石田と大谷。 二人は同格の存在として仕事を分け与えられていたから、相手の仕事の内容を全て把握しているわけではなかった。 役職に就いた初め辺りの大谷ならば石田の仕事内容をも知っていたかもしれないが、二人が才覚を発揮し、お互い膨大な量の仕事を任されるようになってからは不可能だったろう。 それでも石田は、自分の遣り遂げた事で豊臣や竹中から褒められた時はその感激を伝えようと大谷の元へ訪れていたし、豊臣を仇成す輩を見付けた時はその憤怒を共有する為に大谷の元へ訪れていた。 しかし、大谷の方はあまり自分の周りで何があったかを石田に語ることはない、良い事があっても悪い事があっても石田が聞き出すまでは話そうとしなかった。 けして良くはない彼の待遇を知っていたから、そのうち“刑部が話したくないのなら”と無理に聞き出すこともなくなった。 ただ大谷の価値は自分が認ているし、豊臣らからも正当な評価をされているのだから、他の者の言うことなど気にするなと言った記憶がある。 『刑部の事を訝しむ者がいてもけして耳を貸さなかった』 その人物は大谷が聡い者だと珍しく褒めていた相手だったから余計に怒りが湧いたものだ。 石田は真田にそう語った後に首を振って『いや、違う』と呟いた。 『私も刑部が裏でなにかしていたのは気付いていたが……その上で好きにさせていた』 嘘は得意であったが石田に対して吐くのは得意ではなかった大谷、彼がなにかを誤魔化そうとする時ほんの少しだけ拍子が遅れる事を知っていた、石田が相手の時だけだ。 石田はそれで満足していた。 彼が自分に不利益をもたらすことは無い、全ては義の為、君の為という言葉を疑うことはなかった。 『今も刑部が本当に私利私欲の為にこのような事をしたとは思っていない、刑部が私の為にしてきた事なら私が負うべき責任だろう』 静かに語る石田はいつもの苛烈な印象を収めている、恐らく今の彼の中には覇気がないのだろう。 この分だと毛利や大谷を処罰することはないかもしれない、しかし真田はそれに安堵することは出来なかった。 あの二人には悪いがこんな状態になるより怒り狂って毛利と大谷を容赦なく糾弾してくれた方が良い。 彼が己の感情を御しているのなら立派だと思いはすれど……今の彼は感情が抜け落ちているだけだ。 あたかも反省している風なことを言っているが、そこに彼の“心”がなければ意味がない。 『石田殿』 ――ああ、この総大将を、いったいどうしてくれましょうか 真田は深く閉じていた瞳を見開いた。 『……某は、長宗我部殿が毛利殿へ刃を向けた時、長宗我部殿を止めることが出来ませんでした』 徳川家康に雇われた雑賀衆の手によって四国壊滅の真実を皆が知った時、皆が長宗我部へ同情を寄せた。 そして敵討ちだと言って毛利へ攻撃を向けた長宗我部を誰も止められなかった。 『頭の良い毛利殿のことだ……真実が露見すれば自分は誰からも擁護されないと解かっておったのでしょうな』 『当たり前だろう、あの男はずっと長宗我部を裏切っていたのだから』 大谷の共犯者だというのに“毛利”には厳しい石田に真田は苦笑を零した。 『しかし……西軍を勝たせようとしてしてきたことでありましょう?』 それでも他の武将はなにも知らされていなかったのだから恨みを買うのも汚名を浴びるのもあの二人だけだ。 『某はあの時、味方であった毛利殿を一人で戦わせてしまった……毛利殿も誰かに援護を頼んだりしなかった』 真田は敢えて“毛利”と言っているが、石田が思い描いているのは大谷の姿だろう。 毛利が敗れれば次は自分が長宗我部と戦うことになると解かっていたのに毛利を加勢しようとは思わなかったのだろうか、もしあの時、長宗我部が勝っていたらと想像すると背筋が凍った。 