あれを初めて見た時、その海の様に青い瞳に吸い寄せられた。

太陽の下で煌めく髪は近寄ると少し紫がかっているように見えた。

普段煩い男が黙りこみ仲間の死を耐える後ろ姿に共感めいた気持ちを抱いた。


初めて恋に落ちた男は困難を恐れず、誰も選ばぬような道をゆく者だった。

酒に溺れ死んだ身内をみていたから何事も深入りせぬよう努めてきたのだけれど、あの男に全て覆されてしまった。

日輪の申し子が愛などに溺れてしまったのだ。

憎しみに時効がないのだとしたら、愛にも時効はないのだろう。


「毛利さん、長曾我部さんいたよ」


左近が猿飛のバイト先でよく似た男を見たと言う、記憶があるか解らないけれど、きっと本人だと思う。

そう聞いた瞬間、いても立ってもいられなくなり、左近からその場所を聞き出し、大谷の手を引いて走り出した。

今生でもそう丈夫な方ではない大谷に全力疾走を強いてしまったことは、落ち着いてから後悔した。

左近の言ったとおり、その男はそこで働いていた。

遠目からでも解る二つ揃った碧い瞳に、胸が締め付けられる思いになった。


「今生でも独眼竜と仲良しのようだな」

「独眼竜と言えるか?伊達も今は隻眼ではないぞ」


片目でも美形であった二人は談笑しながらダンボール箱を運んでいる。

左近が彼に声をかけずにまず毛利に知らせてくれたので、彼がいくつなのかも解らない。

己と同じ高校生くらいだとは思うが前世では三十路を過ぎてもそう見た目が変わらなかった男なので定かではない(それは皆同じようなものだが)


「どうする?毛利よ」


隣で息を整え終わった大谷がブロック塀に預けていた背中を叩きながら聞いてきた。

どうする、とは長曾我部に声をかけるかかけないかという問いだろう。

彼の手の届かないところを軽く払ってやりながら、毛利は思案する。

大谷は己がずっと長曾我部に恋焦がれていることを知る数少ない理解者だ。


「まだ」


同胞だから、どんな答えを出そうと頷いてくれる。


「しばし、このままで」

「そうか……さようか……ぬしの思うとおりにするがよかろ」

「もう少し、我に自信が持てるまで」


そう言うと、大谷の猫のような目がパッと開け、首を傾げながらまた元に戻された。


「よもやぬしの口から自信などという言葉が出ようとは……明日は雨かの」

「からかうな」


中国安芸の為に最善を尽くしていると自負はしていたが、人間的には空っぽだと言われていたのだ、自信などそう付く筈がない。

東軍に属していた頃は人間らしくなったと此処にいる大谷や他のものからも言われていたが、それはこんな人間に少しずつ辛抱強く愛を注いでいた長曾我部の所為だ。

毛利の家主として相応しい男であろうと思うのと同等くらい、あの男からの愛に相応しい者になりたいと思っていた、それだけ。


「変わったなァ……毛利」


長曾我部の後ろ姿をじっと眺めていると大谷がヒヒッと笑いながら語り掛けてきた。


「貴様ほどではない」

「ん?そうか?」


晩年、不本意ながら……心の底から不本意ながら共に徳川へ傅いていた頃の彼も穏やかではあったが、今は他者の目がないからか少しばかし気が抜けているように見える。

それでも自らと幸せを遠ざけるところは変わらないが表面上の性格は意図的に変えているのかもしれない、過去を知る者から己を守るように。


「左近に近づけさせ、情報を得るかの」

「待て、勝家を使い伊達経由で得る方がいい」

「待て、あやつを餌に使うか」


恐らく伊達の前に勝家をちらつかせれば前世の記憶がなくとも構ってしまう、それを狙って言ったのだが大谷は渋い顔をした。

そんなことになったら左近が可哀想だとでも考えているのだろう、こういうところが変わったのだと指摘してやりたいが、折角良い方へ向かっているのだから黙っておくことにする。

