大谷のプロデュースするフラワー園には春から秋にかけて菫、菖蒲、桐、紫陽花、桔梗、竜胆など紫の花が多く咲いている。
ただ最近は助手の趣味で百合や彼岸花の花も増えてきているし、人口的に作った川辺には桜や百日紅、紅葉や柊が植えてある。
園のすぐ近くには小さな森もあるし(そこから小動物がくることも)水族館の周りを囲う堀には睡蓮が浮かんでいる。
社員しか見る事の出来ない中庭薔薇や牡丹など華やかなものから菜の花や霞草などの小さい花も咲いていた。
大谷はいつか葵の花を植えられる時がくればと密かに思っているが、雨が降る度、豊臣や石田の姿を見ては、まだ無理だと自嘲していた。

そんな園は秋になると藤棚に囲まれる。
大谷は毛利と共に休憩をとりながら、ある男の到着を待っていた。

「遅れてしまってすみません」
「よいよい、われらとて今きたところよ」

藤の花をバックに現れたのはライバル企業『織田グループ』の役員である筈の柴田だった。

あの一件以来急速に親しくなった毛利と柴田は、そこに大谷も迎え、共に茶をする仲になっていた。
そのつもりはないが会えば前世の話ばかりするので言うなれば「前世を知るもの会」みたいなものを組んでいる状態だ。
捨て駒(職員)の中には頻繁にやって来る柴田を不審がっている者もいるが本人は、やれ「市様の様子を窺いに来た」だの「片倉氏から伊達氏へ野菜を届けに来た」だの言って誤魔化していた。
島の高校時代からの友人だと知っている竹中はこのまま我が企業へ引き抜けるのではないかと、密かにヘッドハンティング魂を燃やしていたりする。

「いつ来ても見事な藤の花ですね」

節穴のようだと称されていた瞳を煌めかせ、透き通った角膜に紫の花を映し出している柴田。
自慢の花が褒められ機嫌をよくした大谷は紙コップにお茶を注ぎ手渡してやる、まあ機嫌がよくなくともこれくらいのことはいつもしてやっているが……無言で紙コップを差し出す毛利におかわりを注いでやると、大谷の分は柴田が注いでくれた。

「ぬしには紫がよう似合う」

以前もそう言って柴田に桐の押し花を渡したことがある、大谷なりの勧誘だったが気付かれなかった。
今度はあからさまに柏の葉でも渡してみるかと思ったが、それでもきっと多分気付かれない、柴田には島くらい直球で言った方がいいのだ。
今日は丁度昼時に来ると聞いたので藤棚の下のベンチで伊達の作った弁当をつつきながら話をすることにした。
話すのは自然と前世のことになってしまう、景色はかわっても藤の美しさはあの頃から変わらない、品種改良はされているかもしれないが自分達の愛でた遺伝子を確かに受け継いでいる、それを感じて嬉しい。

「長宗我部が幼少時代に植えた花も、まだ同じ場所に咲いていた」

まだ彼があんな荒々しい性格じゃなかった頃、こっそり植えていたそれが国内の争いにも外海との争いにも奪われず今も残っているのを見つけた時のことを話す。
役に立たない土地なのに、その場所を買い取ってしまったのも武勇伝のように語ったので恥ずかしくはないようだ。

毛利はあの日から前世の長宗我部とのこともポツリポツリと話すようになった。
もう過ぎた時代の話、隠さなくて良いものなので心なしか表情を緩め、二人といると自然と雰囲気も柔らかいものへ変わっていく。
その証拠に以前は毛利に寄り付かなかったリス達もこの時だけは足元で遊ぶようになり、今は柴田の手で撫でられている、その表情も常より柔らかいものだ。
柴田は前世の記憶に自分が影響されていることは仕方がないが、それでも自分は自分でしかない、生まれ変わる前も生まれ変わってからも島を大切に想うこと、それはどちらの島にとっても喜ばしいことだと言う。
それが正しいのかどうかの答えは出せないが、柴田の考えは毛利や大谷の気持ちをとても楽にした。
毛利に至っては前世今生問わず長宗我部に関する様々な事柄を「全部まとめて我のもの」というモトナリズム全開の主張をするまでになった(大谷の前でだけ)
こんな風に前世と比べ少しはポジティブな思考回路の柴田だったが根はネガティブで人の情がなかなか届きにくい所もある、そのくせ危機感が薄いので他人の話をすぐ真に受けてしまう、心配になった大谷はついつい構い過ぎてしまい、そんな大谷に柴田も懐き始めていた。
というわけで、三人の仲は良好で今日の会合もいつも通り和気藹々と過ぎていくのだった。

