【日輪豊月園】は、世界的企業『毛利グループ』の御曹司、毛利元就が高校時代の友人、大谷吉継と二人で創設した水族館・プラネタリウム・フラワー園の複合施設である。 同じ県内にある【六魔大地園】と並び日本の娯楽施設の十指に入る人気観光スポットだ。 ちなみに六魔大地園は遊園地・牧場・美術館の複合施設なのでカオスさなら負けていない。 園の目玉は水族館で行われるシャチのショーと壁に水槽が嵌め込まれたプラネタリウムだが、年配の客やカップル、それと近隣に住む人々にはフラワー園の方が人気がある……というかフラワー園だけは入場料がワンコインで釣りがくる位なので公園感覚で利用する人が多いのだ。 入場料が格安といってもきちんと管理されているフラワー園の一角に只今建設中なのは結婚式場、創始者の毛利がとある外国人の口車に乗って建ててしまった礼拝堂(今は後悔している)を有効活用する為に建てられるものだ。 結婚式のない日はレストランとして利用できる予定だが、きっと完成すれば此処で式を挙げたいというカップルの予約でいっぱいになるだろう、この園の結婚部門を一手に任された豊臣達は忙しくなること間違いなく、そうすれば石田とプライベートで一緒に過ごす時間も今以上に少なくなる……と、経営から手を引きプラネタリウムとフラワー園のプロデュースに徹している大谷は危機感を覚えていた。 だいたい豊臣は滅私的で責任感の強い男であるし、その左腕の石田は豊臣の力となろうと寝食を怠り仕事に励むだろう(これはいくら注意したって聞かない)その部下の島だって軽薄な外見とは裏腹に指示された以上の働きをし、しかも向こう見ずな所があるから己の限界を見余って無茶に仕事をしてしまう、自分にも少なからず自己犠牲的な傾向があるので強くは言えないが、結婚式場の完成後あの三人が馬鹿みたいに仕事をして、また事故でも起こされたらたまったものじゃない。 本部の竹中をいつまでも手伝いに行かせている訳にもいかないので大谷は早急に優秀な人材をどこからか引き抜いて、あの三人(というか石田)の仕事が少しでも楽になるようにしてやりたい、その第一候補として名前の挙がっているのは――この男。 「三色団子ー可愛い団子、赤は私に、緑は君にー残った白いのは半分こー」 満開の桜の下、聴いたことのない歌を淡々とした調子で唄っている青年、柴田勝家だった。 「なんの歌だ?」 大谷、柴田と並んで黙々と団子を食べていた毛利が、急に変な歌を唄い出した柴田を怪訝な表情で見た。 「自作なのでタイトルはないです……市様は昔から嬉しい事があると、よく其れを歌にしてたので、私も真似て作ってみたのですが」 「……そういえば前世でも時々唄っていたな」 「あの頃の内容は禍々しかったがの」 ――そうか今は嬉しい事があると唄うのか、浅井に我儘を言って一緒に唄うこともあるのかもしれないな……などと想像して大谷はほのぼのとした気持ちになった。 (われよ、そんな場合ではなかろ?) 今日こそは柴田に勧誘を仕掛けようと意気込んでいたのに春の麗らかな空気に中てられてついぼんやりとしてしまう、これまでも桐の押し花を贈ったり柏の葉寿司を贈ったりと遠回しな方法で誘ってきたが、鈍い彼には遠回し過ぎて伝わらなかった。 しかし直接的な勧誘は前世で散々断られたトラウマがあるからか大谷はなかなか一歩が踏み出せない、ああ前世はああやって断られた、ああ前世はああ言われて断られた、ああ前世は期待を持たされたあげく断られた、等、大谷の脳内でああ前世はがエンドレスで流れていく。 柴田が前世の武将達の如くこっ酷い断り方をするとは思えないが彼なら悪気もないのに此方の心臓を抉ってくるかもしれない、なんせ大谷に向かって名前の字を説明するときに羽柴の柴、真田の田、忠勝の勝に、家康の家と言ってのけた天然さんだ。 