良い方へ向かっているから黙っておこうというのは大谷や左近もしていることだ。


「記憶のない振りをさせるなら器用な左近の方がよくはないか?」


前世の記憶のない豊臣達の中にあって、これまで一度もそれをチラつかせなかった実績があるのだから、と大谷は尚も申した。

今世の豊臣方、特に石田は徳川家康と良好な関係にある、無暗に過去を思い出させその関係を崩すことは止そうと思っているのだ、大谷も、左近も。


(難儀なものよな)


石田は前世の記憶もなければ今生で己を助けた“人魚”の正体も知らない、なのに大谷を気に掛けている。

大谷は石田を避けているが親しくなろうと思えば以前よりずっと安易な筈なのにそうしようとしない。

それは前世から抱いている負い目の所為に違いなかった。


(負い目か、そのようなものあやつに感じる必要はない)


長曾我部の生まれ変わりを見ながら思う。

毛利元就の前世は途中から長曾我部の為にあったと言っても過言ではない、彼と彼の四国を守る為にどれだけ徒労を払ったかしれない。

だから、出逢っていいのだ。

今度こそ共に幸せになってもいいに決まっている。


「我は決めたぞ大谷」

「毛利?」

「次にやつと顔を合わせる時が楽しみよ」

「……ああ」


からかいも蔑みの色もない柔らかな笑みを零す大谷に背を向け、来た道を帰っていった。

あの男によって生きる道を変えられるのは癪であったが、今更な話でもあった。

物心ついたころから外海に興味を持っていたのは、前世で外海の話を飽きるほど聞いていたから、外国語や海外の文化を学び始めたのだって、いつか逢うあの男の為だ。

逢わずとも解かる、目を閉じた時鮮明に思い浮かぶのは遠く海を見つめる精悍な横顔、瀬戸内の外へ向ける夢と希望に溢れた海色の瞳、あの強さは一世限りで失えるものではないだろう。

記憶があろうとなかろうと長曾我部は今生も日ノ本の中に収まっている器だとは思えない、何故なら奴は日輪に愛されているのだから。




長曾我部と正式に再会したのは次の年の春、大学の合格発表だった。

こちらを見て双眼を見開いている彼に、心の準備をしていた癖に動揺してしまった。

憶えているのだ。

忘れろと言ったのに……忘れてくれていなかった。


「なんだ男か」

「あん?なんだよ」


長曾我部も我が前世を憶えていると解ったのか、読み難い表情を零しながらじっと見つめてくる。


「いや、女であれば我が娶ってやったものを……と思ってな」


直後、何故そのようなことを言ってしまったのかと自分で驚いた。

すると長曾我部は一瞬キョトンとしたあと、おかしげに笑って近寄ってくる。


「それはコッチの台詞だっての」


他の大勢が見てる前で抱き締められ慌てたが、此処が合格発表の会場であると思い出しそっと抱き締め返す。

どんなにきつく抱き合っていても、お互い目を閉じて涙を流したとしても合格を喜ぶ受験生としか思われないだろう。

後で大谷に「いやあれは恋人同士の抱擁にしか見えななんだ」と言われてしまい、その場面を見ていた他の同級生にも同じように言われた時に失態だったと気付いたけれど――……




* * *




――という思い出話に花が咲いたのは、お互いの肌に恋の花を咲かせた後だった。


「ってことか何かい?アンタ俺があの大学受けるって知ってて同じ大学受けたのか」

「ああ、そなたの志望校に国際学科があって僥倖であった……我とて流石に通いたい学部のない大学を受験しようとは思わぬからな」


ほぼ裸の状態でテキパキと乱れたベッドの片付けをしながら高校時代と大学時代の話をしていたのだが、その途中で聞き捨てならないことを言われた気がして長曾我部の動きが止まる。


「何をしておる、さっさと終わらせぬか、我は早う湯浴みがしたいのだぞ」


と、言っても後はシーツと服を洗濯機に突っ込んだら終わりという状態にはなっている。

先にシャワー浴びてくれば良いのにと思わなくもないが、それを言っては今後一緒に入浴することもなくなりそうなので言わない長曾我部。

代わりに浮かんだ疑問を口に出す、勿論体を動かしながらだ。


「国際学科に入ってツワコンになったのも俺の影響?」

「ああそうよ、そなたなら今生でも外海に目を向けると思っておったからな、元より海外の文化を好んでおれば将来そなたについてゆく口実になる、語学が堪能であれば通訳などの職に就けると言って家族の心配を減らすこともできよう」


事実こうして海外に出ておるし我の先見の目は確かであった!! と自画自賛する毛利を目の前にして再び長曾我部の動きが止まった。


(俺の毛利がこんなに素直だなんてッ……!!)