――しかし
その光景を遠くから鋭い視線で見つめる者がいた。

「……勝家と弁当なんて俺、高校以来したこのねーのに」

島左近である。
この園に新しく出来る結婚式場の内装とドレスのデザインを全て任された豊臣はこの時期、とても忙しい。
建築家と話し合ったり、料理人と話し合ったり、その他諸々の業者と話し合ったり、経営陣(竹中なので特に問題はないが)と話し合ったり、とにかく会議が多かった。
そんな豊臣の左腕としてバリバリ仕事をする石田の手足として島が奮闘している途中、毛利・大谷コンビと柴田が仲良く昼食を摂っている所を見てしまったのだ。
どんなに忙しくとも最低限の食事と睡眠は絶対とれと会社から命令されているので昼食は摂っている、しかしコンビニで買ったおにぎりや野菜スティックを作業しながら片手で食べるのが精一杯、あんな風に藤の花の下で優雅に食事なんて出来ていない。
たとえばアレが毛利と大谷の二人であったり柴田一人であったならば「綺麗な人が綺麗な花の下でご飯食べてるー、周りにちっちゃいリスまでいるー、超和むー」くらいに思えただろうが、柴田が自分以外の人間と自分の知らないところで食事を摂っているのは面白くなく、しかも自分にもあまり見せない可愛らしい表情を惜しげもなく晒しているのだから嫉妬しないわけがない。

(割って入りたい……けど早く戻んねーと三成様にどやされるし、楽しそうにしてるのに邪魔したくねえ)

と、その場で落ち着きなくステップを踏みながら葛藤する島。
するとそこにもう一人、小柄な男がやってきた。

「よう左近じゃんかーどぉした?こんなとこで跳ねてたら通行の邪魔なんですけどぉ」

後藤又兵衛である。
この男も忙しい、彼にとって“憧れの半兵衛さん”に豊臣の仕事を手伝うように頼まれ島同様意気揚々と働いているのだ。
しかし「仕事が忙しい間はウチより職場に近い官兵衛さんの家に置いてほしい」と言って黒田の家に入り浸っているので島よりはプライベートが充実している、そんな口実使わなくても普通に頼めば一緒に棲んでくれそうだと思ったが何か癪なので島は教えなかった。

「いや、あのさぁ左近……マジどいてくれないと俺さま通れないんですけど?」

ここは本部とフラワー園を結ぶ狭い渡り廊下、島は窓の外を見つめながらピョンピョン跳ねているので本当に邪魔だった。

「あ、毛利さん達と一緒にいるのお前のツレじゃね?なにアレ浮気現場?」

島がいまだに片思い中なのを知ってわざと意地悪に言う後藤に苛々とした島は反撃を試みる。

「このところ黒田さんと一緒なのもよく見るっすよねー?先輩こそ浮気されてんじゃないっすかー?」

こっちもこっちで後藤が黒田に片思い中なのを知っているのに意地悪を言う、その言葉は後藤の胸に深く突き刺さった。
その通り最近、黒田も毛利や大谷と一緒に居る事が多いのだ。
仕事が遅くまであり、黒田の家に帰ってもシャワーを借りてソファーで寝るだけの後藤よりずっと多く話しているし笑い合っている気がする。
それに偶然聞いて知ったのだが黒田はあの二人と話す時だけ自分のことを「小生」と言うのだ。
真田が猿飛に対してだけ自らを「某」と言わず「俺」となるのが、相手に気を許しているからだと聞いたことがある、すると黒田が他の者と話す時は「俺」なのに毛利や大谷と話す時だけ「小生」になるのも、やはり気を許しているからなのかもしれない。

