きづいたことがあります

あなたさまにとっての“こい”は

わたくしにとっては“さみしい”ものだということを




* * *




柴田の生まれ育った家は戦国の織田家と柴田家とは縁もゆかりもない血筋であったが江戸末期頃から織田家に仕えていたという、明智や濃の家もそうであったから因縁というものの存在がそうさせたのかもしれない。
末子に生まれた柴田はその生まれが奇怪なものだったからか――生まれたばかりの赤子が両手に“賽”を一つずつ持っていたのだから怪奇とされても仕方が無い――血の繋がった家族から冷遇され育っていた。
それでも織田が森蘭丸の生まれ変わりを養子に迎え、その蘭丸から懐かれるようになった頃から柴田へ対する認識も少しずつ好転していたが織田グループを去り、毛利グループ系列の施設へ入社した直後に絶縁を申し渡された。
自分はもう実家の敷居を跨ぐことはないだろうがそれでいい、自分と同様に家を出た市という同志もいるし、なにより親友である左近の家で以前より気兼ねなく過ごせることができるのだからと、柴田は少しも寂しく思わなかった。

(さみしい……か)

前の世で軍神から言われた言葉を思い出す。
上杉はあの何を考えているのか解らない神々しい眼差しのまま柴田の恋を寂しいものだと言ってのけたのだ。
確かに、自分が市へ抱いていた感情は恋というには寂しいものだったかもしれないが、あの言葉に酷く傷ついたのだから、きっと真実の想いだったのだ。

「……」

その“さみしさ”に似た感情が今生で蘇ってくるなんて、しかも、その相手は自分の唯一無為の親友ときたもんだ。

(私は左近を好きなのだろうか)

ただの友情と思っていたけれど違うのだろうか、島くらい付き合いの長い友人が他に少ないから比べようがない。
だが島に好きな人がいるかもしれないと思った瞬間の焦燥感と絶望は今まで感じたことのないものだった。

(そのようなことを考えている場合ではないな)

島が豊臣から引き取られる前に預けられていた施設の後輩で今も可愛いと思われている本多が攫われた。
その本多を病室から連れ出した市が責任を感じて泣いている、自分の色恋よりも今はそちらの方が重大だ。

「刑部様……そろそろ終業時間となります……一度戻って左近に説明してきたいのですが」

今日は大谷から手伝いを頼まれたからと席を外しているけれど、本多探しへ出掛ける前に島へこれまでの事を説明したい。
「ああ……あの方々にも説明せねばなるまいな」
「豊臣氏や竹中氏にでしょうか?まだ止めておいた方がよいのでは」
「ぬしは島に話しておきたいのであろ?それと一緒よ」

二人とも前世の記憶のない石田にわざわざ教えて辛い前世を思い出させようとは思わないが、既に前世の記憶のある者には内緒にしておきたくない、どうせいずれ知られるのだから早いうちに話しておいた方がいいだろう。

「あの方々に協力を仰ぐのですか?」

柴田の問い掛けに責めの色が混じる。
大谷が頼れば協力を惜しまないであろうが、前世で徳川に裏切られ殺された豊臣や石田を傷付けた事で徳川を恨んでいる島に徳川を助けて欲しいと頼むのは酷ではないか、と。

「ぬしも知っておろう、われは目的を果たす為なら使える手を全て使う、他人からどう思われようと……」
「刑部様ッ」

石田ではないが、己を卑下する発言は許せないと柴田が睨む。

「……あの方々へ協力を仰ぐなら徳川氏本人から頭を下げさせましょう……左近には私から言います」
「よいのか?」
「まだ左近を徳川氏と関わらせたくありません。大丈夫、左近は断りはしないでしょう……今生の本多氏と仲が良い故」

自分がそれを頼む理由も、徳川の為ではなく市の為と言えば納得してくれるだろうと柴田は言った。
その所為で島がまた市へ嫉妬してしまう事になるが、他に言いようがなかった。