恐らく本人は何の他意もなく相手に解かりやすいよう共通の知り合いの名前を挙げたのだろうけれど、恐れ多いとか相手の逆鱗に触れると思わないのだろうか、とりあえず絶対に三成の前で言うてはならぬぞ、と説き伏せたのも懐かしい、というか「しばたかついえ」ならこの字だろうなという字しか使っていないのにわざわざ説明してくるのも失礼だ。 と、こんな風に回想した挙句。 「時にぬし、なにか職場で悩みを抱えておらぬか?」 やはり遠回しな勧誘を始める大谷に、彼の心情を知っている毛利は呆れた目線を寄越していた。 一方大谷はいかに柴田が天然であろうと己の話術ならどうにかして引き抜く方向に持って行ける自信があった。 「そうですね……今度、左遷させられることになりました」 「……」 しかし、次に柴田の口から出て来た発言に言葉を失う。 「左遷?」 「はい」 淡々と返しながらズズッとお茶を飲み下す柴田、彼のどこか諦めたような瞳に前世を思い出す。 「……それは石田と長宗我部が起こした事故の所為か?」 毛利が訊ねた。 秋に起こった二人の転落事故の際、柴田は島の傍に付いていてやる為に無理に休暇をもぎ取っていた。 翌日には意識を取り戻した石田と長宗我部だったが暫くは入院していなければならず、完全に回復するまで医者から予断を許さないと言われている内は島も(表面上は明るかったが)落ち着かず、柴田は結果的に一週間程休暇を取ることとなった。 島がライバル企業の社員とはいえ柴田の個人的な友人の為ということもあり明智や濃は快く許してくれたが、それが『織田グループ』総帥である織田信長の耳に入り、処分されることとなったのではないかと毛利は推測した。 柴田があの時、島の傍に居ながらも出来る仕事をしていたのも知っているし、柴田であれば仕事の遅れもすぐ取り戻せたに違いない(彼の部下も優秀だった筈だ)普通なら役員がそんな事で左遷されないだろうが、何せあそこはブラック企業として名高い『織田グループ』だ。 その点うちの『毛利グループ』は福利厚生もしっかりしているホワイト企業だと毛利は密かに誇らしく思っていた。 大谷の方は柴田に同情と申し訳なさを感じ、これは何としても柴田勧誘を成功させなければと意気込みを新たにする。 「いえ、お二人の事は関係ありません、私は以前から信長様に良く思われていなかった故」 とは言うものの織田の不興にトドメを刺したのは、あの事故の件に違いない、市を攫うように連れて来てこのフラワー園に就職させた所為もあり徳川はこの園を嫌っている、こうして頻繁に毛利達と会っているだけで彼の社内での風当たりは厳しいものだろう。 「それで、どこに左遷されるんだ?」 下手したら海外かもしれぬな、等と他人事のように思いながら残りの団子を口に入れる毛利を大谷はギロっと睨みつけた。 「同じ園内なのですが……本部から美術館の方に移されることになりました」 「ゲホッ!ゴホゴホッ!!」 柴田が再び答えると毛利と大谷が同時に噎せた。 【六魔大地園】の美術館といえば“あの”松永久秀が館長を務める、客が一日に数人しか来ないのに何故か潰れない、裏で武器の密売をしているという噂の怪しい美術館ではないか、どうしてあんな所に柴田のような追加要員が必要なのか解からない上に、あんな所にいたら折角ここまで健やかに生きてきた柴田がまた闇に堕ちてしまう。 それに松永と言えば前世で大谷の死後に数珠を持ち逃げした挙句、今生でその数珠を取り返そうとした毛利が完膚なきまでにやられた相手である、結局その数珠は「楽しませてもらったから」という理由で返却されて先程言った事故で意識を失っていた石田と長宗我部を助けられたのだが、毛利はその時の事を未だに根に持っていた。 「柴田、ぬしはあんな所におってはならぬ!ここで働け!」 「報酬は今の倍は出そう」 「……?」 二人から直球で勧誘をされた柴田は、一瞬なにを言われたか解からないという表情をして、ジッと大谷の瞳を見詰めた。 