あの日からずっと、人から恨まれるような事をしてきたけど
きっと意味などないのだと思う

もし意味があるのだとすれば
それは唯一の存在から憎まれることができた事
俺はその為に自分を大切にする事を放棄してきたのだと思う


どんな形であれ彼の一番を手に入れたのだから

俺の命はとっくの昔に報われていたんだと気付いた


だから

全てを失うその瞬間に


戸惑う事など赦されない




Disire...03




池袋早朝、とあるアパート
そこの住人は軽快な目覚まし音に起こされた

(……夢?か、随分懐かしい夢だったな)

目覚めた住人こと平和島静雄は起き抜けの頭でそんな事を考える
夢には己の天敵が出て来たというのに気分はそこまで悪くならない、逆に懐かしいと感じてしまう夢だった

(ああ、そうだ……あの時だ)

高校時代、静雄はよく放課後の教室で新羅から怪我の治療を受けていた
また喧嘩をし人を傷つけてしまった静雄は相手への怒りも忘れ、落ち込んでいた

「もうまた凹んでる……あのね先に手を出してきたのはアッチなんだから君はそんな気にする事ないと思うよ」

効果がないと解かりつつ一応慰めてくれるのは幼馴染のよしみか、新羅の言葉は静雄の耳には届かない
新羅としても期待していなかったが、ここまでスルーされてしまうと虚しい

「俺は……どうして暴力を振っちまうんだろうな、後から絶対後悔するのになんで同じ過ちを何度も繰り返しまうんだろう」

怒り狂っている時と違い過ぎる、この脆さと後ろ向きさが鬱陶しい
先程ことの元凶の言った「この図体のデカイ優しい馬鹿が」という罵倒かどうか解からない悪口を言ってやりたくなる

「まぁそのうちなんとかなるんじゃない?世の中には君の暴力が好きって奴もいるんだから」

前半は根拠のない気休めだ、しかし後半の言葉は静雄の耳に確かに留まった

「ああ?そんな奴いんのかよ」
「いるよ、酔狂な奴だと思うけど実際に」

信じられないという目線を向ける静雄に新羅は治療の手を止めずに続けた

「静雄の暴力には厭らしさがないんだって、相手を負かそうとか陥れようって気持ちは一切なくて、ただ自分の感情を真っ直ぐにぶつけてるだけだから……」

静雄は己の耳を疑う、感情をコントロールできない事が一番の苦悩だというのに、そこが一番恐れられているというのに、それを良い所だと言ってくれる人間がいたというのが驚きだった

「だから静雄の喧嘩は見てて気持ちいいんだって」

静雄は一瞬それを言ったのはセルティかと思ったが新羅が彼女を「奴」と言うわけがない、変人で有名な新羅とまともに会話できる人間は限られているし
だとしたらそれは……

「こんなこと言う奴、一人しかいないよね?」

それは静雄が折原臨也を殺したい対象以外の存在として初めて意識した瞬間だった
自分が臨也から好かれていると気付いたのも確か高校時代だったように思える
それなら臨也は、もうかれこれ十年近く静雄に片思いを続けている事になる

(自分じゃ気付いてないみたいだが……)

スウェットからバーテン服に着替えながら大嫌いな天敵に想いを馳せた
呆れるほどに鈍感で息苦しい生き方をしている
いつからかその顔を思い浮かべても苛々した感情が浮かんでこなくなっている自分がいるのは気付いていたが、静雄はそれを罪歌の一件の影響だと思っていた

外に出ると冷たい風が身体を撫でた
天気が崩れないといいが……

この日、静雄は弟と食事をする約束があった


同時刻、池袋の高級マンション

「今晩、鍋でいいよね?」
「へ?」

幽の言葉にルリは一瞬戸惑いを見せてしまった
鍋といえば昨晩新宿の情報屋宅で御馳走になったばかりだったからだ

「どうしたの?」
「いいえ、別に構いませんよ……お兄さんは何鍋がお好きなんでしょうか……」

ルリは一度(ハリウッドとして)静雄と対戦し倒された事がある為、初めの頃は名前を聞くだけで怯えていたが
その後、彼の人間性に触れるようになってからはそれも消えた

(平和島静雄さんか……)

