤堂は最後にそう言い残して去って行った。残された志摩は暫く立ち尽くていたが、やがて震えだし膝を抱えて座り込んでしまった。心配になった燐が周りを飛んでも無視をしたまま。

やがて、顔を上げた彼の瞳には確かな覚悟が宿っていた。