西軍の拠城である大阪城で各軍の忍者隊は自由に出入りしていいことになっている、家老から侍女に至るまで心配を掛けている総大将の所為で“きちんと寝床で休み食事を摂る”ことが正義となっている城内では忍といえど屋根裏や木の室で眠ると“三成様に悪影響を与えます”と言われ大部屋と質素であるが寝具を宛てがわれた。
それでも武士と同じ浴室を使うことは許されず(というか誰も忍に風呂が必要という感覚がないのだ)忍達は裏にある井戸で水を浴びていたのだが……

『ねぇちょっと旦那ァ……困るんだけどー』
『ん?なんだ?』

猿飛の溜め息混じりの間延びした声で呼び止められ、長宗我部はその白い睫毛をパチパチさせてみせる。
表情がコロコロ変わるから普段意識はしないけれどよく見ると整った顔立ちをしている、この男に真顔で見つめられたらそりゃあ冷徹と言われる智将も落ちるってもんだとどうでも良い感想を抱きながら再び溜め息を吐いた。

『裏庭のアレ、あんなの勝手に作ってくれちゃって……どうすりゃいいのさ』
『あーあれな、気に入らなかったかい?』
『気に入るとか気に入らないとかいう問題じゃなくて』

天井にぶら下がっていた猿飛がスタッと降り立ち長宗我部の行く先を塞ぐ、どうせ執務が終わって暇だからと毛利の部屋にでも行くつもりだろう、生憎今は大谷と碁打ちの真っ最中で相手にされる筈はない。

『なんで忍用に湯浴み場なんか作るかな?』

そう、長宗我部が何故呼び止められたかと言うと彼が大阪城の裏庭に湯浴み場を作ってしまったからである、それも忍隊の為にだ。
一応他人の城の庭だからと遠慮して風呂桶は作らなかったが、井戸の水を汲み上げ自動で沸かし、四百年後の未来では“シャワー”と言われるお湯を頭上から掛ける絡繰りで作ってしまった。
それよりも簡易ではあるが脱衣場もついているので湯冷めの心配もないぞというのが長宗我部一押しの部分だ。

『ん?なんか悪いことしたか?』
『……』

なにが悪いって、忍を忍として扱ってくれないところだ。
そもそも海賊業に重きを置いている長宗我部は他の武将とはまた違う視点で忍を見ている、彼にとっては他の仲間と同様に忍は家族なんだろう。
余計なことをする割合なら真田より上かもしれない、真田は昔から忍を使う家系だからか武士には武士の在り方があるのと同様に忍者には忍者の在り方があることも理解してくれている。
長宗我部は自分の価値観を他人に押し付けたりはしない代わりに他人の価値観の中で割り切れない事や受容できない事はハッキリ拒絶する、一番大事なのは自分の気持ちだからと好き勝手優しさを与えてくるのだ。

『アンタらを武器として使っていいのはアンタらの主だけだし、アンタらを心無い草だと思っていいのはアンタに命狙われてる標的だけじゃねえの?俺にとって此処にいる忍はただの仲間、その仲間にしてやりたいことをしてるだけなんだけど……なにが悪いんだ?』

とまぁ、理解不能なことを言って猿飛を黙らせる、この男に理屈は通用しないと言ったのは誰だったか……周りで聞き耳を立てていた余所の忍達が常人には聞き取れないような音量で『アニキ』と呟いたのが聞こえ、猿飛は後でアイツらお説教だと心に決めた。

『あーもう……』

人だけではなく忍を誑し込むとは流石西海の鬼である。

『やれ、なにを騒いでおる揉め事か?』

猿飛が何と言っていいか解らず困惑していると、そこへ杖をついた大谷が声を掛けてきた。
機嫌は良さげだから毛利との囲碁勝負に勝ったのか、しかしどこかズレたところのある彼だから負けて悦んでいるのかもしれない。

『ああ大谷の旦那!聞いてよ!鬼の旦那ったらね!』

主の同盟国の軍師にこのような態度をとれるのに湯浴み場を不相応だと思っている猿飛もだいぶズレている気もするが、長いこと上田の者と同郷の女忍以外には興味がなかった彼が、真田の益になるわけでもないのにわざわざ媚びたいと思う相手などいない、というか西軍武将たちには媚びる必要がなかった。
猿飛が掻い摘んで説明すると大谷は苦笑した後、首を傾げながら言った。

