私の大事な主君よ
貴方を肩に乗せ駆け回っていたあの頃から貴方が私の道標でした

私を信頼し、体を預け、雲を衝き抜け、共にこの国の未来を見据えました

たとえこの体が朽ちて無くなろうと私はずっと貴方と共にあります

貴方が修羅の道をいくというのなら私は修羅に
貴方が釈迦の道をいくというのなら私は釈迦に

次の世でも貴方が貴方の為に生きないというのなら
私はただ貴方の為に生きましょう

小さな背に沢山の声と視線を浴びながら進んでいくというのなら
時に耳を塞ぎ、目を瞑り、この胸の中では赤子のように眠ってほしい

そして夢の中でも
――貴方の声で私は進んでいくでしょう



* * *




柴田は島と出逢って間もない頃「左近というのは本名か?」と聞いたことがある。
改名する習慣のない現代では可笑しな質問だったと思うが島は特に疑問を持った風でもなく「ああそうだぜ」と答えた後「本当の親が付けた名前は違うかもしれねえけど」と続けた。

「……良い名を付けてもらえてよかったな」

不思議だった。
“左近”が自ら付けた名前でないというだけで、どこかホッとしたような気持ちになるのだから。

「そうだろー?左に近しで“左近”なんて三成さまに仕える為にもらったみたいな名前だよな」

柴田はそれに曖昧な笑みで返した。
島左近は前世の記憶はないのに前世と違わず石田三成という人物の話をよくする。
自分を引き取ってくれた豊臣秀吉という男の左腕で、憧れの人だと言っていた。

(お前が“左近”と名乗る以前に出逢っていたら……私たちはどうなっていたのだろうな)

柴田の方も、前世と違わぬ夢想を見る。
島左近は己のことを柴田勝家の未来だと言っていたから、きっと昔は良く似ていたのだろう……その頃に出逢っていたら――

(くだらない、止そう)

何度そう言い聞かせただろう。
二人きりでいても、島の後ろに豊臣の影がちらつく、島だけを感じようとしても石田の気配が消えてくれない。
前世はもっと酷かった。
きっと豊臣と徳川を失った分、石田の拠り所を彼と大谷が担っていたのだろう、あの頃の島にとって石田の役に立つ事が生きがいだったから、全てが悪いことではないだろうけど。

「四限目が体育で五限目が社会って絶対寝ちまうよなー」
「……授業はちゃんと受けた方がいいのでは」

島は学費を奨学金で賄っているので教師の当たりは厳しい、しかし金は後々返さなければいけないのだから他の生徒と同等に扱ってくれてもいいのでは? と柴田は常々思っていた。
校則違反をしているわけでもなく賭け事は好きだと公言しているが自分ではしていない、喧嘩もしない、それなのに何故見た目や孤児という事で判断されてしまうのだろう、島は明るくて優しくて友達も多く、冗談は言うが人を傷つけるような嘘を吐かない誠実な男だ。

「あー……テストが全部マークシートだったら絶対赤点取らないのになー」

俺、勝負運強いから選択問題は外したことねえよ? なんて得意気に言っている島に柴田は呆れた調子で帰した。

「運というより、もともと頭がいいからだろう」

やれば出来るのにやらないから悪いのだ、と言うと島はキョトンと固まってしまった。

「左近?」
「ん……なんていうかアンタ変わってるな」
「そうか?」

事実を言ったまでなのに変わってるなんて言われるのは心外だと思ったが、同時にそうかもしれないと納得してしまった。
織田家の面々に囲まれて育った自分は常識からズレているところがあると柴田には自覚があったからだ。

「俺に頭がいいなんて普通だったら言わねーよ、仲良いダチだってだいたい俺のことバカだって言うし」
「……それなら別に普通じゃなくていい、お前の友人達がそう言うのはお前に親しみを抱いているからだろ」
「……じゃあアンタは親しみ抱いてねえの?」

島が訊ねられ柴田は暫し思考を巡回させる。
“親しみ”なんて誰にも感じた事がないが、ただ島に対してはありのままの自分を見せることが出来る。
前世同様、大切な者を故意に傷付けられれば怒り狂うだろう、けれど一度懐に入れた相手ならどんな失態を犯しても簡単に見限らない大らかさがある。
この男を相手にするなら何も防御はいらない、この身ひとつで飛び込んでいける、自分をけして突き放したりしない、そんな気持ちにさせてくれるのだ。

