ライト様リクエスト。鬼の元親の生け贄にされる大谷さんと毛利さんの話





――外道という世を知っておるか?


――仏の教えに遵わぬ者が死後に逝く世界だという


――日輪を崇めるぬしと、神仏を信じぬわれ


――もし、輪廻転生というものがあるとすれば


――われらは其処に逝くのだろうな



毛利が神楽の舞を観ていると隣で病の男が己にしか聞こえぬ声で語りかけてきた。
自らを業病と謳いながらそのようなこと宣うこの男の目がニィっと細められる。
見詰める先にあるのは鬼と狐の演舞だ。

この神社に古より伝わる――鬼へ生贄にと捧げられた子供を取り戻す為、稲荷狐が勝負を挑むという演目。
その年によって結末が変わるという……さて今年はどうなるやら、さして興は惹かれぬが他にすることがないので同じ様に眺める。

我らを此処へと連れ出した海賊は、凶王を連れて祭り見学の最中だ。

「くだらぬな」

なにもかもが――

「おい何処へ行く毛利よ」
「もう飽きた……先に戻る」
「然様か、ならばわれも……」

踵を返す我を追いかける大谷、杖をついて懸命に後を追う気配を感じ、少し歩幅を緩めた。
成程コイツには“勝手にしろ”と思わせる才がある。
このまま置いて帰れば石田が煩い、仕方なく輿を隠した林まで大谷を支えながら歩くことにした。

「すまぬな……」

儘ならぬ足に憤りを感じながらも手を貸した我へ素直に感謝を述べる男を見て、どうしてコレが世の不幸を願い、戦場で怖れられる武士なのだろうと疑問に思った。
鬼と呼ばれる長曾我部も、凶王と呼ばれる石田も、この男も皆ただの人だ。
ただの人が乱世で人でなしに変わる……ならばこの世こそが地獄ではないか――



「刑部どうした!?」

暫く歩いていると目の前に真っ白な着物に身を包んだ男が現れた。
祭りの帳の中、それは一瞬、妖の類かと疑う程に白く浮き出している。

「おお三成よ、祭は楽しんでおるか?」
「そんなことより、どうした?何処へ行こうとしている?」
「われが少し疲れたと申したら毛利が屋敷まで送ってくれると言ってくれての」
「おい……」

するりと偽りを吐く大谷に睨みを効かすと長曾我部がバシバシと背を叩いてきた。
桔梗色の着物の袖が固く結んだ帯に当る。

「なんでぇアンタにも優しいとこあるじゃねえか」
「黙れ」

肩を組んでくる長曾我部の腕を睨みながら、この男の着る桔梗色と己の着る若草色との相性はどうなのだろうかと、そんなことばかりが気になった。

くだらない
本当にくだらないことばかり考えてしまう……
この男といると――




* * *




「紀之、おい紀之」
「やれどうした松寿」

滝の麓で水浴びをしていた華奢な少年に、それより少しばかり小柄な少年が声を掛けた。

「また貴様は護衛も付けずこんな所へ来て、賊でも出たらどうするのだ」

奪われるのは命だけではないぞ、と少年の着物を置いた岩の上にストンと腰掛ける。

「すまぬ松寿よ、ぬしに心配をかけてしまったの」
「まったく……」

二人は親しげだが、紀之(きの)松寿(しょうじゅ)と呼び合う名前は真名ではない。
紀之は滲ひとつない珠玉のような肌を水に潜らせた後、陸へと上がる、手拭いで髪と体を拭き着替えながら松寿に微笑んでみせた。

「ぬしに黙ってきたことは謝るが、護衛ならついておるのだぞ」
「はぁ?どこにだ?」

忍でも潜んでいるのかと辺りを見回す松寿の横に腰掛け、紀之は柔らかな声で呼んだ。

「三成」

すると、林の中から一匹の狐が顔を出し、二人の元へと寄ってきた。
尾が二本生えているので妖弧だと一目でわかる。

「護衛とはまさかコイツのことか?」

自分と紀之の間に割り込むように座った六尾の狐を見下ろし、松寿は怪訝な表情を浮かべた。

「そうよ、そうよ、こやつがいれば手を出してくる人も獣もおらぬからな」
「まぁ……確かに強い妖には見えるが……まだ子どもではないか」
「そう言うなら、われらとて同じであろ?」

この世の妖の強さはその毛色で決まる、銀色の毛を持ったこの狐はそれなりに強いのだろう、そして二人は年齢と実力は比例しないと身を持って知っている。
松寿と紀之はそれぞれ日輪の神子と月輪の神子と呼ばれる、この国の最高権力者の孫であった。