その硝子玉のような瞳を見て人形のようだと称したこともあるが、何を言われても動じず、批判を聞いても言い返さず、真っ直ぐ人の目を見て話すことが出来るところは彼の強みだと思っていた。 優秀で、気品があり、誤解されがちな市や大谷の良さを知っていて、豊臣にも石田にも臆さず、なにより島の力になろうとしてくれる、新しくできる結婚式場の職員にするにはこれ以上ない人材だ。 しかし―― 「お気持ちは嬉しいのですが、そのような事をしては信長様がコチラになにをしてくるかわかりません」 「……」 『織田グループ』の性質上、柴田を引き抜いたからといって陰湿な嫌がらせはしてこないと思えるが、なんせ向こうには放火魔と爆発魔がいるのだ。 あの頃とは時代が違うなんて、あの魔王と梟雄には通用しない、怒りを買いすぎれば物理的な攻撃を仕掛けてくる危険性もあった。 そんな環境で育ってきた割に柴田がマトモな精神を保てているのは、今生で濃や蘭丸という織田の安定剤が健在だからというのもあるし、明智が前世を憶えておらず優しい常識人だったからだ。 「その言葉だけ受け取っておきます」 どこか諦めた瞳のままで静かに断る柴田を見て、大谷のみならず毛利までもが心苦しくなった。 現実的に考えて織田が本当に此処を攻撃してくる可能性なんて極めて低い、しかし柴田の中では織田信長という人物はそういう可能性を飛び抜けてくる存在なのだ。 いくらコチラが大丈夫だと言ってもそう思い込んでいる柴田を説得などできないだろう、説得できるとすれば……あの男達しかいない。 ――伊達政宗と島左近、前世で柴田に最も影響を与えた二人だ。 しかし、伊達が片倉のいる【六魔大地園】に不利益をもたらすことをするとは思えないし、柴田の話によると織田の養子である蘭丸と伊達の親戚いつきは仲の良い友達同士らしい、前世の記憶が戻らない限り彼がいつきの友達を寂しがらせるような真似はしないと推測されるので……頼るとしたら島左近一択だ。 (都合のいいことに島は柴田に惚れておるし……) 柴田を引き抜くと言えば協力してくれるに違いない。 そう思った大谷は毛利と共に柴田が帰った後で島のいるオフィスへ向かった。 島のいるオフィスは豊臣のものなので当然ながら石田もいる。 「吉継!どうした!?今日は午後は休みだと言っていなかったか!?」 大谷が顔を出すと逸早く気付いた石田が詰め寄ってくる、豊臣の為に働いている時間は大谷のことを考えないようにしている彼でもやはり姿を見ると嬉しいらしい、身内しか解からないような微々たる笑顔を浮かべていた。 身内ではないがそれを解かってしまった毛利は不機嫌に顔を歪めながら「大谷に近づくな、我はまだ貴様らの交際を認めてはいない」と二人を引き離し、石田との間に火花を散らす。 「それより、三成よ左近はおらぬか?」 「それより!?」 「ん?俺っすかー?」 大谷の言葉にショックを受ける石田を無視して、大谷が返事のした方を見遣ると黒田の横から島がひょっこりと顔を出していた。 どうやら大谷達の位置からは黒田の影に隠れて見えなかったようだ。 「然様、ぬしに用があるのよ」 と言って微笑む大谷を見て、厭な予感しかしない島は咄嗟に黒田の後ろに隠れようとするが、その前に後藤から背中を押され毛利と大谷の前に出される。 又兵衛このヤロっと島が振り向くが、もうそこには彼の姿は無かった。 「実は貴様にやってもらいたい事があってな」 「毛利さん直々の頼み?俺に?」 この園の創始者であり最高責任者でもある毛利から石田の部下でしかない自分が何を頼まれるのだろうと身構える島に、大谷はこれまでの経緯をかいつまんで説明し始めた。 「へー……それで勝家をウチに引き入れたいんすね」 「ああ、始めは三成の仕事が少しでも楽になればと考えていたのだが……」 「吉継……」 「焦りのあまり正直になってるよ大谷くん」 「松永のところに行くとならば只ではすまぬだろうな」 「そんな悪い人なんすか松永って?