真の武人たる石田三成はどうしてか『恋心』を『忠心』や『友情』より下に見る傾向があった。 主へ対する想いをまるで恋のようだと喩えてみれば「そのような下卑た心と一緒にするな」と睨まれる。 その時大谷は「やれ冗談よ」と石田を諌めつつ、体の芯が冷え固まってゆくのを感じていた。 (そうか『恋』は厭だと言うのだな……) ならば、ずっと友としていよう。 友として想ってくれる石田をけして裏切りまい。 そうして自分の心に鍵をかけ、その鍵を天高くへと放り投げてしまった。 ――あれから数百年、平和な世に転生した大谷は、それとはまた別の『友情』を失いかけていた。 「お前らが取っ組み合いの喧嘩なんて珍しいじゃねえか……つーか初めてか?」 兄貴風を吹かせた大柄の男が、しかめっ面をした痩身の男達に向かって面白そうに言った。 二人の男はお互い目を合わせようとはしないが、よく似た行儀正しい動作で出された魚の身をほぐし口の中へと運んでゆく。 どこぞのお館様ァと幸村ァではないので殴り合ったわけではないが二人の男の毛髪は乱れ顔や腕の到る所にひっかき傷がある。 その様を痛ましげに、しかし微笑ましげに見詰めながら長宗我部はまた質問をした。 「なぁ?なんでお前ら喧嘩なんかしたんだよ」 その瞬間、大谷の箸が摘まんでいた魚の身がボロッと崩れる。 襟足で結んだ髪が次第にふるふると震えだし、毛利の方を指さしながら「毛利が……毛利が……」と恨みがましい声を出す。 「人に指をさすものではないぞ」 「ぬしにそんなこと言われたくはない!」 ピシャっとテーブルに箸をおいて、毛利に怒鳴る大谷を見て長宗我部は目を丸くした。 毛利ほど冷めてはいないが、この男がこうも感情的になることは珍しい、だいたいこの二人は気が合うのだ。 挨拶のような嫌味の応酬はあっても互いに怒りを露わにする喧嘩はまだしたことがない、筈。 彼らと一番付き合いの長い自分が見たことがないのだから間違いない。 (こんな時に何してやがる黒田の野郎……) 自分と共に二人の間に挟まれて困惑すべき不運の男、黒田官兵衛がいないのは何故じゃ。 まぁ子供のようにぶすくれる毛利と大谷を見るのも新鮮といえば新鮮で、この二人をどうにかしてくれと毛利の捨て駒(社員)に頼られたのは胸がくすぐったくなるくらい嬉しいけれど、このままずっとこの調子では折角の飯が不味くなってしまう。 長宗我部は意を決して核心をぶっ刺してみた。 「新しく建てる結婚式場と衣装のデザイナーが気に入らないのか?」 毛利の捨て駒(社員)から聞いた話しでは、毛利が連れてきたデザイナーの男達を紹介された直後から大谷の様子が可笑しくなり、デザイナー達がまた後日と言って帰った途端取っ組み合いの喧嘩になったという。 「そうか貴様アイツらが気に入らなかったのか、それはそれは悪かったな」 「断じて違う!それを本気で申しておるのであらば金輪際ぬしを同胞とは認めん!!」 「別に認められたいとは思っていないが……ならば何故怒っているのだ?」 「ぬしがわれに一言も告げず結婚部門の責任者を決めてしまうからであろう!!」 どうやら、デザイナーはデザイナーだけでなく【日輪豊月園】で行う結婚式関係の全てを任せられているらしい。 「マジかよ……」 そんなことってあるのか? 大丈夫なのか? 長宗我部の心配をよそに毛利は鼻を鳴らして言い捨てる。 「貴様が『結婚式などというメデタキ事われは関わりたいとは思わん』と言って我に丸投げしたのではないか」 「大谷お前……」 「……ぬしの好きにさせていたのは確かだが……それはぬしを信頼して……」 「ふん」 長宗我部は「こういうやりとりどっかで見たなぁ」と思いながら、信頼してると言われて満更でもなさそうな毛利に和んでいた。 戦国時代の記憶はないが、長宗我部は毛利が情を捨てることなく、こうして個人的な繋がりを持っているのだと思うと泣きたくなる程の幸福感を覚えるのだ。 「心配しなくても、豊臣はデザイナーになる前はアパレル系列の会社で立派に社長をしていたのだ。後の二人も愛想無しと軽薄だが中々に優秀という、我が園の一部門を任せても問題なかろう」 「わかっておるわ!そんなこと!というか愛想無しと軽薄とは随分な言い様だな!?」 アパレル系列の社長が一念発起してデザイナーになるなんてドラマの様だな、と長宗我部は思う。 デザイナーのHIDEと言えば業界ではなかなか有名だが私服は和服派な大谷は知らなかったようだ。 