「三成がおれば安心よアンシン」
「ふん、そんなものか……ところで三成とはそなたが付けた名か?」
「ああ、三つのものを成すという意味でつけてみた」
「三つのものとは?」
「それは秘密だ」

秘密と言われて少々腹が立ったが、この世界で“名前”の持つ力というのは絶大だということを思い出し仕方ないと納得した。
自分達だってお互いの真名を知らない、知ることが出来るのは名付け親である帝と、そしてまだ見ぬ己の傍らとなる者のみだ。

(三つのものか……)

我が家の教えで重要なものと言われるのは“智”と“力”である、三つのうち二つはそれだろうが、もう一つはいったい何だ?

「解らぬなら鍵をひとつ教えてやろう、人が幸せになる為に必要なものよ」

そう言って紀之は綺麗な指先で妖狐の喉の下を擽るが猫ではないので鳴ったりはしない、なので今度はその白い頭を撫ぜた。
気持ちよさそうに目を細めるのを見て松寿は丸い背中を撫でてやる、すると三成は迷惑そうに尻尾で手を叩いてきた。

「む、我の手を拒むとは生意気な」
「ヒヒッ……松寿よりわれがいいと申すか、愛い弧よなぁ」
「ふん」

にたにた笑んだ後、三成をかかえ頬擦り始める紀之に水浴びの後だけど良いのかと思ったが楽しそうなので何も言わないでおく。
妖狐相手であっても、この従兄弟が他者と共にいて笑えるならそれで結構だと松寿はジッと一人と一匹を見詰めた。

「おい貴様、紀之から目を離すなよ」

そう語りかけながら手を伸ばすと今度は拒まむことなく長い前髪を梳かれる三成、紀之の護衛として認められたようで嬉しいのだろう。

「さて、そろそろ戻らねば右近が探し回っているだろうな」
「ああそうか……ぬしの使いはまことに真面目な子よの」
「そなたの使いが不真面目すぎるのだ」

二人は自分と相手に仕える稚児の顔を思い出し、同等の役職に就きながらああも正反対になれるのかと同時に思った。

「では、われはもう暫く此処で三成と過ごすゆえ、ぬしは先に戻りやれ」
「そうはいかぬ、もう逢魔時に差し掛かる頃だろう、此処にいては危険だ……その妖狐とて貴様を襲ってくるやもしれんぞ」

と言えば三成は毛を欹てて松寿を睨んだ。

「こらこら、よさぬか三成……松寿とてぬしを悪い妖と言っておるわけではない」

だから気を悪くするな、と言う紀之の顔は困っていた。
古より逢魔時と呼ばれる日暮から夜がくるまでの間、この国の妖は凶暴化するのだが最近はその度合いが強い。
社の主達は鬼ヶ島にいる鬼の怨念だと推測している、事実はどうだか解らないけれど上がそう言うのだからそうなってしまうのだろう。

「まぁ……夕餉もあるし、われもそろそろ帰るとするかぁ」
「そうせよ」

三成の額に唇を寄せ頬を撫でた後、少し照れたように笑み「また来るからの」と声を掛ける紀之、そして三成がぴしゃーんと固まるのを見て声を上げて笑った。
岩からひょいと飛び降り一人でスタスタ歩く紀之を追いかける前に松寿は、三成の耳にそっと吹きかけた。

「狐よ、逢魔時を過ぎた後に来ればよい、あやつの間は屋敷の最北ぞ」

貴様程の大きさならば穴熊の空けた穴からでも入れよう、と、悪戯な瞳が細められる、三成は何度も首を縦に振ることで答えた。

「ところで紀之よ、あの妖狐は喋れぬのか?」
「いや、喋れるのだが……語彙があまりに苛烈なので言葉を発す前に暫し考えよと申したのよ……そしたらすっかり無口に」


松寿と紀之は帰り道にそんな事を話した。
二人が屋敷に着く頃、空が黄昏に染まりだす、逢魔時の始まりだ。



丁度その頃、太陽が落ちる海を眺め一人佇む少年がいた。
国の北東、鬼門にある小島、人々が鬼ヶ島と名付けた島には鬼の皇子が住んでいる。

(海はいつも力強いけど、この一瞬だけは物悲しく感じるな)

