百メートルを超す大きな観覧車は城と並んでこの遊園地のシンボルで、週末の夕時は特に人気があるのに並ばずに済んだのはラッキーと言えよう。
それも『織田グループ』の役員である柴田の口添えがあってのことなので柴田には感謝せねばならない、一瞬“コイツと付き合ってたら左近の教育に悪い”と思ったのは内緒だ。
石田と大谷が観覧車の列に並ぼうとしているところに丁度自分達も観覧車に乗ろうとしていた島と柴田も合流、そこを係員に発見され断る暇もなく最前列まで誘導されたのだから別に柴田が無理やり順番を飛ばさせたわけではない。
しかし一周三十分かかる観覧車に男二人で乗ろうとするなんて……島と柴田は仲が良いのだろう、見た目も中身も正反対なのに大谷は不思議だった。
観覧車の中で石田から、あの二人は高校時代の同級生で三年間同じクラスで主席番号が隣同士なので行事は全て同じ班、身長体格が近い為に体育の授業で組むのも一緒で文化祭の劇では何故かヒーローとヒロインを演じ、テニス部の助っ人としてダブルスを組んだこともあるという話しを聞いて納得した。
そりゃあそれだけ同じだったら自然と仲良くもなるだろう、他にもジャンケンするといつも相子とか、ババ抜きをすればいつもジョーカーを取り合って決着がつかなかったとか、色々伝説を残してるそうだ。

「……四人で乗れば良かったものを……他の客が気の毒よ」

寒い中長時間並んでいたのに突然現れた四人の若者(どうやら園の偉い人らしい)から割り込まれた挙句、二組に分かれて乗られた気分はどのようなものだろう、自分とは関係ない他人の事だが少し同情してしまう、なんだかちょっとした不幸を降らせた気分だ。

「知らん、係員が良いと言ったのだから私達が気にすることではないだろう」

実際はてっきり四人で乗るつもりでいた大谷と柴田の後ろに立つ、石田と島から「二人で乗らせろ」オーラが出ていた所為だが、本人達も気付いていない。
それっきり向かい合って座る石田と大谷の間に沈黙が落ちる、豊臣や竹中の話は一日やそこらで尽きるものではなかろうに、どうして無言なのか。

「貴様は……」
「ん?」

暫く窓の外の沈みゆく夕日を見ていると、不意に石田が声を出した。

「私の話ばかりを聞いて、自分の話をしないな」
「ああ……そのことか」

それは石田がマシンガンのように豊臣と竹中を褒め称える言葉を吐いていたからだろうと思ったが、そうとは言わず大谷は苦笑を零し。

「われはわれの話をするのが苦手なのよ」
「……そうなのか?」
「ああ」

自分には何もない――とまで言わないが、別段、趣味があるわけでも、拘りがあるわけでもなかった。
前世はこれでも……書物や絡繰りを集めていたり、美しい景色を眺めるのが好きだったり……趣味が沢山あったのだ。
拘りと言えるか微妙なところだが少しでも長く生きられるよう自分に合う薬を選ばなければならなかったし、石田に匂いが移らないよう匂いの弱い軟膏を探すのに真剣だった。

「仕事の話をしても、ぬしが詰まらぬであろうし」
「そんなことはないぞ」

即答され、また苦笑が漏れる。
石田が言うなら本心だろう、現に興味津々という顔をしている。

「星や花が好きなのか?」

自分の話をするのが苦手という大谷が話しやすいように、質問をしてくる石田は、やはり前世に生きていたのとは別の人間だと実感する。
それでも姿や声や、魂の本質が変わっているとは思えなくて、大谷はツラかった。
小姓時代は、それこそ先程聞いた島と柴田のようにいつも一緒にいたが、成人してから、病を患ってからは殊更に向かい合って語らうことは少なかった。
豊臣を中央に、竹中が右に座り、左に石田、その左に左近、大谷はその左だった……大谷の隣に黒田や後藤、竹中の隣に徳川や本多、小早川がいた頃もあった。
そうやってぐるりと輪を書くように座っていたのを懐かしく思う、もう二度と戻らない……木漏れ日のような日々。
あの日々がある内は病に侵されていても世界が終わるようになんて、きっと願わなかった。