「……そんなに凹まないでくださいよー言い過ぎたことは謝りますから」
「俺の方こそ……ごめん」

と、謝り合った後、毛利、大谷、柴田を一瞥して豊臣や石田の待つ本部へとぼとぼと歩き始める二人。

(仕事がひと段落ついたら勝家と昼飯の約束しよう)
(泊めてくれたお礼って言ったら官兵衛さん食ってくれるかなぁ)

それぞれ脳裏にフードコート名物夫婦の片割れこと前田まつと、現水族館の広報係で元産業スパイだった猿飛佐助を思い浮かべ「初心者向けの料理を習おう」と心に決めた島と後藤だった。
一方、弁当を食べ終え、食後に柴田が差し入れにと持ってきた野菜クッキーを食べていた大谷は、

「ところで大谷よ、貴様もう石田と寝たのか?」

毛利からの質問に喉を詰まらせた。

「大丈夫ですか?刑部様」
「す……すまぬぅ」

すかさず紙コップを差し出す柴田は良く出来た子。
ひとまず柴田に礼を言って中のお茶を飲み干した大谷は涙目のまま毛利に怒った。

「急になにを申すか!驚いて折角のクッキーが」
「どうか鎮まりください隠神刑部様……クッキーでしたら今度また作ってもらいますから」
「なんだ貴様が自分で焼いたんじゃなかったのか……」

こんな特技があったのかと感心して損した、と毛利は呆れたように柴田を見た。

「それはそうと大谷よ、貴様まさか石田と付き合っていないのか?」
「……」

無言は肯定の証である、バツの悪そうな顔を毛利から逸らす。

「もしかしてまだ返事をしていないのですか?あれからもう一月以上経っているのに」
「まぁ石田は友人のままでいいと言ったから、別段返事を期待していないだろうが……」

あの方のこと好きなんでしょう? 石田のことが好きなのだろう? という眼差しに問われ、大谷は顔を真っ赤に染め俯いた。

「……たしかに石田のことを考え、愛しいと思うことはある」

というか日常だ。

「しかし……しかしな、それが本当にあやつへのものか、それとも三成へ想うことの延長か……われには解らぬのよ」

と、言って深く溜息を吐いた大谷に、毛利と柴田はとても残念なものに対して言うように言った。

「つまりまだ完全に前世の石田と今生の石田の区別ができていないと……」
「刑部様と石田氏は前世でも近しかった故でしょうか?」

毛利と長宗我部や柴田と島の場合、戦国時代は別の軍に属していたし味方だった頃もあるが最終的には敵対した関係だ。
だから友好関係を築いている現在との違いが顕著にあって、前世と今生の相手の区別もしやすかった。
しかし大谷の場合、前世でも石田と親しい仲であり、最後まで行動を共にしていた為、今現在の関係に似ているというより、今よりずっと深かったのだ。
今生の石田三成といると、いつの間にか彼の向こうに前世の石田三成を探してしまうし、石田のことを考えていても、いつの間にか戦国時代の思い出に浸っていることが多いのだ。
柴田のお陰でどちらの石田も大切に想っていいのだと思うようになったが、恋愛関係に発展するなら毛利の言う通り「菫色の星よりも愛する」ようにならなければならないと思う。
意外と義を重んじる質のある大谷は、一番愛しいと想う者としか恋情の絆を結ぶことはできない。

「……」
「……」

こればっかりはどうしようもない、ゆっくり時間をかけて前世と今生の石田の区別をつけていくしかない。
柴田が大きな溜息を吐くと同時に毛利は首を振った。



――その時だった。

「元就様!!大谷さん!!」


水族館の建物の中からスーツ姿の捨て駒(作業着ではないので本部の職員だろう)が血相を変えて走ってきている。
彼は毛利達の前で止まると息を整わせようと胸に手を当て大きく肩を上下に動かし呼吸する。