皇子は海色と日色の双眼を細め西に浮く島へ飲み込まれてゆく太陽を見送る、鬼としては優し過ぎる気性の彼は仲間内から姫若子なんて言われからかわれていた。

「おーい元親ー!」

そんな姫若子を唯一名前で呼ぶ者がいた。

「家康……」

元親が振り返り金色の狸に返事をする。
すると家康はぽんっと音を立て人間の姿へ変化した。

「こんな所でなにやってんだ?」
「ああ、いや……海を見てたんだ」

元親の言葉の歯切れが悪い、家康は大丈夫だと解ってはいるが他の者に言えば馬鹿にされるからだ。
鬼が景色など眺めているなんて、そんな暇あったら武芸を磨けと皆言う、元親も修行は嫌いではないし武闘会などでは優勝する程武芸に長けているが、それがより周りの顰蹙を買うのだ。
戦闘よりも絡繰り弄りや海に出ることが好きだという元親が誰よりも強いということに矜持が傷付けられ、元親の好きな物事を否定する。
ただ自分らしく生きているだけで、誰にも迷惑は掛けていないのに……

「そうか!それよりワシらの宴に参加しないか、こんな所に一人でいるより皆と絆を深めよう!」

家康は馬鹿にはしないが無意識に己の価値観を押し付けてくることがある“こんな所に一人でいる”時間を重要なものだと思ってもいない。
強引でお人好しでお節介で共にいて楽しく暖かい場所に連れて行ってくれる、家康のそんな所に救われている者も多いし、元親も大好きだ。
でも少し思ってしまう、こんな時にそっと寄り添い同じ景色を見てくれる存在がいれば、普段は素っ気なくても気が弱っている時には何も聞かず傍にいてくれるような存在がいれば……

『この海も今日が見納めかもしれぬな』

海風の中に囁きを聞いた。
前を見れば変わった甲冑を付けた小柄な男の背中。
見納めだなんて哀しいことは言うな、お前も俺も必ず勝って帰るのだ。
帰ってきたらお前に言いたい事がある、だから生きろ……お願いだから。

「元親?」
「……ッ!?」

家康の声でハッと目を醒ます元親、頭から踵にかけて冷たい震えが走る。
今、己には何が見えていた?何を考えていた?とても大切な事だった気がするのに思い出せない。

「すまねぇ、また幻を見てたみてぇだ」
「そうか、まあ気にするなよ、逢魔時なら仕方ない」

逢魔時になると妖達を惑わす幻がある。
懐かしき誰かの呼ぶ声が、愛しき誰かの後ろ姿が、憎き誰かの眼差しが。
その度に死闘を求めて体が疼き出すのだ。

(これさえなければ……)

この島を出て、世界中を自由に航海できるのに、元親はもう一度海を見た。
切ない横顔を家康は心配げに見詰めていた。

(元親はいつも明るいが時々とても悲しそうに笑う)

鬼の皇子として生まれた元親は鬼としては優しすぎる、だから他の鬼に馬鹿にされ姫若子なんて呼ばれている。
自分は馬鹿にはしないが彼が好む絡繰りや綺麗なものを愛でる嗜好は持ち合われていない。
家康は人間のような繊細な心を持った彼に人間の友が出来ればよいのにとずっと思っていた。

(そうだ)

人の住む里に向けて書状を書こう。
誰かこの島へ人間を送ってほしいと頼んでみよう。
元親と歳の近い者がいい、数はあまり多すぎると緊張するから二人ほど。
愛に飢えた鬼の皇子の為だと書こう。

(よし、早速明日にでも八咫烏に頼んで人里へ届けてもらおう)

元親の喜ぶ様を想像しながら、家康は彼の手を引き砂浜を歩き出した。



――翌日――



「大変です伊予様!!鬼ヶ島の鬼が神子二人を生贄に出すよう要求してきました!!」
「な、なんですってーー!!?」

松寿と紀之が住む国の中枢。
社に籠って神託を聞いていた巫の皇女に使者が書状を持ってきた。
誤字も多い(恐らく鬼とは文字が違うのだろう)上にとこどどころ、水で滲んでよく見えない箇所があるが、皇子から二人を寄越すように書いてある。

「えええ?どうしましょう?」

日輪の神子と月輪の神子の役割とはその身に秘める陰と陽の気で結界を張り、妖の厄から人々を護ること、生贄になることもその役目のうちに入っている。
二人の後継者は既に決まっているから、生贄に出来ない理由もなかった。