『三成の許可をとってあれば何も問題ないと思うが』

世界が石田中心で回っている彼にとって、そんなもの石田さえ反対していなければどうでもよいことだった。

『だよなぁ大谷』
『でもアレ作るために軍の大切な資材使ってんだよ!無駄使いよくないでしょ?』
『それも、ぬしらがちゃあんと使ってやれば無駄ではなくなる』

城内で病を流行らせぬ為にも体は温かい湯で洗っておいた方が良い、と病人暦の長い大谷が諭すように言う、そんなことは猿飛にも解っているが、それでもまだ納得いかなかった。

『で、でも毛利の旦那は怒るんじゃないかなぁ?忍にそんなもの必要ないとか言ってさ』
『いや、何か不服があるなら長宗我部が何か作っておった時点で言うであろうし……あ、そうか毛利がここ数日黙って裏庭を眺めておったのは、ぬしを見る為であったか』

そろそろ構ってやらねば拗ねるのではないか? と嗤うと長宗我部は照れたように頬を掻く。

『それに皆、自らの口へ入るモノを作る者の体は清潔な方がよかろ』
『今までだってちゃんと清潔にしてたよ!』

猿飛としては、この武将達のお八つを自分が用意させられていることも納得できない一つだった、どう考えても忍の仕事ではない。
初めは主と忍とその場にいる誰かだけのささやかなものだったのが、いつの間にか八つ時になると武将達が一カ所に集まり猿飛が作った甘味を食べるようになっていたのだ。
真田や小早川がよく食べるので最近は部下にも手伝わせ量産しているが部下が怪しい行動をせぬよう神経を張り巡らせながらなので作り終わった後はとても疲れてしまう。

『もう!今度、笑い薬でもいれてやろうかな』
『ヒヒッ三成に眠り薬を盛るのであれば構わぬぞ、ただし気付かれぬようにな』
『やめろよ!毛利が毒見もつけず物を食えるのって此処くらいなもんなんだぜ!?警戒して食わなくなったらどうすんだよ!!』
『え?そうなの?』
『……いや、俺の部屋で出したもんも食ってたけどよ……アイツ自分の家でも暗殺怖れて毒味役に食わせてからじゃねぇと手をつけないらしい』

と、長宗我部は昔聞いたことを話すと猿飛の瞳が細められる、一応真田にも毒身役はいたが、それは形だけのものだった。
毛利のことだから本当に己の家臣すら信用していなかっただろう、身内の暗殺等よく聞く話ではあるが今まで縁がなかったものなので、かなしい。
かなしいと思えるくらい上田の城は恵まれていて、自分は毛利に情が移っていたのかと猿飛は心の中で苦笑した。

『そっかぁ苦労してたんだね毛利の旦那……』

長宗我部の出したものは躊躇なく食していたというのもまた微笑ましく、微笑ましく思うに比例して、かなしい。
毛利と大谷が長宗我部に隠れて何かを画策していた事を知っているから、いつか彼らの間にわだかまりが出来てしまうのではないかと不安だった。
実際起こったのは、わだかまりなんて生易しいものではなかったけど……――四国壊滅の真実が露見し、毛利に襲いかかった長宗我部が返り討ちにあったのはそれから一年もしない内だった。



『で?俺様はどうすればいいの?毛利の旦那』

東西の決戦が直ぐそこに迫って来ているというその夜、こっそりと真田の護衛を部下と代わり、猿飛は毛利の元へ指示を仰ぎに来ていた。
月見台に立つ彼の後ろに膝をつく、半月が此方を笑うように見ていた、この分だと関ヶ原の戦いの日は綺麗な満月になる。

