夕食を食べ終え、各々入浴し終え、先程まで座敷の大きなテレビで対戦ゲームをしていた(長宗我部が持ち込んだもので他三人は初心者だったがすぐに慣れた)が明日近くのテニスコートへ行ってみようという話になり、今夜は早めに就寝することになった。
別荘に着いた早々大谷と同じ部屋がいいという石田の主張を毛利が却下し、一人一部屋を宛がったのだが、一階の部屋は襖一枚でしか区切られていないので、隣同士で移動しようとすれば簡単に出来た。
毛利や石田の部屋は長宗我部の部屋の廊下を挟んだ反対側にあるから物音などは聞こえない、そもそも平時は静かな者ばかりなので夜に騒音で悩まされる心配はないのだ。

「なぁ……アンタなんで俺の部屋に来てんだ?」

隣の部屋から縁側を通って自分の部屋へとやってきた大谷に長宗我部は柔らかく語りかけた。
大谷の瞳が不安げに揺れているのに気付いたからだ。

「ぬしと二人でゆっくり話す機会など滅多にないからの」
「そうだな、だいたい毛利も一緒が多かったし石田と付き合いだしてからは特に」
「ぬしとわれらの時間が合うこともそうないからなぁ……魚を届けてくれる時に共に食事をするくらいか」
「それもだいたい石田が一緒だしな」
「……ああ、だから、ぬしも知らせるタイミングがなかったのだと思う……」

夜月のような瞳が揺れたまま眼帯をとった長宗我部の表情を窺った。
彼は静かに微笑んで「やっぱバレてたか」と苦笑を漏らした。

「隠しているつもりはなかったんだけどな、言い出せなくてすまねえ」
「いや、いいのよ……事情は巫から聞いておるし」

脳裏に鶴姫の顔が浮かんだ、彼女から大谷へ情報が渡ったのか。

「毛利や三成の手前“徳川がぬしの元にいる”なんて、なかなか言い出せるものではあるまい」

それっきり瞳を逸らして庭を眺める大谷――そう、長宗我部は彼らの知らない間に徳川家康の生まれ変わりに出逢っていた。

「徳川は前世を憶えておらぬが、徳川と逢った者は前世を思い出すのであろ?」
「ああ、それで鶴の字と北条のじいさんが風魔を思い出しちまってよ、アイツが消える前に二人に羽を托してたから……今もどこかで生きてると信じてる」
「そうか、すまぬ……われもあれから風魔がどうなったのか何も検討がついておらぬのだ」

命の恩人ともいえる伝説の忍が何処へ行ったのか、最上にも頼って探してみたが何処にもいなかった。
もしかしたら風魔はずっと零体で、あの時四人に力を渡してそのまま成仏してしまったのではないかとも考えている。

「別にアンタが謝ることじゃねえさ、元はと言えば俺と石田が悪いだから」
「風魔はぬしらを責める気はないと思うぞ」
「ああ解ってるよ」
「それで、徳川のことなんだが、本多のこともあるし、ぬしが困っている者をほっておける男ではないと知っておるが」

徳川は声帯に病を患った本多忠勝を養子にとり、治療の為に名医のいる岐阜に引っ越してきたと鶴姫から聞いた。
本多は入院しているが徳川はまだ住む場所も見つかっていない状況で、バイトをしながら車での生活を余儀なくされていて、見かねた長宗我部が自分の部屋に置いてやっているのも知っている。

「……やっぱり家康のこと許せねえか?」
「それを言ったらわれだって多くの者の運命を狂わせてきたであろ……」

大谷の瞳の月が翳る、きっと思い出しているのは前世の悪行の数々で、今の彼には関係ないことと言えるのに記憶があるから難しい、それにあの時代にあった様々なものを「もう終わったことだ」なんて思いたくなかったのだ。

「三成はどうか知らぬが、われが今も徳川から裏切られ、全てを奪われたと思っているのは確かよ……けど」
「ああ」
「きっと、嫌いではないのだと思う……ただ嫌いだったらこんな気持ちにはならぬであろ」

“こんな気持ち”と言われてなんとなく理解してしまうのは長宗我部にも身に覚えがあるからだ。
彼もまた何をされていても今生の毛利や大谷のことは大切な友人として想っているし、前世の彼らの事もどうしようもなく好きだった。