ていうかみんな知ってる人?」 元々この場にいた豊臣、竹中、石田、島、黒田、後藤のうち前世の記憶のないのは島と後藤だけ、石田と黒田が思い出してからは二人を抜かして前世絡みの話題を出すことがある。 きっと長宗我部が毛利と大谷に感じていた焦燥と疎外感を味わっているところなのだろう、島と後藤はその度に面白くなさそうな顔をしてそ立ち去るのが常だった。 「まぁ今まで以上に柴田くんの仕事がやりずらくなるだろうね」 だいたい美術館とは名ばかりの松永の個人的コレクションを飾って置く場所なので松永と警備がいればいいじゃないか、あんな仕事が出来る人材をもう殆ど仕事のないだろう美術館に左遷させること自体が虐めのようなものだ。 自嘲する事はあっても他人の愚痴や悪口を言ったりはしない柴田ならストレスを発散する機会もなさそうで心配なのである。 「でも、引き抜くって事はアイツに今いる会社裏切らせるって事っしょ?義理堅いアイツに出来るかなー……」 義理堅いのはお前相手だからだ。 前世では魔王相手に謀反を起こした男だぞ。 と、この場にいる島以外の人間は思った。 「そういえば我も昔、再三寝返りを打てと言っても頑なに首を縦に振らなかった男がいたな」 「毛利くんが誘って?」 竹中の語尾に嗤いが混じる、片倉や風魔の勧誘に燃えていた時期もある彼は同じ軍師として毛利の話は興味深かったのだ。 「ああ、一通り身内自慢を聞かされた後、主への義を果たす為だとか友を生かす為だとか言って断られた……それが綺麗事ならまだ良いが紛れもない本心だったから腹立たしい」 「……毛利、その話は別に今でなくとも」 「へぇ身内自慢って何言ったのその人ー?」 「例えば奴が賢人と呼んでいた上司の事を……」 「うんうん」 「今は柴田の話をしておろ!?」 「そうだぞ毛利、そんな何処ぞの男の話などで半兵衛さまの時間を割くな!!」 「……ふふふ、そうだねぇ有難う三成くん」 色々と複雑な心境だが石田が鈍くて良かったと肩の力を抜く大谷。 「まぁ、その男も今は我のものだがな」 と、安心したのも束の間、豊臣と石田の方を向きながら不敵に笑む毛利に頭が痛くなる。 大谷の後見人になった時から毛利は時々こういう態度で豊臣方に接してしまうから困ったものだ。 石田や島がいなければ「長宗我部が聞いたら泣くぞ」と言ってやりたい。 「ふんっ」 「……」 無言の豊臣と毛利の間に火花が散る、状況をいまいち解かっていないが豊臣が敵意を示している相手は己の敵だと言わんばかりに石田も応戦する。 ここに長宗我部が居れば上手いこと毛利を落ち着かせられるのだが、彼は鶴姫の大学入学準備で忙しいらしく此処まで来てくれそうにない、というか毛利は我が子でもない鶴の字が入学式に来ていく服を一緒に選んでやるのだと眼帯をしていない方の瞳をキラキラ輝かせていた過保護な彼に腹を立てていたから、長宗我部がこの場にいても収まらないかもしれない。 「あの……結局俺はどうしたらいいんすか?一応勝家を誘ってはみますけど、アイツあれで頑固なとこあるから俺が何言っても無駄な気がしますよ」 もし島に前世の記憶があれば柴田が松永の下で働くなど赦し難いだろうが、今の島に松永との因縁など何処にもない、自分が石田の傍を選んだように柴田が自分で選んでいる場所なら其処が一番だと思っている節がある。 「そうだな……貴様、柴田を惚れさせろ」 「は?」 これには島だけでなく、大谷や他の者まで唖然とする、何をいっているんだ毛利。 「ああ見えて恋をすると周りが見えなくなるタイプだからな、想い人がウチに来いと言えば首を縦に振るだろう」 「いや、アンタ勝家の何を知ってるってんだよ!?」 「あぁ……たしかにの……」 「逆に力づくで左近くんを奪いに来るんじゃない?」 「ハハハ!