【夜想曲:妹子side】


天を仰げば墨を零したような闇夜
こんな夜だからだろうか、一つ試したい事があった

「降りてこい」

実際は何処にいるのか分からない
しかしその闇がその姿に似ている気がして呼んだ
神様を相手にするには不躾な言い種だが彼なら気にしないだろう

「はぁい、呼んだ?」

空が歪んだかと思うと、いつもの服に藍色の布を羽織った閻魔が降りてきた

(やっぱり来た)

それに少し驚いている自分と当然の事の様に受け入れている自分がいた

幼い頃、悪さをすせぬよう『神様が見てるよ』と躾られたものだが、この神様がすべての人間の動向に目を配っているとは思えない
きっと注意して見るのは諸外国の要人くらいなものだろう、本当なら僕は太子のついで程度の価値しかない
それでも閻魔は僕に気付く

四六時中という訳にはいかないが、閻魔が寝静まるくらいを見計らって呼べば直ぐに来た
たまに遅れてしまえば謝ってくれたりもする

まだ逢った事はないが閻魔は秘書に恋をしているそうだ
彼への想いを語る時の態度を見れば自分が特別に好かれているとは思えない
しかし掛け替えのない存在には成っているのだろうと思う

「どうしたの?」

閻魔は時々、子を見るような優しい笑みを湛える

「最近、会ってなかったから元気かどうか気になった」

そんな時、自分は驚く程素直になれるのだ
これはもう神様の力ではないかと疑ってしまう

「そっか」

何でもないような事なのに、閻魔はフッと嬉しそうに顔を逸らした

「妹子は元気だったみたいだね」

「まぁね……良いこともあったし、悪いことも沢山したよ」

正確には良いことの為に悪いことを行ったのだが

「そう……」

閻魔はしゅんとしてしまった

この人は僕に対して夢など見てはいないが、それでも善人だと思っているらしい

どうせ死んでしまったら自分の罪状はすべてバレるのだから、その時のショックが少しでも和らぐよう小出しに告げておく
太子の為に犯した罪だ後悔も懺悔もしない、ただ閻魔大王からすれば赦される事ではないだろう

「しょうがないね」

しかし閻魔自身には赦されてしまう、公平であるべき閻魔が僕には優しかった
それが不思議でならない

「妹子の前じゃ……オレも人間だから……大切な者は贔屓してしまうんだよ」

それにどう応えればいいのか解らなかった

彼の口から『大切』という言葉を聞いたは初めてだった

『大事』な世界だとか
『大事』な仕事だとか
『大事』な存在だとか

そういう言葉なら幾度も聞いている

「つまり僕は閻魔にとって重要ではないけれど必要ではあるんだね」

閻魔は苦笑いを浮かべ、小さく頷いた
重要と必要どちらが勝るかなど解らない、ただ後者の方が気は楽だ
役に立たなくても良い、護られなくても良い……潔癖さと寛容さの比率が狂ってしまうのは問題だけれど……ただこうして同じ時を共有していれば良いのだから

「閻魔はさ、」

こんな夜だから、ずっと言えなかった事が今なら言えるような気がした

「ん?」

「来世も僕を尋ねて来ればいいよ」

言うと閻魔は口をポカーンと開けて固まってしまった

「閻魔を忘れちゃってるかもしれない、拒絶するかもしれない……それか閻魔が軽蔑するくらい、醜悪な人間になってるかもしれない」

「……そんなっ!」

「でもね……逢いに来ればいいよ、ひょっとしたらまた僕のこと必要になるかもしれない」

もう一度『大切』だと思えるかもしれない
それはきっと閻魔にとって凄く良いことだから

「そうなってくれたら僕も嬉しいよ」

だって、
閻魔は僕にとっても大切で必要な人間だから



【夜想曲:閻魔side】


就業時間はとうに過ぎ、食事と入浴を済ませたオレはよたよたと寝台に滑り込んだ
ああ、またこうして何時もと変わらない日が終わる

目を閉じると一点の光すら失われ、このままオレは闇の中に溶けてしまうんじゃないかと思った

「降りてこい」

頭の奥の方から声がして、この言い種は彼だなぁと思った
彼はたまにこうやってオレを呼ぶ
それは決まって寝静まる直前だが全く悪い気はせず、むしろ嬉しかった

オレは急いで起き上がると近くに藍色の布を羽織り彼の元へ向かった

「はぁい、呼んだ?」

着ているのは薄手の普段着なのに何故か耳当てをした彼の前に降りる
すると少し驚き、すぐに満足げな顔になった

今回もあまり彼を待たせずに済んだ事に安堵する
実際、妹子は少し遅れたくらいで怒ったりはしない、それに謝罪すれば快く許してくれる
それでもオレは待たせたくはなかった
冥界の王の立場から見れば太子のついでのような存在だが、オレ自身から見れば掛け替えのない存在だ

「どうしたの?」

子供からの便りを手にした親というのはこんな気持ちなのかもしれない

「最近、会ってなかったから元気かどうか気になった」

封を切ればこんな嬉しい言葉が待っていた

「そっか」

恥ずかしくなって思わず顔を逸らす、何でオレにはこんな素直なんだ妹子

「妹子は元気だったみたいだね」

「まぁね……良いこともあったし、悪いことも沢山したよ」

正確には良いことの為に悪いことを行ったのだろう

「そう……」

返事は力無いものになってしまった
きっと妹子は後悔も懺悔もしていないだろう、それでも全く辛くない訳でも罪悪感を持たない訳でもない
だからこうして閻魔大王であるオレに罪状を告白しているんだ……本人は気付いていないけれど

「しょうがないね」

そう言うと、どうしてそんなに優しいのかと聞かれた

優しくなんかない、ただオレが厭なだけ、妹子に傷付いて欲しくない妹子を赦したい

鬼男くんへ抱く慈愛や愛欲とも、太子に抱く親近感や庇護欲とも違う
妹子には妹子へだけ抱く事が出来る何かがあった
閻魔大王として失格な感情、まるで人間の様だ

「妹子の前じゃ……オレも人間だから……大切な者は贔屓してしまうんだよ」

己の口から『大切』という言葉が出たのは初めてだった

『大事』な世界だとか
『大事』な仕事だとか
『大事』な存在だとか

そういう言葉なら幾度も発している

「つまり僕は閻魔にとって重要ではないけれど必要ではあるんだね」

あっさり出されてしまった答えに苦笑いを浮かべ、小さく頷いた

そうかオレは彼が必要なのか、必要だからこうして逢いに来て同じ時の中にいるのか

「閻魔はさ、」

「ん?」

妹子が遠くを見詰めながら語る

「来世も僕を尋ねて来ればいいよ」

あまりに予想外で魅力的で優しくて残酷だった
オレがなにも言えないで妹子を見ていると、その瞳が微かに揺れた

「閻魔を忘れちゃってるかもしれない、拒絶するかもしれない……それか閻魔が軽蔑するくらい、醜悪な人間になってるかもしれない」

「……そんなっ!」

そんな筈はないと言い切ってしまいたかった
だがオレが閻魔である故それが出来なかった

でも、オレは妹子の魂を絶対に軽蔑出来ない、コレだけは確かだ

「でもね……逢いに来ればいいよ、ひょっとしたらまた僕のこと必要になるかもしれない」

そうなれたら、どんなに素敵だろうか
彼の死の先にある世界に希望を持っても良いのだろうか

「そうなってくれたら僕も嬉しいよ」

でも今は、
そう言ってくれる君がいればいい





END