後藤が一度ふらりと帰って来たことがある。
黒田と黒田軍が穴を掘り進めているところを焦燥とした表情で見つめていたのを発見し、心配になって語りかけた。
今で言うなら家出していた息子が帰ってきたような嬉しい気持ちと、主としての余裕を持って彼に笑顔を向けると、その顔が一瞬で苛立ちに歪む、黒田にはそれがどこか泣きそうな表情に見えた。

『久しぶりだな、元気にしてたか?』

笑みを浮かべたまま優しく尋ねてくる元・主君に後藤は何も答えない、竹中の言う通りこの黒田は穴蔵暮らしが大層お気に入りのようだ。

『心配しただろ?なんで黙って出て行ったんだ?』

心配した、だなんて空音はヤメロ。
なんで黙っていた、だなんて言われたくない。

『……アンタだって……謀反を起こすこと俺に言わなかっただろぉ?』

何年も前のことを蒸し返す、この男は過去をそう省みることはしない、だから「なにを今更」と思うだろう。

『……ああ、それは悪かったよ、』

家臣であり家族のような存在だった後藤に何も告げず反旗を翻したことは確かに申し訳がないと素直に謝った。
しかし後藤は豊臣を慕っていたから、知ったら苦しむと思って言わなかったのだ。

『へぇ?俺様に言えば半兵衛さんに告げ口すると思ったんですかねぇ……だから俺様だけ仲間外れにして企ててたんでしょう?』
『そんなことは思っていない!!小生はお前さんを……』

違う、会合に参加させなかったのは謀反が失敗した時に彼まで処罰されてしまうことを怖れてのことだ。
あの頃の後藤は高い潜在能力を持ちながらそれを活かす術を知らなかった。
後藤はいつか必ず偉大な武将になる、その可能性を自分の勝手な野望で潰したくなかった。

『つまり……アンタ俺様が敵に回ると思ったんでしょお?』

後藤の才能を認めていたのに、それを自分の元に置いておこうとしなかった。
結局、黒田の中での己は味方でも仲間でもない、自分の庭に落とされた何かの卵、それを温めていただけに過ぎない。

信頼なんてされても鬱陶しいだけだが、その程度のものにしか思われていなかったのは――屈辱だ。
後藤は奇刃を剥き、黒田へ飛びかかった。
体をバネのように使って振り落す後藤、それを咄嗟に枷で受け止める黒田。
憎らしいことに渾身の一撃であっても枷には傷ひとつ付かない。

『アンタが天下取るって決めて、俺に豊臣の兵を殺せって命じて、俺が素直に従わないって思ったんだろぉ!?』

奇刃と枷越しに彼を睨み上げて叫ぶ、前髪に隠れて瞳は見えず、口は一文字に結ばれたまま。
後藤は舌打ちをついた。
豊臣の軍にあって一番人間味のある男だと評される黒田だったが、こんな風になんだって受け入れる所は人間離れしている。
己の主は、どんな場所にも自然と収まってしまう癖にどこにいたって性質を変えない、流れる水の如く強い男。
小さな事で気を病み、他人の言葉で容易く己を揺らがせてしまう後藤は黒田のそんなところが大嫌いだった。

『なめんなよ!あんな奴ら躊躇なく殺せますからぁ!俺様をずっと馬鹿にしてきた奴らなんて……ッ』

全員、閻魔帳に書いてある。
気に入らない奴も、自分を認めてくれなかった人達も、豊臣の天下を邪魔立てする者の名前は皆書いてある。

――ただ一人、この男を除いて――


『見てろよぉ!アンタが諦めた天下!!俺様がとってやる!!』


そう言い残したまま姿を消した後藤又兵衛はこの後、伊達政宗に勝負を挑み……敗北した。
その知らせを聞いた日の豊臣はとても静かだった。
いつもは誰かの笑い声や叫び声が穴蔵の中に聞こえてくるくらい賑やかな軍なのに、その夜だけは何も聞こえてこない。

穴蔵の男は海の広さを知らぬ代わりに空の高さを知っている、そして地の優しさを知っていた。
地中に居れば夏の暑さも冬の寒さも感じにくい、敵の目を誤魔化しやすく狙われにくいという利点もあった。
日本中の土地を掘り進めて、ここから天下を狙えるんじゃないかなんて思ったりもした。