「では島のことはぬしに頼もう、われはこれから賢人を呼びにゆく」
「……承知致しました」

頭を下げる柴田の向こうにいる徳川が此方を見ていた、目配せすると苦笑されたので今の会話が聞かれてしまっていたと知る、耳が良すぎるというのも不幸だ。

(ぬしは柴田や島に対しても誠心誠意を尽くすのであろうな……)

大谷は徳川についてこう思う、彼は自分とは違った意味で孤独だった、当時この男は多くの人間にとって共通の敵や共通の神にしかなれない存在だったのだ。
きっと彼を理解できるのは彼を幼少から知る織田や豊臣くらいで、友と呼べるのは石田や長宗我部くらいで、そんな者達とも決別してしまってからの徳川には本多しかいなかったのではないか。
伊達や慶次はまた違う関係だったように思えるが後の者が徳川を一人の人間として見ていたことなんてなかったに違いない、そう思うと怨んでいた気持ちが薄らいでゆく。

――過去はそうであっても、これからなら……

大谷は、扉へ向かう途中振り返って徳川の背中を叩いた。

「徳川よ、その内ぬし様に石田を紹介するからの、楽しみにしておれ」
「ッ!?」

柴田の顔がバッと此方を向き、信じられないという表情で大谷を見た。

「……それは嬉しいが……よいのか?刑部」
「ほぉ?随分と上から目線よなぁ……ヒヒッ」

徳川は無意識であろうが、石田と会えば恋愛感情はなくとも彼にとって特別な存在となり、大谷を悲しませるという確信があるのだろう、前世の経験を踏まえれば当然とも言える。

「いや、ワシはそんなつもりは」
「思い上がるな」

徳川の言葉を断ち切った大谷だったが、その表情が浮かべるものは嫌悪感ではなく、例えるなら好敵手への愛着だ。

「ぬしの人を惹きつける才気は類稀なものと見るが、ぬしは所詮人に出来ることしかしていない……前世のぬしは沢山のものを持っていたが、その為に沢山のものを失ってきたであろ?結局ぬしだって努力しなければ誰からも愛されない、完璧ではないのよ」

彼が人と分かり合おうとして挫折や失敗をしてきたのを見たのは一度ではない、かつては人を再起不能なまでに傷付け嫌われたことだってある、なのにあの頃の自分は気付けなかった。
徳川はきっと普通の人間と変わらない、太陽のようであっても、本物の太陽とは違う、真っ直ぐに見て触れることのできる存在だ。

「それゆえ今生では『勝ち目はない』などと卑屈なことは考えずに、われはわれらしく……皆と接してゆければ……と思う……」
「刑部っ!」

調子良く喋っていた大谷が「あれ?われ何言ってんだ?」と思った時には既に徳川の爛々とした瞳に囚われていた。
ここでも新しい絆が結べそうだと感激した彼が大谷の手を握り、鼻を啜りながら「これからもよろしくな」などと言ってきた。
……なんだろうこの距離感、やはりコイツには勝ち目がないのかもしれないと大谷は胃がキリキリ痛んでくるのを感じた。
そのまま自分はいいけれど石田にベタベタ触られるようになったら厭だなどと考えていると、横から強い力で引っ張られ徳川から引き離される。

「徳川氏!刑部様はもう既に石田殿のものなので触れるなら石田殿の許可を得てからにして頂きましょうか?」
「柴田?」

そのままパッと手を放されよろけた大谷は毛利と長宗我部に支えられるが、柴田はそれにも気付かず徳川へ無茶な条件を叩き付けている。
一方無茶を言われた方の徳川の表情は輝き。

「そうか刑部!やっとお前に三成の想いが通じたのだな!おめでとう!」

どちらかというと石田の恋を応援していた徳川は本多が攫われてから初めて満面の笑みを見せた。

「それと市様も婚約されているので必要以上近付かないよう願いたい」

と、言って携帯を某時代劇の印籠のよろしく徳川の前に突き出した。
急に名前を出された市は「え?市婚約なんてしたっけ?」と困惑していたが、たった今柴田が思い付いた口から出まかせなので彼女に覚えがある筈がない。
柴田は先程いつまで経っても泣き止まない市の頭を撫でて泣き止ませていた徳川に苛々していたところだ、その役目は浅井のものだろうと。