昨日、臨也の口からも何度か零れた名前だ
どうしようか、臨也からは絶対に内緒だと言われているが彼には“アノコト”を話した方が良いのではないか
と、ルリの心はグラグラ揺れる、臨也の話を聞いた後、誰かに止めてほしいと願った

(……話しても仕方ないと解かってるし、臨也さんの決意は堅いし……)

ルリは臨也が成そうとしている事が正しいのか間違っているのか誰かに聞いてしまいたかった
臨也本人は全くツライと思ってはいないかもしれない、アレは相当変わった人物だと知りあって間もないルリでも解かる
それでも一番ツライのは臨也だと思った

(駄目だ……そんな事してなんになるの?)

一度でも人を殺した自分に、誰かを責めたり同情する権利はない……臨也は言った、ルリは幽を護る事に専念していればいいと

――今、臨也を止めてしまったら幽も不幸にしてしまう


「ルリさん?」
「え?あ……なんでもないです!この家土鍋ありましたっけ」
「あるよ、大きいのが……ほら」
「本当に大きいですね」

明らかに話題を替えて誤魔化したルリに幽は気付かぬ振りをして合わせた
幽の家には彼が趣味で集めた調理用具が充実している
それはいつか皆で集まって鍋が出来たらいいと思って買い寄せた大きな鍋だった

「今回は一回り小さい鍋を使うけどね」

その鍋を使う時が来たなら、その場に兄と兄の大切な人達が一人残らずいればいいと幽は思う



夕方になり生憎天気は崩れたが静雄は無事に幽のマンションへ辿り着いた

「今日はお店じゃなくてウチで鍋にすることにしたよ」

そう言ったら静雄は「お前と一緒ならどこでも構わない」と、弟に向かってサラっと言ってのけた
ルリは(この人、天然だな)と思いながら鍋の準備に取り掛かる

対面キッチンで鍋に具を並べながら、リビングにいる平和島兄弟の会話を聞いた


「ねえ兄さん、そう言えば臨也さんの噂聞いた?」
「あ?ああアイツがとうとう人を殺っちまったってやつだろ?」

コンロに火を付けようとした手がピタリと止まった
もう、噂になっているのか

――違う、臨也さんじゃない……あの人を殺したのは……殺したのは……

手が震えて仕方がない、今すぐ違うのだと叫びたかった
実際、臨也が自分に澱切を殺させた理由があんなものじゃなかったとしたら、ルリはこの場で全て告白していただろう

「アイツに人を殺す度胸なんてねえよ」

その声がルリの心に波紋のように広がった

折原臨也という人間を信用しているわけではないが静雄は折原臨也に対する自分の勘には自信があった
アイツはまだ人を殺していない
大嫌いと明言している静雄を未だ殺せずにいるのに大好きな人間を殺せるわけがないとも思う

「だとしてもアイツがクソ野郎ってことには変わりねえがよ」

――よかった……よかったね、臨也さん

けして、褒めている訳ではない……むしろ軽蔑しているような声色だが、それを聞いたルリは心からそう思った
折原臨也とはまだ少ししか話していないけれど、彼が静雄をどんな風に想っているのか解からないほど自分は鈍感ではないから

「臨也さん最近逢ってないな……兄さんはしょっちゅう喧嘩してるんだろうけど」
「ああ?お前はあんな奴と関わんねえほうがいいぜ?てか関わんな」
「新羅さんとセルティさんは元気かな」
「ああ、けどアイツらなら今長期で旅行中だぜ?」
「え?」
「なんでも親父さんの仕事手伝うついでのバカンスだとよ」

話題がすぐに臨也から他に移った事に、安堵と複雑な感情を抱きながら
ルリは今度こそコンロに火を付けた

「ふ−ん……」

静雄の話を聞いて幽は珍しく訝しげな表情を浮かべたが、二人ともそれを見逃す


――臨也は昔から新羅だけには危害が及ばないようにしている――

幽はつい昨日、自分が考えた事を思い出し……それがただの杞憂であればいいと思った



続く