「吉継?」

同じ顔、同じ声なのに、あの頃とは違った呼び方をされて、あれは過去の事だと思い知る。
大谷が愛した“石田三成”と今目の前にいる“石田三成”は違う人間……なのにどうしてこうも胸を苦しくさせるのだ。

「ああ……好きだった」
「好きだった?今は好きではないのか」
「……」

星が好きだったのは“大谷吉継” 花が好きだったのは“大谷吉継”
“刑部”と呼ばれた頃の自分であって今の自分ではない。

「今も好きなんだろう」

なのに、石田は断定した。

「好きでなければ、あんな見事な星空を造れないだろう?好きでなければ、あんな見事な庭園を築けないだろう?」

あの場所を作ったのが今の“吉継”の手と意志であると、自信を持って言っている。

「だから貴様は星や花が好きなんだと、私は思うが」

違うのか? と問う透明な瞳に、違わぬ、と返す。

(ぬしもあの頃と違わぬ……ずっとずっと愚かきまま……)

目を逸らすように窓の外を見て、少し後悔した。
関ヶ原が、そこにあった。
人の住む民家も見えるけれど合戦場となったあの場所は今もあの頃の面影を残している。

(あの場所で……われとぬしは終わった)

絶対に勝たせろと言われたのに、勝たせてやれなかった。
共に生き残ろうと約束したのに、守れなかった。
泣いてしまうのが解かったのに、あやせなかった。
最期まで信じてくれていたのに、ずっとずっと裏切っていた。

(われは、ぬしを……ぬしがわれを想うようには想えなかった……)

大谷が遠い目をしているのを見て石田の胸が痛んだ。
あの時と似ている、プラネタリウムの中で『蝶』が『菫色の星』に手を伸ばす時の横顔と酷く似ていた。

「あの『蝶』は……貴様なのか?」
「……っ?」

唐突に聞かれた言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。
ああ、あの星物語のことか、と解り、どう答えていいか迷った。

「そう、だが」

結局、石田には嘘が吐けず、大谷は正直に答えた。

「では『菫色の星』もいるのか?」
「……ああ」
「貴様の愛する者か」
「……」

コクリと頷くだけで精一杯であった。

「そうか……」

観覧車は頂上に着く頃で、前のゴンドラに乗っている島がなにか騒いでいるのが見てとれたが、すぐにどうでもよくなって石田は夕日が沈んでいく場所へ視線を落とした。
地球を照らし終えた太陽は、夜の月を照らすのだったか? いや、地球を照らしながら同時にどこかで月を照らしている……寛大で器用な星、あんな星に成れたらいいのに――

「愛している」

大谷の口から漏れた言葉に驚き、バッと顔をそちらへ向ける。

「われは菫色の星を愛している」

悲痛な、声だった。
この世のすべての不幸を背負ったような、瞳をして大谷は言葉を続ける。

「長きに渡る片想いであったが、結局伝えることなく終わってしまった」
「愛している……ということは今もそうなのではないか?」

そう訊ねながら、石田は己の心に黒い靄が広がっていくのを感じた。
これは間違いなく嫉妬という感情。
ということは……

「吉継、よく聞け」
「……石田?」

肩を掴まれ上を向くと、目の前に真剣な瞳をした石田の顔があった。

「愛している」

観覧車は丁度、頂上へ着いた頃だった。
太陽が沈みきり、月が生まれる瞬間――石田の顔を照らし、その銀の髪を煌々と輝かせていた。

「いま、なんと」
「聞こえなかったか?……何度でも言ってやる」

――私は、貴様を愛している
瞬時に嘘だと思ったが彼の瞳は疑うことを認可しない。
彼が嘘など言う筈がない、ならば勘違いだろうか? しかし男が男を好きだなど勘違いするものか?
これが前世ならまだ解る、衆道も身近にあったし、なにより石田には大谷しかいなかったのだから、でも今は、この男は何も失っていないではないか!

