戦国の世で使っていた数珠は特製のもので現在新しく同じものを作ることはできない。 今持っているものはそれのレプリカで、効力はあるが大谷がやろうとしていることには耐えきれないという。 いったい大谷が何をしようとしているか定かではないが、それで長宗我部たちが助かるならと、毛利は捜すことを決意した。 「われの数珠がどこへ行ったか最後まで生き抜いたぬしなら心当たりがあるのではと……」 それを聞いて最初に思い付いたのは徳川だった。 徳川なら数珠を拾って石田や大谷と同じ所へ安置するのではと……違う、彼は石田との決戦で重傷を負い本多に運ばれていた。 彼が回復する前に毛利が西軍の葬儀を強行したから、遺品等は徳川より己の方が行方を知っている筈だが、分けた形見の中に大谷の数珠の記憶はない。 長宗我部の遺体を葬ったのが徳川という事もあってか、毛利は徳川にだけは西軍武将達の遺体を一切触らせたくなかったし、彼が墓参りすることすら忌まわしいと思っていた。 それを知っている徳川なら大谷の遺品を毛利に預けるなりしただろう、迷惑な話だが彼は誰より情け深く西軍の生き残りである毛利を気遣っていた。 一般兵士が大谷のものに触れるとは思えない……ならば関ヶ原に転がったままか? しかし大谷の武器という不吉な代物(そう呼ばれているのを聞いて心底馬鹿馬鹿しいと笑ったのを憶えている)を聖戦が行われた地に放置するだろうか? 毛利は記憶を巡らせた。 今生では並みの神経を持っている毛利にとって過去の戦、それも多くの人死にを出した関ヶ原周辺の記憶を思い出すという事は過酷でしかなかったが、長宗我部を救う為なら耐えきれるものだった。 そして、一人の男が閃きのように浮かび上がった。 『卿の無を貫くのは…やはり私の役目ではなかったな』 ――松永久秀―― あの時、あの場所にいて、ただ高みの見物をしていた男、宵闇の鴉を引き連れた深淵の梟。 竜の六爪でも狙っているのだろうと思ったが、他の宝をも物色していたかもしれない。 非力な病人である大谷が戦国最強の本多忠勝とマトモに渡り合えるだけの武器、炎にも氷にも雷にも耐える強固な数珠。 あれが奴の目に留まったとしても可笑しくはない。 「心当たりがあったか」 「ああ」 石田の手を握ったまま大谷は毛利の顔を見て彼が何か思い当ったことに気付いた。 神妙な面持ちで頷いた毛利はすぐに能面のような表情を張り付けて大谷の横から立ち上がった。 「すぐに準備する、貴様は豊臣らと共に此処で待っていろ」 「毛利」 「万一石田が目覚めた時に貴様がいなければ他の者が面倒であろう」 その点、長宗我部は我がおらずとも、多少残念に思っても落ち込むまではするまい、と毛利は内心で呟いた。 アレはああ見えて失望には慣れている。 「……気をつけてな」 「貴様も、ちゃんと睡眠はとれ」 そう言って毛利は出て行ってしまう。 「そうよな……われまで倒れたら皆に迷惑がかかる……それに」 これから為さんとすることを思えば、体力を温存させていなければならない。 そろそろ豊臣達も到着した頃か、会えば島は泣いて詫びる「三成様を守れなくてすみません」と彼らに詫びて豊臣達は「気にするな」と髪を撫でる。 実際、階下で行われている光景だった。 豊臣と竹中が医師の説明を受けたり手続きをしている間に、一度島を連れて彼らの宿泊しているホテルへ行って入院の準備と付き添いの準備をさせよう、何かさせていなければ島はずっと自分を責め続ける。 柴田も付いていてくれればいいが、アレをどこまで巻き込んでいいか……アレは一番の部外者であろう、何も言わなければ黙って明日の仕事も休んでしまいそうだ。 休む理由が『毛利グループ』の社員が重症を負ったからなんて織田に通用するわけがなかろうと大谷は思い、結局本人の意思に任せようと決めた。 もし自分が柴田の立場で、島が石田だったら仕事なんて手に付かないからだ。 「石田、われは暫し離れるが、良い子にしておれよ」 なんて言って微笑む、隣のベッドにいる長宗我部には「石田を頼むぞ」と言った。 