だから、左近には

「親しみ、というよりも……」

自分の方から距離を詰めたい、もっと近くにいきたいと思うのは、きっと。

「甘えている……のだろうか?」

そう小首を傾げながら島の顔を見詰めると、島は急に胸を押さえ、顔がだんだんと紅い髪色に近づいてゆく。

「ちょっ!勝家ぇそれヤバいって!!」
「ヤバい?私はなにか失態をおかしたのか?」
「いや、そっちのヤバいじゃなくて……ああ!もー」

しゃがみこんで頭をガシガシかきだした島を不思議な生物を見るように観察していると、突然その顔が上がり柴田に満面の笑みを向けてきた。

「嬉しいってことだよ!」
「……ッ!!」

島の笑顔は思わず目を逸らしてしまう程まぶしい。

(なるほど……これが“ヤバい”という感覚か……)

心臓がドクドクと波打つので先程の島と同様に胸を押さえた。
ちらちらと島を見ればまだ笑みを湛えている、本当に本当に嬉しそうに

(私が、笑わせることができた)

この時、柴田はこんな自分でも島を嬉しくさせられた事がとても嬉しかった。
できればずっと、こんな風に笑っていて欲しい、もう二度とあんな表情をしないでほしい。
あの戦場で柴田は最期の最期に島を苦しめてしまった。

(その為なら私のことは忘れていて構わないから……)


ツラい記憶なら思い出さなくていいから
それでも自分はずっと近くにいるから――

「……柴田、柴田よ、大丈夫か?」

肩を揺らされてハッと気が付く、車のドアを開け大谷が外から柴田を起こしていたのだ。
赤みがかった電球色が逆光になり彼の表情がよく見えないが、声で心配されていると解る。

「刑部さま……」
「目を開けたまま寝られるとは器用よの」

冗談を言って和ませようとしてくれる彼に、少し安堵を覚え、過去の思い出に浸ってしまっていた己に不甲斐なさを感じる。
あんな幸せな時のことを思い出すなんて、現実逃避もいいところだ。

「ついたぞ」
「ありがとうございます」

此処は豊臣と石田と島が生活しているリゾートホテル、サラリーマンが一時の宿にするには高級過ぎる気もするが、毛利の友人の経営するホテルなので格安で借りられているそうだ。

「……左近は思い出したのでしょうか」
「かも知れぬな」

片倉から“政宗様と猿飛が前世の記憶を思い出した”という連絡が入ったのと、石田から“左近の具合が悪くなったので明日休みたい”という連絡が入ったのはほぼ同時だった。
伊達と猿飛は夕方に徳川と出逢ったらしい、他に刺激するような事は起こっていないので恐らく彼との邂逅がキッカケとなったのだろう。
その徳川に、島も出逢っている。

「……」

他のもっと縁の深い者といても思い出さなかった者が徳川の顔を見ただけで思い出したのだとしたら、あの男の影響力には怖ろしい。

「吉継、柴田も来てくれたのか?」

ホテルのフロントで連絡を入れると石田が迎えに来てくれた。
事情を話すと今夜は大谷や柴田もここに泊まっていいとのことだ。
階層を昇ってゆくエレベーターの中で、賽を持つ手を跡がつくほど握り締めた。
自分があの時、あんな事をしなければ島の最期は主に尽くした末の充実したものだった筈だ。
だから自分はきっと恩を仇で返してしまったようなもので、島から怨まれていても仕方ない……もう顔も見たくないと言われるかもしれない。

(厭だ)

この償いは必ずする、それ以外の島が望む事ならなんでもしよう、だからもう会わないなんて言わないでほしい。
島の近くにいたい、柴田の一番の願いだった。

「戻ったぞ、左近」
「おかえりなさい三成さま……と大谷さん?勝家も??」

部屋の中に通されると、中央に大きなベッドが三つ並んでいた。
こんな作りの部屋だったのか、と彼らをこのホテルに住まわせている毛利の顔を思い浮かべる。
豪華なのは良いが逆に気が休まらないのではと心配になってきた。

「左近……」
「思ったよりも大丈夫のようよな」
「ひょっとして心配かけちゃいました?」

右側のベッドに横になったまま島が柴田に語りかける、顔色は少し悪いが笑っているのを見て安堵を覚えた。

「さっきまで頭痛と吐き気が酷かったんすけどねーいっぺん吐いて寝たら楽になりました」
「そうか……」
「……」
「勝家?」

柴田の全身から力が抜けていく、この様子では前世を思い出していないのだろう、それなら、きっとその方がいい。
立つのも必死な状態になっている柴田を見て島は心配げに声を掛けた。

「お前の方がなんか具合悪そうなんだけど大丈夫?」
「やれやれ……すまぬが少しソファーを借りてよいか」
「ああ勿論構わない」

柴田を引っ張ってソファーに移し、その横に大谷が座り、正面から石田を見た。

「ところで豊臣殿はどうなされた?」
「秀吉様は今日は半兵衛様らと出掛けている、連絡をお入れしようかと思ったが島に止められて……」
「そりゃあ折角友達と楽しんでるとこ邪魔しちゃ悪いすもん」
「貴様は少し黙っていろ」