「本当だ吉継、信じてくれ……」

刹那、壊れた心臓の音は、歓喜だったか、慟哭か、たしかに何かが終わり、何かが始まる音が鳴った。
蝶の羽根は菫に絡め取られたまま、永劫に輪廻するのだと……。

* * *

観覧車を降り、待っていたのは、絶対零度より低い温度の目をした毛利と、その横で疲れた様に佇む長宗我部。
彼らを見て最初に感じたのは「申し訳なさ」と「安堵」だった。
大谷は二人の場所に「戻ってきた」と感じ、その姿を見るやいなや其方へ駈け出し、二人の腕をとってギュッと胸に抱きしめた。
常ならぬ大谷の様子に驚いた毛利と長宗我部は同時に石田に向き直り、鋭い視線を投げつけた。
それに堂々と立ち向かいながらも大谷を窺うように見遣るのは石田で、焦ったのは島だった。

「ど、どうしたんすか?みんな!三成様もそんな怖い顔しないで!!」
「私はいつもと変わらん」
「ふん……相変わらずだな貴様」
「……?」

一触即発な三人を前にマイペースを崩さない柴田が空気を読まず言葉を投下した。

「……ところで夕食はどうしますか?」
「へ?」

間抜けな声を返したのは島、正直助かったとも思っている。

「すみません、夕食をどこでとるか決めていないのです……左近から夜まで過ごすとは聞いていなかった故……」
「え?俺のせい?」

聞いていたとしても、三人の予定が六人になってしまったのだから予約をし直すことになっていただろう。
まだ毛利達と夕食をとるとは誰も言っていないのに、柴田はてっきり一緒にするものだと思って話を進めている。

(できれば勝家と三成様と三人がいいんだけどなぁ)

毛利と長宗我部の顔をチラリと見て島は縮こまった。
鬼がいる、本物の鬼がいる、何処だここは鬼が島か? いや魔王の城下だけれど。

「店は我が用意しよう」
「へ?」

また、島が間抜けな声を出して毛利の方へ向くと、何を考えているか解からない顔で携帯を操作していた。

「貴様には聞きたい事が出来た」
「そうか……」
「行くぞ」

尊大な態度の毛利に石田は大人しく従うようだ。
珍しいこともあると思い、いつものように石田の左後ろに付くと、彼がどこか満足げな表情をしているのが見える。

(まぁ心配することないかな)

大谷の様子が可笑しいけれど、ここには彼を傷つける人はいないと感じる。
駐車場に着き、毛利と長宗我部が大谷の車の運転席と助手席に乗り込んだ。
自分の車の後部座席に座って漸く一息吐いた大谷は前に座る二人に向かって詫びを述べる。

「連絡も取れずすまぬな、携帯の電池が切れていてな……充電器がかばんの中にあった筈なんだが」

後ろから柴田の運転する車がついて来ている、石田もそれに乗っているのかと思うと気が重かった

「ふん、おおかた黒田に謀られたのだろう」
「暗が?」
「後藤を連れた黒田を見かけた……あの甲斐性無しが何もないのに後藤を誘うわけがあるまい」
「……」

随分酷い言われようだなと長宗我部は思ったが、会話には参加せず後ろの車に見失われないようハンドルを切る事に集中する。
昔から毛利と大谷は長宗我部が理解できない話をすることがあり、そういう時は決まって独り関係ないことをして時間が過ぎるのを待つようにしていた。
そうしていないと、まるで自分だけが二人と違う次元にいるみたいで寂しいから。

「もうすぐ着くぞ」
「ああ」

その店は、以前毛利が隠れ家だと言っていた小さなレストランだった。
小さいけれど奥に個室があり落ち着いて食事を摂れるお気に入りの店。
ここに連れて来たということは、それなりに石田達のことを認めている証拠ではないのかもしれない
まだ出逢って数日しか経っていない男に対して、何故? と長宗我部は疑問符を上げた。

