こんな時代にいたのでは いくら美しいキョウキも すぐにナマクラになってしまう もっと研ぎ澄まされなければ もっと研ぎ澄まされなければ * * * 大谷から電話があったのは今から二時間あまり前、長宗我部が海に出ていた時のことだ。 「一緒にプラネタリウム作るって……どういうことだ」 一方的に切られた携帯電話を見詰めながら長宗我部は呟いた。 幾ら機械に詳しいといっても、まさか投影機を作って欲しいという意味ではないだろう、だとすればプラネタリウムのプログラム……脚本を一緒に考えてくれということか? なんだろう、あの男のことだから何か企みがあるかも知れないし、ただ感情が空回りしているだけかもしれない。 「……どうすっかな」 あの男がひとりで何かをするよりも自分が協力した方がよいというのも解っている。 “大谷の好きにさせていたら碌な事にならない”から、別に自分の不利益になることはないが“大谷にとって良くないことが起きる”のだ。 あれだけ愛されておいて彼には自分が勝手にしたことで周りが責任を感じたり傷付くことがあるのだという認識が足りなかった。 少しの間しか西軍に在籍していない長宗我部でも平気で穢れを被っては『ヨイヨイ』と笑う大谷に何度『良くねぇよタコ』と思ったかしれない、大切な者の為にしたことで大切な者を苦しめてしまったら本末転倒ではないか。 今生では高校時代からの付き合いだが、大谷の言う「案ずるな」程信頼出来ないものはなく、だから彼が幸せになる様を見届けなければと思っている……今は何を考えているか解らないが自己犠牲的なものでなければいい。 そんな不安と心配に駆られながら長宗我部が船から上がると港で大谷が待っていた。 わざわざ長宗我部の停船場がある他県まで車をかっ飛ばしてきたのかと呆れたが、一度目標を見付けてしまえばそれしか目に入らなくなる所も以前よりあった。 よく知り合う前は蛾のようにふよふよ彷徨っているイメージがあったのに、石田とはさながら似た者夫婦だ。 「……ぬし、大丈夫か?」 長宗我部が大谷の車に乗り込むと開口一等そんなことを言われた。 先程まで自分がこの男の心配をしていて、この男も自分の心配をしているのかと思うと何だか可笑しい。 「別に明日は休みの予定だし、遅くなっても構わねぇよ」 わざと見当違いのことを答えると大谷の纏っていた緊張感が少し和らいだように感じた。 彼はエンジンをかけ車を出発される、長宗我部の車が置いてある駐車場の前まで来ると、少し話を聞いて欲しいと言われた。 「あのな、実はさっきぬしの部下が園まで訪ねて来やってな……」 「……」 「心配しやるな、別に前世を思い出したからといってわれらに報復に来るような者ではなかろう?」 「わかってるよ、そんなこと」 己の友人である毛利や大谷が野郎共からどう思われているのかなんて長宗我部も解っている。 ただ…… 「最近ぬしの様子が芳しくないと憂いておったぞ」 「……バレてたか」 長宗我部はフゥと大きな溜息を吐いて眼帯のしてある方の目を覆う、情けない。 普段通りに振舞っているつもりだったが、自分を慕う部下達には感付かれていたようだ。 「毛利に前世のぬしを忘れられたことがショックなのであろ?」 「まぁ……」 言い当てられて、苦笑する。 「なんなんだろうな……俺なんてずっとアンタらのこと忘れてたってのに……」 「初めから忘れられていた者より、途中で忘れられた方がツラかろう……われだって毛利に忘れられてカナシイ」 「……」 「なぁ長宗我部、われは……いや、毛利やぬしの部下も含めてな、ぬしらが互いを想い合うていることをよく解っておる……ぬしら自身が決めることだと口出ししてこなかったが、皆ぬしらが結ばれることを願っておる」 「……」 もし縁というものが目に見えたら、自分達の縁はどんな形をしているのだろう。 今生で二人が再会したのは、まだ毛利が今の家に引き取られる前の事だった。 長宗我部が拾われた神社近くの施設に毛利はいて、出逢った瞬間運命めいたものを感じたのだ。 生まれ変わって社交性が高くなった毛利と仲が良かったことで当時まだ大人しい性格だった長宗我部の傍にも自然と人が集まっていたように思う。 彼が本性を隠していることに薄々気付いていき、その本性が垣間見える瞬間が面白くて構い倒していた時期もある、結果自分に対してだけ我儘になった毛利を可愛いと感じていた。 可愛いといえば小学校の頃は二人して女の子と間違えられていたのも今なら笑い話に出来る。 