どうすんだよ左近があちらさんに行っちまったら」 「その時は私が殲滅致しましょう」 「否、そこまでする必要はない……どこに行こうと左近が我の部下であることには変わらん」 「ハッ!承知いたしました!!」 自分が記憶する限り柴田が恋愛をしているところを見たことがないが、自分より付き合いの短い筈の皆が柴田のことを知っているような話をしだす。 豊臣は何やら嬉しい事を言ってくれているが、それを差し引いても面白くはなかった。 「だ、だいたい……勝家を惚れさせるって、もしそうなった後どうしたらいいんすか!?」 「告白すればよかろ?」 「付き合えば良いだろう」 「男同士なんて今更誰も気にしないよ」 「中には世間体を気にして交際していない弱き者もいるがな」 「ほぉ?誰と誰のことを言っておる?」 またもや一触即発な雰囲気になりそうな毛利と豊臣のことは置いておいて、島は自分の想いが周りにバレバレだったことに驚いて赤面しその場にしゃがみ込んだ。 「だいたいどうやって惚れさせるんすか?アイツとは十年近くダチやってんすよ?今更そういう目で見てもらえるかどうか……」 「大丈夫だよ、僕の知ってる子達なんて小さい頃からな知り合いたけど成人して一緒に仕事しだしてからお互いの魅力に気付いたみたいだから」 「半兵衛様それは……」 流石に自分たちの事だと気付いたらしい石田が微妙に頬を染めながら竹中を止める。 「よし島よ、柴田勧誘が成功した暁には今度印刷される貴様の名刺に『勝家の彼氏(はぁと)』と記入してやろう」 「褒美と見せかけたパワハラはやめえ毛利」 「……は?」 「なにちょっと嬉しそうな顔してるの左近くん……あ、でもそれって僕の名刺に『秀吉の友』って書かれるようなもんだよね」 「私の名刺には『秀吉様の左腕』と記入されるのか?それとも『吉継の夫』と記入されるのか?」 「そうよな……」 「悩むな刑部!お前さんまでボケ側に回られたら小生どうしていいかわからん!!」 と、黒田が叫んだのと同時に、オフィスの扉が開いた。 「飲み物お持ちしましたよぉ〜」 後藤が人数分のコーヒーを持ってきた。 ここ数ヶ月で全員の味の好みは知っていたが人数が多いので一応豊臣と毛利の好みに合わせて二種類淹れてきたようだ。 この細かい気配り、後藤は意外とこの中では一番乙女かもしれない。 「……参考までに聞いておくか」 「へぇ?」 コーヒーを配り終えた後、毛利から見つめられ恐竜に睨まれた蜥蜴の如く固まってしまった後藤。 「後藤、貴様が同性にされてドキッとする事はなにか?」 「はい?」 何故いきなり恋愛話をふられたのか、そして何故異性ではなく同性なのか……いや、毛利の想い人は確か長宗我部だったので同性に絞ってきたのかもしれないが、何故自分に訊いて来るのか解らなかった。 そんな事を正直に答えては黒田に自分の気持ちがバレるのではと心配になったが、それ以上に毛利の眼力は怖ろしかった。 「えっとですねぇ……高いとこにある物とってもらったり?」 「……我はそうされるとイラッとするがな」 「しかし身長差があまりない場合は無理だな」 という訳で却下。 「じゃあーお茶とか淹れて褒めて貰えた時とかですかねぇ」 「あぁ確かにお前さんの淹れてくれる茶は格別だからな」 「しかし……われと毛利は茶会の度にあやつの淹れた茶を褒めておるが惚れられておらぬぞ」 「当然だ!」 後藤の淹れた茶を褒める人間なんて黒田くらいだが、本人は自分の事だと考えもしないらしい、バレても困るが鈍感すぎるのも哀しいものだ。 「それでしたらぁ……髪をかき上げて普段見えない目が見えた瞬間とか、ドキッっとしちゃいますねぇ」 「へぇお前さんの好きな人前髪が長いのか、まさか石田じゃないよな?」 「違います!!石田さん普段から目が見えてるじゃないですかぁ!」 