「……ぬしは知っておったのであろ?」 「当然であろう」 「それでわれに……あの話を書けと?」 「ああ」 「あの時点であの男が来ることが決まっておったのか?」 「そうだな」 「非道い、ヒドイ……ぬしなんて絶交してやる!」 絶交って、小学生か!! 長宗我部は心の中でツッコミつつ、必死で話について行こうとして……無理だった。 どうやら大谷の怒る理由は勝手に責任者を決められた事とは別のところにありそうだ。 というか、先程から豊臣達と顔見知りのような口振りをしている。 「今回プラネタリウムのプログラムに色々と口出してきたのもその為か?」 「ああ」 「おのれ毛利ぃぃぃいいい!!」 「こら!落ち着け大谷!!」 大谷が毛利の首を絞め体をがくがくと揺らしだしたのを見て長宗我部が慌てて止めた。 当の本人は涼しい顔をして、体を揺らされながらテーブル上に箸を放り投げる、それがきちんと箸置きの上に落ちたのだから神業である。 「やけに協力的よなと思ってみれば……そういう魂胆であったか……」 長宗我部に羽交い絞めにされた大谷は落ち着きはしたが、もう泣きそうだ。 その光景に腹を立てた毛利に「大谷を離せ」と叩かれた長宗我部は可哀想だ。 「そういえば今度のプラネタリウム!お前が出るんだろー楽しみにしてるぜ!」 少し話を変えようと明るく言ってみるが大谷は余計沈んでしまい。 さっきからどうした? これは誰だ? 俺たちのよく知る大谷はどこいっちまったんだ? 長宗我部はそんな心境に陥った。 「……それだって本当は出たくなかった……」 今回、プラネタリウムに実写を入れろと言ったのも、そのキャストを大谷にしろと言ったのも毛利だ。 最初は絶対にイヤだと断っていた大谷に「石田への未練を断ち切る為、徹底的にあの頃の気持ちを昇華させてしまえ」と背中を押して……というか強引に撮影所へ連れて行かれ、強引に衣装を着せられ、強引にカメラの前に立たされた。 毛利に「蝶の台詞は解るな?……まさか憶えておらぬとは言うまい」と言われ「当然よ、われが書いたのだからな」と返してしまった時には、己はもっと煽り耐性をつけるべきだと猛省したのだった。 「貴様の演技はなかなかのものだったぞ」 「よかったな大谷!こいつが他人を褒めるなんて滅多にねえぞ!」 「全くよくない……」 前世では他人を欺くために散々してきた演技も今生ではしたことはなかった。 しかし、その演技力は変わらず、やってみると意外と面白く、石田を想って書いた脚本であるからか感情移入もしやすく、気付けば大谷は熱演してしまっていた。 思い出しただけで顔から火が出てきそうだ。 (まぁ試写会で不評ならばアレは世に出ることもない、さすれば三成に見られることも……) 大谷は自分の出るシーンなど不評であろうと最初から決めつけていて、どうせ一般公開時にはカットされるものとして考えていた。 そもそも石田はプラネタリウムなどに興味はないだろう、きっと今でも豊臣の役に立つことだけを考え無駄な遊楽に手を出すこともあるまい。 大谷がそう安心していると毛利が爆弾を落とすように言った。 「そうだ、明日の試写会に豊臣達を招待しているからな、粗相のないように致せよ」 その瞬間、大谷の瞳が光ったように見えて、部屋の中にある座布団が全て浮き上がった。 異様な光景と共に長宗我部の脳内には経験したことが無い筈の関ヶ原の最終決戦の如き雑踏が流れてくる。 毛利は長宗我部に前世の記憶が戻ることを望まない、だから長宗我部の前で能力を使ったことがないのに、と眉を顰めた。 しかし無理矢理と言っていい手法で石田と再会させられた大谷はそんなことを気にするつもりはないし、今の彼に気にする余裕もない。 「三成が観るだと?あれを?あれをか??」 「ああ、豊臣を招待しているのだから確実にヤツも付いてくるだろう」 「いや……いやだ!!われは、われは……」 「言っておくが試写会中止はありえぬからな、もう一度言う、豊臣を招待している。豊臣は観ると言った。見せなければ豊臣との約束を違えることになる」 呪文の様にかつての主君の名を出す。 きっと大谷が本気で止めたいと言えば豊臣は残念に思いながらもきっと許してくれる。 しかし石田はそうはいかない、己ならまだしも主との約束を守れなかったのだ。 怒る、悲しむ、けして赦しはしない、不興なんて生易しいものじゃない、彼から本気の怨みを買うのだ。 同じ職場でこれからずっと関わっていくのに、そんなこと耐え切れない。 