「どうした?あわただしい」
「た、たいへんです」

捨て駒の体が酷く戦慄く、これは大事だと感じた毛利と大谷はゴクリと唾を飲み、これから言われる言葉に対しての覚悟を持った。


「石田さんと長宗我部さんが三階の窓から転落しました!!」


しかし、その覚悟を凌駕する報告を、捨て駒は言い放ったのだ。



* * *



「……なり!みつなり!!」


どうした?煩いぞ  、私は無事だ。


「みつなり……」


  、大丈夫だからそんな声で呼ぶな……


「死ぬな三成……」



大丈夫だ、まだ私は死ねない。


貴様が私を置いて逝かないと約束したように私も貴様を置いて逝かない……

けして独りにはさせない。
なぜなら貴様は私の大切な――



「……」

石田三成が目を醒ますと、見知らぬ男の顔が目の前に迫ってきていた。
石田と目があった男は、その猫のような大きな瞳をパチクリ瞬かせ、うるりと泣いた。

「よかった三成……川から自力で上がったのち倒れやったから心配したぞ」

(川?何を言っているんだこの男……私はたしか書類を取ろうとして窓から身を乗り出し……)

しかし体に触れれば確かに濡れた感触がする。
なんだこれは、夢か……感触はあるし、頭の後ろには温もりも感じるけど……
体勢的に自分がその男から膝枕をされていると気付いていたが、石田は気にせず目を閉じようとした。

「これ三成!ぬしは漸く目を開いたかと思ったらもう寝やるか!!」

ペチリと前髪を叩かれ目を開ける。
しかし、どうしようもなく迫ってくる眠気には勝てない。

「……まったく、普段は寝ろと言うても寝らぬのに、寝るならせめて着替えをしてから自分の部屋で寝やれ」

(うるさい……少し黙っていろ   、貴様の話は心地良いが……今は)

「夏だからと油断するな、ぬしが風邪を引いて死んだとあらば太閤も浮かばれぬぞ……」

(よせ、その方の名を出すな……こんな時にその方の名を聞いてしまえば、私は……)



「死ぬなら、あやつの首を討ち取った後であろ?」

寝入ってしまった石田に尚も語りかける声が聴こえる。
その男は着ていた上着を脱いで濡れた肩に掛けてくれた。

「できればぬしだけは生きてほしいと願うが……無理であろうなぁ……長宗我部が生きておればまた違ったろうに」

濡れた髪を優しく撫でる手の持ち主が、聞こえないと思って大きな独り言を空に放る。

(長宗我部……そういえばアイツはどうなった?落ちていく私を助けようと身を乗り出していたのが見えたが……)

石田は酷く睡眠を欲す頭の中で、偶然同じフロア内にいた男のことを思い出した。
長宗我部の持っていた書類が風に飛ばされて窓の近くにあった木の枝に挟まれたのだ。
皆が止めるのも聞かずそれを取ろうとして、急に強い日差しを浴びたからか眩暈を起こして、三階からまっ逆さまに落ちた。

「まぁよい、心配するな……その時はわれも共に逝くのでな……人が皆平等に不幸となれば――われは満足よ」

(ああ  、私こそ貴様だけは生きてほしいと願うのに)

自分はこの男を知っている……しかし思い出せない。
声は大谷そのものだし、目も大谷のように銀色だが、全身を包帯で覆っている、それに彼は石田を「三成」とは呼ばない。
そしてなにより、その眼差しが違う。

この男の見つめる目は大谷がプラネタリウムや観覧車の中で見せたもの、彼が“菫色の星”へ向けるもの――どれも石田へ向けられたものではない。


「起きたら問い詰めてやるから、覚悟せよ」

(そんなこと言って貴様は結局なにも訊かなかったではないか)

「なぜ……あんな所に咲いた花を摘もうとした?」

(そうだ私は岸部に咲いた紫の小さな花を、  に贈ろうとして足を滑らせたんだ)

「ぬしは愚かよ」

髪を梳いていた花がピタリと止まり、包帯に巻かれた両手が石田の頬を包み込んだ。
存在を確かめるように頬を指の腹で撫でられる、くすぐったくて眉を顰めると「ヒヒッ」と笑う声が落ちてきた。