『……そうだな』

猿飛の至福は、主然とした真田から命令を受け、それを遂行した時に味わえる胸の躍るような高揚感だ。
しかし毛利に従う事も彼は嫌いではない、彼の命令ならば唯一の主君に忠実な忍にしては珍しく何の抵抗もなく得心することができた。
たとえば武田信玄なら『やり方はお前に任せる』と命ずる、たとえば真田幸村なら『信じておるぞ』の一言が掛けられる、そんな場面で彼が猿飛に言い放つ言葉は『勝手は許さぬ、全て我の言う通りにせよ』だ。
猿飛は彼の命にいつも短く返事をし、次の瞬間には遥か上空へ駆け出していた……口元には笑み浮かばせて。
毛利の立てる策をけして嫌いではない、合理的で解かりやすいからというのもあったが、方法を指示されていれば何かあった時に自身の心の内で毛利に責任を転嫁できるから、誰かを不幸にしてもそれが自分の所為じゃないと思えるから、そんな後ろ向きな理由だけど彼の指示に従うのは楽だった。
それに己を含めた全てを駒と見る軍師は誰一人の命とて無駄にはしない……猿飛の一番恐れていることは無駄死にだ。
大将を勝利へと導けず、ただ塵のように死んでゆく様を想像するだけで目の前が昏くなる、けれど毛利なら自分を一番上手に使ってくれる、存外優しい彼は猿飛の望みを叶えてくれる気がした。
詭計智将、その策に従った末ならば、たとえ命尽きたとしても未来の真田の幸福の礎となれる、その為ならいくらでも……

『ひとつ訊いてよいか?』
『……?』

頭のよい彼が他人に、しかも忍に質問することなんて初めてだった、大谷や黒田が相手なら珍しくもないことだけど。

『真田は貴様を“心”持った忍だと言っていた……では貴様の“心”とやらはなんの為に生まれてきたのだ?』
『え?』
『……貴様はその“心”を殺す為に生んだのか?』

凛とした声は、なんの抵抗もなく猿飛の中へ問い掛けてきた。
真暗だった猿飛の胸に、いつしか一点だけ光る場所が出来たのは何時のことだったろうか……光は炎を与えられ育ってゆき、ときに優しい闇に守られてきた。
その“心”を殺してしまうのかと訊いたのだ……愛や情といったものを全て取り払い、安芸の安寧と毛利家の繁栄の為に戦ってきた毛利が、よりにもよって忍である猿飛に。

『すぐには答えられないようだな』
『旦那……?』

――ならば、関ヶ原より帰還した際にもう一度問おう――
そう言って振り向いた毛利の後ろで半月は尚も笑って猿飛を見ていた。

『貴様に下す最後の命だ、真田の忍よ――真田を護れ』

どうして、最後の最後になって……

『やり方は貴様に任せる……信じておるぞ』

こんなものを寄越してきたのだろう?



――それから半月後、関ヶ原は茹だる様な暑さだった。
猿飛は炎と噴煙の巻き上がる中を一心不乱に駆けていた。
戦が始まってからいったい何人殺したのだろう、目の前が真っ赤に染まってあの人の姿が見えない、他の皆は無事だろうか、総大将は徳川の元へ辿り着いたか、さっさと終わらせて欲しい、さっさと終わらせてあの場所へ帰りたい、みんなで、誰一人欠けることなく。
――ああ、まだ太陽は沈まない、月の方が好きなのに、夜はまだ遠い、真田幸村の足も止まらない、風に乗り宿敵の名前を叫ぶ声が聞こえる。

(暑苦しいよ旦那)

体中が汗まみれで気持ち悪い、早く帰りたい……

(湯浴みがしたいなぁ)

自分たち忍が皆滅んでしまったら、いったい誰が彼の人が遺したものを使うのだろう、管理の仕方だって自分達しか知らないじゃないか、アレの価値をしらない東軍の者達はきっと壊してしまうだろう。
だから勝って帰りたい、温かい湯に注がれ、真っ新な体に生まれ変わって、そして真田と共に、

(旦那が生きる未来が見たいよ……!!)

そう願った瞬間、猿飛の目の前に黒い龍が舞い降りた。



* * *



人を物のように扱って、人の物を力によって奪う、あの時代に生きていた者なら少なからず持っていた感覚だ。
天下を自分のものにする為に戦い、騙し合い鬩ぎ合う、それが皆共通の認識で……だから“絆”の力で日ノ本を纏めようとした男が異質に見えた。
男の言うことを理想だとは思う、しかし実現するには今までの常識を壊さねばならない、どうして己や己が祖先の必死で守ってきたものを壊してしまえようか。
恨みを捨てることは情を捨てることに等しく、犠牲になってきた者達を忘れることと同列だ。
全ての人にそれを強いるあの男は傲慢に見え、きっと徳川家康は人であることを放棄したのだろうと揶揄する者もいた。
まだ彼が豊臣にいた頃、あんなヒトらしい人間はいないと……思っていたのに……

