君は手を伸ばせば届く所にいる

でも触れられない

逢おうと思えば逢いに行ける

でも君は覚えていない


ただ繰り返す言葉


「どうか幸せに」


それはきっと「さよなら」より切ない言葉


力ない押し付け


脳髄の内側にそれだけが存在している



* * *



そして五人を見送る時間になった


「それじゃあ閻魔」

「うん、バイバイ……気をつけてね」

「お元気で、無理なさらないように」

「うんありがと鬼男くん」

「またねー」

「じゃあねー!!」


いつまでも手をブンブン振り続ける太子に妹子が「いつまでそうしてんだよ!!」とツッコミをいれ
そして「アンタもまた連れてきてあげるから」と優しく諫めていた


そんな二人に笑いが零れた
役目を終えた門はゆっくり消えていく

すべて消えた後、悟空は閻魔に訊ねた


「……太子と鬼男に、冥界での記憶を返していないのか?」

「うん」

確認した悟空は「だから記憶の戻った二人のリアクションが薄かったのだな」と納得した


「何故そうした?……まぁそのお陰で妹子に太子との記憶を思い出させる事が出来たんだが……」

「あの子と鬼男くんが仲良くなるには、そうした方がいいんだよ」

「では……焔魔の為に?」

確かに閻魔大王の記憶が残る鬼男が他の者と恋愛など出来ないだろう

「オレとあの子が別人なのと同じ様に、鬼男くんもあの頃とは別の人だよ……だから、いつまでもオレに縛られてちゃいけない」

「だとしても、それではあまりにも……」

「これでいいんだよ」


言い終わった後、門が消えた跡をじっと見る


「……」

悟空は何と声を掛ければいいか分からず、ただ立ち尽くしているだけで

「さ、通常業務再開だ!早く名簿持ってきて」

振り返った閻魔の笑顔は、どこか無理をしていた



――数か月後……



秋分もとうに過ぎ、野山もすっかり秋らしく色付いて
日和学園・生徒会総選挙も近づいた日の放課後

ひとりの少年が屋上の隅で丸まっていた
衣替えしたばかりの黒いブレザーを着込んでいるのを見るとこの学校の生徒のようだ


「う〜ん」

少年はレポート用紙とシャープペンシルを持った手で自身の頭を抱え込んだ

「まだ悩んでんのかアンタ」

そこへもうひとりブレザーの少年が近づきその隣に座った

「鬼男くん……」

「ひとりで考えるっていって、いつまで経っても戻ってこないから」

「うぅーごめん!」

「謝んなくてもいいけど」

鬼男と呼ばれた少年は屋上のコンクリート床に手を付き背中を仰け反らせた
空はもう茜色だ

「そんなもん適当でいいんじゃないか?」

「適当に書けないから悩んでるんでしょ!」

鬼男に向かって怨めし気な視線を向ける
その少年の名は閻魔といった

「オレこういうの向いてないんだってばぁ」

「じゃあ他の人に代わってもらえば?」

「それはやだ」

「じゃあ頑張んなきゃだろ」

「……うん」

そう言って閻魔が再び丸くなりレポート用紙と睨めっこを始めると
鬼男はその首根っこを掴んで立ち上がらせた

「もう外は暗いから続きは帰ってからにしろ、目が悪くなるぞ」

「そうだね、太子も待ってるし……太子心配してた?」

不安げに窺うと鬼男は呆れたように笑った

「ああ、そうだな」

全てが太子中心……という訳ではないが閻魔の動向はいつもどこかしら太子と繋がっているように思える
今現在、閻魔を悩ませてるのも太子関連だったりする

(ったく……苦手なら応援演説なんて引き受けなきゃよかったのに)


それは一週間前の事

「生徒会?立候補?」

「僕と太子がですか?」

終礼後、担任の服部半蔵に残るように言われた太子と曽良
一緒に帰る約束をしていた閻魔を教室の外で待機させ、半蔵の話を聞くと

「うん、ふたりに次の生徒会選挙に出てほしいんだ」

どうやらそうゆうことらしい
半蔵の台詞以上に解りやすい説明は今のところ思いつかない

「嫌ですよ面倒くさい」

「ええー?曽良出ないのか?楽しそうじゃないか」

「それなら太子と仲良しな人で出ればいいじゃないですか……僕は遠慮しておきます」

「あーでも妹子わりと忙しいからな」

太子は妹子のバイトや家業を思い浮かべた
あれと生徒会の両立は難しいだろう、それに冥界での役目もある、同じ理由で閻魔も無理だ

「そうだなぁ妹子達と遊ぶ時間が減るのは残念だけど……楽しそうだな」

「…………」

「どうした?」

「いえ……」

太子の台詞、以前なら閻魔の名前が当てはまっていた箇所に今は妹子が入るようになった
その変化をみることで曽良の中にあった予感が確信に変わった

「曽良くんは本当に出てみる気ないですか?」

以上の流れから太子は多分イケると踏んだ半蔵は、今度は曽良に焦点を当てて頼む
とはいっても曽良がそう簡単に釣られるわけがないと思った半蔵は最初から奥の手を出す事にした

「きっと楽しいですよ、他の立候補者も学園の人気者から選んでますし、たとえば隣のクラスからは松尾芭蕉くんが……」

「出ます」

曽良は間髪入れず申し出た

(よ、予想以上にあっけなかった……)