今まで石田をこうして独り占めしてしまったのだから、豊臣、竹中、島が来たら交代しなければならない。 恐らく豊臣と竹中も前世の記憶を持っている、忙しいのと常に石田や島が常にいたのとあって前世の話はまったく出来ていないし、しなくていいものだ。 あの四人には今生の絆がある、傍から見ていると家族のようで、大谷はもうその輪の中へ入って行くことは出来ないのだろうなと思っていた。 大谷にも新しい絆があり、毛利や長宗我部、黒田や後藤、市や柴田と作る輪にはきっと石田の入って来れない場所があるだろう、それでいい。 ただ、その輪と輪を鎖のように繋げていけたら、それでいい……今は前世とは違う、同じ場所で同じ目的の為に闘わなくとも繋がっていられるから……もう味方が奪われたり、友人同士で殺し合う時代は終わったのだ。 敵だった者とも笑顔で語り合える、主君を護る為に命を張ったり、病だからと忌まれたり、力づくで領地を奪われたりしない、身分の違いもなくて、誰もが自由で、誰も裏切らず生きていける。 傍にいる為に無理をして、嘘を吐かずとも……愛する者と歩んでいい時代に生まれたのだ。 ――どこぞの風来坊ではないが、こんな時代に恋をしないなんて損よ、ソン 「良き恋をせよ、石田……長宗我部も」 いつか石田が心配だから死ぬのが怖いのだろうと言われたこと、それは真実であったが「生きたい」と願う理由とはきっと違っていた。 あの時代、自分の本当に求めたものはなんだったろう、死の直前に片鱗を見た気がしたが結局解からないまま終わってしまった。 死ぬのが怖かった。 置いて逝くのが怖かった。 ただ生きるのはもっと怖かった。 置いて逝かれるのはもっと怖かった。 それでも「生きたい」と願ったのは、彼に星を見せたかったから、その先にある朝陽を共に見たかったからだ。 「石田……」 あの時、石田三成が死んだことなんか生まれ変わった時から解かっていた。 毛利と再会し「石田は一緒ではないのか?」と聞かれた時に、もうあの時代とは違うと思い知った。 「始めはぬしに『刑部』と呼ばれぬことに違和感があった、いや……あれはカナシミだったかもしれぬ」 同じ軍に属する仲間が呼んだ自分を構成する役職名、違う軍に属するものでも『刑部』と言えば『豊臣の大谷吉継』を思い浮かべる。 自分を忌み嫌う者に『刑部殿』と呼ばれれば、その地位だけは認められているように思えた。 石田に公の場で叫ばれれば、自分が彼の関係者であることが知れる、彼の傍にいる自信がついた。 だから『吉継』とあの頃には違う呼び名で呼ばれることはないのだろうと、寂しかった。 「しかし……それが、いつの間にか、喜びへと変わった」 優しい声で、時に厳しい声で、大谷を大谷だけの名前で呼んでくれる。 嬉しいのはきっと自分が“大谷吉継”だから、戦国時代とは違う人間であるからだ。 「もうとっくに区別がついていたのかも知れぬ」 過去も現在も“菫色の星”を愛している、その想いはきっと永劫に消えない。 でも今の石田を愛することは今の大谷にだけ許された特権だ。 「ヒヒッ……もう既に来世のわれに嫉妬してしまうわ」 前世でも今生でも出逢えたのだから、きっと来世でも逢える。 来世の石田を知る事のできる己の生まれ変わりがもう羨ましくなった。 「死ぬのが勿体ないという想いは、前世の比ではないが」 健常な肉体と安定した生活、出逢ってきた全ての人間との絆を棄てることなんて大谷にはけして出来ない。 棄てることなどけしてしない。 「だが、その先にぬしがいると思うとな……怖くはない」 “I LOVE YOU”が“死んでもいい”と訳されたのは確か明治だった。 でも、皆はそのずっと前から、人類が他人の死を初めて知った頃から想っていたに違いない。 そんなものなら戦国の世でも散々見てきたではないか、君の為なら“死んでもいい”と命を散らす、有り触れた光景を…… 「石田……われはな、ぬしをこの世で一番愛しておる、大好きよ」 だから、絶対に―― 「大谷、入ってもよいか?」 