どうして有能な俺じゃなくてあの男が枷を付けられてまで豊臣に置かれているのんですか どうしてあんな男を地下に閉じ込めておく必要があるのんですか 居ても居なくても同じ男ならば遠くへ飛ばしてしまえばいいじゃないですか あんな男に鎖を付け飼っているなんて豊臣の名を傷つける行為でしょう 黒田官兵衛なんて追い出してしまえばいいじゃないですか でも枷をしたままでは鍵を取り返そうと襲って来るかもしれないですよ だから枷を外して豊臣にいたという証拠も全て消してやりましょう あんな男殺す価値もないでしょう 代わりに俺が豊臣に入りますから今はまだ無名ですけど これから武功を上げて豊臣の名に恥じない武将になりますから あんな男よりよっぽど役に立ってみせますから どうか見ていて下さい 『半兵衛さぁん、俺からの手紙読んでくれましたぁ?』 『ああ、そうだ君にそのことで言っておかなきゃなって思ってたんだ』 竹中はその桐のような瞳を細め、椿のような舌を覗かせながら 笑顔で報告する後藤へ向かって言葉を落とした。 『黒田君は随分あそこでの生活を気に入ってるみたいだよ』 『え?』 それはとても残酷で 『彼を慕う仲間にも恵まれて皆で楽しく暮らしてるって』 『……そんな』 しかし確かな真実で 『僕が嘘を言っているように見えるかい?』 ――嘘だと思うなら一度彼の様子を見に行けばいい ――そしたら解るよ ――君のしてきた事の無意味さが それは 彼から全てを奪い去った。 * * * 「又兵衛くんが討死したって聞いたのは其れからすぐの事だったかな」 「……」 「片倉くんが教えてくれたよ、彼ね、一人はいやだ、さみしい……って言いながら死んでいったんだって」 カウンターに両肘を付いて持っているグラスに額を押し付けながら、竹中はその長い睫毛を震わせる。 ここは彼らの職場から程近い場所にある高級バー、どこかで見たことのあるようなバーテンダーは客が何を話していても静かに仕事を熟すだけ。 「あの子を殺したのは僕だ」 「違う」 「だって……!」 「お前さんはアイツにもう馬鹿なことはやめろと言いたかったんだろ?」 そして、黒田の元へ帰れと言いたかったのだろう。 「全部、アイツが出て行くのを止められなかった小生の責任だ」 「それは仕方なかったんじゃないか、彼は君に何も告げず出て行ったんだから……僕が君に彼の手紙を見せていたら」 「あの頃のお互いの関係を考えれば無理な話だってのは解かるさ、アンタの遺品を分けてもらえただけ有り難いと思ってるよ」 散々自分を蹴り転がしたあと「半兵衛様の御遺品だ。汚れた手で触れるな」と木箱を一つ寄越してきた石田の瞳は正気を保っていた。 竹中崩御後、石田を一瞬だけでも正気に足らしめたのが後藤の手紙だとすれば彼は彼の主でも成し得なかったことをしてみせたことになる。 「この間、左近くんが前世の記憶を取り戻し掛けたって話は聞いたよね」 元々持っていなかったものを取り戻すという言い方は違うかもしれないが、竹中にとってはあの日々の記憶は彼から奪われたもので違いなかった。 「ああ、柴田を勧誘した時な」 「でもその後また左近くんは記憶を閉ざしてしまった」 それは何故か……柴田が言うには“思い出したくない”からだ。 柴田の最期は酷いもので、それを間近で見ていた島の心を深く傷つけたのだろうと、小さな声で悲しげに話した。 「又兵衛くんもそうなのかな……」 「……どうだかな」 そうかもしれない、あの華奢な体で群雄割拠の世を奔走したのだからツラいことも多かったろう。 本人は無自覚だったろうが彼の行動原理だった黒田を解放するという目的が、黒田が本当に望むものとは違っていたと知って生きる意味も見失ったのだろう。 「自分の生きる理由を他人の中に見出すってさ、きっと凄くリスキーなことだって、今更になって思うよ」 あの時代そうするしかなかった者が多すぎた。 他の生き方を知らず、ただ我武者羅に他人の夢に己の夢も托して逝った者を何人見てきただろう。 強く自由に生きているように見えて、民や家臣に托された夢の為に逃げ場のなかった者は何人いたのだろう。 ――ただ、その中で確かに自分達は幸せを見い出してきた。 「最期まで豊臣の為に尽くせて幸せだったよ……だからきっと又兵衛くんも」 カウンターの上に置かれたグラスの中で氷がカチンと音を立て竹中の言葉を遮った。 黒田はそれを一気に煽ると、深い息を吐く。 「ああ……そうだと良いな」 瞼の裏に映る穏やかな日々が、ずっとずっと彼の心にあればいい。 * * * 「別荘を建てたい?」 