石田の言は“無理して喋るな”という意味だろう、相手の具合が悪かろうが口が良くなるわけではないのよな……と大谷は懐かしい感覚を思い返していた。

「いいんすよ、話してる方が気分がよくなりますもん、あ、大谷さんなんか面白い話ないっすかね?」

誰かと話していた方が気分が良くなるというのは本当なので、この中では一番話上手そうな大谷に強請る。
先程まで本気で心配していたのに、そんな島に拍子抜けした大谷は微笑ながら「そうよなぁ」と考える素振りを見せた。

「そうよなぁ……」

島は石田のことを考え前世の記憶が戻っているのに戻っていない振りをしているのかもしれない、それに菫色の星がどうとかいうプラネタリウムを観たことがあるので思い出していれば大谷に前世の記憶があると気付くだろうが柴田にそれがあるとは解かっていない筈。
ここで本当に記憶が戻っていないのかカマを掛けてやりたい気持ちになったが、漸く落ち着いた柴田の様子を見て止めた。
柴田は島が前世を思い出すことを怖れている風だから、真意を問うのは後日二人きりになった時でいいだろう、と大谷が考えていると、心配の元になっている柴田が徐に口を開いた。

「……刑部が坊主と上手に屏風と勝負した」

彼がいったい何を言っているのかよく解らない。

「なんぞ?」
「ど、どうした勝家」

大谷と島が動揺を隠しつつ訊ねる、石田はというと呆気にとられて言葉が出ない様子。

「いえ、左近が面白い話を欲していたのでギャグを言えば良いのかと……」
「ああなるほど……今のはギャグというより早口言葉かと思うがな……」

刑部が坊主と上手に屏風と勝負するなんて、どういう状況なのだろう?

「……そういえば天海さんどうしてるんだろう」

坊主で彼を思い出したのか島が呟いたのを大谷の耳に入った。
大谷はやはり前世を思い出しているのに思い出していないのだと確信すると伏せ目がちに柴田を見た。

「……刑部さま、一時だけ石田殿をお借りしてもよろしいですか?」
「石田を?」
「私になにか用か?」

石田が戸惑ったように訊ねる、同じオフィスで仕事をする仲だから会話する事は多いが二人きりになったことはない。
島の具合が悪い時ではあるし断ろうかと思った瞬間、柴田にジッと真っ直ぐ見詰められ言葉が詰まる。
なにか懇願されているような、断ることが許されないような……彼の瞳には時々そんな力が宿る。

「私は構わないが……」
「われもよいぞ、ゆっくり話してまいれ」
「では吉継、少しのあいだ左近のことを頼む」
「まかせやれ」

そう言って二人はバルコニーに出て行ってしまった。
不自然なことに島は何も言わない。

「島……左近よ、ぬし思い出したのだな」
「はいー」

島は答えながら頭を枕に深く沈めた。
大谷はベッドの近くまで椅子を持ってきて、その額に手を当てながら顔色を窺う。

「やはり徳川の影響かの?」
「それ以外考えられないっしょーあーくそ!三成さま達に逢っても思い出せなかったのに!!あんな野郎の所為で思い出すなんて!!」
「ヒヒッそう言うな左近……あれもあれでツラいことが多かったのよ」
「……刑部さんはもう家康を赦しちゃってんすか?」
「そういうわけでもないのだがなぁ……よくよく考えるとあれほど不幸な者もいなかったと思うのよ」

大谷が今一番徳川へ向ける感情は恨みでも辛みでもなく憐憫だ。

「あの男は、優しく差し伸べた手をいくつ振り払われたであろうとな……まぁ自業自得なところもあるが」

徳川はあの頃、全てを救おうとしていた。
しかし自分の仇をも救おうとしている相手の手を誰が取るというのだろう、結局は西軍と敵対する者しか徳川の下には集まらなかったのではないか。

「救いを求める者の手をいくつ振り払ってきたのであろうなぁ、新たな絆を築く為いくつの絆を犠牲にしてきたか」

天下一の悟性と謳われた竹中半兵衛をもってしても誰かを救う為には誰かを裏切らなければならなかったのだ、それ以上の参謀を持たぬ徳川に全てを救えるわけがなかった。
それに新しい信頼される為にはそれまで築いてきた信頼を断ち切らねばならない、あの混沌とした世の中では仕方ないことだったと思うが、絆を掲げる青臭い男には辛い現実だったろう。

「信頼はしておらなんだが徳川の言葉はすべて本心であったと思う……太閤を主と、武田を師と、三成を友と呼びながら傷付けるのも……それによって己も傷付いていることも隠さないのも」
「それって随分勝手じゃないすか、痛い痛いって言いながら他人を殴ってるんすから」
「ああ徳川は勝手よ……あやつの背には常に矛盾が付いてきていたと思う……」