「と、兎に角このことはお二人には内緒に」
「ほぉ?我らに黙ってどうするつもりだ?巫よ」
「……松寿さん!?」

いつの間にか部屋の中に松寿がいた。

「がたがた騒がしき音がすると思えば、そのような書状が届いておろうとは」

紀之もいた。
伊予は咄嗟に書状を隠すがもう遅い。

「日取りは次の新月……明後日でよいかの」
「明日は準備で忙しいな、今の内に食べたいものを食べておくか」
「われは右近手製の餡子ろ餅がいいのぉ、左近とも一緒に食したい」
「そうか、ならばそう伝えておく」
「ちょっと待って下さい!松寿さんも紀之さんもどうしてそんな落ち着いてるんですか!ご自身が生贄にされちゃうかも知れないんですよ!?」

私はイヤです!お二人が死んじゃうのは!!
と、半狂乱になりながら泣く伊予に紀之は優しく微笑んでみせた。

「われらがそうなるのは生まれた時から決まっていた天命であろ?覚悟はとうに出来ておる」
「でも」

ここ数百年、神子が生贄になることなど無かったのに今更どうしてだろう。
何故自分達の時代にそれがきたのかと嘆く気持ちはないのかと伊予は夜空のような目を見上げる。

「すべては義の為、大切な者の住まうこの地を護る為、耐えられぬことではない」

嘘だと伊予は思った。
自分や側近達のことは大切に想ってくれている節はあるが、己の命を棄ててまで護りたいものなど紀之にはいない。
いたとしても同胞と呼ぶ松寿くらいで……その松寿も共にいくのだから。

「明日は新月の前夜か」

紀之はそう呟いた後、ふわりと部屋から出て行った。

「どうして……紀之さん」
「巫、では我らにどうせよと申すのだ?生贄になどなりたくはないと泣き叫べばよいのか?」

――助けられもしない癖に

背後から掛けられた冷たい声に伊予は震えた。
そうだ、巫に就任してこれまで生贄という制度を廃止しようとしなかったのに、実際要求されてから嫌だと駄々を捏ねることなんて出来ない。
ただ、最後に神子が生贄に出されたのがずっと昔の話で、もう廃れてしまっていると誰もが高を括っていたのだ。


「今まで世話になったな」

己を一瞥もせず部屋を出て行った松寿に下唇を噛みしめる。
人がこの地に住まう代わりに鬼へ生贄を渡すことはこの世の神、天狗との盟約。
神に仕える自分達がそれに抗うことは出来ぬし、抗えばこの地が沈むと言われている。

(松寿さん……紀之さん、ごめんなさい)

伊予は鬼ヶ島からの書状をギュッと握り潰し、再び己の役目へと戻った。

……彼らを救う神託は下りてこないだろうか……



人里がそんなことになっている時、鬼ヶ島では家康が元親を呼び出し、高らかに語っていた。

「人里に頼んで人間をお前のもとへ連れてきてもらえるようにしてもらったぞ」
「え?」
「八咫烏に書状を預けたんだ!お前と歳の近い人間を二人程こちらへ住まわせたい」
「え?なんだってそんなことを?」
「お前の気性は人に近い、人の子とならきっとよい絆を結べるに違いない!!」
「……」

そう自信満々に語らう親友に対し元親は呆気にとられてしまった。
この狸、強引過ぎる。

(いや、好きだけど)

家康のすることなら混じりっ気ない善意からの行動であろうし、自分の為にしてくれているのは有り難いのだが、一言くらい相談があってもよいのにと思う。

「ていうかアンタ人間の文字書けたっけ?」
「ああ!信玄公に習ってな!」
(不安だ……)

あの朱虎自身は文武両道なのだが、教え方に問題があるというか、恐らく学問も鍛錬をしながら習わせているような気がする。
家康の送った書状がきちんと本来の意味で書かれているかどうか不安に思いながら、元親は自分の家を片付けることにした。
突然過ぎる申し出に戸惑いはしたが折角の友の好意なのだから有り難く受取ろう、この島に人が増えるというのなら歓迎しよう、そう思う元親の心は海よりも広かった。




――明後日の朝――


小舟が一隻、入江に浮かぶ。
それに乗るは二人の神子、純白の衣で身を包み、船の中央屋根の下に二人並んで座っている。

「この水の流れに沿っていけば自然と鬼ヶ島に着きましょう」
「……」

右近と左近が二人に櫂を渡す。
この櫂を使い逃げ出しても良いとその顔には書いてあった。
そんなことをしては、次は自分達が生贄に差し出されることになるのに――

「今まで世話をかけたの左近、言葉にはしておらぬがわれはぬしにずっと感謝しておったよ」
「刑部さん……」
「みっともない顔をするな、貴様は次代の神子となるのだぞ?右近」
「……申し訳ございません」

