ねぇ……知ってる?

寝言に返事したらその人は二度と目覚めないんだって

だからね

もしオレが寝言で君の名前呼んだらちゃんと返事して欲しいなぁ


だってそしたら永遠に君の夢をみていられるでしょ?




無限回廊朱景色





よく晴れた日の午後、オレは家の近所の小川で釣りをしていた
この時期は鮎がよく釣れる
昨日採った山菜と一緒に天ぷらにしたら美味しいよねーとか、ぼーっと考えていた

あ、そうだ

「いっぱい釣れたら隣にお裾分けしよう……」

独り言のように(実際独り言だが)呟くと背後から聞き慣れた声がした

「それは有り難いね」

「っ!?」

振り返ると琥珀の双眼がオレを優しく見下ろしていた

妹子だ

気配が無かったから急に話し掛けられて驚いたけど

「やっほー妹子、どうしたの?」

自然と穏やかな声が出た
だってその筈、妹子はお隣さんで小さい頃からずっと一緒にいる
優しくて頼りになるオレの大切な友達

「野菜冷やしに来たんだけど……ヤマが釣りするならもっと川下にいくね」

「え?いいよ此処で」

「でも魚逃げるでしょ?」

逃げたとしても、またすぐ戻ってくるよ
それに……

「野菜冷やすくらいで逃げ出す魚ならいりません!」

「なんだそれ」

意味不明、という顔をされた
でもオレは離れて行っちゃうのが寂しいっていうか何か引き留めておきたかった


だって次はいつ逢えるか分からない


(……え?)


あれ?なんでそんなこと思うんだ?妹子はお隣さんだからいつでも逢えるのに

「ハァ……わかった野菜はそこで冷やしとくしアンタにも付き合うよ」

パッと顔を上げると妹子は「しょうがないなぁ」という風に笑っていた
オレが大好きな表情だけど……違和感が生まれる


いつも、いつも大好きだと思ってた表情
でも、それを向ける相手はオレじゃない

オレなんかじゃなくて


「……妹子」

「なに?ヤマ」

違う、君はオレをその名前で呼ばない

「明日、妹子ん家に遊びに行っていい?」

「いいよ」

そんな笑顔オレに向けない

「ヤミーも一緒にいい?」

「うん、そっちの方が子供達も喜ぶよ」

オレに妹なんていない
妹子に子供なんていない

「明後日も明々後日も……その次の日もずっと……」

「いいよ、毎日おいでよ」

君はそんなに優しくない
ううん……優しいからそんなこと言わない

「……仕事は?忙しいんじゃないの?」

「仕事?」

妹子はキョトンとした顔で不思議そうにオレをみた
本当に優しい瞳で優しい言葉でオレを気遣ってくれる

「ヤマ、大丈夫?さっきから何か変だよ?」

変なのはオレじゃなくて君
ううん……この世界そのもの

「妹子はね……飛鳥ってとこでね遣隋使っていう重大な任務を任された人だよ」

「飛鳥?遣隋使?」

「今は大徳っていって摂政の次くらいに偉い人」

「摂政?」

「おぼえてない?『聖徳太子』を」

妹子は暫く思案した後、ゆっくり口を開いた



「誰なの?それ」




オレは堪らなくなってその場から逃げ出した
遠くから焦った様にオレを呼ぶ妹子の声がする

オレを心配してオレを引き留めようとする声

振り返りたい
振り返って抱きついて泣きついて
ずっとずっと甘えていたい

でも違う
そんなの妹子じゃない

オレの知ってる妹子はもっと…………



これは心のどこかで望んでいた世界かもしれない
でも、もう厭だ

これは虚しくて惨めで赦されない事だから

そう思った瞬間、景色はぐにゃぐにゃに歪んで

現れたのは朱色の廊下
その真ん中で小さな子供がうずくまっている

その子が誰かなんてすぐに分かった
とても見覚えがある子

忘れる筈もない


「ヤマ」

「ふっ……ごめんなさい」

声を掛けたらビクッと震えて泣き出した

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「なんで謝るの?」

「え?」

顔を上げたその子をギュッと抱きしめる

「素敵な夢をみせてくれて有難う……ちょっとの間だけだったけど幸せだったよ」

これは妹子に『甘えたい』『優しくされたい』っていう心が生み出した夢なんだね

「いいの?許してくれるの?」

「勿論、君はオレの大切なモノだから」


ずっと大切に持っててあげる

叶わなくても傷付くだけでも

オレが妹子を大好きだって証だから



ほら、一緒に帰ろう?






* * *



目を醒ますと薄暗い部屋の中だった

「ん……いてて」

起き上がると頭痛がした少し寝過ぎたのかもしれない

廊下から誰かが近付いてくる気配を感じる

「ああ起きたんだ閻魔……」

障子が開けられて部屋に光が入ってくる
眩しくてよく見えないけど、この声は……

「おはよう妹子」

「おはようって、もう昼だけど?」

「ふふっ……あれ?妹子今日仕事は?」

「有給とったよ、誰かさんが起きないから」

「え?」

急に怖くなった
もしかしたらまだ夢の中にいるのかも

「閻魔がうなされて何度も僕の名前呼ぶから」

あ、ああそれで休んでくれたの
優しいな妹子は

「でも、じゃあ起こしてくれたら良かったのに」

「……だって」

「ん?」

妹子は少しどもりながら続きを言った

「他人の寝言に返事したら、その人二度と目覚めないって言うから……」

「…………」

「閻魔にしてみれば、その方が幸せかもしれないけど……って、何くっ付いてんの閻魔」

そう、オレは思わず妹子を抱きしめていた

「妹子」

「なに?閻魔」

この名前を呼ばれるのを幸せだと思ったのは初めだ

「うきゃーやっぱり現実の妹子が一番だよぉ」

「はぁ?」

「妹子、妹子ぉもっかい名前呼んで?今オレ起きてるからさぁ」

「何故……」

「いいから呼んでよー」

「はいはい……閻魔」

「ふふふー妹子」

「このオッサン本気キモウザい」


そう言いながらもう一度オレの名前を呼んでくれた


ねぇ妹子


どんな幸せな夢の中からでもちゃんと帰ってくるから

起きてる時はオレの言葉に返事をしてね






end