「あのな……昼間、三成が毛利に訊いたであろ?何故わざわざ内陸の岐阜県に水族館を創ったのかと」
「あれか、アンタの返答には俺もちょっと腹が立ったぜ」

自分はなにも言えないのに、容易く毛利に付いて行けるという大谷に少しだけ嫉妬をした。
すると大谷は漸く笑って「安心せぇ、われと毛利はただの同胞よ」と答えた。
さも当然のように「ただの同胞」と言ってのけることに妬けてしまうのだけどと思いながら、次の言葉を待つ。

「われはな、その理由がぬしにあると思うのよ」
「……あ?」
「あの頃より毛利にとって怖いものとは、失うこと、奪われること、置いていかれることだったからのお」
「へ?」

長宗我部が呆気にとられたような表情をする。

「ぬしが離れていかぬように、あやつは無意識に身のまわりにぬしの好きなものを増やそうとする、水族館しかり、この別荘しかり」
「……」
「ぬしの養父が他界し、鶴姫が自立すてばぬしが国内に留まる理由もないからなぁ、今のうちにぬしにとって居心地の良い場を創っておきたいのよ……毛利本人はそのように思ってはおらぬが」

そう言われて見ると前世でもいくつか思い合たる節があった。
領民が暮らしやすいように整地し制度も改め、この国にいれば安全だというように軍を強くしていたように、きっと「居場所」を創るのが上手いのだろう。

「アイツが案外臆病なとこあんのは知ってたけど……そんなことしなくても俺離れていかねえのにな」
「ぬしでなければそういう言葉は本人に言ってやれと思うが、ぬしの場合それを言わせてもらえぬのだものな」

こんな時、言いたい事を言っていた前世とは違い今生の長宗我部は人を気遣い過ぎるのだと感じる、難儀なものだ。

「アイツに好きだって言うの我慢してるけど……それでも友達としても大事とか、一緒に居ると楽しいって気持ちも全く伝わってねえのか?」
「想像も出来ぬのだろうなぁ……毛利は本当にそういうものと縁が遠かったゆえに」

あの時代に“愛”だの“情”だの徹底的に排除していた弊害がここにもあるらしい。
長宗我部が前世で敵同士でなければ、もっとハッキリ愛を伝えられていたのにと、少しだけ残念に思っていると。

「ぬしも途中で徳川に乗り換えてしまうしのぉ」

沈黙十秒。

「はぁ!!?」

いまだかつて見たことがないくらい鬼の形相で吼えられた。

「しかしわれは怖がらない、何故ならわれが大谷刑部少輔だから」
「それはどうでもいいって!!ていうかなに!?俺が家康に乗り換えただぁ!!?」
「そう叫ぶな、三成が来る」
「どうした吉継!!長宗我部になにかされたか!!?」
「ほら来た」

障子をスパーンと開いて治部少輔が登場した。

「おい長宗我部!!貴様私の吉継になにもしていないだろうな」
「してねえよ!逆にこっちが精神的にどうにかされかけちまったよ!!」

石田が長宗我部の浴衣(大谷持参、みんなお揃い)の襟を掴んで問い詰めた

「オタクが毛利から徳川に乗り換えたからでしょーが」
「ちょ待てアンタ「オタク」とか「でしょーが」とか言うキャラだったか!?」
「なんだと?貴様二股とは男の隅にもおけないな!」
「二股じゃねえよ!!ってか家康とはそんなんじゃなかったよ!!」
「いくら徳川が良い子だからと言ってなあ?……いや、だからアリなのかの?」
「そうか……家康なら仕方ない……か?」
「仕方なくねえってかアンタら実は家康大好きだろ!!」
「大好きとは違う!良い子と言ったのはあくまで毛利と比べての話だからの!」
「待て吉継、いくら家康でも毛利と比べるのは不憫だ」
「うちの毛利を悪く言ってんじゃねえよ!!」

と、暫くがやがやした後。

「ぬし徳川と親しくなってから……その……毛利と“そういうこと”をしなくなったと聞いたが」
「そういうこととは何だ?」
「えっとだからその男女の……いやこの場合は男同士だけどな、夜のまじわ」
「……解かった、もういい」