「メニューは充実しているから適当に頼むがよい」
「……われは」
「私は」

石田と大谷が同時に食欲がないと言おうとして、毛利の眼力で黙らされる。

「では南瓜のスープパスタを」
「私はオムライスを頼む」

食欲がない割にきちんと腹に溜まりそうなものを頼む二人、他の者もメニューの中から好きなものを頼んだ。
料理が出来るまでの間、毛利は無言で、長宗我部も品定めをするようジッと石田を見ているだけで、島や大谷は居心地が悪い思いをする中、柴田はレジカウンターに置いてある焼き菓子類を見て「あれはお持ち帰りしてもいいものでしょうか?」と空気を読まず店員の老夫に訊ねたりしていた。
毛利の話は食事が終わってかららしい、本来なら断って悪いものではないだろうが、一応雇い主なので逆らわないでおいた方が良い、そんな計算は石田の脳内にはないけれど。

「……さて、石田よ」

デザートを頼んだ島と柴田以外、食事を終えたテーブルに毛利の澄んだ声が落とされた。

「貴様観覧車の中で大谷に手を出しておらぬだろうな?」

島が食べていたメロンのタルトを吐き出しそうになった。
柴田も苺のムースにスプーンを刺したまま固まってしまい。
大谷はテーブルに顔を突っ伏した。

「なにを言うておる毛利よ……われは別になにもされておらぬ」
「本当か?石田」
「ああ」
「そうか」

二人の元来の気質を知っている毛利は、大谷より石田の答えを信用した。

「では、告白したのか?」
「ゲホッ!……ゴホゴホッ!」
「大丈夫か吉継」

図星をさされ咽込む大谷の背を石田が擦ってやる。

「どうなんだ?」
「ち、ちが……」
「ああ、したが……それがどうした?」
「おおー!三成様やるぅ!!」
「おめでとうございます」

大谷が否定する前に肯定する石田と、それを聞いて歓声を上げる島、まだ交際成立したとも聞いていないのに祝福の言葉をかける柴田。
石田も大谷も生物学上は男性なのだが……毛利を含めて此処には常識人はいないのか? 自分と毛利が世間体や立場などを気にして未だ友人関係を続けていることを思うと長宗我部は遣る瀬無くなってきた。

「そうか……貴様は大谷のどこが好きなんだ?」
「おぃ……毛利」

勘弁してくれと手を伸ばす大谷を視線で制し、毛利は石田へ真っ直ぐ問いかける。

「そうだな、まだ吉継のことを少ししか知ることができていないが」

石田も真っ直ぐ返した。

「美しい男だと思う」

聞いた大谷はまたもや噎せた。

「見た目だけの話ではない、今まで吉継が書いた脚本やこの間のプラネタリウムを見て心の美しいものだと思った」
「……」
「ああそうだ、あのプラネタリウムの実写、あれの一般公開は止めて欲しい、あんな美しい吉継の姿が公衆に曝されるのかと思うと不愉快だ」
「わかった……我もあれはプラネタリウムと言いつつ天体の場面が少なすぎると感じていたからな、変更しよう」

そんなの初めから解かっていたことだろう、というか毛利お前がさせたことだろう、と大谷は心の中で呪詛を吐く。
そして不自然なことに気付く。

「それと吉継といると気持ちが落ち着く……というより、場の空気が心地良いものに変わるのを感じた」
「ふむ」
「聞き上手だから話していて楽しいし、もっと吉継の話もしてもらいたいと思うが……本人が苦手というから、これからゆっくりと聞いていこうと思う」
「大谷のことが知りたいというのだな?わかった我からも聞かせてやろう、こやつは無自覚なことが多いから客観的な目線を持った者の話を聞いた方がいい」

毛利が石田に対して、親切だ。

「……感謝する」
「ふん」

気付けば長宗我部の石田を見る瞳も剣呑さを失せていた。
そもそも観覧車の中で大谷に不埒な事をしていないか疑っていただけなので、それを否定された時点で彼に石田を嫌う理由はない。

「それで貴様はこれから大谷とどうなりたいと望む?」
「……この気持ちをすんなりと受け入れられるなど思ってはいない、吉継が私を恋愛対象として見られないというなら、友として傍に添うことができればそれでいい」
「三成様……」

豊臣と竹中以外には唯我独尊を突き進む石田が、他人の意志を汲もうとしている、しかも何だか健気なことを言っているのを見て島は胸に込み上げてくるものを感じた。
その隙に柴田がメロンタルト一切れとムースの上に乗っていた苺を交換しているのに気付いたが誰もつっこむことはなかった。