(しかしなぁ……)

天下を獲ろうとした所為で失ったものも多い、両手の自由も、名誉も、大切な家臣達も、後藤もだ。
野望を抱く前に戻って“もう一度やり直したい”と思うことは、彼らへの裏切りになるのだろうか――




* * *




ある国の花束は花の本数によって込められる意味が違うらしい、九九九本で『天に届くほどの愛』と言うのだと教えきた友人に『天に届いたとて相手に届かなければ無意味であろう』と返せば、ひどく驚いたような表情をして『そうよな』と納得した。

「大谷、その花は何と申す?」
「どうした?ぬしが花に興味を示すとは珍しい……」

花を扱う仕事だからか彼はいつも花の匂いを連れて現れる、彼の日を想い何千本もの花の手入れをしながら、彼の日を想い星物語を描く、過去に捕らわれたままでいる彼が過去を棄てた己にとっては疎ましくてたまらなかった。

「これは芙蓉という」
「……」

彼の纏う花の香で思い出した、あの地。
いつか二人で見た、風景。

「葵と似ておるが違う花よ、形だけなら秋葵の花の方が近いかの……」

武芸よりも船の設計図を書いている方が好きだと言っていた子ども。
彼の描く設計図を初めて見た時、彼は絡繰りの天才だと思った。
まだ自分を偽ることなく生きていた松寿丸は、彼の非凡な才能に対し純粋に惹かれた。
海の知識を身に付けるよう助言したのも彼の作った船が大海原を翔ける様が見てみたいからだった。

「……そうか」

芙蓉は、家の中にこもりがちな弥三郎が密やかに育てていた花だ。
花を愛でていると知られるのが恥ずかしかったのだろう長宗我部の家から遠く離れた山の中に植えられていた。

『松寿丸には特別見せてやる、俺の秘密だ』

共に馬へ乗り、連れて来られた場所に二輪だけ咲いていた綺麗な花……弥三郎によく似合っていたと思う。

『繁殖力の強い花らしいから、きっと何年か後にはここら一帯花畑になるぜ……全部コイツらの子どもだ』

それならば今も咲き続けているだろうか、あの二輪の芙蓉の子孫が……――

「毛利、どうした?」

黙り込んだ毛利を訝しんで大谷が花を抱えたまま近づいてくる。

「いや……どうもしていない」

もし、あの花が今もまだあの場所にあるのだとしたら、許されるだろうか。
花の咲く時期だけは想い出していいだろうか、未練がましくないだろうか。
花束の意味も花言葉の意味も知らなかったあの頃、彼を想う心がすべての意味だった。

「少し疲れているのではないか?ぬしは碌に休養をとっておらぬからの」
「この園の経営が軌道に乗るまでそんな暇はない」
「そうだがな……」
「まぁ黒田の引き抜きに成功したからな……何日か旅行に行ってみるのもよいか」
「そうよ毛利!ぬしは少し気分転換というものをした方がよい!園の事はわれらに任せ……」

この時の毛利はひどく疲れていた。
だから普段はけして吐かない弱音を心の中で呟いていた。
行ってみようか、あの土地に――けして幸福とは言えなかった過去の思い出に縋りたい、そう思うほどに……

「ところで第五て……市からマタタビの木を植えて欲しいと言われているのだが……」
「却下しろ、そんなもの」

しかし、毛利が四国旅行から帰ってきた時には園の隅にマタタビの木が植えられていた。
そこは今では園の居候猫、茶々(茶色いからと市が命名)のお気に入りの場所になっている。



* * *



黒田と後藤を乗せた船は無事に某港へ着いた。
船で送る代わりに余った旅費で何か奢れという長宗我部の要求に応える形で三人は海の近くの寿司屋で食事を摂っていた。

「すぐそこにレンタカー屋があるから、そこで車借りて行けば一時間もしねえで着くだろ、カーナビ付いてるから迷わねえよな?」
「ああ、ありがとな長宗我部」

長宗我部は本当に面倒見が良いのだと、この数時間で黒田は実感していた。
今の会社に引き抜かれてからの付き合いだったが彼とプライベート(になるのだろうかコレは?)で話したことは殆どなく、毛利と大谷の友人ということで何処か敬遠していたから彼のことは良く知らなかった。
そういえば眼帯をしているが彼が隻眼なのかも不明だ。