長宗我部の怒りを道理としながら、その道理によって大谷が殺されることを怖れてしまったのだ。 “怖れ”は“心”を思い出させる。 『某は、何か決断を迫られた時いつも“御館様であればどうするだろう”と考えまする』 人はそんな真田が武田に依存していると言うが経験の無い自分が自軍を導くにはそれしかないのだ。 情けなく思うことはあるけれど、それはきっと無意味ではない、いつかきっと彼を越える為に必要なこと。 『御館様であれば……きっとあの時、毛利殿にも長宗我部殿にも何かしてあげられたように思うのです』 真田の言葉に、石田は強い衝撃を受けた。 自分が裏切られたのか、裏切りに加担していたのかと嘆いている中でこの男は“仲間を救えなかった”ことを後悔している。 『……そうだな』 石田もよく豊臣ならどうするかを考えるが、いつも確信には及ばない。 その度に亡くなっていった主君に比べ己はなんと未熟なことだろうと自分を責める、しかし、そうしたところで豊臣も竹中も戻ってこないのだ。 だから、 『私が護らねばいけなかったのだな』 己は豊臣の後継者であり西軍の総大将だ。 長宗我部も、大谷も、毛利も、護るべき存在だったのに、己が不甲斐無いばかりにそのうちの一人を失ってしまった。 そして豊臣も竹中もいない世界で大谷の唯一は石田であると信じている、同じように石田の唯一も大谷だ。 自分が彼を責めてしまったら、いったい誰が大谷を救い上げるのだろう。 『刑部も毛利も、この西軍から除名する気は更々無い』 『はい』 『長宗我部の遺体は四国へ返す……万が一徳川家康が葬儀を執り行うことになっても許そう』 四国は壊滅状態で恐らく領主を弔う余裕はない、石田が費用を出すと言っても受け付けないだろう、西軍に裏切られた彼らが頼るとしたら東軍にだ。 徳川が長宗我部の葬儀を執り行うとなれば毛利には受け入れがたいだろうが、仕方がないことと思ってもらおう。 『私は決めたぞ、真田』 己の“心”にどんな困難が待ち受けていようと豊臣の仇を討つと誓ったのだから 己の“心”は大谷を失うことを“怖れた”のだから 『はい、某も共に邁進いたしましょう』 石田が何を決断したのかは解からなかったが、彼の瞳を見て真田はもう大丈夫だと確信した。 悩みは吹っ切れたのだろう、良い表情をしている。 (長宗我部殿には、申し訳ありませぬが……) 彼を犠牲にしてまで戦うと決めたのだ、自分達はこのまま突き進むしかない。 次に出逢えるとしたら三途の川を越えた先か生まれ変わった先か、贖罪はその時に―― 『改めて宜しく頼む』 今、自分達の立っている道が正しいことを信じて、手をとりあう。 『こちらこそ……』 石田から差し出された手に真田は応えようと己の手を出したが…… (なにか、某らしくない気が……) 今再び真の仲間として、仕える将として石田を見ることが出来た。 この猛る想いをぶつけたい。 ――旦那はこういう気分の時、どうしていたんだっけ? 此処にはいない忍の笑った顔が浮かんできた。 『……真田?』 いつまでも返されない握手に石田が不安げな声を上げると、 『石田殿、初めは戸惑うかもしれませぬが……ここは武田式でいかせて頂きます』 真田は差しだし掛けた手をグッと握りしめ、渾身の力を込めて石田の頬に拳を打ち付けた。 吹っ飛ばされた石田が壁をぶち破りまるで爆発したかのような大きな音が屋敷中に響いたと思えば、すぐに体勢を整えた石田が反撃を仕掛けてくる。 いい拳だ。 『なにをするんだ真田!!』 『うおおおぉぉぉお!!石田殿ぉぉぉぉぉお!!!』 そして二人の殴り合いが始まったのだ。 * * * 【日輪豊月園】の大谷のオフィス、昼間たっぷりサボってしまった大谷は、その代償として単独残業に勤しんでいた。 来週の会議で使う計画書に漸くキリがついて大量印刷をしているところだった。 印刷など明日でもいいと思ったが、いくらバックアップをしていても紙に出力しないと安心できない性分なのだ。 ウィンウィン音を立てながら光る印刷機に寄り掛かって思い出すのは昼間のこと、仕事をサボって毛利の別荘の庭に露天風呂を作っている黒田と、そのサポート要員として付いて行った後藤の様子を覗き見ていた。 別荘に行かない間は防犯の為に風呂とトイレと寝室以外に監視カメラを仕掛けているとは言ったが、とり付けた業者もまさかこんな犯罪じみたことに使われるとは思ってもみなかったろう。 「ああ詰まらぬなぁ……結局あの二人は何の進展もなしかぁ」 後藤は黒田を好きで、黒田の方も自覚はないが憎からず思っている様子なのに、と、いかにも残念といった声が漏れた。 それぞれ別の仕事を命じられているからか、昼間のうちはほぼ別行動、黒田が露天風呂を作っている間に後藤は別荘内の掃除や調理を行い(空いた時間で持ち込んだ仕事をしているから偉い)夕方になると二人で食事をして、別々に入浴し、疲れた黒田は先に自分の寝室に入ってしまう。 まだ眠くない後藤はテレビを観たりブログを更新したり(そうだ、後で読もう)した後、自分の寝室へ入っていった。 「食事以外は話すこともなしか……戦国時代の擦れ違い全盛期よりはマシであろうな」 と、溜息を吐いていた所で印刷が全て終わった。 今日はこれをまとめて帰ってしまおう、大量の書類を持って自分の机へ戻る。 フラワー園に新しく出来た結婚式場の周りに作る花壇の計画書だ。 大谷は夏から秋にかけて吾亦紅を植えようかと思っている、結婚式場の周りに飾るには地味で色味は暗いので反対されそうなのでメインを引き立たせる添え花として使うようにした。 メインは薔薇やゼラニウム……あとは撫子あたり、愛し合う二人の門出には赤やピンク系の色が相応しいだろうと思った。 (祝福の添え花に吾亦紅……“我も恋う”か) 大谷は愛する人の顔を思い浮かべ一人微笑んだ。 あの人と自分は結婚することが出来ないが、あそこで結婚式を挙げるどんなカップルよりも強く彼を想っている自身がある。 「なにせ五百年前よりの愛だからのぉ」 自分で言って照れくさくクスクス笑っていると背後にある扉がノックもなく開いた。 驚いて振り向くと今しがたまで想っていた人物が立っていた。 「三成、ぬしノックくらいしやれ……」 口ではそう言っているが表情が恋人の突然の来訪に嬉しさを隠せていない。 石田も今日は残業だと言っていたから、終わった後に迎えに来てくれたのだろう。 「少し待っておれ、すぐ終わるからの」 「いや、私も手伝おう」 そう言って大谷の隣に座ると、置いてあった書類の半分を奪ってしまった。 「これを留めればいいのか?」 「ああ、そうよ」 計画書を一部ずつホチキスで留める作業、二人ですればすぐに終わった。 「ところで刑部」 「ん?」 纏められた書類を揃えている最中に語りかけられ、石田から“刑部”と呼ばれたことに気付かない。 「先程、五百年前よりの愛と言っていたが……なにか想い出していたのか?」 「……ッ!?」 まさか独り言が聞かれているとは思わなかった大谷は一瞬だけ固まってしまった。 このオフィスの防音対策はどうなっている、いやそれより石田が地獄耳なのか。 「いや、なに……黒田と後藤のことを考えていてな」 少しだけ拍子が遅れる大谷のなにか誤魔化そうとする時の癖が変わっていない、その理由が微笑ましいというだけで……石田はうまく誤魔化されてやることにした。 