「ならば大谷、貴様はどうしたい?」
「……」

石田の話に頬を赤らめていた大谷は急に話を振られ肩を震わせる、どうしたいかと聞かれても、どう答えていいのか。
前世からずっと想い続けてきたものを、こんなにあっさり返されていいものだろうかという思いもする。
しかし愛情に飢えていた心は嬉しいと歓喜の声をあげているのも事実。
できることなら首を縦に振ってしまいたい……しかし。

「石田を菫色の星の代わりとするか?」

己の葛藤を代弁するかの如く毛利から鋭い指摘を投げかけられる。
凪いでいた彼の視線が荒み、激しい非難を込めて大谷を弾圧する。

「貴様はまだあの男のことを忘れられていないのであろう?」

未練を切れと何度も言われ、忘れてしまえと何度も言われた。
毛利もそうしてきたのだから出来ないことではないだろうと、ずっとその目に問われてきた。
しかし、それはきっと大谷の為ではない。

「そいつは貴様にとって“菫色の星”以上になりうるのか?」

毛利の隣にいる男は“長宗我部元親” 毛利が前の世で愛し合い、殺し合った“鬼若子”
彼と再会した時のことを思い出す、今生の彼は前世のことなど何一つ憶えていなかった。

「貴様は本当に愚かだな」

前世から変わりない、毛利の瞳は大谷の心の揺れ、弱さ、全てを看破してしまう。
情を捨てたと言いながら、誰より情に敏い日輪の男は、その光で大谷の真の姿を暴いてしまう。

「貴様を忘れてしまった男など、忘れてしまえ」

石田が愛おしくて堪らない、己の中にある唯一を全て捧げたいと願った。
しかし、自分が贈れたものは不義で不誠実で不安定で不幸でしかなかった。
いつもそう、大切な者にあげたいものには全てに『不』が付いてしまう。

「それが出来なければ大谷、貴様は」

静かに、怒りと悲しみを湛えた瞳が訴える。
いつまで過去に縋っているのだと、早くこちら側に来いと呼ぶ。

「我と将棋を打つことも叶わぬぞ」

大谷はずっと毛利の尊大で傲慢な態度を、好ましいと思っていた。
しかし、この物言いはどうなのだろう、自分が毛利のように生きられぬことなど解かっている癖に――

「ぬしがそうできるのは、今のぬしがあの頃より幸せだからよ……」

ポロリと舌をついた言葉に、すぐさま後悔する――こんな言い方は毛利に失礼だ。
彼の前世を愚弄するようなことを言ってしまった。
あの時代に毛利がしたことといえば、傅くものを采配をもって導き、曇らせるものを輪刀をもって照らし、仇成すものを矢をもって射抜く、ただそれだけ、だと、幸せか、幸せでなかったかなんて、そんな小さい基準で毛利の人生を謀ることは出来ないと言ったのは他ならぬ大谷だったのに。

「すまぬ毛利、われは別に……」
「ふん」

失言を詫びる友人を、毛利は余裕をもって許した。

「貴様の言いたい事はわかっておる」

前世の人生を後悔はしない、しかし、ああいう生き方しか出来なかった己をなにより同情しているのは毛利自身だ。
それでもあの時代の中国に安寧を齎した才をなにより誇らしく思っているのも毛利自身だった。
裏切りと画策を繰り返してきたが、たった一つの目的の為に生きた彼の性根はけして歪んでいなかった。
芯の強さなら誰にも負けない、毛利の芯に傷を付けることが出来た人間なんて名だたる戦国武将の中でも長宗我部くらいだ。