石田が察したところで、長宗我部の弁解が始まった。

「違ぇ、あの時は体を鍛えて毛利を吃驚させてやろうって家康の監修の元で肉体改造してたんだよ、ついでに肌も荒れてるって浅井の姉ちゃんに言われたから次に毛利とそういうことするまでに改善しようと」
「男らしいのか女々しいのか解からない発想だな」
「だから浮気とかじゃねえんだよ……つうか毛利もそう疑ってんなら聞けよ」
「聞けるわけなかろう、毛利が意外と臆病だとぬしもさっき言ったではないか」
「しかし毛利の裏切りの元凶も家康にあったとはな」
「いや!アイツ悪くねえよ!?俺が毛利をメロメロにさせるにはどうしたらいいかって相談したら体を鍛えたらどうだって言ってくれただけだから」
「……なんだそれ……フフッ」
「ヒヒッ、徳川らしい発想よな」

長宗我部が本日二回目の「実は家康のこと大好きだろう」を石田と大谷に思ったところで、ふいに一つ疑問があがった。

「そういえば結構騒いでるのに来ないな、毛利」
「自分の話題だと本能的に気付いて避けてるんじゃないか?」
「眠りは浅い方なのにのぉ」
「……」
「……」
「……」

まさか、とは思うけれど……

「長宗我部!毛利の部屋を見てこい!貴様なら許される!!」

流石に他人の部屋に勝手に入ろうとは思わないらしい石田、先程は大谷の危機だと思ったから開けたのだ。

「おっしゃ!任せとけ!!」

と、どたどたと無駄に音を立てながら走っていった長宗我部が二分後くらいに戻ってきて、泣きそうな顔で叫んだ。

「いねえよアイツ!トイレにもいなかった!!」
「やはりか……」
「こんな夜更けに抜け出すなんて何を考えているんだ」
「携帯も携帯しておらぬしな」
「やべえよ!この山めっちゃ獣とか出るんだよ!!」
「……何故貴様がそんなこと知っているんだ?」
「前世で俺達の想い出の山だったから知ってるんだよ……」
「……吉継、私はいつか佐和山を買い取ろうと思う」
「それは無理があるのでは……それにどちらかというと左近との想い出の地ではなかろうか……いやわれは別に構わぬが」
「なに対抗してんだよ!こんな時に!!」

一気に挙動不審になる長宗我部をみて「夜更けに好きな相手が一人で山奥の別荘から消えたからといってこの動揺の仕方はどうだろう」と一瞬思ったが、よく考えてみれば普通のことだった。

「想い出……そう、それだ長宗我部!」
「へ?」
「昔ぬしがこの山に植えた花があるだろう?あれが今は花畑になってるらしい、毛利はそれを見に行ったのではないかの?」
「……」

四百年以上前に植えたあの花がまだ残っているのは初耳だった。
もし毛利が誰にも教えずこっそり一人で行ったなら、それは照れくさいからだろう。

「くっそぉぉぉ!!毛利かわいいぃぃぃいいいいいい!!!」
「言っておくが私を想起させる菫の花を身の周りに沢山植えてる吉継の方が可愛いからな!!」
「だから対抗しないでくれまいか……」


そんなわけで長宗我部の案内で夜の山道を登ることになったのだが、絶対に真似しないでください。




* * *




暗い、月も見えない山のなか、周囲の気配を読みながら危なげない足取りで目的地に着いた毛利。

「……」

ここだけ空が開けていて、まん丸い月が真上から照らしている、それに寄り添うように紫の星が輝いていた。
【日輪豊月園】の由来にもなった豊の月、たった独りの太陽と比べ月の周りには無数の星が存在している。

「青い……」

月に照らされた薄紫の花々は、まるで海のような青さだった。
そういえば海の青は空の青を映したものだと昔思っていたことがある、馬鹿にされるから誰にも言えないけれど。

「……海の中」

に、いるようだ。
いいや海の中はもっと息苦しいのだろう、それなのにどうして人は海に出ようとするのか毛利には理解できなかった。
外の世界が美しいと思えないのは、欲しいものよりも、失いたくないものの方が多いからだ。
形あるものはいずれ壊れるというから、これ以上誰も不安にならぬよう守っていこうと決めた。
とりとめのないことを思い出しながら青い光に催眠されるように花の中へ入って行く毛利。

――その時だった。

「おお、これは見事な月下美人が咲いているな」
「……ストーカーか貴様は」

松永久秀――
あれ以来、狙われていると感じてはいたが、こんな所にまで付いてくるとは思わなかった。
だから今回は護衛などは一人も連れていない、純粋に親しい友人達だけで旅行したかったのもある。