「われの花はここにあるというのに」


その声を聞いて鼻の奥がツンと痛む。
この男はきっと大谷が描いたあの『蝶』で、この身体は自分のものではなく『菫』のもの。

石田は『菫色の星』になりたかった。
石田は『菫色の星』にだけはなりたくなかった。

良き友の顔をして、心の内に浅ましい欲望を隠した醜い花……そんなモノの為に蝶は生きて逝ったのだ。

勝てぬと解かっていた戦いで、必ず勝たせろと言った。
共に死ねぬと知っていながら、守れぬ約束をさせた。
貴様が聞けば悲しむだろうに、嗚咽を我慢できなかった。
本当は誰より愛していたのに、最後まで本心を伝えられなかった。


今更気付いても遅い、この気持ちも、きっと次に目を醒ました時には忘れてしまっているだろう。


(刑部……)


貴様のその美しい羽根が、ずっと菫の花に囚われたままだなんて許さない。

私は過去の私より貴様を幸せに出来る筈だ。


(待っていろ)


必ず、戻るから


そして、もう一度伝える


その心に届くまで何度でも何度でも



だからもう、悲しまないでくれ……





* * *





ある病院の集中治療室の前


「説明しろ、どうしてこのような事になった」

毛利は腕を組んで、石田と長宗我部が転落した時に同じフロアにいた島と後藤を睨みつけた。

「俺がドアを開けたら風が舞って、元親さんが持ってた書類が窓の外に飛んでったんです」

島は体中を震わせながら、その時の状況を説明し始める、柴田は無言でその手を強く握り絞めた。

「書類は窓の近くの木の枝に引っかかって、三成様がそれを取ろうとして……窓から身を乗り出しました……それで」

その時のことを思い出したのか言葉が途切れ途切れになる。

「強い日差しに目を眩ませたみたいで、急に体が前に倒れて……み、三成様は寝不足で、昨日も眠ってくれなくて……俺が仕事遅いからその分徹夜して」
「島は止めたんです!!長宗我部さんも!!石田さんに危ないから止めてって、島はすぐ駆け寄っていって……」

自分を責めだした島を庇おうと後藤が一歩前に出る、その手は黒田の服を掴んだまま、柴田は島の、黒田は後藤の身体に身を寄せ、哀しげに目を伏せた。
毛利だって解っている、島や後藤はなにも悪いことをしていない、どちらかというと痛ましい事件の現場をみてしまった被害者だ。

「……長宗我部は石田を助けようと手を伸ばし、共に転落したのか」

そう訊ねると二人は無言で頷く、毛利はギリっと歯を鳴らし横殴りに壁を打ち付けた。
硬い壁を少し欠けさせた拳からは血が流れ、近くにいた看護師が息を飲む。

「なにをしておる、早く治療を」

大谷が言うと看護師はハッと気付き、毛利を長椅子に座らせてから、処置セットを取りに走っていった。
毛利は今酷く怒っている、危険な真似をした石田と長宗我部の二人に、石田をそこまで働かせてしまった自分自身も許せない。

(毛利……お前、泣いてんのか?)

後藤を後ろから支えながら毛利の様子を見た黒田は驚愕する。
あの安芸を護る為に情を棄てた冷酷非道な謀神、毛利元就の両眼から一滴ずつ涙が落ち、床に二つの跡を作っていた。

「……」

その時、集中治療室の扉が開き、中から一人の医師が出て来た。
落ち着いた医者の表情を見て少し安心すが……

「二人はどうなった!?」

毛利が椅子から立ち上がり、そのまま掴みかかる勢いで医者へ迫るのを見て黒田はまた驚く、人は情を持つとこうも変わるのかと。

「三階から落ちたというのにお二人とも外傷は殆どなく、命に別状はありません」
「そう、か……」

そう聞いた瞬間、体中の筋肉が緩和されるのを感じ毛利はその場に崩れ落ちそうになる、咄嗟にそれを大谷が支えた。
しかし、医者の言葉はまだ続く。

「ただ、頭を強く打ったようで」
「……」
「もしかしたら、もうこのまま目を醒まさないかもしれません」

それは俗に言う“植物状態”というものではないか、一瞬、毛利の目の前は真暗になる。
体中の感覚が離れていく中で、血が止まった拳の只ドクドク波打つ音だけを感じた。

「そんな……」
「……」

島達が酷く動揺する中、毛利と大谷の四つの瞳が呆然と医師を見上げる、鋭い筈の二人の目は幼子のようにあどけない。
その後ろを二台のストレッチャーが過ぎていった、二人を病室へ移すのだろう……駆け寄りたい衝動を我慢し、ただ医師と向き合う。