「では、われはあそこを辞める……」 「……今なんともうした?」 「仕事を辞めてやると言ったのよ!今日限りもう二度とあそこにはいかん!!」 「お、大谷」 経営から手を引いてるといっても【日輪豊月園】のもう一人の創始者、今の体系の基盤を作ったのは大谷だ。 血のに滲むような努力を重ね築いてきた園だというのに、それをあっさりと捨てるというのか? 「ほぉ?我を裏切ると言うのか大谷よ」 「先に裏切ったのはぬしであろう!!?」 「我はなにも嘘は言っておらぬぞ」 「しかし、黙っていたではないか!!三成の居場所も知っておったのに話さなかった!!」 豊臣が経営していたアパレル系列の会社は竹中が以前勤めていた会社だ。 そこから竹中を引き抜いてきた毛利は知っていただろう、石田三成が生まれ変わっていること。 竹中が豊臣について海外に行かなかったのは恐らく豊臣との間に密約を交わしていたからだ。 石田や島には「君達が海外で頑張っている間に僕は日本で協力者を探しておくよ」とでも言ったのだろう、今生でも体が弱いのを利用して…… 「何故われに三成を会わせた?未練を断ち切れと言ったのはぬしであろ?」 「だからこそ会わせたのだ。奴に会い、その上で未練を断たなければ貴様はずっと変われない」 一度は断ち切った想いも再会すれば蘇るかもしれない、と、大谷は怖れる。 そうして来るかもしれぬ再会を怖れたまま一生を過ごすことになる。 「そうやって貴様が怖れるのは、あの男への想いを捨てておらぬ証拠ぞ!!」 大谷の肩がビクリと揺れ、浮かんでいた座布団がばさばさと落ちる。 苛々するのだ、大谷を見ていると 大谷を憶えていない石田のことを考えると 無性に腹が立ってくる。 「貴様のことを忘れている男など、綺麗さっぱり忘れてしまえ!!!」 俯く大谷を冷たく見下ろしながら、毛利は怒気を込めて叫んだ。 ――と、長宗我部が毛利と大谷の喧嘩に巻き込まれている頃、もう一人厄介事に巻き込まれている男が水族館にいた。 「ねぇ黒田さん!ここの一番の見どころってどこっすかね!?明日ダチ連れて来るんですけど!」 「あーそうだなぁ……やっぱ水族館の鯱のショーかねえ……飼育員に似てどいつも元気いいんだよ。あともう一月くらいすりゃフラワー園の藤棚が綺麗だけどな」 「そんな奴の相手することないですよぉ官兵衛さん、それより早く帰りましょうよねぇ?」 「後藤先輩は黙っててくれません?俺は黒田さんに聞いてるんでー」 「はぁ?なんなんですかぁお前マジウザいんですけどぉ?官兵衛さんから離れてほしいんですけどぉ!?」 毛利と大谷が小学生のような喧嘩をしているとすれば島と後藤は高校生が部活の先輩を取り合っているような状態だった。 ちなみに島はまったく黒田に興味はないのだが、後藤の反応が面白くて先程から飛び付いたりじゃれついたりしている。 「ていうか石田さんがさっきからボーっとしてて不気味なんですけどぉ?なんかあったんですかぁ?」 前世よりだいぶマトモを保っている(というか反抗的な部分がない)後藤は、声を潜めながら心配げに訊ねた。 本当に心配しているのだと感じた島も、比較的マジメな顔を作って答える。 「そうっすね、もう帰ってきて何日か経つし時差ボケではないと思うんすけど……黒田さんは?三成様の幼馴染でしょ?なんか解かるんじゃないですか」 「小生にもよく解らん、幼馴染っつっても歳が離れてるし、それ程仲良かったわけじゃないからな」 「あ、黒田さんひょっとして三成様からイジメられたんでしょー?なんか顔見た瞬間キョドってましたもんねー?」 「おぉーい、官兵衛さんがイジメられっ子なわけねえだろぉ」 現行で毛利と大谷からパシられているが後藤的には重要な仕事を頼まれているように見えているらしい、恋する男は色々と盲目である。 黒田ももう仕事は終わっているのだから帰っていいのだが、様子の可笑しい石田が気にかかり立ち往生していた。 島には石田を置いて帰るという選択肢はないし、後藤もなんだかんだで付き合いがいい……というか寂しいのでこの場を離れられない。 こんな時に頼りになる豊臣は竹中と慶次を連れて墓参りに行ってしまって此処にはいない。 (……このまま声掛けずにいても埒が明かねえしフードコートにでも誘ってみるか) もう夕刻を過ぎてしまったが、閉演時間にはまだある。 伊達印と前田印の屋台ならまだ開いているだろう。 「なぁ石田、お前さん腹減ってねえか?」 