(まぁ流石の徳川も他人の婚約者にゃスキンシップを押さえるだろうが)

彼の自称保護者である伊達は、先程から部屋の隅で静かにヒートアップしていた最上との口論を辞め柴田の後頭部を見る、たまに奇抜な行動に出る事があるので心配なのだ。

「そうかそうか、今生でも浅井殿と絆を結ばれていたのだな……よかった」

徳川が瞳を細めながら見る携帯の画面には浅井と市の仲睦まじい様子が映し出されている。
ちなみに盗撮ではない。

「あと!毛利様も長宗我部氏とこういう関係なので自重された方がよいのではないかと」
「へ?」
「あ?」
「ん?」

柴田が携帯を素早く操作して先程とは違う画像を見せると徳川の顔が真っ赤に染まった。

「え?あ、そうか……うん」
「ちょっと待て、貴様こやつに何を見せた」

その反応が気になり毛利が横からその画面を覗き込むと、肌蹴た着物の長宗我部に寄り添って眠る自分の姿が映し出されていた。

「なぁ!?いつの間にこんなもの撮ったのだ!?」

いつ撮ったかといえば石田と長宗我部が転落事故に遭い、意識を失っている間だ。
毛利が長宗我部のベッドに潜り込み、彼に抱き着いてスヤスヤ眠っている時に島と一緒に激写しまくったものだ。
こういうのを盗撮という。

「消せ!!今すぐ消せ!!」
「ちょ!毛利!落ち着けよテメェ!!勝家に手ぇ出すな!!」

思わず柴田へ掴みかかろうとして伊達から取り押さえられる。
徳川が赤面したのは所謂そういうシーンだと誤解したからだと思うと恥ずかしくて仕方が無い。

「消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ」

伊達に羽交い締めにされながら呪詛のように「消せ」を連発する毛利を引き気味に眺めながら長宗我部は、そういえば前世で極稀に物凄くキレた時に「射れ」を連発していたな、などと思い出し塩っぱい気分になる。

「……あいつがあんな騒ぐなんて、いったいどんな写真撮ったんだ?柴田は」
「これこれ、この画像よ」

と、言って大谷が自分の携帯に保存されていた写真を見せる。
一見ラブラブなカップルがベッドで睦み合った後のようだが、よくよく見ると長宗我部が着ているのは病人着で所々チューブで繋がれているので、これは入院中のものだと解かった。

「……」

長宗我部、絶句。
そんな長宗我部を見て毛利のハートは珊瑚の死骸のようにバラバラに崩れ落ちた。

「何故貴様まで持ってるおるのだ!!」
「ぬしのこんな表情はそう見られぬからのぉ……一番よく撮れているものを転送してもらったのよ」
「消せーーー!!もう記憶ごと消せ!!消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せ消せェ!!」
「では、我は賢じ……竹中殿を呼んでくるの」
「私も左近を連れてきましょう」

「消せ」を連発しすぎて息切れしている毛利を尻目に携帯を持った大谷と柴田は出て行ってしまった。
残された伊達は自分の足元に項垂れぐったりしている毛利と、その毛利を見ながら体中を真っ赤に染めて薄ら涙目で震えている長宗我部をどうしようかと途方に暮れる……普通のカップルならば面白がってからかうこともできるが、彼らはお互いの立場を考慮し交際していない男同士だ。
伊達個人は同性愛に偏見はないし二人が深く愛し合ってるなら別に世間体など気にしなくていいではないかと思うが、本人達にとってはそう簡単な問題ではないのだろう。

(アイツら面倒くさいもん残していきやがって……)

とりあえず柴田はこの事件が解決した後で説教することに決めた。

「あの毛利がこんなにも表情豊かになっているとは……ワシは嬉しいぞ元親ぁ!!」

わざと空気を読んでいないのか天然なのか、毛利の変化を見て感動に打たれている徳川にも後で長宗我部達の事情を説明せねばとも決めた。

「お!きたよきたよ徳川君!忠勝君の居場所が解かったよ!」

そうしているうちに最上が小型のノートパソコンを左手に、玄米茶(持参)を右手に持ちながらピョコピョコと徳川の周りに顔を出している、伊達は正直それをぶん殴りたいと思いながら、最上がいなければ話が進まないと自分に言い聞かせ気持ちを鎮めた。