あまりのあっけなさに半蔵はあっけにとられる

「曽良が出るなら私も出るー!曽良がいたら生徒会も絶対楽しいぞ!」

「まだ当選すると決まったわけじゃないでしょう……って、くっ付いて来ないで下さいウザ男が」

「う、ウザ男ってお前……」

太子と曽良が仲睦まじく会話し始めたので半蔵は必要事項だけ告げて退室することにした

「じゃあコレ、申込用紙と……あと決意表明までに誰か推薦人も用意しておいてくれ」


日和学園における推薦人の仕事は立候補者の選挙運動時の付添いと決意表明時の応援演説である
それくらいなら大した負担にはならないと思い至った太子は、当然のようにこう言った

「よし!それなら私は閻魔にやってもらうぞ!」

それを聞いた曽良は少し考えてから

「では僕は平田にでも頼むとします」

と、言った
そんなわけで太子のお願いを断るのが世界で一番苦手な閻魔は、太子の推薦人として応援演説をしなければならなくなったのだ

それから一週間、冥界にいる時以外はずっと応援演説の原稿に悩まされている閻魔

「早く行こう太子が待ってるよ!」

そう言って急いで降りる後ろ姿を鬼男が階段の最上部から眺めていると、閻魔が振り返り手招きをした

「鬼男くん、早く早く!」

「はいはい」

ふらふらと色んなものに興味を示しながら歩く閻魔の隣にいると、まるで小さな弟をもった兄貴のような気分になる
鬼男は冥界での記憶を失ったと同時に閻魔を好きだった気持ちも忘れてしまっていた

「おかえりー閻魔、ちょっとは進んだ?」

教室に戻ると太子と、何故か妹子が待っていた

「ただいま、んーまぁなんとかなるんじゃないかな?」

閻魔がヘラヘラ笑いながら言うと、鬼男は嘘吐け!と心の中で突っ込んだ

「ところで鬼男さん!妹子から聞いたぞー?お前も選挙出るんだってな」

「え!?そうなの!??」

「まー……そうだな」

「えー?何で教えてくれなかったの!?」

少しショックなのと申し訳ない気持ちが漏れ出した
自分の選挙で忙しい筈の鬼男を、ずっと原稿に付き合わせていたのか

「ごめんごめん、なんか気恥ずかしくてな……ちなみに推薦人は妹子だよ」

「そうなの?」

「うん、なんか馬子先生に勝手に決められちゃって……」

前世からの習慣で馬子の命令にはどうしても従ってしまうらしい妹子

「そう……なんだ……」

閻魔はそれを聞いて太子がどう思ったのか気になった

(オレより妹子の方がいいよね?やっぱ……)

不安げに視線を送る閻魔に、太子はなにを思ったのかギュッと抱きついてきた

「閻魔!閻魔!演説楽しみにしてるからな!」

「そんな期待しないで〜……ハッ!ていうか妹子の視線が痛いんですけど!!」

「やきいもは勝手に妬かせとけぇー!」

「はぁ?なに言ってるんですかバカ太子、アンタと閻魔なんか兄と妹の戯れ程度にしか見えませんよ」

「妹ってとこ訂正してーーー!!」



* * *



決意表明、当日
全・立候補者と推薦人は檀上の前で一列に並び、各々の順番が回ってくるのを待っていた


「めっちゃ緊張する」

「大丈夫か?閻魔」

「うん大丈夫」

太子と小声で喋っていると隣から鋭い視線を感じた
閻魔がバッとそちらを見ると顔色と目つきの悪い痩せこけた男が此方をじっと見つめていた

(誰?見たことない顔だけど……)

同学年ならコースが違っていてもだいたい解るのに、そう思って見ているとその男がボソッと何か呟いた

(え?)

ハッキリと聞き取れなかったが、閻魔は名前を呼ばれたような気がした
まさか、たぶん聞き間違いだろう

そうこうしてるうちに自分の番が刻々と迫ってくる
閻魔の番になり、閻魔はそのまま壇上に上がる

(……なんか吐き気がしてきた)

こんな大勢から視線をもらうのは初めてで、正直言って怖い
しかいし閻魔は心を無理やり落ち着かせて原稿を開いた
自分がしっかりしないと太子に迷惑がかかってしまう……それだけはどうにかして避けなければ

(ん?)

よくみると原稿の端に小さく書かれた文字があった、「頑張れ」と、
見た事の無い字体だが不思議と誰のものかわかる
この字は

(……鬼男くん)

閻魔は原稿を机の上にそっと置き、全校生徒を見据えた
深呼吸の後、ゆっくりと口を開く

原稿とは違う言葉に鬼男は少し驚いていたが
聞いていく内にだんだん穏やかな表情に変化していった

(馬鹿だなオレ……太子を疑うなんて……)

原稿を書くのに手間取ったのは、きっと太子をもっと独り占めしていたかったから
でもそんなんじゃ、いつまで経っても自立できない

(他の誰を想っていても……オレが太子にとって特別な存在なのは変わらないのに)

太子の良さを皆に分かってもらうには
綺麗に着飾った言葉じゃなくて
拙くても自分の本心がいい

(鬼男くんのお陰で目が覚めたよ)



檀上を降りて一番初めに目に入ったのは、とても嬉しそうな太子の笑顔だった




続く