右近も左近も昨日散々駄々を捏ねた。
松寿と紀之は目を腫らした己の後継者達の頬を少しだけ撫でる、すると二人の顔から腫れ引いてゆく。
最後に施してやれる癒しの力だ。

「では、行ってくる」
「後のことは任せたの」

左近達が船着場に戻ると櫂で船を押し、ゆっくりと陸から離れていった。

「「さようなら」」

此方を向いた松寿と紀之が優しく微笑むのを見て、右近も左近も膝を付いて泣き出した。
こんな宿命の下に生まれたのか、あの人達も自分達も、穏やかで平穏な日々がある日突然奪われるような世界に生まれてきたのか。

――でも
――ひとりじゃなくてよかった

大切なものが奪われる時も、己が奪われる時も自分はひとりじゃない、運命を同じくする者が傍にいる。
ただ一人、唯一の人が隣にいる。

「勝家」
「清興」

二人は真名を呼び合うと同時に立ち上がり互いに手を取り合った。
そして小さくなってゆく船をいつまでも眺めていた。




――それから半刻後―

高波が打ち付ける岩肌を尻目に穏やかな水流に乗り鬼ヶ島の砂浜へ辿り着いた。
仰々しい名にしては普通の、閑かな島であった。

「松寿、あれは」
「……あの者か、我らを欲したのは」

昨日のうち書状を返し今日この刻に此処へ来ると知らせてある。
船を降りた松寿と紀之を出迎えたのは一人の鬼。

(鬼を“一人”と数えてよいのか?だが他に数えようがないし……)

紫の正装に身を包んだ鬼のその口は堅く閉ざされている、頭に角が生えていること以外は人間とそう変わらない――ただ……

(綺麗な男だ)

松寿は吸い込まれるように鬼に近寄った。
海風に当たり細やかにそよぐ銀の髪、澄み切った琥珀と藍玉の瞳、鍛えられた体躯。
どこを見ても美しい鬼だ。

(こんな鬼に食べられるのなら、良いかもしれぬな)

そう思い松寿は薄らと微笑みを浮かべた。
すると今まで惚けたように松寿を見ていた元親が狼狽えたように口を開いた。

「あ、あのよぉ……えっと……」

ああよく見ると牙が生えている、松寿は更に近寄り下から鬼の顔を覗き込んだ。
元親は顔を真っ赤にして更にしどろもどろに言葉にならない言葉を発し続ける、傍からみていた紀之が何か可笑しいなと首を傾げる。

「まずは自己紹介だ元親」

と、元親の服の下から一匹の狸が出て彼に助言した。
驚いて紀之はその狸の方を凝視する、金色の毛を持っている最高位の妖だ。

「お、俺の名前は元親だ!そんでコイツは親友の家康!」
「そうか」

松寿が答えると元親の肩が上下に震えた。
不思議に思いどうしたのか問うと元親は頭の後ろを掻きながら照れたように言った。

「いや、アンタ声まで綺麗だからよ、吃驚しちまって」

すると松寿も驚き、咄嗟にこう答えてしまった。

「……我はそなたの声の方が魅力的に聞こえるが?」

静かな砂浜に沈黙が下りる。

(なに申しておるのだ?こやつら)

そんな二人を固唾を呑んで見守る紀之、この鬼は今から自分達を食べるのだよな?というか己も一緒だというのに松寿しか目に入っていないようだし。
困ったように足元の狸、家康を見れば優しい瞳で二人を見守っている、見合いの時「あとは若い二人に任せて……」という仲介人の如く。

「我の名は……」
「どうした?教えてくれねえのかい?」
「……その、我の名なのだが事情があってだな」
「もしかして名無なのか?」
「いや、あるにはあるのだが」

先程よりお互いの事しか目に入っていない元親と松寿に気付き、紀之の頭にこれは二人とも一目惚れしたのではないかという説が浮かんだ。
それは良いことだ、もしかすると生贄になるのは己一人で済むかもしれない、犠牲になるのは少ない方がいいし、役目から解放されたいという松寿の望みも叶う。
自分は死んでもいいのだ、もう心残りは残していないから、ああ。

あの妖狐が生きられる世界があればそれでいい。


紀之がそう心から思った瞬間。


「吉継ーーー!!!」


怒号のような声が砂浜に響き渡った。


「この声は」

皆がその声の主を探す。
するとそれは大きな岩の上に立っていた。

「なんだありゃ!若芽のお化けか!?」
「いや、昆布もあるから海藻の妖ではないか?」
「違う!」

そう叫んだそれは宙に飛び出さす。
此方へ着地するまでの間にそれの体にくっ付いていた海藻類がするすると取れてゆく。
そして現れたのは一匹の銀色狐だった。
海藻の妖ではなかった。