「しかし貴様は今が幸せでないと言うのか?」

毛利は大谷が想像するものとは違う理由で怒った。
健常な身で生まれ、自分や長宗我部という友を持ち、安定した職に就いている今が、戦国の世に劣るとは思えない。

「菫色の星がいないからか?」

これには、今まで黙っていた石田が口を挟んできた。
弾圧されているように見える大谷を助けようとしたのかもしれない。

「吉継がその男のことを忘れられないというなら、それで別に構わない」
「貴様が良くとも我は許さぬ!!」

そう叫びテーブルを叩きつける毛利に、その場にいた全員が驚き言葉を失った。

「大谷よ、今貴様の隣にいるのは誰だ?」
「……?」
「今、貴様の隣にいて貴様を愛すと言ったのは誰だ?と聞いている」

大谷は左側の席を見た。
そこにいるのは石田三成。

「その男を菫色の星以上に想えぬと言うのか?」
「……ッ!」

毛利の声が震えているのに気付いた。

「過去を見て生きるのは楽だろう、記憶はけして貴様を裏切らないからな」

あんな過去、憶えていない方が良かったと何度も思ったけれど、その逆だってある。
病身でありながら石田に対し精一杯尽くしてきた過去は大谷の唯一と言ってもいい誇りだった。
あの時代に豊臣の下で築いた絆は、もはや誰にも変えられない強固な宝だ。
大谷が知ろうとしなければ新たな事実が出てくることもない、だから安心して想っていられる。

「それとも貴様はあの男とずっと過去に囚われ続ける約束でもしたのか?あの男なら有り得るが」
「そのようなことは無い!!あやつはわれに斯様なことは望まぬ!!」

石田は豊臣の為に生きて死ぬ覚悟であったが、大谷に対し同じように殉じて死ねとは一言も言わなかった。
大谷が石田の未来を望むのと同じか、いや、それよりも強くあれは大谷の未来を望んでいたではないか……そこに己がいなくとも生きていて欲しいと望んでいた。

「ならばどうして今を見ない」
「……」
「石田は今の貴様を見ているのに、貴様はそうしないと言うのか?」

これを言っているのが毛利でなければ「ぬしにわれの何が解かる」と無視もできたが……彼は大谷と同じ立場の人間だ。
彼がどんな想いで西海の鬼“長宗我部元親”を忘れたのか、どんな想いで彼の人から忘れられたことを受け入れたのか、まだ、知る由もないけれど、きっと大きな傷を負ったのだろう。
長宗我部に前世の記憶があれば、そのような苦労はしなくて済んだのかもしれない。
しかし大きな傷を負ってまで『今』自分の隣にいる長宗我部を選んだから、だから彼は今を『幸せ』だと感じている。

「……帰る」

震えた声のまま、毛利は立ち上がった。
反射的にその顔を見上げた長宗我部の顔が驚愕に変わる。

(おい、お前なんて顔してんだよ……)

まるで過去のツラい恋を思い出したかのような表情を一瞬だけ浮かべて、すぐに普段の研ぎ澄ました顔に戻る。

「貴様は大谷を送ってゆけ、長宗我部」

――マトモな運転ができそうに見えない、と言われれば従わざるを得ない。
そうやって着いて来ようとする長宗我部を制した毛利は会計を済まそうと歩き出した。

「私も……帰ります……毛利氏お待ちください」
「え?おいアンタ……」

柴田は毛利の服の裾を指二本で掴んで、心なしか潤んだ瞳で下から見上げる。
そのあざとい仕草に長宗我部は眉を顰め、島は羨んだ。

「石田氏と左近の支払いは私が」
(なんだ……そういうことか……)

毛利を引き留めた理由が会計の為と知り、二人から安堵の息が漏れる。
柴田がどのような理由でそうしても焦る権利なんて二人にはないのだけど。

「では失礼いたします。石田氏、長宗我部氏」

毛利と共に部屋の外に出る前にお辞儀をする柴田。

「隠神刑部様も……」
「……!!?」

呼ばれた大谷だけではなく毛利も柴田の顔を見る、微かに首を傾けて「内緒です」と目で語られた。

「なにそれ?犬神?」
「なんでもない、ただのあだ名だ」
「へぇ……そういえば黒田さんがそんな名前で呼んでたっけ」

柴田に手を振った島は、ザートの残りに取り掛かる、自分が食べ終えなければ他の人達も帰れない。
気まずそうに顔を見合わせる大谷と長宗我部、落ち着いて冷めてしまった食後のコーヒーを啜る石田。

