時刻は午後9時半を少し過ぎた頃
ファーストフード店のバイトを終えた妹子が店から出ると見知った姿が目に入った

その人はガードレールに腰を掛けて自分の手先を見詰めているので妹子には気付かない
その人は普段着ているような洋服ではなく、濃紺に焔の柄が入った着物を身につけ頭に妙な形の帽子を被っていた
いつもと様子の違うその人に声を掛けるのが躊躇われたが
それでも自分を待っていたであろうその人を放って帰れない妹子は、思い切って話しかけた


「閻魔?」


その声に気付いた閻魔は顔を上げた
いつも黙っていてもどこか楽しそうに見えるその顔が
今は少しだけ哀しそうに見えた

「どうしたの?」

ここで妹子はある事に気が付いた。

赤、白、黄色、行き交う車のヘットライトが閻魔を透り抜け自分の体を照らす

恐る恐る手を伸ばしてみるが閻魔に触れる事は出来なかった
閻魔の身体が透けている

「オレは君の知る閻魔じゃない」

「へ?」

よく見ると、それは普段見る閻魔とは違う
成長した大人の顔だった

「我は閻魔大王、冥界を統べる者……今日は君に頼みがあって来た」

弱々しい声、苦しそうな息遣い
それでも強い瞳を湛えた閻魔は妹子の前に跪いた

「どうか力を貸して欲しい……」

「閻魔……?」



妹子は思い出した


『よく、おぼえておきなさい』

小野の家に代々伝わる使命

小野家には代々伝わる誇り

特別な者だけが受け継げるその名前

選ばれた者だけが使える秘密の名前

『ひょっとしたら今度選ばれるのはお前かもしれない』


祖父から何度も言い聞かされた


『その時はお前が閻魔大王をお守りするんだ』


妹子は目の前にいる、その人を見詰め呆然と立ち尽くす

伝説となった祖先の名“小野篁”の名に懸けて自分が守り従うべき存在“閻魔大王”だ


「閻魔……様?」


掠れた呼び声は届かず、今にも消えそうな閻魔は


「お願い!鬼男くんを……太子を守って!!」


そう必死に叫んで姿を消してしまった


そして、


閻魔が存在した跡には一枚の小さな鏡が残った



* * *



引き続き阿部の探偵事務所
なんでも閻魔に危機が迫っているらしいのだが、なかなか理由を言わない夕子に痺れを切らし阿部は問うた

「それはニャンコさんが冥界に帰っているのと何か関係あるのか?」

「え!?ニャンコさん実家に帰ってるの!??」

どおりで最近見かけないはずだと、大江は明らかにガッカリした様子を見せる

「香織くんはニャンコさんが好きだからな」

からかうように言うと無言で脇をどつかれた

「何だ?照れてるのか?」

痛そうに脇を押さえながらも笑顔で聞いてくる阿部に大江の顔は真っ赤になる

「うるさいなぁ」

「フンッ……まぁ頑張れ、相手は強敵だからな」

「ほんとうるさい!阿部さんだって太郎くんみたいな純情少年相手に苦労してんじゃないの!?」

「な!太郎くんは今関係ないだろ!!」

「最初に関係ない話したの阿部さんじゃない!!」

目の前で漫才の様な喧嘩を繰り広げる二人を放置して夕子とアマンダはヒソヒソ話を始めた
そして話し終えると遠慮がちに手を挙げこう訊ねた

「あのすみません……ニャンコさんってどんなニャンコさんですか?」

すると二人は喧嘩をピタリと止め

「ニャンコさんは「ニャンコール」のニャンコさんだ」

「そうよ「ニャンパラリー」のニャンコさんよ」

「それは「ニャンコルール」のニャンコさんでーすね?」

夕子は四人の会話の低次元さに少し頭が痛くなったが、きっと寝てない所為だとすぐ気持ちを切り替えた

「ニャンコさんとはどのようなご関係で?」

「ニャンコさんは私の式神だ」

「ええ!!?」

夕子とアマンダは盛大に驚いた

「貴方があの阿部さんでーすか?」

「あ……ああ多分」

「……あの阿部さんがどの阿部さんか解からないけど阿部さんは阿部さんだよ」

すると二人の表情が難いものへと変わり

「阿部さんには教えておいてもいいかもしれませんね」

「な?なんだ?怖い話か?」

「怖いとはちょっと違うんですが……」

「そうか……でも私は聞いておいた方がいいんだな?」

夕子とアマンダが頷くと、阿部は大江に向かってこう言った

「悪いが香織くんは少し席を外していてくれないか?」

「はぁ?なんでですか?」

「何やら深刻な問題らしいからな、お前を巻き込む訳にはいかない」

そんな阿部にこの人でもこんな男らしい事を言うのかアマンダはと関心した
しかし大江は

「イヤですよ、ここまできたら最後まで巻き込まれます」

「……おい」

阿部は聞いた事のないような低い声で牽するが大江は怯むことなくハッキリとした口調で一気に言った

「この二人をここへ連れてきたのは私ですからきちんと責任をとります
 ニャンコさんもいない今、貴方が危険な目にあった時、誰が貴方を守るんですか?
 それにそうやって何でも一人で抱え込もうとしないで下さい……貴方一人の体じゃないんですから」

「……人を妊婦みたいに言うなよ」

「妊婦さんより心配です」

「………」

阿部はそれ以上なにも言わなかった、それは此処にいてもいいという証だと勝手に思う
大江は心の中で「勝った」と思った

「あの……話を進めていいですか?」

「え?あ、ああ!」

「実は冥界では今、廃仏運動が起こってるんです」

「はいぶつうんどう?」

「解かりやすく言ーうとクーデターでーすね」

「地獄に堕された人間と一部の鬼達が神仏制度を無くして冥界を天国も地獄もない、地上と同じような世界にしようとしてるんです」

「え?神仏って制度なの?」

「いえ……でも他に解かりやすい言い方がなかったので……」

「そんなわけで今冥界ではー各地で過激ーなテロ活動などが盛んに行われて大変なのでーす」

「へぇ……」

スケールのでかい話をいきなり聞かされて頭が付いていかない阿部と大江

「それで……閻魔は無事なのか?」

「はい、沢山の獄卒達によって御身は守られています……ただ閻魔様は一応崇仏派をとられているのですが……」

「ですが?」

「関係ない人が傷付かないようにと王宮で多くの人間を匿っていて……それで他の神仏から反感を買ってしまって……とても厳しい立場に立たされています……それと……」

「それと?」

またも言い渋る夕子に阿部は続きを言うよう促した

「廃仏派のリーダー二人が閻魔様と大変親しい方達で…」

「誰だ…?」

「………」

言っても阿部の知る人物ではないのだが、夕子は律儀に答えた

「武田信玄様と卑弥呼様です……」



夕子は俯き下唇をかみ締めた


何故あの二人があんな事としたのだろう……本当に閻魔大王と仲が良かったのに





続く