「……徳川!?」
「徳川氏……」

本部内にある豊臣のオフィスの扉がシュッと音を立て開いた。
ここの部署で働いている豊臣、石田、島、と打ち合わせをしていた竹中、その竹中を探して来た大谷と島を迎えに来た柴田が振り向いた。
扉を開いた徳川を見て声を上げ、名前を呼んだのは大谷と柴田だ。

(何故……)

特に柴田は彼を見て愕然としていた。
つい数分前、大谷がいつか石田を紹介すると言っていたのに、何故自分から石田の前に現れているのだと、疑問ばかりが頭に浮かぶ、また勝手な行動で島の主たちの関係を崩すのかと訝しむ。

「ぬし、どうした?会議室で待っておったのでなかったか?」

一方、大谷は気遣わしげに声を掛けた、徳川が無断で本部に入った侵入者ではないことを豊臣達に伝えたかったのだろう、しかしその表情は戸惑い緊張しているようだった。
オフィスの筆立てにはカッターやハサミ、ペーパーナイフがさしてある、もしあれで徳川に襲い掛かったらどうしよう……石田を庇ったことはあっても攻撃を止めたことはない大谷はさりげなく二人の間に入りいざという時に備えた。

「……すまない刑部、早急に三成に頼まなければならないことができた」

とりあえず大谷の問いに答え、石田や豊臣達の方を見る、堂々と真っ直ぐに、竹中はその瞳にどんな態度であっても受け止めるという覚悟が見えて、彼も変わらないなと嘆息した。

「久しぶりだな三成、ワシのことは憶えているか?」
「……」

刹那、石田の頭に強い電磁波のようなものが走った。
思い出したのは激しい怒りと絶望、虚無感。

「家康……」

固唾をのんで見守る大谷、名前を呼んで次に取る彼の行動が怖い、どんなものであれ自分に深い傷を負わせかねないから。

(家康……イエヤスゥ……イエヤスイエヤスイエヤス)

闇に、呑まれる。
体中が憎しみで満ち、すぐ其処にいる仇を殲滅しようと足に力を入れ一歩踏み出そうとした時、

(ッ!)

大腿に何かが当たった。

「あ……」

ズボンのポケットに入れていた、柴田の“賽”
正確には前世で島が柴田に預けたもので、柴田が生まれた時から肌身はなさず持っていた大切なものだ。
あの島の体調が崩れた日の夜にホテルのバルコニーで石田が托されたもの。

“これから先もし狂気に走りそうになったらどうか思い出してください”

“貴方には貴方の正気を取り戻す為なら自らの身も省みない人がいることを”

“なによりも貴方の心の平和を願っている方がいることを”

これを渡してきた時の、柴田の声が耳の中で木霊する。

(吉継……左近、秀吉様、半兵衛様)

ポケットの中の“賽”を握り締め自分の護るべき存在の姿を思い浮かべた、今生では皆生きて自分の傍にいる。
石田の心は急速に落ち着きを取り戻していった。

「久しぶりだな家康、私に頼みとは何だ?」
「……え?」

予想外すぎる反応に徳川の瞳が大きく見開かれた。

「どうした急いでいるんじゃないのか?早く言え」

しかし今は驚いている時間も惜しい、石田に促され徳川は事情を説明し始めた。
豊臣や竹中も彼に近付き話を聞く、大谷は島や柴田と共にそっと様子を窺っていた。

(徳川?)