「毛利といい貴様といい随分あの二人に肩入れするのだな」 「……まぁ、前世であの二人を引き裂いたのはわれであるし……」 黒田に枷を付けたのも地下に捕らえておいたのも竹中にそう命じられた大谷だ。 竹中も一緒に監視カメラの映像を見ていたのも、ただ面白がっているだけではなく、その罪悪感からだろうと思う。 「後藤が暗を慕っているとは知っておったのだがな……あのような行動に出るとは思わなんだ」 「……貴様には後藤があの男を慕っているように見えていたのか?」 意外そうな顔をする石田に大谷は微笑んで「ぬしはわれ程ひねくれておらぬゆえな」と頬を撫でた。 「昼間も見ていて思ったが後藤は根は真面目でひたむきな者よ、あの頃も歪んでしまったように見えて黒田への恩義は棄てきれてなかったのであろう」 「……」 ――貴様のようにか? と訊きかけて口を噤んだ。 今生では無事恋仲となれて大谷のことだけを考える時間が沢山できたから、前世の彼について今になって気付く事が多い。 「To know the man, we must walk thousands miles in his shoes.」 暫く無言だった石田が急に流暢な英語で唱えたので大谷はキョトンとした表情を浮かべる。 彼の英語は日本育ちの大谷には発音が良すぎてよく聞き取れなかった。 「やれ、どうした三成よ」 無駄を嫌う石田が脈絡のないことを言うとは思えないが、どのような意図で言われたのか解らない。 「向こうにいた時に聞いた諺だ……たしかどこかの先住民族の言葉だった」 「ふむ」 そういえば豊臣について海外にいたのだったと思い出す……ということは一緒について行っていた島もペラペラなのかもしれないが、想像がつかなかった。 「してその意味は?」 日本語に訳してる時点でネイティブな意味とは違うだろうが、英語のままでは雰囲気すら掴めないので、日本語訳を聞かせて欲しいと思った。 「意味は“相手の靴をはいて千里を歩かないと他人のことは解らない”と言った」 「……そうか」 「以前の私なら、そんな無駄なことをするくらいなら他人のことなど理解しなくていいと言い切っていただろうが」 恐らくその言葉には“他人を理解することは不可能だ”か“他人を理解するには努力が必要だ”という二つの意味があるのだと思う。 自分は前者と捉えが、きっと石田は後者と捉えたのだろうな、と大谷は微笑んだ。 「今は違うのか?」 「貴様のことが理解できるというなら、それくらいしてもいいと思っている」 「……」 大谷は微笑を深めた。 恐らく石田以外の人間から言われたなら素直に受け取れなかったけれど、彼が言うなら本気で思ってくれているのだろうと思える。 「そんなことする必要はない……ぬしはぬしの靴で、われの前を歩き」 だから自然と、本当の想いが溢れてきた。 「時々後ろを振り返って、われが疲れていたら……少しだけわれの荷物を持ってくれたらいい」 石田の左右は豊臣と島だともう決まっているから、自分はかろうじて横顔が見える位置にいられたらいい。 その歩みを遅らせるつもりは毛頭ないけれど、ちゃんとついて行けるようにほんの少しの手助けが欲しいのだ。 「その代わり、ぬしが倒れそうになったら支えるのでな」 「吉継……」 「帰ろうか?」 大谷は立ち上がり、石田に手を貸す。 こうして彼の素肌に触れられることが、どれ程の幸福なことか、 ずっとこうして手を繋いでいたい。 今度こそ護ろう。 あの時に護れなかった全てを、もう二度と失わないように、誰にも奪わせない。 「ああ、帰ろう」 夜が終わってしまわないない内に―― * * * 風のない空、満天の星。 月は翳らず、星も流れず。 朝陽が昇るまで泡沫の逢瀬を楽しんでいる。 END |