様子から推測するに海を泳いで渡り、岩肌をよじ登って上陸したのだろう。

「三成!?どうしてぬしが此処へ!?」
「どうしてとは私の科白だ吉継!貴様私に何も告げずにいたな!!」
「……」

紀之は掌を強く握りしめる、こんな時に三成と逢ってしまえば決心が鈍るではないか。
だが、三成は来てくれた。
凶暴な妖怪が蔓延る鬼ヶ島まで、たった一人で己に逢う為に来てくれたのだ。
それだけは真に嬉しい。

「吉継貴様、私に断りもなく勝手に生贄などになるとは、私に言った言葉は偽りだったのか!?」
「違う、そんなつもりは……」
「だいたい生贄になるには純潔な身体でなくてはいけないのだろう!?ならば貴様にその資格はないではないか!!」

三成がそう叫んだ瞬間、辺りの空気が凍り付いた。

「まさか貴様……この狐と?」

松寿から「契りを交わしたのか?獣と?」という怪訝な目で見られる。

「ぬしが考えておるようなものとは違うわ!!三成は人に変化するとそれはそれは美男子での……」
「しかも相手はオスか!!」
「そうだ、吉継は私にその身を捧げているのだ……だからもう他の男に捧げることは許さない」

と、人間に変化して紀之を思い切り抱きしめる、紀之は若干苦しそうだ。

「昨夜無理をさせた軆を案じて貴様の屋敷に入ったのだ……すると其処にいた巫女から貴様が此処にいると」
「伊予か……」
「巫女から力を貰った!今の私ならこの島の鬼全てを殲滅することも可能だ!」
「おい!ちょっと待ってくれ!!さっきから話がよく見えないのだが!!」

と、こちらも人間に変化した家康が二人の間に割って入り、そして……

「生贄って、なんだ?」

先程から気になって仕方なかった疑問をぶつけた。




「……つまり、人里に求めたのは生贄ではなく友だったと」
「しかも元親が自ら欲したわけではなく、そこの狸が勝手にやったことだと」
「書状の誤字の多さと海水で滲んでいた為に、正しい意味では伝わらなかったのだと」
「そういうことなんだな?」
「…………はい」

三人に詰め寄られ小さく縮こまる家康の背中を撫でながら誤解が解けてよかったじゃねえか、と元親は笑う。

「ところで紀之、その狐に吉継と呼ばれているが、それが貴様の真名なのか」
「……ああ」
「真名?ってことはお前達は普段は偽名を使っているのか」
「そうだ、真名を知るのは名付けの親と己のみ、しかし生涯一度だけ己の傍らとなる者に教えることができる、その者が呼び始めれば周りにも知られてしまうから、その時から皆真名で呼ぶようになるのだが……」

よりにもよってその相手が狐で、しかも同性とは……と、紀之改め吉継に呆れた目線を送る。

(じゃあ……さっきコイツが名前言うのを渋ってたのって、もしかして俺に真名を教えるか迷っていたからか?)

とまあ、そんな風に自分も同性の鬼に真名を教えようとしていた事を棚に上げて。

「とにかく誤解が解けてよかったじゃないか」
「貴様が言うな!」

狐姿に戻った三成が家康の耳を咬むと家康も狸姿に戻り、二人(二匹)は元親の周りでくるくる追いかけっこを始める。

「痛い痛い痛い!勘弁してくれ三成ぃ」
「許さん!殲滅させろ!!」
「……」

普段の吉継なら小動物のじゃれあいに可愛い和むと思いそうだが流石に片方が三成だと羨ましそうだ。

「まぁ、これ以上立ち話もなんだし、そろそろ俺の家に移動しようぜ」
「おおそうだ!昨日ワシと必死で片付けたから綺麗になってるぞ」
「ぬしの家に住まうのか……部屋はあるのかの?」
「ああ、こう見えてこの島の皇子だからな、結構広い家与えられてんだよ」
「皇子ということは跡をとるのか……それは面倒だな」
「松寿……ぬし」