「本当か!」
「ああ!本当だとも!」

伊達がたまには実家へ顔を出すことを条件に協力を名乗り出た最上は、松永が市とコンタクトをとった時から彼を訝しみ松永と市の動向を探っていたそうだ。
そして市につけていた部下は本多誘拐の現場を目撃した後、猿飛に気付かれぬよう距離をとって尾行していたのだと言う。

「佐助くんが突然消えた場所の周辺を探ったらね、やはり結界が張ってあったのだよ」
「ほぉ、そうかい……って、それはさっき聞いたけど?」

松永が術者を雇っているか彼のコレクションのなかにそのような効果を持つものがあるのか不明だが、その結界の向こうは根の国のような異空間へ繋がっている可能性があると言っていた。

「こらこら髭を焦がさないでくれたまえ、それで吾輩のエレガントな部下にね、その結界を破る方法を調べさせていたんだ」

伊達は「エレガントな部下ってあの髭のオッサン達じゃねえかアイツら使えんのかよ」と突っ込みたい気持ちを抑えて続きを促した。
徳川はともかく雑賀が真剣に聞いているということは最上の話は信用して聞いていいものなのだろう、今生では妹想いのいい叔父の面しか知らないが前世では身内をも利用する策略家だった故に伊達からはあまり信用されていない。

「ずばり、鍵は闇属性だよ」
「闇属性……」

久しぶりに聞く響きだ。

「結界の要となっている四つの御札をね同時に剥がすんだよ、闇属性の者が」
「同時に……?」
「ああ、ひとつひとつの御札は離れた所にあるから四人が息を合わせて同時に剥がす必要がある、まあそんなのは合図を出せば簡単だろうけど」

問題は人数だ。
猿飛が居ない中、味方の内で闇属性の者と言えば大谷、竹中、市の三名。
少し遠く離れた場所に南部もいるが彼がこんなことに協力してくれるとは思えない。


――と、なると……


「まさかこんなに早く三成を紹介してもらわなければならなくなるとは」


徳川は困ったような笑みを浮かべた。
彼自身は石田に会って相手の記憶が蘇ったとしても構わないと思っている。
いきなり怒りをぶつけられたとしても、話しさえ聞いてもらえれば、あの石田が本多の救出に協力してくれない訳がない。

ただ、大谷はどうだろう。
いつか徳川に石田を紹介すると言っていたが、こんなに早く心の準備は出来るだろうか――


心配性な彼が毛利や島と徳川が喧嘩にならないか案じていた時に、一番喧嘩をしてしまいそうな石田のことを考えなかったのは……忘れていたからではなく、無意識に考えないようにしていたからだ。

大谷の中には、けして恋愛感情ではないにしても互いに執着し合っていた石田と徳川への嫉妬が強く残っている、同時に劣等感や無力感に苛まれていたことも憶えている。

先程は強気な態度をとっていたけれど、きっと彼は石田に前世の記憶が戻ることも徳川が近づくことも怖がっているに違いない。

そして徳川はそんな大谷の心情を、誰よりもよく理解していた。


(ああ、また刑部を傷付けてしまうのか……)


誰かを傷付ける道は、進んでゆく彼をも傷付ける。
しかし徳川は迷わず、躊躇わず、その道をいくしかない。


あの頃は“民の為”と思っていたが、今は違う、この世でたったひとり大切な存在の為。



「徳川、孫市、最上殿」
「ん?」
「なんだ」
「どうしたのかね」


疑問系の形をとっているが、三人はきっと徳川の表情で何をいいたいか解かってる。


「ワシはなんとしてでも忠勝を助け出すぞ」



確かな決意を湛えた瞳は、乱世を終わらせ世に平和を築いた男のものに似ている。


彼こそが三河の将、江戸の将、日ノ本の将、東照権現。



――徳川家康――






END