中学から長宗我部の身長が急に伸び始め、拗ねた毛利に視界から外されていたこともあったがアレはひょっとしたら前世を思い出しドキドキしていただけかもしれない。 高校時代には大谷も交わり、教師から髪を黒く染め黒いカラーコンタクトをするよう指示された長宗我部の為に本人以上に怒ってくれた……学園革命を起こす羽目になったのは予想外だが楽しかった。 初めて「好き」だと告白したのは毛利が毛利家に引き取られ広島の大学へ進学すると聞いた時だ。 大谷と共に描いた夢があるから、その気持ちには応えられないと言われたあの日から、長宗我部が彼へ直接的な好意を伝えたことは一度もない……ただそれから一時離れていた反動か、毛利が自分へ向ける感情の色に敏感になった。 そして出逢った時から愛されていたのだと気付いた時には、彼は水族館とプラネタリウムの館長という立場になっていた。 「……毛利を擁護するわけではないが」 長宗我部の長考をどう捉えたのか、大谷は徐に口を開いてこう語り出した。 「あの時代もし毛利がおらずとも、われは黒田を使い四国を攻めておったし、その場合ぬしも亡き者にしておったであろう」 徳川と絆を結ぶ人間なぞ皆滅びてしまえと、思っていた。 そう大谷は語り長宗我部の感情を仰ぐ、黙って眉を顰めていたら嘘か真か解からない話は尚も続いていった。 通常であれば、毛利と長年争い毛利の知略を明かし見てきた長宗我部に黒田の策が通じると考えるのは甘いかもしれない、しかし故郷を滅ぼされ激昂した鬼を策に嵌めるのは恐らく容易いのだ。 「われだけであれば四国を仲間に入れるなど考えつかなかったかも知れぬ、ぬしと徳川を陥れる最低な策だったことは事実であるし、四国の兵……ぬしの家族を沢山殺したのも事実、しかし毛利さえいなければ四国は無事だったと思っておるならそれは間違いよ、正確にはわれさえいなければ……」 「大谷!!」 段々と悲痛の混じってゆく声に耐えきれず長宗我部は声を荒げた。 胸くそ悪い、どうして大谷の口は彼にとって都合の悪いことばかりを告げるのだ。 前世はそれこそ舞台の口頭のように揚々と語っていたから、まるで悪事をひけらかしているように見えたが、きっと違うのだと思っていた。 大谷は心の中で血反吐を吐きながら、己を貶めることによって誰かを守ろうとしている、今のこの泣き出しそうな顔を見てそれは確信になった。 「たとえアンタらが何もしなくても、俺が放蕩してた以上、遅かれ早かれ誰かに四国を滅ぼされていた……違うか?」 「それは」 大谷の細い胸に後悔が滲む、長宗我部にこんなことを言わせたかったわけではないのに…… 「違わねぇだろ」 隻眼に深い悲しみを映してるのが見え、大谷はもっと足掻かねばと思った。 「しかしそれが毛利だったからこそ、ぬしはアレ程絶望したであろ?われが追い詰めなければ毛利はあのような策……」 「はいはい、やめやめ!それ以上は毛利を侮辱することになるぜ」 毛利の頑なさは長宗我部が一番よく知っていたし、大谷が本当は何の為に戦っていたのかも知ることが出来る。 「あの頃の石田や豊臣を守るにはああする他なかった、正々堂々なんて言ってられる時代じゃなかったんだ。その中でアンタはアンタなりに精一杯戦い抜いたってだけだ」 「……」 大谷の義と友情の篤さなら今や日本中が認める所だというのに何故こうも自虐的なのか、石田と徳川という清廉潔白と質実剛健を絵に描いたような者が傍にいたからだとすれば仕方ない気もするが…… 「ほら、そんな話をしにきたんじゃないだろ」 長宗我部が優しく促せば、大谷はゆるゆると首を振り「そうよな」と呟いた。 「一緒にプラネタリウムを作るって、脚本を考えるってことか?」 「ああ、実は毛利の記憶が蘇るような、プラネタリウムを作りたいと思っての」 「……そうかい」 「徳川に会わせれば簡単に思い出すかも知れぬが……そうすれば毛利はまた松永の言葉に傷付くであろ」 ――彼から全てを奪った卿に、彼から愛される資格があると思っているのかね?―― 前世の記憶が消したのはあの黒い羽かもしれないが、その前に毛利を無力化させたのは松永の言った台詞だ。 「われは毛利に、ぬしから愛される資格があるかないか等どうでも良くなるくらい己が愛されていたことを思い知らせてやりたい」 それは大谷にも自覚させたい事だが、石田から日々愛を注がれていれば、いつか気付く時がくるだろう。 