「それにこれは月下美人ではない」

大谷に教えられた。
これは芙蓉という花だ。

「わかっているよ、月下美人とは卿のことだ」

そういう声があまりに気持ち悪かったので思わず振り向いてしまった。
きっと普通の人間が聞けば艶のある美しい声なのだろうけど毛利にとっては不快でしかない。
彼が好きなのはもっと高く擦れた暖かみのある、この世でたった一人しか出せない音だった。

「月下美人の花はね一生に一度、愛する蝙蝠に逢う為に咲いているらしい」

“鳥なき島の蝙蝠”と揶揄された彼の顔が思い浮かんだ。

「卿にぴったりとは思わないかね」

毛利は跳びだし、花の中に足を踏み入れようとする松永に蹴りかかった。
それを難なく避けた彼は、逆に毛利に手刀を入れようとする、寸での所で後ろへ下がった毛利は冷たい瞳で松永を睨む。

「以前より動きがよくなっているじゃないか、いや結構結構」
「しつこい男に狙われているからな、鍛えているんだ」
「ん?西海の鬼の生まれ変りのことかね?」

毛利の身体から殺気が立ち上る、彼を名前を呼ばれるのも不愉快だが“西海の鬼”と以前の通称で呼ばれるのはもっと好まない、というか松永が長宗我部を認識していることすら赦し難いことだった。

「卿は相変わらず、彼を自分の海へ閉じ込めているようだが……そんなに怖いのかね?彼が自分のもとから去って行くことが」
「煩い」
「人口で作った偽物の海などで彼が満足するわけではないだろうに、もう彼にはこの国に留まる理由もないのだろう?そろそろ自由にしてやっては如何かね?」

どこで調べたのやら、毛利にとって一番痛い所を付いてくる松永、そんなこと他人に言われなくても解っている。

「まぁ卿のそういう強欲なところは嫌いじゃないよ、私と少し似ているんじゃないか?」
「……煩い黙れ、貴様と一緒にするな」

己の欲望を満たす為に犠牲を払ってきた松永と自分を同列に並べられるのは屈辱的だった。
冷酷非道と呼ばれるに相応しい行いをしていても、私利私欲の為に行ったことは一度としてない、あれら全てを自らの領民へ責任転嫁するわけではないけれど。

「大儀などあってもなくても、奪われた側からすれば関係ないものだよ、かの凶王が主の仇を許せなかったようにね」
「……」
「卿を同胞と呼ぶ者もいるが彼と卿が同じなどとんでもない、彼は凶王の不利益になるような事はせず凶王を救い死んだ。だから彼には凶王から愛される資格があるのだろう」

松永の言葉に思わず同意してしまう。
卑屈な友人はすぐに「われのような穢れた者が三成の傍にいてもいいのか」などと不安になっているが、そんなことを言ったら戦国時代の軍師や忍者の全員が主の傍にいる資格がなくなってしまう。

「それに引き換え卿は……たしか彼の故郷を壊滅させ、彼自身さえ殺したのだったね」

ぞわり、黒い風が背後に通った気がした。
何だろう、この感覚、冷たい……宵闇の……?

「卿からは全を貰おう」

そう言って、彼が指を鳴らすとすぐ横で爆発が起こり、芙蓉の花畑が火に包まれる。

「なっ!!?」

先程まで青い光に包まれていた花が今は燃えて赤くなる。
メラメラと上がって行く炎を見ながら毛利は呆然と立ちすくむ。

『ここを教えるのは松寿丸にだけだよ、他の人に言うと馬鹿にされちゃうからな』

弥三郎が、笑っていたのに……笑ってくれていたのに……――

「君は少し調子に乗りすぎではないか?」

気付くと松永の顔がすぐ近くに来ていて、毛利の顎を指で掴んで上を向かせた。
数センチ向こう側で微笑む彼の瞳が、猛禽のもののように鋭く射抜いてくる。

「やめろ!触るな!!」

その手を振り払い、また後ろへ飛び下がった。
ザリッと土が落ちる音が聞こえる、毛利は自分のすぐ後ろに崖があったことを思い出して冷や汗が出て来た。

「ひとつ質問していいかい?」
「やめろ……もう喋るな!」

首を振り、耳を塞いでも松永の声は耳に入って来る、酷く怖ろしい悪魔の声のように思える。

「彼から全てを奪った卿に、彼から愛される資格があると思っているのかね?」
「……ッ!?」

――長宗我部から、愛される資格……?