「……」 無視! というか聞こえていない模様。 「……まぁ石田は昔から食欲と睡眠欲の薄い奴だったからな、うん」 「官兵衛さん腹減ったなら俺買い出し行ってきましょうかぁ?」 と、後藤浪人衆が聞いたら天変地異だと逃げ出しそうなことを訊ねつつ 「官兵衛さんと石田さんと俺の分だけねぇ」 島との仲の悪さは安定している後藤だった。 流石にムカッときた島が言い返そうと口を開いたのと同時に 「黒田」 石田が声を発したので三人とも其方を見る、そして固まった。 (あの三成様が……) (石田が……) (石田さんが……) 顔を紅潮させ、頬を掻き、目を逸らしながら、何か言いたげにしていた。 そう、石田は“もじもじ”していた。 (似合わねえ!!似合わねえっすよ三成様!!) (怖ぇええ!!鳥肌立った!!) そんな風に島と後藤がブルブル身を寄せ合い怯える中、一人動じていない黒田は溜息を吐きながら石田に近づいていった。 豊臣と竹中に初めて会った時も似たような表情をしていたと思う、しかも興奮して鼻血やら血涙やら出していたので、あの時より今はだいぶマシだ。 「どうした?お前さんの運命の相手にでも出逢っちまったかい?」 前髪に隠された双眼が目の前の男を見据える、石田は一度決めたことは最後まで貫き通す男だ。 一度運命の相手だと決めた相手はどこまでも付き纏い場所を弁えず真っ直ぐな言葉を吐き出す、豊臣と竹中の時がそうだった。 あの頃は石田は子供で、相手が豊臣達だったから良かったものの、大人になって出逢ったばかりの者に付き纏うのは非常識というか……相手に多大な迷惑をかけるに違いない。 そして石田はもし相手から拒絶されれば暴走して何をしでかすかわからない苛烈な男だった。 ストッパーが欲しい、ストッパーが、むしろオカンが欲しい!! と、内心思っている黒田に石田は何度も首を縦に振った。 「そうだ!あの、毛利の隣にいた……お、大谷という男!!」 興奮して呂律が回っていない、というか震えすぎ、黒田の腕を掴む力が強すぎるので傍で見ていた後藤も焦ってきた。 「ああ……刑部か」 「刑部!?あいつの名前は刑部というのか!?」 「んなわけあるか!!大谷吉継!!刑部はあだ名だ!!」 あだ名と言っても今のところ一人しか呼んでいない、黒田も最初は「大谷」と呼んでいたのに「ぬしに大谷と呼ばれるのは違和感がある」等と謂われ「刑部」になったのだ。 黒田はそういえば、とあるペンギン劇団の団長が公の場で相手を役職を呼ぶ事で周囲にその者との関係性を明らかに出来ると言っていたなと思い出す。 その団長が呼んでいたのは「つるぎ」とか「ほうぐ」とか役職でもなんでもなかった記憶があるが、もしかしたら大谷もそうなのか? しかし大谷の役職名は「プロデューサー」であって「刑部」ではない、そんな役職は現在日本にはない筈なのに何故そうなったのだろう? 「で、では私は吉継と呼ぼう!」 「ほぼ初対面の奴をファーストネーム呼びって」 学生じゃねえんだから、と黒田が呆れるのも聞かず、石田は「吉継……吉継か……」と、どこか感慨深げに呟いていた。 大谷はそこまで上下関係を気にする人間ではないが大丈夫だろうか、たしか彼は石田より一つ年上だったと思う。 (まぁ仕方ない、友達になりてえってんなら小生が取り持ってやるか) せっかく運命の相手と出逢えたのに暴走して早々に関係を壊しかねない石田と大谷の仲を取り持ってやろうと、どうせ巻き込まれるなら自分から間に飛び込んでやろうと不運な男は思った。 もうその腕に枷は無い、だからそれは彼の自由意思だ。 「明日のプラネタリウムの脚本、アイツが書いたものだからな……しっかり観といてやれよ」 「脚本……では実写部分には吉継が出演するのか?」 「そこまで知ってんのか……」 石田の月のような瞳がギンギンに煌めいている、これは今夜眠れるだろうか、眠れなかったら強制的に(手刀で)眠らせてくれと左近に目配せすると、手でオーケーマークを作りながら笑顔を返してくれた。 そして自分も明日に備えて早く休もうと、黒田は後藤を連れて帰路につくのだった。 ――…… 大谷脚本のプラネタリウムに感動するのも、大谷演じる『蝶』へ恋に落ちるのも、劇中の『菫色の星』が大谷の想い人を表していると聞いて嫉妬するのも、明日のこと。 未練を捨てきれない大谷が新たな恋に悩むようになるのも、ここまでやってもまだ思い出さぬのかと毛利が憤るのも、それより少し後のこと。 END |