すぐ傍で豊臣達が必死で働いているのを尻目に毛利は優雅にソファーに腰掛け、紅茶を飲んでいる。 休憩場所に豊臣のオフィスを選んだからには大谷を付き合わせるのも忘れない、石田に見せ付ける目的もあれば、石田が傍にいるというだけで大谷の気分も向上するという理由もある、今更説明するまでもないが今生の毛利は思いのほか大谷に甘かった。 「ああ、我の家はビジネスマン向けのマンションだからな、近隣を気にせず寛げる別荘が一軒ほしいのだが構わぬか?」 毛利のマンションもこの園も洋風なので好い加減に畳が……というか和室が恋しいので、山奥に一軒小さな屋敷を建てたいのだという。 「何故われに許可を得る必要がある?」 「貴様、以前我が礼拝堂を建てた時に勝手なことをするなと怒ったろう」 「それはぬしがあの外国人に騙されていたからだ」 この毛利は何故だか胡散臭いものに好かれる上、どうもヒゲ面の宣教師には弱いらしい。 「でな、専門家に調べさせた結果そこの土地には温泉が出るらしい」 「ほぉ……われの許可を得る前に調べさせたか……」 息が漏れたのは感心したからではなく呆れたから、恐らく毛利は確信犯だ。 身内になった訳でもないので毛利が別荘を無断に建てたとしても構わない、むしろ賛成するくらいなのだが、毛利が大谷に甘いのと同様に大谷も毛利に弱いのを知って勝手に行ったに違いない。 「ナトリウム分が多いらしいから内風呂は普通の湯にして温泉は庭に露天風呂を造らせる予定だ」 「……それはそれは」 素敵じゃないか、別荘に露天風呂があるなんて……前世は病故に無理だったけれど 「われ三成と月見風呂などしてみたい……」 「誰が石田を呼ぶと言った」 どこかウットリとした表情と声色で言った大谷の言葉を一刀両断する毛利、しかし何度も言うが彼は大谷に甘いところがあるので頼めば一緒に招待してもらえそうだ。 「それで、その露天風呂を黒田に作らせようと思うんだが」 「なんと……いや、しかし何故?」 なんせ暗だから掘削作業など得意そうではあるが、業者に頼んだ方が早いし綺麗に出来上がるのではないか? と大谷が訊ねる。 「別に急ぐことでもない、我とて忙しいからな」 別荘を建てたからと言って、すぐに利用できるとは思えない。 「奴が休暇の度に別荘へ行き、管理ついでに作業を進めていけば一年以内には出来上がるであろう」 「しかし其処は山奥なのだろう?休暇の度に行ける距離なのか?」 「なに車で八時間程度だ」 「……」 車で八時間は『程度』呼ばわりするものではない。 せいぜい二、三時間だろうと思っていた大谷は目をまん丸く見開き正面で踏ん反り返っている毛利を見詰めた。 「安心しろ、我らが行く時は近くまでセスナを借りる」 「その金があるなら業者を雇えるだろうに……」 少々気の毒に感じるが「まぁ黒田ならいいか」と本人が聞けば怒り出しそうな結論を出した。 「貴様とて人が長く住んだ家の方が落ち着くであろう」 「まぁ……ぬしにそんな情緒があったとは驚きだが……」 なんでも新築の木の香りがあまり好きではないから、人の匂いを先に馴染ませておいて欲しいらしい。 それが黒田でいいのか? と、一瞬思ったが、そういえば人間は自分と遺伝子的に遠い人物の匂いを好むらしいので毛利にとっては良いのかもしれない。 「われがぬしの匂いを好むのも同じ理由かの?」 「大谷よ、一つ聞いておこう、貴様もし石田に島の匂いが好きだと言われたら何と思う?」 「……今のは失言だったな、あいすまぬ」 言われた通り想像したら酷く厭な気分になった。 相手が島というのが味噌だ、もし石田が豊臣や竹中の匂いを好きだと言っても大谷は当然のこととして受け入れられる、二人が絶対的存在だからだ。 毛利は石田との仲を反対している癖に時々こうして大谷を諌めるようなことを言ってくるから有り難い友人なのだ。 「しかし、他の者の匂いを好ましく思うのと三成の匂いを好ましく思うのは種類が違うのだぞ」 だが変に誤解をされていては堪らないので、一応、言い訳をしておくことにした。 「ぬしや長宗我部といった友に感じる匂いは心地良いというか落ち着くものだが、三成の匂いは他の誰とも違っていて……いや、安心できるのだが同時に煽動されるというか、不意に切なくなり苦しくもなるというか、時折無性に嗅ぎたくなる時が……」 「大谷よ、今はいつもの茶会の席ではないのだから仕事中の石田から集中力を削ぐような発言は慎め」 「あ……」 豊臣のオフィスで話しているので内容も先程から皆に筒抜けなのである。 