だがそれでも進み続けた。
人の身でありながら、修羅と釈迦の道を

「徳川は神でも太陽でもない、只の人間……それが太閤や毛利と同じように大義の為に己の心を殺してきたのだと、われは今生になって漸く気付けたのよ」

島は驚いた。
石田程ではないが大谷は心の内で豊臣を父親のように慕っていたし、毛利のことは同胞だと言って心を寄せていた。
その二人と徳川を同じようなものだと言ったのだ。

「徳川のしたことを全て忘れておらぬと思う、ぬしにこのように偉そうなことを言ってもあやつを心から赦せる日がくるか解からない」
「そりゃあ……刑部さんは」
「今だって雨が降ると心細くなる、人混みの前では足が竦む、ぬしらを見ると理由もないのに涙が出てくる……最後は前世とは関係ないやもしれぬが」

それを聞いた島は、自分が大きな火を見ると怒りと悲しみが湧いてくるのも恐らく前世の影響だったのだろうと思った。
でも柴田を好きだと思うのは、自分自身から生まれた感情だとも思っている、大谷が自分達を見て幸せで泣きたくなるのと同じように。

「毛利も生まれ変わっているのだし、ちと徳川への敵意をひっこめればよいと思うのだが……」
「……そんなこと言ったら毛利さん怒るんじゃないっすか?」
「怒ればよかろ?しかし毛利はずっとわれに“前世の三成を忘れよ”や“未練など捨て去れ”などと言っていたゆえな、われが同じ事を言っても怒れまい」

“我が出来たのだから出来るだろう”と言っていた彼に“われに出来たのだから出来るであろ”と言い返すだけだ。

「そもそも毛利が真に嫉妬し憎んでおるのは長宗我部を奪ってゆく海であり、自由になれぬ己の宿命よ、それを怨むことが出来ぬから代わりに八つ当たりをしておっただけで……それほど徳川を怨んではいなかったと思うがの」

関ヶ原で仲間の武将を全員失ったことで怨んでいたが、それだって今生に持ち込む事ではない、自分達はあの頃に罪を犯した人間とはまた違う人間なのだ。

「相性は悪いであろうなぁ……われも人のことは言えぬが」
「……まぁ刑部さんと毛利さんは家康にヤキモチ妬いてるとこありましたもんね」

島の声にからかいの色が混じったのを感じ取って、彼が一応今生の徳川への怒りを引かせたのだと判断する。
心の奥底ではまだ納得していない部分が多いだろうが少なくとも顔を見た瞬間に喧嘩を売る事態にはなるまいと安堵した。

「……それを言うなら柴田は石田に悋気を抱いておるがの」
「え?」
「意味は……後で石田に柴田と二人で何を話していたか聞けば解かるであろ」

石田三成という男はいつでも皆の世界の中心にいて、自分には何もないと言いながら島や大谷が傍にいることを当然のように思っていた。
全てを失ったという彼の嘆きを聞くのは本当に何もかも失ってしまった柴田が聞くには酷だったろうと思う。

(惨めであったろうなぁ)

石田が正気を失えば島は文字通り体を張って止めていたし、戦場で彼を生かす為に必死で戦っていたのを柴田は知っている。
島が無理をする度に、怪我をする度に、痛みを耐えて笑う度に柴田が怒っていたのを大谷は知っている。
今生にいても柴田は無意識に石田のことを羨ましいと思っていて、同時にどうあっても敵わない相手だと悟りきっていた。

それを見ている内に大谷は柴田があの時代に徳川へ嫉妬していた自分と似ていると気付いた。
豊臣や竹中の死後、出来ればずっと二人だけの世界で生きていきたいと本気で願ったことはいくらでもあった。
しかし二人だけの世界など想像してもすぐに終わりが見えてくる、何故なら自分ひとりの力で人ひとりを生かすのは不可能だからだ。

その内に石田を生かす為には徳川の存在が必要だと思い知り、石田を生かす為だけに彼を利用していた。
徳川の首をとった後は島の世話を見ることを生きがいにさせよう、長宗我部のような友人も出来たのだから泰平になれば少しずつ遊びも覚えてゆくだろう。
毛利と向かい合い血腥い知略を練りながら、ずっとそんな事ばかりを夢想していたように思う。

(柴田には、そのように思ってほしくないな)

あの子は正直で真面目で公平で少し天然だが空気の読める良い子だ。
周りの人間が困っていると自分を犠牲にしてでも力になってくれようとする優しい子だ。
そんな風に幸せになる資格を沢山持っているのだ。


「あ、ねぇねぇそういえば大谷さん」

不意に声の調子が硬くなった島に、その頭をずっと撫でていた大谷の手がピタリと止む。


「勝家って、やっぱり前世の記憶憶えてたんすかね?」



赤茶けた瞳がどこか怯えた様に揺れているのを見て、心配する対象がここにもいたことを思い出させた。









END