この世界には悪質な善意と良質な悪意がそこら中に散らばっている
弟しか要らない私にはどちらも疎ましいだけの存在なのに臨也は愚かなそれを愛おしんでいた


「あら?また平和島静雄と喧嘩でもしたの?」

目元に傷を付けて帰ってきた雇い主に声を掛ける

臨也は仇敵の名前を出され一瞬顔をしかめるが直ぐ取り繕い嘘のように涼しい顔で答えを吐いた

「コレは違う……分かってて言うの止めてくんないかなぁ?」

性格悪いよぉ、なんて貴方にだけは言われたくないわね

「貴方が失明させた子の母親ですっけ?」
「そうそ、適当に気絶させて病気の前に置いて来たけど……凄いよね、どこにでもいそうなオバサンがあんな躊躇なく人の眼球抉ろうとするなんて……ククッこれだから人間て面白い」
「別に普通よ……私だって誠二が傷つけられたら同じ事を相手に仕返すわ」
「……うん、そうだよね……」

臨也のデスクまで歩いて座る所作は美しい、書類を掴む指も綺麗で嫌悪する
ただ初めてみた虚ろな瞳は何も映していない、死んだ魚の目のように澱んでいて、これは少し好きだと思ってしまった

(貴方のしたい事に、善も悪もないのよね)

私は知ってる、この男は私が知ってる事を知ってる、それならそんな顔しないで欲しい

「いつまでこんな馬鹿げたこと続けるつもりなの?」

その子を本当に失明させたのは平和島静雄だと、知ってるのは私とあの闇医者だけ
闇医者は貴方と長く一緒にいるから、私は不本意ながら貴方の一番近くにいるから知っている
今回だけじゃない平和島静雄が怪我させた一般人の、その中でも後遺症の残る者全ての感情を貴方が管理している事も知ってるわ

貴方は平和島静雄の喧嘩に巻き込まれ視覚神経をやられた子供の目の表面をナイフで切りつけただけ、痛みも無いしすぐ癒えるだろう傷
それでも切られた本人は臨也の所為で視力を失ったと思った

いつもそう、そうやって平和島静雄に向けられべき憎しみの照準を自らへすげ替える

「だって、あの人達のことを気にしてしまったらシズちゃんが怪物じゃなくなるだろ?シズちゃんは怪物なんだから周りの事なんか気にしないで暴れてればいいんだ。そして皆から恨まれて嫌われて独りぼっちになればいい」

臨也は己の放つ矛盾に気付かない程愚かなのだろうか
貴方が何もしなければ彼は『怪物』で『恨まれて嫌われて独りぼっち』になるのに
ねぇ解らないの?貴方が平和島静雄を嫌う理由と人を好きだという理由が紙一重だって事

「まったくもって馬鹿げてる」
「まぁ、敵は多いに超したことないからね」

無邪気に笑う
臨也が長年かけてきた『計画』の遂行まであと僅か

「ええっと……後、やり残した事はー……」

ねぇどうして私に全部教えるのよ?
どうして人の心を巣喰う言葉を私に遺そうとするのよ?
「忘れていいよ」なんて、無責任過ぎる
私は誠二の事以外で心を痛ませたくないのよ

「反吐が出るわね」
「……波江さん折角綺麗なんだから言葉遣いも気を付けようよ」
「本当に貴方のそういうとこ嫌いだわ」
「そう?俺は波江さん好きだよお」

クスクス笑う仮面の下で臨也がどんな顔をしているのか私は知らない

きっとそれを知れるのは

世界で唯一嫌い合える相手だけだろう




end