控え目なノックの音と、低く重い声がする。 言いたい事を言い終えたところにタイミングよく豊臣が到着したようだ。 「ああ」 石田の手をゆっくりと布団の中に戻して、大谷は振り返った。 もう交代しなければならないが、こうして二人で語らう時間をくれたことに感謝する。 大谷は暫く待った後、目を泣き腫らした島とその傍にじっと寄り添う柴田を連れて病院を出た。 付き添って泊まる準備は豊臣と島の分だけでよいか、下着や洗面用具など竹中の分も買っておこう、食糧もいくつか猿飛に頼んで後で届けさせようとそんなことを考えながら車を運転させる。 前世の豊臣達がいなくなって死にそうになった彼を知っているから、豊臣達がいれば精気もみちるのかも知れない、覇王の『力』は彼にとって万能の薬と成り得る。 (長宗我部はどうでろうか?面会に誰も来ておらなんだが……) 各所への連絡は捨て駒に任せている。 彼に懐いている鶴姫や鹿之助やいつきは遅くなると外出できないし、捨て駒のことだから“野郎ども”にも大勢で押しかけると迷惑だから誰か代表して明日来いとでも言っているだろう。 こんな時に家族がいないのは心細い……もし大谷が今生でも病弱だった場合はどうしていたのか、今となってはどうでも良い事を考える。 「一度、会社に寄ってよいか?雑賀に調べさせている長宗我部の身内が気になる」 「あ、いいっすよ」 まだ焦燥としているが、少しは安定してきたのか島はしっかりと答えた。 ミラー越しに柴田と瞳が合い、一度だけ瞬きをする。 部外者の自分が会社の中に入れるわけにいかないから先に買い物を済ませておくと言う言葉に甘えることにした。 柴田を園の近くのスーパーで下ろすと、車内には島と二人きりになる。 「大谷さん……あの」 「なんだ?」 「俺ね、三成様のことはそんなに心配してないんです」 「……?」 「三成様がこんなことでどうにかなるお方じゃないって信じてますから」 ――それになんか前にも同じようなことあって大丈夫だった気がするんですよねー、と、恐らくは前世でした経験のことを言っている島に、大谷は少し笑う。 そうだ、石田が寝込むことなんて前世では日常茶飯事だった……だから今度もきっとひょっこり起き上がって「なにをしている左近!」と怒鳴られるんじゃないかという気がしているのだ。 「どっちかっていうと大谷さんの方が心配っつーか」 「ん……?われは平気よ、毛利より落ち着いておったであろ」 二人が三階から転落したと聞いた時の毛利の反応を思い出し苦笑した。 あの様子を長宗我部に教えたらどうなるか、教えてやりたいような教えてやりたくないような。 「そうですけど……なんかなぁ」 確かに大谷は落ち着いているし、気も確かに持っていると思うが、何とも言えない不安感を抱かせる。 自分の語彙力では表現できない、喩えば籠の中でジッと動かなくなった虫を見て感じる――と、そこまで考えて虫に喩えるなど大谷に失礼だと首を振った島。 そうしている内に地下の駐車場へ到着した。 「丁度よかった大谷、今お前に連絡しようとしていたところだ」 本部に入るとまず出迎えてくれたのは雑賀孫市、本名さやか。 一人称が『我ら』から『私』に変わっている、黒田とは違い前世を思い出してもきっと『私』のままだろう、もう雑賀衆はいないのだから(黒田も大谷達の前以外では『俺』のままだが) 「われに?どうした?」 「長宗我部の後見人が先程みえられた」 「おお!そうか……ならば早く病院へ」 雑賀の手の差す方へ目線を向けると、そこには以前会ったことのあるような顔があった。 (そうか、ぬしであったか……) 懐かしい顔につい目を細めてしまう、彼とも色々確執はあったが過去のことであるし、今ならあの時に言われた言葉の意味が良くわかる。 自分達の奪ってしまった命とまた会いまみえて、その時に言えなかった言葉を交わすことができるのも記憶を残す者への権利と義務ではないだろうか。 