「船で移動ってのも結構いいもんですねぇ、俺も免許とっちゃおうかな」
「おお!そうしろ!そしたら俺も船の上で酒が飲める!!」

後藤の呟きを聞いた長宗我部が嬉しそうに笑った。
いつも毛利や大谷とクルージングする時は自分だけ酒が飲めずに悔しい思いをしているらしい、船の飲酒運転で検挙されることは殆どないというのに意外と真面目なのだなと思うが、それよりも大切な友人を乗せている以上は安全運転をしたいのだろう。

「免許とったら俺も一緒に乗せてくれるんですかぁ?」
「ああ、お前だったら毛利や大谷も文句ねえだろ」

長宗我部の周りには船の運転できる野郎どもはいるが五月蝿いからと毛利に嫌われている、素直に長宗我部をアニキと慕える者達への嫉妬心も少々あった。

「……俺も一応船の免許は持ってるぞ」

心なしか嬉しそうな表情をして長宗我部の話を聞いている後藤に何か思うことがあったのか黒田は拗ねた様にぼそりと呟いた。

「へ?」
「そうだったのか?」
「ああ、毛利にとらされた」
「毛利に?」

思いがけないところで出た名前に長宗我部は興味を示した、彼の為に身を引くと決めているが彼を想うことは止めていない。

「何故じゃ?って聞いても答えてくれなかったがな、大谷曰く“船から海を眺めるのは好きだが運転手と碌に話せないのが不満らしい”だってよ」

そういえば三人でクルージングする時は自分はだいたい操縦席にいて、時々毛利達の様子を見る為に甲板を振り向く程度だった。
高波がくると船慣れしていない大谷が「ひぃ」なんて叫びながら毛利の腕にしがみ着いているのを見て嫉妬した回数は数知れず、だったのだが……

「その運転手ってお前さんのことだったんだな」
「……」

毛利は長宗我部と交際する気はない癖に、こんな風に愛情を見せつけてくるから長宗我部が可哀想なのだ。
しかし毛利も大概は無自覚に行っていることなので長宗我部は耐えるしかなかった。

「あとなぁ自分が別荘に行く為に今度はセスナの免許をとれってよ」
「え?官兵衛さんが運転するんですかぁ?」

聞いた途端にパイロット姿の黒田が脳裏に浮かび、後藤は顔を赤らめる。
見たい、毛利が一緒に連れて行ってくれるかは別としてセスナの運転をしている黒田は見たい。
出来れば助手席に座りたいが、セスナでも副操縦士的な役割があるのだろうか? なんて考える。

「……俺もとろうかな」

毛利が別荘を建てたのは前世の長宗我部との想い出の地だ。
前世の記憶がなかった頃ならともかく記憶のある長宗我部を連れて行くのは彼の性格上無理があるが、セスナの免許を持っていればそれを口実に誘うことが出来る。

「言っとくけど車の免許の十倍以上かかるぞ?金が」

黒田の言葉に長宗我部は撃沈し、後藤は驚きで固まってしまった。
運転手扱いされているのは置いておいて、それをとらせてくれると言うのだから黒田は毛利に気に入られているのだろう、羨ましい。

「それって行く度にプロ雇った方が安くつくんじゃないですかぁ?」
「大谷がな他人の運転する乗り物が苦手なんだ……見ず知らずの人間に命預けられるか!って、電車も怖くて一人じゃ乗れないくらいだし……だから知り合いが運転した方がいいんだとよ」
「あの人どんだけ大谷さんに甘いんだよぉ!!」

思わずツッコミを入れる後藤、長宗我部も呆れかえっていた。
冷徹な謀神が情を持つとこうなるのか、そして金を持つとこうなるなるのか、島に対する石田や柴田に対する伊達を散々過保護だと罵っている彼こそモンスターペアレントの資質があるのではないかと思った。
そして大谷は遊園地で絶叫モノのアトラクション制覇していた記憶があるが、あれは乗りたがる石田の為に相当我慢していたのか、彼のことだから万一事故が起きても石田のことは自分が守るとでも思っていたのかもしれない。