店の外に出た柴田はまず毛利に詫びた。

「黙っていて申し訳ありません、お二人が記憶持ちであることに先程まで気付かなかった故」
「……貴様、いつから記憶があった?」
「左近と再会した時からでしょうか……でも左近は憶えていない様子で……今まで誰にも言い出せずにいました」

きっと誰かに話して奇異な目で見られるのが怖かったのだろう、つい先程まで自分だけが抱く妄想ではない確証もなかったのだから。

「島の傍に居て、貴様はどうやって“左近がなにも憶えていないこと”を乗り越えてきたんだ」
「……仕方が無いことだと諦めたのです」
「諦めたとは?」
「左近が“私を憶えていない”ことは、今後ひょっとしたら変わるかもしれません」

自分のようにふとしたキッカケで全て思い出すかもしれない。

「しかし私が記憶喪失にでもならない限り“私が左近を憶えていること”は変えられません……それはもう仕方がないことでしょう」

淡々と、しかし昔のように虚ろな眼はしていない。
すぐ近くにあるタクシー乗り場まで、少し遠回りをして彼の話を聞く事にした。

「前世の記憶はたしかに私に影響を与えましたが私は私でしかありません……そして、あの頃の私も私に違いありません」

毛利の胸が鳴る、柴田は過去を乗り越えたのではなく、全て受け入れて此処に居たのだ。
前世の記憶を持ちながら島の友人を続け、徳川の企業に入り、恋愛感情ではない気持ちで市を見守っている。

「……貴様は思ったよりも、良い駒になりそうよな」
「遠慮しておきます……私はもう人形ではないのだから……」
「参考までに聞いておこう、貴様は大谷がどうするのが正解だと思う?」
「……正解など、私に出せる道理がありましょうか」

柴田は立ち止まり「でも」と前置きして、どこか懐かしげに笑みを浮かべた。

「今の私も過去の私も、私が私でしかないように、左近も左近でしかないのです」
「……」
「私は今の左近も過去の左近も両方大切です……どちらか一方でも大切ではないなんて思ったら、二人とも傷付けてしまうのではないか、と思うのです」

柴田の声は澱みなく、しとしとと体に染み入るようだ。

「私のそんな甘さを……きっと、左近なら許してくれる」

許すどころか喜びそうだと想像した。

「大切な人が……生まれ変わっても大切に想ってくれてるなんて素敵なことではないでしょうか」

“素敵なこと”なんて言葉を使う柴田は、たしかに前世とは違う人間だけれど、魂は変わらない。
たとえ記憶はなくとも自分と同じ魂を持つものが大切にされていると知って、素直に喜べる男を毛利は知っていた。

「石田氏と長宗我部氏はそうであると思います」
「……ひとりは余計だ」

いつか毛利が己の心に負わせた傷は、未だ疼く時がある。
時々なら傷口から溢れそうになる「いとしい」という言葉を許してやってもいいのではないか。
あの男を思い出し、泣く夜があってもいいのではないか。

少し頼りないが、そんな時に甘える相手なら一人いる……同じような境遇にあって、捻くれていて素直ではなくて、心配性なくせに無自覚な――我の同胞。

「今度は三人で食事でもするか」
「はい、その時も店をお願いしていいでしょうか……私は食に疎いもので」
「仕方がないな」

フッと鼻を鳴らしながら、歩みを再開させる、迷いなく進む二人の足はタクシー乗り場にすぐ着いた。




* * *




翌日、寝不足な目を擦って出勤した大谷は己の机の上に携帯充電器を発見して大きな溜息を吐いた。
この充電器さえ持っていれば昨日はあんなことにならなかったのに……
あの後、長宗我部に送ってもらったは良いが、彼が気遣って下らない話をしてくれるのが逆にツラかった。
毛利の話した内容について訊ねたいことが沢山あるだろうに、いつものように笑ってくれる彼は「皆のアニキ」に相応しく思う。

「よぉどうしたー?おっきな隈なんか作って……昨日は眠れなかったのかい?」

ニヤニヤと話し掛けてくる黒田が鬱陶しいが、今は反論する気力もない。
ああそういえば携帯充電器を隠したのはこの男と言っていたな、ああそうだ毛利が言うなら間違いない。