「はっはっはー冗談だ」 ここまで来たらワザとではないかと疑ってしまう程の鈍さだが、残念ながら黒田は本気で解かっていない。 「だが左近は元々髪を上げているではないか」 「でも髪型を変えてみるって良い考えじゃないかい?秀吉」 「以前と違う髪型ってのも新鮮な感じでドキっとするかもな」 (そうよな、われも一度髪を切って……) 「私は髪が長い方が好きだが柴田はどうなんだ?」 (今しばらく伸ばすとしよう) 「女の人は長い方がタイプっぽいっすけど」 「は?ひょっとして今の島の為に聞いてたんですかぁ?」 「何を今更」 島の為ならマジメに答えるんじゃなかったと後悔しながら、片想い仲間である島がもしこれで両想いになってしまったら少し寂しいかもしれないと沈み込んでしまう後藤。 そんな後藤に気付いて、黒田はそっと近寄り前世とは違ってふさふさに生えている髪をポンポンと撫でた。 「なにを落ち込んでるのか知らないが俺はお前さんの味方だからな、悩みがあるなら何時でも言ってくれていいんだぞ」 (こういうとこが一番ドキっとするんだよぉぉお!アホ官んんんん!!) 途端に顔を真っ赤にさせ物陰に隠れてしまう後藤を、鼠や蜥蜴みたいで可愛いと、長年穴倉で小動物や爬虫類たちと過ごしてきた黒田はそのズレた感覚で思った。 「髪型を変えるって……たとえばどんなんっすか?」 「うむ……たとえば髪色を変えてみたり」 「われは思い切って白にしてみると良いと思うが」 「そうだな、そして髪を立たせてみたらどうだ?」 「モミアゲ作っても格好いいよね」 「後ろで一つ結びしてもワイルドでいいんじゃないかねぇ」 「小生は高い位置で結んである方が可愛いと思うぞ」 皆が皆、好き勝手言っている、髪色を白くする以外は今より髪を伸ばさなければ無理だろう。 「……まぁ貴様ならどんな髪型でも悪くはならないだろう」 「三成さまぁ……あざっす!俺一生アンタに付いて行くッス!!」 「……」 安定の親馬鹿と子馬鹿を見せつける石田主従に大谷が軽く嫉妬しているのに気付いたが、毛利は無視して何処かへメールを打つ。 「では早速、美容師を手配させる、ついでに大谷貴様もその鬱陶しい髪を切って貰え」 「え?此処に来てもらうんすか!?今から!?」 「ちと待て毛利……ぬしはさっき三成が髪の長き娘を好むと言っておったのを聞いておらなんだか?」 「聞いていたに決まっておろう」 「この悪魔!鬼のつがい!」 「誰が悪魔で鬼のつがいか!!我は日輪の申し子毛利元就ぞ!!」 「吉継、私が好きだと言ったのは髪の長い貴様であって娘ではない、そこを間違えるな!そして貴様であればどんな髪型であっても愛らしい!!」 と、毛利や島や大谷や石田が騒いでいる内に本日の就業時間を過ぎてしまっている事に豊臣は気付いた。 この忙しい時にとんだ時間のロスをしてしまった……が、秋にあった石田と長宗我部の転落事故以来、少しでも仕事を強要するような発言をすれば毛利とその捨て駒から冷たい視線を投げられる、そもそも豊臣が何も言わずとも勝手に自ら仕事を頑張ってくれる石田や島には、これくらいの息抜きがあっても良いものかもしれない。 後藤が淹れてくれた自分好みのコーヒーを口にしながら豊臣は満足げな笑みを浮かべる、それをたまたま見てしまった後藤は嬉しそうに笑い、竹中も微笑んで豊臣の右へ寄り添う。 そして一部始終を見ていた黒田は、豊臣方は今日も平和だと長い息を吐きながら髪に隠れて見えない眦を下げるのだった。 * * * 翌日。 結局あの後、毛利が手配した美容師によって髪を下されて白く染められてしまった島は大谷と共にフラワー園の中のベンチで黄昏ていた。 「えっと、島よ……すまなんだな、われらが無理を言った為に」 「ていうか白髪率が高過ぎっしょウチ……」 「あ、あのな白髪はどの様な色にも映えるし、闇の中では月のように美しいと」 「そのお言葉は三成様にあげてやってくださいぃ……」 そんなフォローをされても仕方が無い、皆の想像と違い島の白髪はそこまで似合っていなかったのである。 