「長宗我部が拾われた神社の前神主のご友人だったそうだ」 「わしには身内がおらぬでな、元親のことは昔から孫のように可愛がっておったのじゃよ、だからあやつが死んだ後はわしが面倒を見るようにと……」 ――北条氏政、と申す 短めの自己紹介をして、大谷へ頭を垂れた。 「……われは貴殿の大切な家族を傷付けてしまった」 大谷も深く頭を下げて、長宗我部や、前世で彼に仕えていた風魔の顔を思いおこす。 「あい、すまむ」 雑賀と島はそれを見て、胸にこみ上げてくるものがあったが、それがどうしてかは解からなかった。 「雑賀、ぬしはこの人を連れて病院へ行ってくれぬか?医師はもう帰ってしまったろうが、豊臣殿らがいる」 長宗我部の容態について説明してもらった方がいいと言った。 「お前達は?」 「石田のホテルに戻って入院の準備と」 「そうか、わかった……あと、お前の仕事の方は市が当分受け持つから休んでいいと言っていた」 「市がか?」 「浅井と後藤に手伝わせるから問題ない」 「……」 もともと、大谷は自分がいなくても園が回るようにと市に仕事を教えてきたが、まさかあの娘が自分からそう言ってくるとは思ってもみなかった。 「あと「蝶々はお花のそばにいなきゃいけないのよ」とも言っていたが……どういう意味だ?」 「……それはわからぬ」 市には色々と見通されている気がしてならないが、今はただ感謝しておこう。 後藤が手伝うとなれば黒田も節介をやくだろうし此方は何も心配ない。 大谷は北条と一言二言会話した後、島を連れて急いで駐車場に戻った。 スーパーで柴田を拾って石田達の宿泊しているホテルへ向かう、毛利が用意したのは園から程近い海岸沿いのリゾートホテル。 仮住まいとして、そこの最上階の一番広い部屋を借りている、一部門を任せる相手とはいえ破格の扱いだ。 「石田と豊臣殿とぬしの着替えをいくつか持っていくだけでよい、タオルや洗面用具は柴田が買ってくれておるのでな」 「お茶と紙コップと見舞客用の菓子も一応買っておいたから必要ない……病院は乾燥するから加湿器は持って行った方がいいかもしれませんね」 と、柴田が石田のベッドテーブルに置いてある小さな加湿器を指さすので水を抜いて袋へ入れる、長宗我部の分は無いのかと毛利が怒りそうだが、それは後で彼が用意すればいい。 「あ、これ持って行っていいですか?入院中ヒマだと思うんで」 準備が終わりさて、出るぞという時になって島が紙袋を一つ持ってきた。 医者から二人がもう目覚めないかもしれないと告げられたのに、暇つぶしを持っていきたいと言う島に対し「駄目」なんて言えるわけがない。 「……われの書いた話」 紙袋の中に入っていたのは、いつか黒田から譲り受けた大谷が書いた脚本に写真をつけた絵本。 「はい!三成様のお気に入りなんすよ!!三成様不眠症の気があるんですけどコレ読むとよく眠れるみたいで」 今は逆に早く目覚めてほしいですけど! と、満面の笑みを浮かべる島を見て、大谷は泣き出したくなった。 石田に読まれて恥ずかしいという思いと、石田が気に入ったと言うなら、もっと沢山書いていれば良かったという思い。 そのどちらも、石田へ対する恋情があるからだ。 (ああ、石田よ……われは、われは……) どうして今まで石田の想いに応えてこなかったのだろう―― * * * 翌日、一度家に帰ってシャワーと食事を済ませてきた大谷は、病室に入る前に毛利に呼び止められた。 「も……うり?どうしたその姿」 髪が少し短くなっているのは別にいいが、左頬には大きなガーゼが貼ってあり首から下に包帯が巻いてあった。 以前大谷と取っ組み合いの喧嘩をした時も同じような処置をしていたが、あれは掻き傷を隠すだけのもので治療の意味はなしていなかった。 今回のこれは…… 「数珠、持ち帰ったぞ」 「え」 右肩にかけていた大きなバックを下ろしてチャックを開けた。 中にはぎっしりと大谷が戦国時代に仕様していた武器が入っている、本物だ。 