大谷は徳川を見ながら不思議に思った。
先程まで堂々としていたその姿が何故かとても小さく、弱々しく見えるのだ。
その姿には自分が勝ち目がないと嫉んでいた他人との距離が異様に近い彼の面影はなく。

(あれではまるで)

肌を焼く鋭い日差しとは違う、まだ皆が豊臣にいた頃……木漏れ日のような優しい空気を纏っていた彼に似ている、若干だが豊臣の目線を気にしているように見えた。

(ああ……そうか)

自分達が生きる時代では徳川が孤高である必要もない、最強の家臣を従わせる必要もなければ、民という不特定多数の者達の為に己の大切な者を犠牲にしなくて良い。
まだ記憶が戻ったばかりで混乱しているけれど、そこにいる徳川は幸せに育ち、純粋なまま成長した彼なのだ。
臆病ですぐ俯いてしまう、先頭を行くよりも最後尾で誰かを支え歩む事を選ぶ、優しく他人の痛みに敏感な、自分達が仲間だと信じていた誰よりも人間らしい彼なのだ。

「そうか、解った……すぐ向かおう」
「……協力して、くれるのか?」

全ての事情を話し終えた徳川は、本多を連れ戻す為、最上の言う結界がある場所へ行こうと言う石田に恐々と訊ねる。
あんなに激しく憎んでいた男が輪廻を回ったくらいで許すのかと、疑問に思っても仕方が無いだろう。

「何故」
「……何故、だと?友を助けるのに理由がいるのか?」
「……」
「そうだよ家康君」

目を見開き固まった徳川に竹中が笑いかける、その横で豊臣が頷いた。

「ありがとう……ございます」

徳川が目元を拭って嬉しそうに口元を歪ませる、素直に笑えばいいのに毛利や大谷にしたようには出来ないらしい。
今までずっと徳川が石田を掬い上げ、手を引き歩み出すのだと、そのまま石田を遠くへ連れて行ってしまうのだと思っていたけれど、違う。
この時代では、過去に囚われているのは恐らく自分達だけで、石田はとっくにそんなもの乗り越えられる力を得ている。
だから今この時、石田三成は徳川家康を攻略したのだ。

「……」

そう思った瞬間、胸の温度が急激に上がるのを感じた。
本多が攫われた一大事だというのに、場違いにも程があるが大谷は感動してしまったのだ。
石田の周りに煌々しい星が見えてしまうこの状態を説明するなら“惚れ直した”という言葉が一番相応しい。
大谷は思わず四人に駆け寄り、石田と徳川の腕をギュッと抱きしめた。

「吉継?」
「ぎょ……刑部!?」

もう地位も領地もないけれどそんな事は関係ない、徳川が豊臣に戻ってきたのだ。
徳川は石田をどこにも連れて行かないだろう、もう石田を傷付けない、絶望させない、あんな哀しい執着だってさせない。
それで充分だ。

「おかえり」

大谷の中にあった徳川への蟠りが綺麗に浄化された。

「……刑部?」
「おかえり、おかえりなぁ徳川」

自分達の間に挟まり震えながら「おかえり」と繰り返す大谷に戸惑いを隠せない石田、徳川はカァァと頬を一気に赤らめる。

「そういえば言い忘れてたね、おかえりなさい家康君」
「うむ、よくぞ戻ってきた」
「ただいま……」

色々と因縁もあるが豊臣と竹中にとって徳川はいつまでも幼い子供のようなもので、その子が自分達を頼ってくればやはり嬉しいのだ。

「再会を喜びたいところだけど、今はそんな場合じゃないんだよね」
「そうだな、本多の元に向かうぞ、左近、勝家、車の準備を」
「は、はい!」
「……承知いたしました」

豊臣の命令で、今まで呆然としていた二人は車を取りに駐車場へと降りて行った。

「家康、最上が言った場所というのは此処から近いのか」
「あ、ああ……」
「……どうしやった?」

大谷が徳川を気遣うように窺うと、傍で見ていた石田の顔がムッと歪み、彼をグッと自分の方へと引き寄せた。
先程前世の記憶を取り戻したばかりの石田は、既に記憶があったような大谷に少しだけ怒っているのだ。
今は本多を救出することが先決だと解かっているので、問い詰めるのは後だと思っているけれど……

「えっと……その場所なんだが……」
「なんだ?訊いていないのか」
「それなら最上の所へ行って……」
「いや違うんだ」
「……」


言い澱む徳川を、石田と大谷の四つの瞳が真っ直ぐ見詰める。
彼にとってこの二人から恨みも邪気もない視線を向けられるのはとても久しぶりのことだった。
そのことが勇気となったのだろう、一度小さく息を吸い、真っ直ぐに前を向きながらハッキリと口を開いた。



「関ヶ原だ」



毛利以外の西軍武将が全滅した、あの地に本多は連れ去られている。







END