というか以前の髪色が似合いすぎていて他の色では目劣りすると言った方が良いのか。 「そう気を落とすな……われが自ず手で染め直してやるから、の?」 「それはそれで三成様が怖いんで遠慮しときます」 大谷の申し出を島が即答で断った時だった。 ――ゴトッ、と大きな音が前方から聞こえた。 「……さこん?」 二人がハッと前を向くと、其処には青褪めた表情をした柴田が立っていた。 足元には野菜の入った段ボールが落ちていて、周囲にジャガイモ等が転がっているので、伊達の所へ差し入れに来たのだと解かる。 多忙な筈の柴田がその合間をぬって頻繁にお使いに来るのは此処を癒しの場にしているからだと思うし、それだけ今の職場が身も心も休まらない場であるのだと思う。 (……どうして手を伸ばしてやらぬ) 大谷は膝の上でグッと拳を握り絞めた。 前世では島は己の立場や後先のことなど考えずに柴田へ手を伸ばしたではないか、どうして現在こんな平和で二人を阻むものなど何もない世界でそうしないのだろう? あの時は結ばれなかった絆を今なら結べるかもしれないのに、どうして、あの時の島に今の島を見せたらきっとこう言う――男なら、一か八かやるだけやってみろ! 「島……」 「左近!その頭はどうした!?」 大谷が島を叱咤しようと声を掛けた時、柴田の怒気を含んだ声が丁度それに被さった。 「え?」 柴田に見られて似合わないと笑われたり幻滅される可能性はあっても怒られる可能性は考えていなかった島は戸惑いを見せる、高校時代からの付き合いだが、こんな風に声を荒げる彼は初めてだ。 「そんなに……」 「勝家?」 「そんなになるまで、また無理をしたのか?」 今度は泣きそうな声で訊ねてくるものだからギョッとした。 どうやら柴田は島の髪を染めたものとは思わず疲労で白くなったものだと思っているらしい、確かに彼には島がこのところ多忙だと伝えてある。 「昔からそうだ!お前は辛いや苦しいという感情を表に出さないから……皆がまだ大丈夫だと思うんだろ?」 すぐ真上まで迫った柴田の声と表情を見ながら、島は不思議な感覚に陥っていた。 柴田の姿の向こうに、もう一人、緑の甲冑をつけた柴田が立って島を真っ直ぐ見つめているような……あれは、そう……とても暑い日だった。 その手に握った逆刃薙が誰かの血で汚れている――その血の主は誰? 「……いつもいつも石田殿の為に無茶ばかりして……」 彼の最期の表情は、こんな風に怒っていて、それでいて暖かかった。 自分に背を向けて一歩一歩重い足取りで前へ進む――その先に居たのは誰? 「私がどれほど不安だったか……」 焔のような闇が大地を染めて、岩漿のような陽炎の向こう、赤い影が映し出す黒き武将……駄目だ、あの男の元へ行ってはいけない。 己の中にある希望に、まだ気付かずにいる雛鳥の、その風切羽を、無情にも……無価値なものとして断ち切ってしまう。 あんな男の傍に、自分の大切な友達がいるなんて――俺はゼッテー許さない!! 「お前はもっと自分を大切にしろ……頼むから」 ポタリと、自分の目元に水滴が垂れるのに気付いて島は目を醒ます。 柴田の瞳が潤んで自分を見下げている、こんな時に白昼夢を見るなんて……どうかしている。 しかし、どうしたらいい? 自分は“また”心配をかけて大切な友達を泣かせてしまった。 「刑部様!貴方がついていながらどうして島がこのようなことになっているのです!!石田殿の苛烈を御するのが貴方の御役目だったのでは!?」 「いや、三成様は悪くない!悪くないから!!あと刑部さんも!!」 ――あれ? 大谷を“刑部”と呼んだ事に驚く、そう呼んで違和感がない事に違和感を覚える。 「左近……ぬし……」 大谷から“左近”と呼ばれ懐かしさを感じてしまうのは何故だろう。 