そして横からスッと現れた風魔がもう二つバックを床に置く、毛利の持ちきれなかった残りの数珠は彼が持っていたんだろう。 「ぬ、ぬしはとりあえず中へ入って座れ」 熱に浮かされたような、というか本当に熱っぽい毛利の手を取る、右手にも包帯を巻いているのに気付いて大谷は青褪めた。 自立して歩行もしているが、ひょっとして全身傷だらけなのかもしれない。 「ぬし……」 「いいか良く聞け大谷、それは松永のところにあった」 「松永久秀か?」 「ああ……奴も前世の記憶を持っていた」 ということは、過去の能力も受け継いでいるということだ。 「あの野郎「これを贈る代わりに卿の全てを賜ろう」とかなんとか言いやがった」 「は!?」 その時のことを思出してか、怒りのあまり口調が長宗我部風になっている。 「だから力ずくで奪ってきたのだ」 それで、この傷か……当然火傷もあるのだろうな、と心配ながらも呆れた感想を抱く。 「……毛利よ……もうあの頃と違って傷害で捕まることもあるのだからな?もう少し穏便にできなかったのか?」 警察で捕まるとすれば爆発物を使った松永の方だろうが、こんな怪我するような危険な戦闘を起こしてほしくない。 「ほぉ……では松永に我の体を好きにされていいと?」 「いや、松永も恐らくそういう意味で言ったのではないのでは……」 ないとも言い切れないので、早急に毛利の警護を強化してもらおうと黒田にメールを入れることにした。 というか毛利も一緒に入院した方が良い、この見た目で体は丈夫だからすぐに回復してしまうだろうが、これで出勤されても捨て駒を困らせる。 「兎に角、中に入り体を休めよ……病室に居るのがわれらだけになるまで数珠を預かっていてくれぬか?」 そう言って風魔に数珠を託す、そういえば彼を松永に会わせて無事にすんだのだろうか? 北条に会せたら楽しそうだが松永と会わせて楽しい展開になる想像はできない、実際毛利は満身創痍で帰ってきた。 (火薬類取締法違反で捕まってくれぬだろうか……) 希みのない望みに大きな溜息を吐きながら、毛利を伴い病室へ向かう。 創始者二人が一度に休んでは園の方も大変だろうが、今日は竹中以外の経営陣と秘書達が総出でその穴を埋めてくれている。 長宗我部の仕事もきっと“野郎ども”がその分頑張っているだろう「アニキが復帰した時に驚くぐらい珍しい魚捕まえてやろうぜ!」なんて海の男たちの声が聞こえてくるようだ。 前世も今生も本当に職場だけは良いものに恵まれている、というか兵に恵まれていたから日ノ本を分けるような戦いが出来たのだ。 (あの環境も捨てたものではなかったのだな……) 大谷の病を忌み嫌っていた顔も憶えていない兵たちも、大谷が自分達の不幸を望んでいたというのに最期までその計略を信じ命を賭して闘っていた。 全てが石田のように偽りなき心でなくともいいし、全てが島のように純粋に慕ってくれていなくてもいい、同じ志を持って同じ戦場を駆けていたという事実だけで充分だ。 数百年を経て“大谷吉継”の気持ちになって考える、あの時あの場所で彼が本当に求めたものは……きっと彼が既に持っていたもの―― 「毛利よ」 恐らく病室に入れば其処にいる全員からこの怪我について総ツッコミを受けるのであろうな、と既にうんざりとした気分になっている毛利へ語りかける。 「なんだ?」 「今のうちに言っておく」 妙に晴れ晴れとした表情で前を見る大谷に怪訝な表情を作った。 最期の戦いの前に『貴様が生きているうちに聞いておく』と彼へと訊ねたことを思い出したのだ。 「われはぬしの不幸もわれの不幸も石田の不幸も望んでおらぬ」 ただ、愛する人と大切な居場所のある世界で生きて……そして“月が綺麗だ”と言える日常があれば、それでいい。 「ぬしと同じよ……オナジ」 その声を聞いて、毛利は何故だか無性に泣きたくなった。 幼いころ、己の肩に止まった一匹の『蝶』がいたのを思い出す。 大谷の声はまるで羽音を立てずに僅かな風を立てるソレ。 毛利の中に残る松永から言われた様々なことが全て吹き飛んでいった。 END |