「ご家族に説明したいのですが連絡はとれますか?」
「家族……」

敗者の背負う業なのか、戦国武将の生まれ変わりの半数、というか西軍に付いていた者は天涯孤独だ。
毛利だって毛利家の養子であるし(だから会社そのものは兄が継いでいる)大谷は施設出身。
長宗我部は鶴姫のいる神社に引き取られていて、そこの神主が養父だったが昨年亡くなった。
本人は多くの「野郎ども」が家族だと言っていたが、戸籍上の家族となるといったい誰だか解からない。

「……我では駄目か?」

毛利が彼に似合わない弱気な声で訊ねた。
すると医者が苦々しい表情をしながら首を横に振って「家族でなければいけません」と言った。

「解かった……調べてみるが、すぐには解からぬかもしれん」

毛利は臍を噛む想いだった、もし自分か長宗我部どちらかが女なら籍を入れられていたのに、どうして我らの間にはいつも障害があるのだろう。
もしかして東軍に属していれば天涯孤独にならずに済んだかもしれない、毛利が徳川との仲を裂かなければ長宗我部は……

「石田の家族はどうなっておる?」
「え?あ、俺達の後見人は秀吉様になってるっす」
「そうか」

会議で県外に出ていた豊臣と竹中も急いで此方に向かっている、もうすぐ着くだろう。
医師の説明はあの二人が詳しく聞いてくれる……なら自分に出来る事は?大谷は考えた。


(……)

医者と別れ、毛利と大谷は二人の眠る病室に通された。
他の四人は玄関で豊臣達の到着を待っている、おおかた二人に気を使ったのだろう、こんな時に気丈なものだと感心と感謝を覚える。
長宗我部の身内については、会社に連絡し雑賀に調べさせているところだった。

シンと静まり返った病室で毛利は処置を済ませ包帯を巻かれた己の手をじっとみて、在りし日を思い出していた。
長宗我部は海で日に焼ける度、毛利の氷のように冷たい手を気持ちいいと言ってよく弄んでいた。
「知ってるか?手が冷たい奴は心があったかいんだぜ」と笑う男に「我の手は前世で多くの罪を犯した故に冷たいのだ」と冗談めかして本当の事を言った。
「前世の罪が後世に残ることもあるのか?」と目を丸くして、でもすぐに「どうせお前の事だ、その罪だって大切な誰かの為に犯したんだろ?」と、日焼けし火照った頬を押し当てた。
毛利は罪に塗れた手をそんな風に言ってくれる存在がいることに胸がいっぱいになり、そして、あの日の大谷に同じ言葉を贈ってやりたかったと……確かに思った。
前世の己は同胞だと言う孤独な男に優しい言葉ひとつ掛けてやれなかった冷たい罪人、だから今生でこんな目に遭うのだろうか? どうして己ではなく長宗我部が傷つくのだろうか?

「毛利よ」

沢山の管を繋げられた石田の手を握りながら、大谷は語りかけた。

「なんだ?」
「……ひとつ頼まれてくれるか?」

こんな時にする頼みなど、きっと碌でもないことだなと予想しながら毛利は「なんだ?」と再び返した。


「……われが使っていたものと同じ数珠を用意してほしい」


――数珠、と聞いて毛利はバッと顔を大谷の方へ向けた。
前世の大谷が武器として使っていたものだが、あれは他にも神輿を浮かせたり結界を張ったりと奇跡のような力を見せていた。

いったいその数珠で何をするつもりなのだと、思ったが……口から問うことはしなかった。


――顔を見れば解かる、この男は



「われを信じてくれ、同胞」



その横顔が、関ヶ原の日と重なる――




「石田も長宗我部も絶対に死なせぬ……」









END