「勝家、なぁアンタ」 思い出しては駄目だ、これ以上なにも考えてはいけない……彼を想うな、今の彼を見ろ、自分の初めて抱いた感情をしっかり抱きしめて逃がすな。 そうしておかないと圧倒的な“後悔”によって、新しく生まれた大切な“恋心”が凌駕されてしまう、彼を護れなかった過去が今を蓋い尽してしまいそうだ。 「そんなに心配なら、俺の傍にいてくれたらいいんじゃねえの?」 「え?」 パチパチと瞬きをすることで、瞳に溜まっていた涙がまた一滴二滴と島の目元に落ちてくる、それがくすぐったくて目を細めた。 さっき見た白昼夢のことは忘れて、見ない振りをして……こうして自分の為に泣いてくれる柴田の手をしっかり引っ張っていきたいと願った。 ――思い出したくないことは無理に思い出さなくていいのだ。 「これからは俺の傍で、一緒に頑張ってくれね?」 「……だから頑張りすぎは駄目だって……」 「うん、だから俺が頑張りすぎないようにずっと見てて欲しい」 「しかし信長様が……」 「あー!どうしよ!?俺このままじゃ白髪どころかハゲちまうかもー!!」 「なッ!?……いや、ハゲようが太ろうがお前がお前であることは変わらないけど健康を損ねるのは駄目だ」 外見がどうなろうが左近が左近であるうちは大切な存在であることは変わらないと、そう言っているのだ柴田は、島はそれが嬉しくって堪らない。 「なあ勝家、お前ウチに来いよ、そんなに織田さんが怖いってんなら俺が護ってやんよ?」 「そうよ、われや三成も力になるぞ?」 暫く黙って成り行きを見守っていた大谷も、ここぞとばかりに賛同する。 「信長様は貴方がたの手に負えるような相手ではありません……」 「大丈夫……」 大谷は柴田の耳元に魔法の呪文を吹き込んだ。 『今は“あの時”とは違う』 みんな、みんな、違う人間に生まれ変わっている。 大谷だって島だって柴田だって……きっと織田信長だってあの頃とは違う人間だ。 だから大丈夫、逆らったって――あの時と同じ結末にはならないから 「そう、なのでしょうか……?」 柴田の瞳から最後の一滴が垂れて、翳んでいた視界が透き通ったものに変わる、涙といっしょにずっと目に張り付いていた鱗も落ちたようだ。 「よく解んねーけど、大谷さんが言うんだから間違いないんじゃない?三成様もよくそう言うし」 「……三成には少しはわれを疑うということを覚えて欲しいが……無理な話よな」 「そんなこと言ってー嬉しいんでしょ?大谷さん」 目の前で笑う島はもう大谷を“刑部”と呼んでいない、けれど親しげに会話を続けている。 “刑部”と“左近”としてではなく“大谷”と“島”として新しい関係を築いている。 自分にも同じ事が出来るだろうか? あの人達を見て怯えなくていい日が……もう一度あの日々が愛おしいと思える時がくるだろうか? もし、そうなるのだとしたら…… 「な?だからウチにこいよ!なんにも心配いらないって!」 この手をとることは、きっと羽ばたける一歩になる―― 「承知いたしました……左近……先輩」 そう柴田が言ってやると、島は一瞬きょとんと見上げた後「先輩は止せって!!」と、その頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。 END 「ふふふ、作戦成功だね毛利くん」 「……」 「ね?僕の言った通りだったでしょ?」 「はっはっは!流石のお前も戦国最強の軍師には勝てなかったようじゃな」 「……」 「え?なんだ?その輪っか?お前もう武器は持っていなかった筈じゃ……?」 「からかい過ぎたようだね黒田くん」 「な?なぜ小生だけ?半兵衛は?……ちょ、ちょっと待て毛利落ち着け!良かったじゃないか!これで柴田も手に入って万々歳だろ?」 「……それもそうだな」 「ホッ……よかった」 「などと言うと思ったか?」 「ぎゃーーー!!何故じゃーーーー!!!」 |