見ると、石田は大谷達の会話を聞いて割り込みたくなっても「秀吉様から渡された仕事が終わるまでは席を立たない」という彼ルールに従い、凄まじい気迫で書類を捌いていた。 その右側のデスクで物凄い速度でキーボードを叩いているのが柴田、織田グループから引き抜いてきたばかりの新参者であるが彼が来てから仕事の効率が驚異的に上がった、そして彼も仕事を終えるまで微動だにしないので捨て駒の心の中では゛コンピュータ柴田”と呼ばれている。 そんな柴田の手が止まり「んーー」と伸びをする、その声がなんとも可愛らしくて石田を挟んで左側にいる島が挙動不審になっていた。 「毛利様、ひょっとして其の別荘を建てる土地は以前言われていた長宗我部氏が幼少時代に花を植えたという場所ですか?」 この園がある岐阜県から車で八時間圏内で、毛利に縁のある地と言えば広島だが、実家がある地にわざわざ別荘を建てるとは考えにくい。 それなら長宗我部に縁のある地ではないかと考えた結果、毛利が以前買い取ったという二人の思い出の地(山奥と言っていたし)ではないかという結論に達した。 「おお、そういえば!ぬしその場所を買い取ったと言っておったものな」 「……」「 何故こんな時にだけ鋭いのだ柴田という男は、と、毛利は深く溜息を吐いた。 そして何もこんな人数のいる所で訊かなくてもいいではないか、そんなところは鈍いな、と怒りも湧いてきた。 「そうなんだー!毛利くんにも可愛いとこあるじゃない!」 「ヒヒッ!長宗我部の反応が今から楽しみよ……なぁ毛利?」 柴田の言葉を聞いてニヤニヤと笑みを作った竹中が毛利の隣に座ってからかう、大谷も毛利の隣へ移って同じようにからかい出した。 その光景を「タイプの違う美人が三人も揃うと壮観だな」なんて島がなんとなく眺めていると「鼻の下伸ばしてないでマジメに仕事しろ」といつの間にか後ろに立っていた柴田に書類で軽く叩かれる。 柴田が勧誘されてきた理由は「島を頑張らせ過ぎない為」なのだが、柴田が仕事が出来過ぎる故に島の方にも余裕が出来、最近は逆にサボり癖が付いてきた。 「別に鼻の下なんて伸ばしてないじゃんか」 「しかし、綺麗だなーくらいは思っていただろう?」 「え?なになに勝家ってばヤキモチ?」 「違う!竹中氏はともかく!刑部様と毛利様にはお相手がいらっしゃるのだから、あまりジロジロみるのは感心しないと」 「そこ好い加減なこと言うでない!我に相手はおらぬわ!」 「ッ!!」 数メートル離れたソファーから袋に入った角砂糖が投げつけられ柴田の後頭部で粉砕する、破けた袋からポロポロ落ちた砂糖が柴田の艶やかな髪を滑っていった。 「あーあ、どんまい……って、ちょ!ヤメロって」 ケラケラ笑う島にムッとしたのか、彼の頭に砂糖を擦り付けようとする柴田を必死に避ける。 二人の周りに砂糖にまみれた甘い空気が見えるが別に付き合ってはいない、前回のことで進展があったと思いきや相変わらず島の片想いは続いていた。 そして毛利の方もやはり長宗我部と交際する気は更々ないらしい、彼の立場を考えれば長宗我部が身を引くのも仕方ないかと思える。 ただ、身を引いた頃の長宗我部には前世の記憶が無かったから毛利の言うことを素直に聞いたが、前世を思い出した今の彼が毛利のことを諦めているか定かではなかった。 「ところでさぁ毛利くん、黒田くんが別荘で露天風呂作るって話だけど、黒田くん一人で大丈夫なの?」 「ああ、それか……たしかに別荘内の清掃や黒田の給仕をする役が必要だと思い……」 毛利は隣に座る大谷に目配せして不敵に笑む、これで彼の真意は伝わった。 この男はどうして自分と石田のことは反対しているのに他の者の恋愛事にはこうも協力的なのだろうと大谷は一瞬思ったが、随分おもしろそうな事を始めたものだと感心もしてしまった。 「後藤にも同行させるつもりだ」 「然様か然様か……ヒヒッ!」 「毛利くんも結構悪いよねー」 同じソファーに座りながら三人の美人が顔を見合わせて笑っている光景など本来なら目麗しいものに違いないのだが……如何せん謀神が三柱で企み事をしているように見える。 今まで黙って仕事を続けていた豊臣はこれから三人の策に嵌って行くのだろう元・部下の黒田を憐れに思いながら、同じように黙って仕事を続けている現・部下の石田をそろそろ休憩させなければならないと席を立った。 ――豊臣から休憩の命を受けた石田が大谷へ飛び付いて、毛利と一戦交えるまで後数分しかない。 ちなみに当事者である黒田官兵衛、後藤又兵衛は何も知らず、今日も本部で雑賀にしごかれながら職務を全うしていた。 END |