徳川家康が天下を獲った後、この国は一つになろうとしていた。 絆を掲げる国作りには反発するものもあったが……それは仕方ないだろう、乱世が終わったとしても今まで積もりつもった恨み辛みが消えた訳ではない。 それでも家康は己の意志を継ぐ誰かがこれから何代もかけて国を変えていくのだと言っていた。 体の傷が少しずつ癒えていくように少しずつ皆の心の傷が癒えてゆけばいいと彼は語っていたのを憶えている。 そんな家康の元で大谷と毛利が仕えていた事を知るのは極僅かだ。 先の戦いの重罪人である彼らは処刑されたことになっていたので、その時は別人を名乗っていた。 大谷は病が完治し業病に掛かる以前の美しい姿で軽やかに動くようになり、毛利は彼の親兄弟が健在だった頃のような穏やかな空気を纏うようになっていた為、戦場での彼らしかしらない者は二人が大谷と毛利であるとは思わなかったろう。 二人の幼少を知る者や同じ軍内にいる者は気付いていても、家康から硬く口止めされていた。 故に歴史書にも記されていない。 毛利は長曾我部との戦いで負った傷によって以前のように足が動かなくなってしまっていた。 徳川の城の廊下で「以前の貴様と同じだな」と大谷と語らっていたのを聞いたことがある。 そんな毛利の傍にいて毛利の世話をしていたのは彼に怪我を負わせた長曾我部だった。 「あの時、どうして貴方は毛利氏と共にいたのですか?あの方を恨んでいても可笑しくなかったのに」 「アイツにも同じこと聞かれたな」 勝家は向かいの椅子に座って、土産として持ってきた日本茶を啜る長曾我部を見詰めた。 酒の方が彼好みだとは思ったけれど流石に昼間から飲むのは憚られる。 「確かにあの時の俺は毛利を恨んでいたさ、でも野郎共が実は生きていたと知って完全に恨みきれなくなっちまった……アイツを殺しかける直前に四国が襲撃されたのは国を離れた俺の責任だと叱られちまってたし」 苦笑する彼へ、更に疑問を投げかけてみた。 「……それだけでしたら、毛利氏の世話を看る理由にはならないと思われますが」 「そうだな……なんつうか、布団に横たわって今にも死にそうなアイツを見てよ……失いたくねえって思っちまったんだよな」 「……」 「あの時の俺はアイツのいない世界なんて想像もできなかった」 そう語る瞳はどこか苦しげで、自分ではどうしようもない想いだったのだろうと窺い知れる。 「アイツの真意を知らなかったあの頃は、俺と家康を嵌めた毛利と大谷を本気でクソ野郎だと思ってたし許しちゃいけねえ奴らだと思ってたんだけどな」 主不在の四国を襲撃し、その罪を徳川へ着せ、長曾我部を言い包め西軍に入れた。 四国の兵を殺さずに己の領地に浚っていただけだとしても、その醜い小汚い手口は軽蔑に値するものに違いなかった。 「ただ俺にとっての毛利は、許せるから好きだとか許せないから嫌いとかそんな基準で計れる奴じゃなかったんだよ」 毛利元就は長曾我部元親を特別で唯一だとした。 では長曾我部元親は? 毛利元就をどう見ていた? 「お互い本心を見せた事なんてほんの少しで……敵対してた時間の方が多いんだけどな、良いことも悪いことも楽しいことも詰まんねえことも思い出せば全部真ん中にアイツがいてな……」 勝家は心ともなく目を逸らしてしまった。 彼の認識にある長曾我部はこんな風に毛利のことを語る人物ではなかった。 いつもは大袈裟なまでに毛利を褒め惚気け、自分はこんなに毛利を愛しているのだという話で終わらせる。 しかし今は勝家にというよりも己自身に向けて語り掛けているのだと感じた。 だからこんなにも苦しそうなのか、溺れてゆくようなのか、そんなに毛利を愛することは辛いのか……ああそうだ、自分にも身に覚えがある痛み。 「アイツのことを空っぽの人間って言う奴もいたけど、今も昔も俺ん中は毛利元就でいっぱいなんだ」 「……ッ」 勝家は勢いよく立ち上がる、その反動で椅子が後ろへガタガタと倒れてしまった。 「どうした?」 「申し訳御座いませんでした」 驚いた長曾我部が目を丸くしながら訊ねると、勝家は頭を深く下げて彼に謝った。 「え?」 「私は……全てを知っておきながら貴方に何も伝えなかった」 そう言った後グッと薄い唇を噛みしめる。 