ああ、こやつ本気で嫁入りか婿入りを考えている……と、今度は吉継が松寿を見て呆れた。
自分が無意識でも狐に嫁入りする気でいることは棚に上げている。

「皇子っていっても他に跡取り候補は沢山いるし、親父は俺に何も期待してねえからな、気楽なもんよ」

お前のような姫若子に大事な家を継がせられるかと何度も言われた事を思い出しながらも元親はあっけらかんと答えてやる。

「……あ、なあ……あの船はなんであんなところにあるんだ?」

元親の家に帰る道すがら、船着き場ではないところに一隻の大きな船が停まっているのを見つけ松寿が訊ねる。

「あれ俺の作った船なんだよ、港に置いては貰えないから波の穏やかな岩の間に置いてあんだ」
「なんと!あれを貴様が作ったというのか!?」
「ほぉ……凄いな」

そう聞いた途端、尊敬の眼差しを元親に向ける松寿と、素直に感心する吉継。
二人の様子を見た家康が、やはり人間の子を元親のもとに送ってもらってよかったと思う、彼のこの才能をここの鬼たちは評価しないから。

「そんな大したもんじゃねえよ……」
「大したものでないわけなかろう!あの船は今まで見てきた中でも一番立派だと我でも解るぞ!!」
「そうよ、あんなところに置いておくなんて勿体ない、あれなら長い船旅にも耐えられそうなものなのに」
「お、吉継もそう思うか?実は元親の夢はな、自分の作った船で外海に出ることなんだ」
「ちょ、家康!」
「だが何故か元親は実際船を出すのには躊躇するんだ……こんな立派な船があるというのに」
「なんだ貴様、情けないな」

ほぼ初対面に等しい三成に情けないと言われ傷付いたのか元親はふいと顔を逸らしながらぶっきら棒に言った。

「別に怖いってわけじゃねえよ、ただ逢魔時があるからよ」

航海中に幻を見て正気を失うかもしれないと思うと安易に海へは出れないと説明する、確かにそうだと三成は納得した。

「ならば我らを供に連れて行けばいい」
「へ?」

すると松寿がさも名案を思い付いたようにのたまった。

「我には妖の力を抑える能力があるからもし逢魔時に正気を失った時は貴様を止めてやれる、それに紀之……吉継には妖の力を強める能力があるから二人とも連れて行けばきっと役に立つだろう」
「おい、何を勝手に吉継まで連れてゆこうとしているんだ貴様」
「よいよい、われと松寿は運命共同体よ、ぬしが望むなら海の果てまで付きおうてやろう」
「吉継!?」
「ただし、三成も一緒に行くというのが絶対の条件よ、三成が厭だと申すならわれも行かぬ」
「吉継……」

三成が狐から人間の姿に変わり、義継に抱き付く。
もう落ち着かないから人型か獣型かどっちかで固定しろと思いながら松寿は続けた。

「我もずっと外海へ出たいと思っておったのだ」

あの広い海に惹かれながらも、役目があるからと諦めていた。

「貴様と一緒なら、可能な気がする」
「アンタ……」
「連れて行ってくれぬか?この元就を……」
「勿論、俺もアンタに一緒に来てほしい……って其れがアンタの真名かい?」
「ああ、我の真の名は元就ぞ……元親に一番に呼んでほしい」
「そっか……元就」

元親が大事な宝物を口にするように呼べば、元就は満足げに頷く。

「我らの名は似ているな、元親と元就……フッ」
「なんかイザナキとイザナミみてえだな」
「馬鹿、あやつら最終的には離れ離れになってしまうではないか」
「あそっか、わりぃ間違っちまった」

……そもそも夫婦に喩えるところが間違いだと指摘してくれる者は残念だが此処には一人もいなかった。
何せ全員が色ボケ絆ボケしている状態ゆえに。

「よかったな元親、一緒に旅してくれる者が一気に三人も見つかって」

これまた人間の姿に化け、四人のやり取りを微笑ましく見守っていた家康が後ろから声を掛ける。
すると振り返った元親が心底不思議そうに首を傾げこう言った。

「……?何言ってんだい?アンタも一緒に来るんだろ?」
「……」

家康は心臓に風穴が開いたような衝撃を受けた。
その小さな穴から、声のようなものが聞こえる、誰かが出して出してと叫んで、風穴をどんどんと広げてゆく。

「元親は兎も角、他の三人は……ワシと一緒は厭だろう?」

何を弱気なことを言っているんだ、自分らしくもないという声と、もう独りは厭だという幼い声が家康の耳両方から聞こえてくる。

「は?貴様本当に何を言っているんだ?」
「ぬしを拒む理由などなかろ?」

元就が、吉継が振り返り、はっきりと家康の耳に届く声で言ってくれた。

「では……」

だってワシは、過去を捨てた。
主よりも友よりも民を選んだ。
皆の信じる力を否定してきた。
失った信頼を取り戻すことも出来ず。
武器を捨てたと口にしながら今も戦いを繰り広げている。