そんなもの、自分がもっているわけないじゃないか――


「おや?あの時のように言い返せないのかい?」

耳を塞いでいた両手をだらりと下げ、茫然と松永の後ろで燃える花畑を眺めた。
例えばあの花のように、跡形もなく消えてしまったら、自分の罪は許されるのだろうか……?


「卿には興醒めだよ……毛利元就くん」


そう言って、再び指を鳴らした。
導火線に火花が渡るように毛利の元へ炎が一直線に向かっていく。
ああ、これで全て終わるのか――

「弥三郎……」

ずっと大谷に未練を捨てろと言ってきた男の死を覚悟した時の言葉がコレだなんて、笑えない。
何も捨てきれなかったのは、何も忘れきれなかったのは己の方じゃないか、そうだ。

愛や情を持っていた頃、未来を夢見ていた頃、見たいものがあった。
弥三郎の造った絡繰船に乗って、何処か遠く外の世界に行きたかった。
新しいものを見つけて、色んな人に逢って、笑ったり泣いたりしたかった。
守りたかったのに、彼の大切なもの全てを、そして一緒にいたかった。

「卿には無を贈ろう」


毛利は、ゆっくりと瞳を閉じた。




しかし――




「避けろよ!!毛利!!」

火が毛利の元へ辿り着き爆発する前に、彼の前に白い浴衣を着た男が現れた。
髪も白いから、全身が炎の色に染まり……彼の輪郭が解からなくなる。

(長宗我部……)

毛利は彼がどこか遠くに行ってしまうように感じて手を伸ばすが、その前に目の前が暗くなる。
先程も感じた、黒い風……宵闇の……羽?

「ちょ!おい毛利!!」

崖に落ちそうになる毛利の手を長宗我部が掴み

「お、おい貴様!?」

一緒に転落した、悪夢再び。

「長宗我部ーーー!!」
「おー!俺も毛利も無事だぜー」

崖下に向かって叫ぶと、崖の下から返事があったので石田と大谷は一安心する。
それにしても何故彼は落ちそうな人を見ると何も考えずに手を伸ばして一緒に落ちるのだろう。

(……われ絶対長宗我部のいる所で転落しない)

いない所でもしないで下さい。

「……さて」

崖を覗き込んでいた二人が振り返る、いつの間にか花を焼いていた火は消えていて、辺りは月明かりだけで照らされている状態だったが夜の山道を歩いてきたので、もう暗闇に慣れてしまっていた。
だから、その男がそれはそれは愉快そうに笑っているのが見えるのだ。

「松永よ、こんなところまで追いかけてくるとはぬしも随分暇なのだなぁ?そのような時間があるなら客の来ない美術館を立て直す方法でも考えておれば良いのに」
「これはこれは、生まれ変わっても嫌味なところは変わっていないようだね」
「吉継、この男と話を聞くな、時間の無駄だ」
「そうだな」

テニスのラケットとテニスのボールを構える凶王と刑部の姿は滑稽だが、彼らの能力を考えると充分凶器になり得る代物だ(先程の毛利の攻撃も長宗我部がテニスラケットで防いだ)
それを見て松永は更に笑みを深くするが、別に彼の脳裏に“テニスの凶王様”や“テニスの刑部様”などの名詞が浮かんでいるわけではない。