今更後悔しても遅いけれど、苦しそうな彼を見て申し訳ない気持ちが一気に押し圧せてきたのだ。 どうして毛利がこの人を守ろうとしていたことを知っていたのに、この人に伝えようとも思わなかったのだろう。 「いや、それは毛利や大谷に口止めされてたからだろ?お前に罪はねえよ」 「……しかし」 もし自分が長曾我部の立場だったらと思うと恐ろしい。 もし左近が毛利の立場だったとしたら怒りが湧いてくる。 すると、勝家の瞳をじっと見ていた長曾我部がフッと笑みを零した。 「たぶん俺はずっと理由が欲しかったんだ」 「理由?」 「ああ、毛利と共に生きる理由……アイツが納得いくような」 どこを探しても毛利を納得させられるような理由が見つからなくて、あの頃二人には共に生きられない理由の方が多すぎて、なんでも理屈で考えてしまう毛利は二人で幸せになることを諦めてしまっていたように思う。 そして二人は守るべきものがあるから理由を作ることもできなかった。 「漸くそれを手に入れられた気がする」 愛しているだけでは足りないならば、綺麗事など要らぬのならば、この言葉をつかおう。 自由奔放で、役割や立場に対してどこか無責任だった己がこんなことを言うのも可笑しいけれど。 「責任感じた……アイツにあんだけのことをさせたんだ……きっと俺には幸せになる責任があるんだと思う」 ――俺を幸せにできるのはアイツだけみてえだし そう言った長曾我部に勝家は漸く平静を取り戻す。 「毛利氏の幸せにも貴方が必要不可欠なのではありませんか?」 「ハハッ!!そうだといいな!いや、きっとそうだ!俺以上にアイツを幸せに出来る奴がいるってんなら、受けて立つぜ!!」 やっといつもの調子に戻った長曾我部に勝家は安堵の笑みを浮かべた。 「今日は本の感想をお聞きしようと思って参ったのですが、思いがけず良いことが聞けました」 感謝の念を込めながら笑みを深めれば、長曾我部は照れたように頭を掻く。 彼の話を聞いていると自分も左近を思い出す、今生でも左近の主的存在である石田三成の許可が出なければ叶わないことなので半分は諦めているが寂しいものは寂しい。 「大谷のことも長年誤解してたんだな俺は」 長曾我部はしみじみと呟いた。 今生の大谷とは親しい友人関係を築いているし前世でも裏切りが露見する前は仲間だと思っていたが、晩年の彼にはいい印象がモテなかった しかし伊達から新たに送ってもらった彼の著書を読んでみると、前世の彼にそれまで抱いていたイメージから遠ざかっていくのだ。 そもそもそんな人間に左近や勝家のような前世から慕う者がいるはずがないと解りそうなものだったのだが、大谷が毛利と近しい関係なので嫉妬していたところもあるのかもしれない。 「家康の言ってたことを今なら解る、アイツは誰よりも人らしい心を持って自分の大事なものを守ろうとしていたんだ」 「そのようですね」 勝家が椅子を元に戻し座り直すと二人は静かに茶を飲みだした。 部屋の中に聞こえるのはお茶請けの菓子を食べるサクサクという咀嚼音のみ。 粗野な人間に思われがちな長曾我部だが毛利が言うには繊細だった時期もある、黙っていたら品のいいお坊ちゃんに見えなくもない。 (毛利氏もこの方のこんな所にハッとさせられるのでしょうか) 自分も左近の意外と育ちの良いところを見せられたら普段とのギャップも相俟ってときめいてしまうのではないか? なんて想像してみる。 「……私もそろそろあの男に会いたくなってまいりました……」 「だな、アイツもそろそろ限界越えてきそうだ」 テーブルに突っ伏して深い溜息を漏らす柴田に長曾我部も遠い目で答えた。 空港まで大谷を迎えに行っている毛利が帰ってきたら、一緒に左近の様子でも聞いてみよう。 そんなことを思いながら、長曾我部は毛利お気に入りのお茶請けの最後の一つを口に運ぶのだった。 END この二人の会話は初挑戦だったんですが、結果とくにオチもなく終わりました。 帰ってきた毛利さんと喧嘩フラグですね(お茶請けごときで世紀末戦争並みの諍い勃発するのが瀬戸内クオリティ) 勝家は留学中でアニキの家の近所の寮で暮らしてる設定です 大谷さんはほぼ自由業なんで二人の愛の巣のお隣に長期滞在する予定 |