「はぁ……とりあえず俺もう行くわ……ごちそうさん」

毛利の話題で盛り上がるのは楽しいが彼への好感度の上下運動が激しくて心臓が保たない。
若干疲れを見せながら立ち上がる長宗我部に黒田と後藤は再度礼を言った。

「気をつけて帰れよー海の天候は変わりやすいっていうぞ」
「解かってる、けど俺が海に出る時って何故かだいたい穏やかなんだよな……」

何気なく呟いた疑問に黒田が「そりゃそうさ」と答えた。
疑問符を浮かべながら彼を見ると、どこか得意げに笑う軍師がいた。

「お前さんには日輪の加護がついてるからな」

長宗我部の心臓に留めが刺された瞬間だった。



一時間後。
長宗我部と別れ、レンタカーを借りて別荘のある山へ入って行く、来る途中に広い駐車場が見えたから、あそこにセスナを停めるのだろうなと二人で語らった。
仕事が忙しい時は黒田の家に居候しているのだから二人きりになっても大丈夫だと思っていた後藤だったが、あまりの人気の無さに、こんな所で二人きりで何泊もするのかと緊張してきた。
毛利の別荘はその山の麓あたりにあり、見た目は日本家屋だった。
庭に露天風呂作りの為の道具が置いてあって、青いビニールシートが掛かっている、それを横目に見ながら二人は玄関まで歩いた。

「鍵はお前さんが持ってるんだよな」
「……あ、ああ!そうだよぉ!不運なアンタが持っててもどうせどっかやっちまうだろうって俺様が預かったんですからね!」

声が上擦ってしまったのを誤魔化す為に悪態を吐いたら背後から「そうだな」と感慨深げな声が聞こえた。

「官兵衛さん?」
「いや、なんでもない……それじゃあお前さんが開けてくれないか?」

“鍵を開けて”黒田からそう言われることで、どうしてか涙が出てきそうになった。
黒田は辺りを見回し鍵を奪っていきそうな光りモノ好きの小動物がいないか確かめていたので後藤の様子には気付かない。

「はい」

静かに答え、預かった鍵を鍵穴へ差し込む。
回せばカチリと硬い音が鳴った。
引き戸を引いて中に入ると新築の家の匂いがする、電気を点け、水が出るか確かめた後、冷蔵庫の中に買ってきた食糧を詰める。
黒田が露天風呂作りをしている間、彼の見の周りの世話をするように毛利から仰せつかってきたのだから、しっかり料理もしなければならない、この日の為に滋養強壮に良い料理をまつと猿飛に教えてもらったのだ。
ハッキリ言って料理は苦手だが、黒田に下手だと思われたくはないので失敗はしないよう気をつけようと心に決める。
とりあえず得意なお茶を淹れよう、薬缶に水を入れて火にかけ、ちゃんとガスも通っていることに安堵をした。

「あーーー久しぶりの畳じゃーー!!」

すぐ近くで寝転がり井草の香りを堪能している黒田に苦笑を漏らし、またドキドキと鳴ってきた心臓を押さえた。

自分はこの一軒家の中で好きな人と二人きりで過ごすのだ。


(大丈夫かねぇ)


長宗我部ではないが、この休みの間、自分の心臓は保つだろうか……後藤は少し不安になってきた。




* * *


一方【日輪豊月園】の本部オフィスでは


「お!?見よ見よ毛利!ぬしの別荘で黒田が早速くつろいでおるぞ」
「ん?思ったより早く着いたのだな……」
「又兵衛くんの方はお茶を淹れたり新品の食器を洗ったりしてるね、あの子ってホント根は真面目なんだよねぇ」


別荘に仕掛けた監視カメラの映像を見ながら軍師組(黒田を除く)が盛り上がっている。
その様子を豊臣は「犯罪ではないのだろうか?」と思いながら見守っていた。



あなたの日ノ本は今日も平和です。





END