「松永……ぬし毛利にあのようなことを……」
「なんだ聞いていたのかね?」
「聞こえてたんだ!貴様の声が無駄に通る所為でな!!」

爆発音が聞こえ全速力で来たというのに間に合わず、毛利が傷つく言葉を松永に言わせてしまった。

「おお怖い」

さして怖くなさそうに言う松永に四つの瞳が殺気に満ちた視線を送る。
かつて殺したい程憎い相手はいたが、その人に対してもこのような嫌悪は覚えなかった。

「怖い鬼が戻ってこないうちに私は退散するとしようか」
「誰が逃がすと……!?」

怒鳴りかかろうとする石田の目の前に黒い羽が数枚落ちてきた。
こんな時間に、鴉が出るというのだろうか?
いや、この羽には見覚えがある。

「では、また機会があれば……」

刹那、竜巻のような風が巻き起こったかと思えば、次の瞬間には松永の姿が消えていた。

「……なんだったんだ?今のは」
「うーむ」

待っ黒焦げになった元花畑を前に佇み、彼の消えた空の上を見上げる石田と大谷。
大谷の脳裏に数か月前に自分達の目の前からいなくなった伝説の忍びの姿が浮かんでいた。

「それより長宗我部と毛利は!?」
「おおぉー無事だぜぇ」

と、そこに土と葉っぱだらけになりながら毛利をおぶった長宗我部が戻ってきた。

「……なんだ姫抱っこではないのか」
「危険だろ山道で姫抱っこは!!」
「山道でなかったらするのか貴様……」

お互い無事だった安心感から、冗談も出るのだが……

「はーー……」
「あーー……」
「ふーー……」

毛利を連れて別荘へ向かう途中の三人からは溜息しか出なかった。

「毛利もうこの世の終わりのような顔しておったのぉ」
「帰ったら挨拶の後すぐ松永を殲滅する許可を願おう……」
「……その時は俺も一緒に連れてけ」

松永に一番怒りを抱いていたのが長宗我部だった。

「よりによって俺のことで毛利を傷付けやがって」
「まぁ傷を負わせられるということはそれだけ想われているということよ……」

自爆呪文のようなフォローを入れながら、毛利を気遣って頭を撫でる大谷。
山道で足場が悪いのに自分より背の高い長宗我部が背負う毛利の頭を撫でられるのは彼が軽く浮いているからだろう。
同じ様に神通力で毛利運べるのではないかと思うが、折角毛利が好きな相手と密着できているのだからこのままにしておくことにした。

「んーーなんだ?なにを撫でてるんだ大谷」

長宗我部の肩でもぞもぞと動いた毛利がむくっと顔を上げて大谷へ視線を寄越す。

「お、起きたか毛利!」
「……?なぜ我は長宗我部におぶられているんだ?」
「そりゃあアンタが崖から落ちたりするからだろ」
「崖!?我がか!?」
「おい貴様どこか痛い所があったら言え……嘘は許可しないからな」
「三成よ、心配するならもっと優しくせよ」
「痛い所はない、頭が少し重いが」
「大丈夫か?あッ!松永はもういなくなったからな?安心してくれ」
「松永……?」
「あ……あとアンタ誤解してるみたいだから言っとくけど!俺と家康はそんな関係じゃなかったからな」
「家康……?」

その名前を聞くと頭が余計重くなった気がして長宗我部の肩に深く額を押し付ける。

「ほ、本当だぜ!俺マジあの頃から家康とはただの友達で」

本当は「アンタ一筋だった」と言いたいが好きと言えない立場な為に家康の名前を連呼する。

「誰だ?そいつ……」

その返事に三人は凍りつく、毛利は徳川を嫌っているのだろうとは思っていたが、だからといって「誰だ」はナイ。

「毛利、あの」
「というか松永というのも誰だ?貴様らの知り合いか?」
「……」

再び顔を此方に向けて訊ねてくる毛利を見て、石田と大谷は再び凍りついた。
この毛利は本気で言っているのだと気付いたからだ。

「毛利……ぬし、まさか前世のことを憶えておらぬのか?」

恐る恐る訊ねると、毛利は眉間に皺を寄せ不機嫌な声を出し。

「前世?貴様らさっきからいったい何わけのわからないことを言っているんだ?」

これは確実だ。
すると長宗我部の歩みが止まってしまったので、毛利は訝しむようにその顔を覗き込む。

「長宗我部?どうした?」
「……」

彼の顔が青褪めているのを見て毛利はギョッとする。

「お、降ろせ!貴様の方が体調が悪そうではないか!?」


こんなに焦る……というか感情が表に出る毛利は珍しく、前世を忘れた影響でこうなっているのかもしれない、そう頭で冷静に考えながら、心の中は松永への怒りでいっぱいになっていた。
忘れていたものを思い出した石田や長宗我部とは違う、毛利は憶えていたものを奪われたのだ。
記憶があってもなくても毛利が毛利であることは変わらない、しかし前世の記憶を失くした毛利は、きっとこれまでの彼とは違う人格になっているであろう。
それくらい、今までの人生を前世の記憶で影響されていると大谷は自負していた。



『卿からは全を賜ろう』



あれは、こういう意味だったのか――







END