その日、一匹の猫は彼の膝の上で微睡んでいました
片手で筆を走らせながら彼は時々もう片方の手で猫を撫でます
その度に猫の喉はゴロゴロとなるのです
そこから見える変わりばえのない風景は猫にとっての安心でした

部屋の隅に馴染んでいる色の褪せた箪笥に日が差し掛かったところで一人と一匹は同時にお腹を慣らしました

「……」
「……」

顔を見合わせて数秒、猫はニャっと笑い彼の膝の上から降ります
そして猫はポンという音と煙を立てて人間の姿に変身しました
人間になった猫は彼の背中に抱き付いて楽しそうな声をあげます

「今日は土産があるんだ!お茶淹れてくるから待ってて!」

彼は抱き付かれたことに対して特に気にした様子もなく猫だった人間に振り返って言いました

「たまには僕が淹れてくるよ、アンタ一応お客様だし」
「あれ?お仕事は?」
「もう終わった」
「……そっか」

猫は嬉しそうに笑います
これでやっと構ってもらえるからです
そんな猫を背中に張り付かせたまま彼は立ち上がりました

「うわっ!ビックリしたぁ!!」
「うわっ軽ッ!アンタちゃんと食べてる?」
「君が筋肉オバケなんだよ」

そもそも体系が変化するかどうかも分かりません

「でもこの重さは太子をおんぶした時以下だよ?」
「……オレだっていつも鬼男くんに運ばれてるもん!おぶるってより担ぐって感じだけど!」
「なに対抗してんの?」

少しムッとした猫を背中から剥がして彼は言います

「でも本当痩せすぎだよ」
「別に体調が悪くなる訳じゃないから大丈夫だよ」
「そうかもしれないけど……うちに来る前と来た時くらいちゃんと食べなよね」
「それは暗に毎日食べろって言ってる?」
「そうだね」
「……わかった」

猫は彼に“これからも今まで通り来てもいい”と言われたようで嬉しく感じました

「それじゃお茶淹れてくるから縁側で待ってて、誰かに見られたらマズいから猫姿でね」
「はーい」

彼にそう言われたので人間だった猫は元の姿に戻りました
猫が縁側で待っていると暫くして急須と湯呑みを乗せたお盆を持って彼がやって来ました

「お待たせ」
「ありがとー」
「どういたしまして」

お盆を真ん中に置くと、彼は猫と並んで腰掛けました

「じゃーん、これがさっき言ってた土産」

そう猫が差し出したのは赤黒いタレの掛かった串団子でした

「地獄名物血の池団子だよ」
「…………」

彼は団子を凝視したまま動きを停止させてしまいました

「どうしたの?」
「……ねぇ?この赤いのって……まさか」

ぎぎぎ、と壊れたブリキのように彼が顔を向け訪ねると猫はキョトンとして首を傾げました
暫くして猫が何かを察するとニャっと笑ってこう言います

「血じゃあないから大丈夫だよ」
「そうか……よかった」
「何が使われてるかは店のご主人教えてくれなかったけど」
「おい!」

ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、彼を脅すようなことを猫が言うので彼は思わずツッコミを入れます

「まぁオレに売るくらいだから変なもんは入ってないでしょ」
「それ鬼の感覚ででしょ?絵とかみてたら人も食べてるじゃん鬼」
「あんなの嘘うそ、食べない食べない」

彼は訝しげに猫を見つめます
猫は嘘を吐くのが上手いからです

「本当に大丈夫だって、ウチの秘書っ子がよく買ってきてくれるものだから」
「……アンタって部下に裏切られて死ぬタイプだよね」
「ハハッ本望」
「殺しても死ななそうだけど」
「たしかにー……ってなんか怒ってる?」
「別に?太子は殆ど側近に毒味させるのに冥界は随分ユルいなぁと思って」
「それはオレ丈夫だから……多分太子も最初から君が作ったって言えば毒味なんてさせないと思うけど……?」
「僕の料理の腕知ってるでしょ?」
「いや、普通だと思うけど?……でもあんまオレ以外に食べさせたくないかも」
「はい?何か言った?」

猫の台詞は最後の方が小さくて彼には聞き取れなかったようです

「うんにゃ、ただ君の出してくれるものだったら安心して食べれるのに太子はもったいないなー……って」
「アンタも危機感ないなぁ、今淹れたお茶だって毒が入ってるかも知れないのに」
「ちょっ!止めてよ!コッチの世界じゃ冥界にいる時より耐性ないんだからね!」

そんなに怖ろしかったのか猫の毛が尻尾からてっぺんまで一気に逆立ちました
彼は猫を見ながらおかしそうに笑っています

「コッチだとよく馬鹿やって怪我するもんねアンタ……そんな世界に護衛も付けずによく来れると思うよ」
「コッチは冥界より安全だもの、それに護衛なんかいたら気が張るし君も家に上げてくれないでしょ?」
「まぁアンタがいるなら断りゃしないけど迷惑だよね」
「ほぼ二日おきくらいで来てるもんねーオレ」
「本当……アンタ一人じゃなかったら許せないだろうね」
「オレも君じゃなかったらこんなに甘えないよ」
「え?」
「ふふふ……」

猫の顔では表情が読み取れないのですが彼には、はにかんだ様にみえました
ふと横の湯呑みが空になっているのに気づき彼は二杯目のお茶を注ぎます
色はすっかり渋くなっていましたがまだ湯気は上がっていました

「……美味しい」
「でしょ?やっぱりオレの舌に狂いはない!」
「秘書さんが見付けてきたんでしょ」
「でもその中から妹子も好きそうなやつ選んだのオレだもの」

猫が持って来た冥界の土産は何か甘酸っぱい味がしました

「ここから見る空はいつも綺麗だねぇ」
「こうやって見ると一段とね」


その後、静かになった二人は空が暮れるのを穏やかに見詰めていました