毛利が渡豪してきたばかりでなければもう何ラウンドかお願いしたいところだ。

伊達と猿飛から送られてきた大谷の小説を読んでからこっち長曾我部の頭の中は毛利のことしか考えられないでいた。

昨日もそれで呆けていて仕事場で怒られたのだ。


「そういえばそなた、我と共に住みたいと申したが、それならばもう少し広い部屋に越すぞ?ここも良いがもう一部屋ほしい」

「そうだな……」

「さすれば休暇中の大谷が呼べる」

「……」


ここにきても大谷かよ、や、アンタ俺と一緒の部屋でいいのかよ、など幾つかツッコミが浮かんだが、共に生きる幸せを思えば大した問題ではない。


「アンタの部屋は朝日がよく見える場所がいいな」

「そなたの部屋からは海がよく見えるといい」

「俺の作業場とアンタの書斎は離れていた方がいいかもな、多分うるさいだろうから」

「ああ、しかしいくら作業に没頭していても一日三食は必ず共にとること、三時には我の好物を用意することも忘れずに」

「って、ここじゃ和菓子の材料集めんのも大変だぜ?まあ出来る限り頑張るけど」


クスクスと、いつか建てることになるかもしれない二人の家について話しながら、洗濯物を持って浴室へと足を運ぶ。

浴槽に張った湯の加減を見ながら毛利が振り返ってこう言った。


「ゲストルームはやはり二人部屋がほしいな」

「なんで?」

「大谷が遊びに来た時に一晩中語らいができよう?」

「……俺とアンタが喧嘩した時にも使えるしな」


――普通の一人部屋じゃ俺には些かちっと狭いかもしれねえし


「は?」


今からそんなことを考えるのか?と不機嫌そうに眼を釣り上げる毛利に長曾我部は拗ねて見せた。

先程から毛利は大谷のことを話し過ぎだ。

そりゃ大事な幼馴染なのは理解しているし自分も世話になったけれど、面白くはない。


「ククッ……そなた我にここまでさせておいてまだ悋気を抱く余裕があるとは、流石は鬼よ」

「べ、別にアンタを疑ってるわけじゃねえよ!!前ならともかく、今は!!」


前世で毛利がしてくれたこと、今世で毛利がしてくれていること、全て聞いた今は彼を疑う余地すらない。


「ただ、アンタのことが好き過ぎるってだけだ……」


戦乱の世よりも華奢になった背中が、柔らくなった物腰が、前世と変わらない凛と澄ました心が好きで好きで好きで、毛利元就という人間が本当に愛おしくて堪らない。

またこの瞳で見つめられることが、見つめかえされることが、嬉しくて仕方なくて、辛いくらい幸せだと感じる。



「長曾我部……」



――我も、そなたが好き過ぎて堪らぬ



湯に浸かり濡れた手を頬に添えられてそれはそれは優しく撫でられた。



「大谷に報告の電話をせねばならぬからな、手短に頼むぞ?」


「って、また大谷かよ!!ったく……しょうがねえなぁ」






湯船の淵に手を掛けて口付けて来ようとする鬼に断りを入れながら、毛利はその首に腕を回したのだった。







END






途中まで毛利さん一人称の話ですが、アニキと会うまで「我」を使わなかったのは無駄なこだわり(笑)

瀬戸内のHシーンが思い浮かばなくて未だに瀬戸内表記の私ですが、前戯が犬っぽくて後戯が猫っぽいという漠然としたイメージだけはあります

あと二人とも回復力高い感そうなのでどっちかがするより二人で後片付けしてる方が似合う気がします

瀬戸内はなんとなくシーツをピシッと張る派だと思う(そんなとこで相性がいい瀬戸内が好き)