すべては皆が笑顔で生きられる未来の為に……

それでも

「ワシも一緒にいていいのか?」

家康の声を聞いた最後の一人、銀の髪と金の瞳を持った大切な友が振り返り、一度小さく頷いて


「当然だ」


そう言った瞬間、辺りが眩い光に包まれ――

――再び目を開けた時、そこに在ったのは格子の天井で……


「家康さん!?よかったぁ!!皆さん家康さんもずばーーんと目醒められましたよ!!」


そして、なんでか天下は浅井長政のものになっていた。




* * *



沢山の布団の並べられた部屋の中、他意なく上座に座った鶴姫により説明を受けるのは、徳川、石田、大谷、長曾我部、毛利、島、柴田の七名。


「さて、皆さんは現実世界のことを何処まで憶えていますか?」
「ワシらは確か天下を賭けて関ヶ原で戦っていて、両軍の力が均衡していた時に……」
「浅井と第五天が現れたのぉ」

徳川と大谷が目を見合わせる、不測の事態に動転してか大谷の目から徳川への恨みが消えてしまっている。

「足元が急に真っ黒に染まってどんどん沈んでくから、俺は咄嗟に勝家の手を取って」
「私は刑部と左近の手をとって」
「われは毛利の手をとって」
「俺も毛利の手をとったぜ、鶴姫のも」
「私は……もしや徳川氏の手をとったのでありましょうか?」
「そうみたいだな」

つまり此処にいる全員が手を繋いだ状態で、市の生み出した闇に飲まれたのだ。

「私達が見ていたあの世界は“外道”と呼ばれる、天狗さん達が住まう世界らしいです」

鶴姫が“見ていた”と言うのは、あの世界でのことを思い出す時に自分以外の人間の行動も思い返すことが出来るからだ。
第三者目線というのか神の目線というのか、兎に角全員が全員と記憶と思考を共有できている。
まるで皆が同じ神楽を観覧した時のようだ。

「それで私達なんか天狗さんに遊ばれちゃってたみたいです」
「なんだと?」
「本来なら生者がいける世界じゃないので、私達が珍しかったみたいで、術にかけて観察していたそうです」

市ちゃんに聞いた話ですけどね、と苦笑する少女に、あの魔王の妹と普通に会話をした上にそこまで聞き出せたなんて凄い事だと一同が感心した。

「ただずっと術にかけておくのも可哀想だからって、術が解ける条件をちゃんと設定してくれてたみたいで」
「可哀想だと思うなら最初からかけなきゃいいのによぉ」
「して、その条件とは?」
「はい、全員が“満足する結果”になることです」

そう言って鶴姫はにっこり笑った。

「……」

つまり、徳川が皆に対し“一緒にいてもよい”と思った時点で全員があの世界に満足していたのだろう。
島と柴田はお互い理解し合える友、大谷は健全な肉体と石田の存在、石田は大谷と愛しあう未来を得ることができた。
鶴姫は石田の扮する妖狐に力を託した時点であの世界にて自分に出来ることは終わったと思ったのだろう、ある意味満足を感じた筈だ。
毛利も役目から解放され自由の身となり、長曾我部は己の才能を是認され共に外海に出る仲間が出来た。
そして徳川は……きっとあの瞬間に確かな幸せを感じたのだ。
新しい世を作ると言いながらずっと皆との絆の再構築を望んでいたから。


「貴様いつもあんな恥ずかしい事を考えていたのか」

「アンタこそ……」

同じ布団の上に座りながら、そっぽを向く長曾我部と毛利。


「アア……われもう死にたい」

「なにぃ!!死ぬことは許さないと言っただろう刑部!!」


布団に逃げ込もうとする大谷を掴んで離さない石田。


「ははっ……」

きっともう少しすれば元通り、長曾我部以外の皆は自分に敵意を向けてくる。
だからせめてそれまでは、この賑やかな空気に浸っていたいと思いながら徳川は四人を眺めるのだった。




――数カ月後――


浅井長政主催の宴の席で、石田と大谷、長曾我部と毛利が未だ恋仲に至っていないと知った徳川と鶴姫は「何故じゃぁあーー」と叫びたい気持ちを抑えながらその理由を尋ねたのだった。



「刑部が私の気持ちを受け入れてくれないのだ」

とは石田の談。

「三成がわれを選ぶなど何かの間違いであろ?」

とは大谷の談。

「無理だろ、だって俺めちゃくちゃアイツに嫌われてるもん」

とは長曾我部の談。

「……」

毛利からは無言で睨みつけてられた。



宴の席の外れにて、この四人との絆を結ぶことを目標としている徳川であってもこう思ったという。


――こいつらと関わるの面倒くさい……と










END