「われの鞄から充電器を抜いたのは、ぬしに指示された後藤かの?」
「なぁに言ってんだよ、お前さんが入れ忘れて帰ったんだろ?」

ていうか好い加減お前は仕事用とプライベート用に鞄分けろよ、と内心そっとツッコミを入れる黒田、和物の巾着や風呂敷等は持っているくせに何故鞄を持っていないのだ。
仕事中でも時々書類やデータを運ぶ以外は財布と携帯とハンカチくらいしか持ち歩かないから分ける必要はないかもしれないが、これから石田とデートを重ねるならお洒落な鞄を持っていてもいいじゃないか、いっそデザイナーでもある豊臣に選んでもらえばいい。
と、大谷が石田とデートする前提で考えてしまっている黒田、彼の中では昨日二人が観覧車に入った時点でくっついたも同然だった。

「やれ思い出した……昔ムカシ後藤によう似た男に家捜しに入られたことがあっての」
「は?」

それを聞いて黒田は「いきなり何を言い出すんだ?又兵衛が盗人をしていたとでも言いたいのか?」と、口を歪ませる。

「似た男と言ったであろ?後藤ではない」

大谷は一日振りくらいに心からの笑みを見せる、やはり黒田をからかうのは面白いらしい。

「まぁわれの部屋に何者かが侵入したと報告は受けたがな、その時丁度、上司の部屋に呼び出されていて行けなかったのよ」

黒田の眉がピクリと動く「報告を受けた」? 「上司の部屋に呼び出されていた」?

「われが部屋に戻った時には何の痕跡も残しておらなんだし、何も盗られておらなんだ……恐らく捜し物がわれの部屋にないと解かったのであろ」
「なぁ大谷それって、いつの……」
「そしたら翌日、今度は友の部屋に入ろうとしていると聞いての、流石に焦ったわ……友はわれのように優しくはない、見付かれば八つ裂きにされてしまわなんだと」
「おい!」
「流石に憐れに思ったので、そやつが友の部屋を漁っている間中われの部屋に友を呼んだのよ、われもたまには良いことをするであろ?まぁ友の部屋は私物が殆ど無いゆえ捜すのに時間は掛からなかったようだが」
「……まさか」
「上司二人の部屋まで捜そうとした時は流石に止めたがの、そんな所に捜し物があるわけなかろうと」
「……」

大谷はニヤリと笑う、だがその瞳は全く笑っていなかった。
恐らくバレていたのだろう、可笑しな作戦を立てた黒田に、前世の記憶が戻ったこと。


「その者が捜していたのは枷の鍵」

部下がぬしの為に危険を犯してまで捜してくれたのに、ぬしはいつのまにか枷に愛着を抱いていたなぁ――ヒヒッっと引き攣ったように笑う顔は、昔馴染みのもの。


「記憶が戻ったのなら、もう遠慮せずともよいな?」
「くっ」

今生になって、久しく見ていなかった意地の悪い瞳に、前世のトラウマが蘇る。

(刑部の野郎、今まで猫被ってやがったのか?)

というより、今の大谷は激しく何かに八つ当たりしたい気分だったのだ。
そこに丁度良い標的として現れたのが不運の男、黒田官兵衛。

「というか又兵衛の奴……くそっ何故こんな時にいないのじゃ」
「今ぬしが可愛がりたいと思っておる男なら賢人と共に太閤の元へ行っておるぞ」

仕事の手伝いを頼まれて嬉々として行きおった……と聞いた瞬間、ガツンと頭を鉄球で殴られたようなショックを受ける。
自分にちょこまか付いて回っていた後藤が豊臣竹中の方を慕うようになる、黒田にとってどんな八つ当たりより其れが一番堪えるのだった。

久々の黒田いびりに細かい悩みを一時的に忘れられる大谷、それから暫く後、毛利も合流して二人で黒田をいびっていびっていびりまくった。
わざわざ遊園地に誘ってくれた長宗我部には申し訳ないが、結局、毛利と大谷が完全に仲直りする為に一番役立ったのは黒田だった。







END