「以前ぬしに意見を聞いた星の海の狐の話があったであろ……あれの魚目線の話を作ろうかと」 「それで?魚の気持ちを俺に代弁して欲しいってかい?」 「まぁそうなるの」 恐らくそうではないかと思っていたが、あの話に出てくる狐と魚は前世の自分達をモデルに作られていたのだと、長宗我部はほんの少し恥ずかしく感じた。 狐が天から与えられた“から箱”に“他”を加え“たから箱”にしてゆく話、その箱の中には長らく一匹の魚が入っていたが、ある日その箱が狸の善意によってひっくり返されてしまうのだ。 「協力してくれるかの……」 おずおずと横目を向けてくる大谷を見て、長宗我部は大きく溜息を吐いた。 単純に前世のことを思い出してもらいたいという願望と共に、好い加減我慢の限界だということに気付いている。 それに無意識に愛情を表してくる毛利に比べて自分はなにも伝えられていない、自分だって彼に想いを示したいのだという気持ちが段々と大きくなっていって体から溢れ出しそうだ。 「ずっと考えてた……なんでアンタらに前世の記憶があったのかって」 掌をギュッと閉じて、開くと少しずつ指先へ血が通っていくのを感じる、子どものように暖かい自らの手、もうこの手から何も零さないと決める。 「きっと救済だ」 「救済?」 大谷と話すまで、もしかしたら毛利はこのまま前世を忘れてしまっていた方が幸せなのではないかと思っていた、けど、違うんだ。 「傷を抱えたまま死んで逝ったアイツらを救う為にアンタや毛利は前世の記憶をもって生まれたんじゃねえかって思う」 「そんな、まさか」 「俺は」 戦乱の世で、心を殺し命を賭して罪に濡れてまで他を護ろうとした軍師たち、戦が終わり彼らはいったいどれくらい報われたのだろう? もし神様のような存在がいるとすれば、他の為に生き、傷を癒すことなく潰えていった魂を憐れに思ったのではないか? 「毛利の中にある、毛利の魂を救いてぇ……この手で」 その役割は誰にも譲れない、あの頃の毛利は長宗我部元親のものだ。 自分にだけ見せてくれた穏やかな表情、沢山のものを背負った細い背中、お互いの熱を分け合った肌、加護が欲しいと天高く響かせた声――すべてすべて、長宗我部元親のものだ。 瀬戸の海賊は一度手に入れた物は大切にする、あの心も魂も絶対に誰にも傷付けさせたりしない、だから 「いいぜぇ大谷」 「ぬし」 「それで毛利に思い出してもらえるってんなら、こっちからお願いしたいくらいだ」 「まことか!」 「ああ……本当の宝ってやつを思い知らせてやるぜ」 こうして大谷は実に数百年振りの悪巧みを鬼と二人で企てることになった。 狭い社内で自分達の前世について語り合っている内に茜色だった空は濃い紫に染まってゆく、月が昇れば大谷の一番好きな時間帯だ。 長宗我部の死後のことを本人に語るのは憚られたが、西軍東軍構わず案じる優しいこの鬼を安心させる為にもどうしても伝えて置かなければならない気がした。 大丈夫、毛利は独りではなかった、西軍は団結した、石田は良い将であった、東軍が勝ち家康は目的を果たせた。 「毛利はぬしが生き残るのならば敵同士でも良かったのだろうに」 「アンタと石田もな」 話しているうちに、前世の自分と今生の自分は違うけれどやはり同じ人間で、しかし違う人間だから可哀想に思えるのだと知った。 あの頃の常識を否定したり出来ないが戦や身分制度のない現代がいかに幸福であるか、あの頃を生きた者だから解かる事もあるだろう。 しかしこの長宗我部、脚本の参考にするからと訊く大谷の質問に対しかなり恥ずかしい事を言っている気がするが良いのだろうか……と少し心配になる。 (この調子ではこやつ本当に毛利と復縁……いや復縁はちと違うか……) 価値観の似ている毛利と根本の似ている長宗我部は、大谷にとって石田とは違った意味で特別な二人だ。 その二人が上手くゆくのなら、いくらでも泥を被ろうと思うのに、二人とも大谷にそれを許してくれない。 (先程われが話したこと、ぬしは下らぬ憶測だと切り捨ててしまうか) 太閤豊臣秀吉が没した直後、豊臣の中には四国を一番に潰してしまおうというきらいが高まったが、大谷自身は四国をどうにか味方につけ、徳川の言う絆の儚さを知らしめたかった。 もし、黒田に奇襲させるという手を打たず、豊臣が四国へ宣戦布告をすれば徳川は何を置いても助けにくるだろうという怖れもあった。 大谷は徳川の掲げる絆など綺麗事だと蔑みながら、彼はけして同じ志を持つ者を見捨てはしないと心のどこかで信じていたのだ。 (……三成を裏切ったあやつの、新しい絆を見せつけられるのが厭だったと言ったら、毛利は呆れるか) よもや謀神にはそれすらお見通しだったかもしれない、だから己と同盟を組んだのではないか、毛利の心など彼にしか解からないことだけれど、もしかして毛利は長宗我部だけは敵に回したくなかったのかもしれない、長宗我部にとって家族同然の部下を殺しても長宗我部だけは生きていて欲しかったのかもしれない。 (ぬしを傷付けた策すら、ぬしを愛するが故だったと思いはせぬのか……) きっと思ったりはしないだろう、この男は他人が隠したいと願う裏を暴こうとしない、そんな人間だから前世の記憶を持つ二人へ抱く疎外感に長年耐えて来られたのだ。 「では、われは帰ってこれをまとめようと思う……長い時間引き留めて悪かったの」 長宗我部から聞き出した大量の惚気を書いたノートを大事に鞄の中へ仕舞い、彼へ礼を言った。 「いいってことよ、気を付けてな」 「ぬしも」 そして彼を車から降ろし、一人で来た道を帰る。 海なしの県から海のある港へ通うのは大変だからと長宗我部は月の半分以上を此方に泊まって過ごす。 明日は休みだと言うなら帰って毛利に会ってくれないだろうか、でも長宗我部の帰る家には今徳川が居候しているという、年頃の娘(鶴姫)のいる家でも安心して留守を任せられる相手というか、むしろ徳川がいた方が安心して家を空けていられるのかもしれない。 (ほんに不愉快な男よ……) 豊臣と竹中以外は眼中になかった石田をあのように傷を負わせられた男、あのとき傍に島がいなければ石田はずっと狂ったままだったろう、それ程までに石田の心を捉えていた徳川がやはり今も憎かった。 それと同時に自分の無力さに反吐が出る、人望の少ない大谷は徳川が豊臣軍に空けた穴を埋める事も出来ず、何人もの兵をあの場所から去らせてしまった。 (何故あの男だけが、ああも愛される) 車を路肩へ停める。 大谷はハンドルに強く額を押し付け闇に呑まれてしまいそうな心に自制を掛けた。 これ以上思い出すといらぬ嫉妬心まで蘇ってきそうだ。 この記憶を持って生まれて来た事がもし本当に“救済”なのだとしたら (――われは三成に救われたい……) あれ以外に救われたいとも思わない たとえ誰かにそんな資格は無いのだと言われても 許されない、願いだとしても―― * * * 後藤が目を醒ましたのは真暗な闇の中だった。 (此処は……どこだ?) たしか青葉城で伊達政宗に戦いを挑んで……それから、どうしたのだっけ? 考えている内に体も覚醒してきて、後藤は自分がまだ生きていることを知れた。 (地下にでも閉じ込められたかねぇ?) 暗くてなにも見えないが直ぐにでも扉が開いて拷問が始まるのかもしれない、いや伊達のことだから拷問はないか。 その代わり暫くここで幽閉されるかもしれないけれど。 (まぁ別にいいですけどぉ) まったく自慢にはならないが、うだつの上がらない元主君のお陰で暗闇には慣れている。 暫く大人しくして油断をさえて頃合いを見て脱出すればいい話だ。 たしか青葉城の地下にも黒田が掘った空洞があった筈だから、それを利用させてもらおう。 そんなことを考えていると、パッと目の前が明るくなった。 「ッ!?」 突然の眩さに目を瞑り、恐る恐る瞼を上げると、仄かな明りが自分の足元を照らしていた。 後藤はここで漸く自分が仰向けに寝かされていることに気付いた。 「……」 四肢に力を入れ起き上がろうとするが、背中に何か粘ついたものが張り付いていて身動きがとれない。 「やぁ、思ったより早いお目覚めだね」 足元に佇む男が、実に愉快という声で語りかけてきた。 その顔を歪ませてやりたい、見下されるのが一番腹が立つと思う後藤の表情の方が怒りに歪んでいた。 「なんだぁお前ぇ」 なんだお前と言われたら答えてやるのが世の情け、男はフフと鼻で笑った後こう答えた。 「おや、私の顔を憶えてないのかね……君がまだ幼い頃に会ったことがあっただろう」 と、訊ねた後で「ああ、あの時は遠目に姿を見ただけだったか……君の主が会わせてくれなかったからね」と、思い出したように言った。 「初めまして、後藤又兵衛くん」 足元の仄かな明りが、彼の顔を下から照らす。 黄金に輝く瞳の中に冷たい焔が揺れている様が見える、同じ黄金の瞳でも自分が知る者達とは全く違う。 「私の名前は松永久秀、以後お見知りおきを」 後藤は初めて会ったその男に本能的な恐怖を感じた。 END |