君は鏡に写る自分の顔が本物かどうか疑った事ある?

鏡に写っているのは自分の脳が作り出した都合の良い幻で……本物の自分は化物の様な姿になってるんじゃないかって思った事

俺はあるよ?


毎朝、他人に逢うのが怖かった

俺が昨日までの俺の姿をしているとは限らないから


だから毎夜、信じてもいない神様に祈ったんだ



――明日も、いつも通りの日常が訪れますように――って



Disire...04



臨也が人を殺したという噂が広まった頃、彼の周りを賑わせていたゴスロリ衣装の中高生達は示し合わせたかのように臨也から離れた
前もって彼女達が自分に縋るまでに至った原因を排除し、彼女達が本当の家族の元に戻っても安全なよう手を打っていたので特に問題は起こらない

つまり、彼女達は二度と臨也の元に帰っては来ないのだ
それが彼によってもたらされた平穏とは露知らず、今まで彼の元に居た己を恥じ“漸く目が醒めたのだ”と思うだろう

「最後まで馬鹿な子達だったよ……まぁそんな愚かなところも愛しているからね!今まで俺の駒として良く働いてくれていたし……もう二度と関わらないでいてあげよう」

そんな暇もないしね!と臨也は笑った
平気、では無いけど大丈夫。これは覚悟をしていた痛みだと……臨也は波江にはほんの少し本音を漏らした
それは波江が共犯者として彼の真意を知る権利を主張し、彼がそれに甘えた結果だ

「はい、よろしくね」

そう言って波江が渡されたのはズシリと重いガラスケース、そして今ここに居ない彼の妹達だった
ガラスケースの中には長年彼女が憎しみぬいた“首”がいつものように涼しい顔で存在している

「俺が君に任せる最後の仕事だから」

すぐに後ろを向いた臨也の背中が寂しげに見えて、波江は頭を振った。そんなことある筈がない

「君達の今後はネブラに頼んであるから……安心してていいんじゃないかな?」
「安心ね?そんなもの端から必要としていないわ」

この男じゃないが自分だって、自分の目的の為に危ない橋を渡ってきた
それに今までだって無傷でいられた試しはないのだから

安心なんて、持たない方がいいのだ

「いつ、なの?」

波江にしては珍しく主語の無い問い掛けだった

「そうだねぇ……もう準備は万端なんだけど……」

するとその時、壁の向こうに車が停まる音が聞こえた

「ああ、お迎えが来たみたいだね……待たせちゃ悪いから早く行きなよ」
「少しくらい待たせても大丈夫でしょう?こっちは今生の別れなんだから」
「……」

此処は二人の慣れ親しんだ新宿の高級マンションでも、彼らの地元の池袋でもない、ただ小さな排気口と扉があるだけの灰色の箱の中だ
臨也と波江は恋人でもなければ友人でもない、ただ一時的に利害を共有し手を組んだだけの関係
今日同じ食卓に座っても明日には敵同士になっているかもしれない、そんな日々を数年も続けてきた

「あのさ、波江さん……知ってた?」
「何をよ」
「毎朝、君が出勤してきて俺の顔を見て一言声をかける度に俺が“安心”してたって」

臨也は部屋を見渡した

「俺は確かに君がくれる“日常”に救われてたんだよ?」

そして波江を振り返って、彼女に最後の言葉を掛けた
波江は何も返さず、ただじっと臨也を見詰めていた

「……」

沈黙が重い
此処には彼と彼女の他に、数人の『異形』が二人の会話を邪魔しないよう静かに身を潜めていたが皆この空気に耐えきれそうになかった

「行くわね」

居た堪れなくなっている『異形』達に同情してか、波江が扉を開けようと手を伸ばした
その一瞬まで一度も表情を崩さず

「うん……気を付けて」

彼女が退室し暫く経ってから出た言葉は別れの言葉としては不明確だった
そんな臨也を『異形』達は心配げに見詰めていた
自分の愛すべき人間ではないから人間よりも躊躇い無く利用するできる……と、臨也は言った
それでも澱切の元から救い出してくれた彼を『異形』達は慕っている

「なんでかな?君達は人間じゃないのにね」

罪悪感でいっぱいだよ、と泣いてる様に微笑んだ

彼らは化物、しかし長年化物と罵ってきた静雄とは違う……いいや静雄と較べるのは止めよう
そうしないと人間愛もその他の理屈も全て根底が覆ってしまうから、自分を誰よりも生き汚く、誰よりも未練がましくさせるから

なのにどうして自分はこんな時にも彼の事を考えてしまうのだろう――……



……――波江は迎えの車の中で助手席に座っている女に訊いた

「何故貴女が此処にいるのかしら?エミリア・岸谷」

臨也と別れて直ぐに乗り込んだ車の中に、知り合いの義母がいたのだから流石の波江も驚いた
何故なら新羅やセルティ等と共に彼女も森厳の助手として海外を回っている筈だったからだ

「ネブラ関係者が迎えに来ると聞いていたけど……まさか貴女がいるなんて……」

はぁ、と大きな溜息を吐く、彼女が此処にいるということは新羅やセルティも日本に帰ってきているということだ

「あんなに必死に隠しておいたのに岸谷先生にバレちゃったのかしら?」
「ハーイ、ご愁傷さまです!」

そう言いながらエミリアは自分もご愁傷様のような顔をする
おそらく夫婦揃って新羅の怒りを買ってしまったのだろう(ああいうタイプが怒らせると一番怖いのだ)
これからその新羅の元に連行され事情を洗い浚い吐かされると思うと気が重いが、こうなった以上仕方ない
両隣をボディガードに挟まれている状態で(そもそも走行中の車から)逃げられると思っていない波江は大人しく両手を上げる

(デュラハンに逢う前に“首”を誰かに預けないといけないわね……)

その候補として一人の少年を導き出した波江は運転手に言った

「目的地に行く前に池袋に寄ってもらっていいかしら?」

運転手は無言で頷き車線を変更する

その道すがら波江はエミリアに訊いた

今回の事が新羅にバレたのは臨也が新宿から消えた事に気付いた静雄が新羅に電話を掛けたのが切っ掛けだったと

波江は「何故、平和島静雄がそのような電話を?」と一瞬疑問に思ったが……それも一瞬で納得出来てしまう


臨也にとって彼が特別なように彼にとっても臨也は特別だったのだ


きっと新羅に電話を掛ける静雄の中にあった感情(モノ)は
勝手にいなくなった臨也への怒りと、臨也がいなくなった時に直ぐに見つけ出す自信があった、自分への怒り


そしてどうしようもない不安と焦燥感


「莫迦ね……本当に……」

波江は、今日初めて泣きたい気分になった
もし、臨也の言うように静雄が臨也を何とも想っていなかったのなら、自分も何とも思わなかったのに……――どうしてくれんのよ!!


「アイツの企みなんてブッ潰れてしまえばいいんだわ」


波江がポツリと漏らした言葉に、窓の外を眺めていたエミリアは心の中で同意した




END