ある人は天国は雲の上にあるのだと言った
実際は違うが、そう思わせるには充分な程に宇宙は遥か広く、星空はやけに近く感じる
そして太陽はいつもあたたかく天国を照らしていた

「閻魔」

ここは王宮内にある閻魔大王の寝室、悟空がノックもせずに扉を開けると閻魔は寝台の端で布団を被り、貝のように座っていた
階下から死霊達の声が聞こえる
クーデターによって行き場を失った天国の住人の嘆き

「なに?」

「大日如来様から文が来ているが」

「そう……ここまで持ってきて」

言われた通りにすると閻魔は悟空に礼を言ってそれを受け取った

「卑弥呼嬢の事か?」

「うん、クーデターの謝罪と……」

自分が地上に落としてしまった罪の子をどうか赦してやって欲しいという懇願が込められていた

「言われなくてもオレがあの人を怒るわけ無いのにね」

「そうだな、お前が大日如来様を怒るとしたら妹子にあんな力を与えてしまった事くら……」

「悟空」

閻魔は、か細い声で悟空を制した
悟空は閻魔の顔を覗き見ると眉を顰めた

「また、だいぶ弱ってきているな」

階下で匿う人間達から出る気に中られてしまっていると考えると悟空は人間達がどうしようも無く憎く感じた

「仕方ないよ……夜だから」

夜は不安も恐怖も怨念も全て増幅させてしまう

「随分と慈悲深いんだな?閻魔大王」

「君だって転生していた頃はただの人間に随分ご執心だったじゃない?孫悟空」

「……アイツはただの人間じゃないだろ」

あの頃自分の師だった人は今はもう手の届かない所にいる

「悟空だって大人しくしてれば昇格出来るのに……悪戯が過ぎるからこんな所に回されちゃうんだよ」

「ハッ上等だ……お前は迷惑だろうけどな?嫌いな奴に世話されて」

「まぁ確かに悟空の事はキライだけど……」

閻魔は悟空の手を握り、引き寄せると妖艶な笑みを浮かべた

「好きじゃないとも言ってないよ?」

「ハッ冗談を」

「……からかい甲斐の無いんだから」

「お前は閻魔、小悪魔にはなれないぞ、まあ鬼男なら引っかかるだろうが……」

言いながら顔を窺うと閻魔は何かが喉に詰まった様な表情をしていた

「さて、はぐらかすのも好い加減にして」

悟空は閻魔の手を引いた

「もう何日も寝てないだろう?そろそろ妹子の部屋へ行け」

そう言って閻魔を浄瑠璃の鏡の前に立たせると、その背中を思い切り蹴った

「うおおおおお!?」

「じゃあ、明日の始業時間までには帰って来いよ〜」

鏡の中へ消えていく閻魔を見送った後、悟空は一人ため息を吐いた

地上の、それも妹子がいなければ安心して眠ることも出来ない癖に閻魔は本当に強がりだ


「……ったく、アイツの名前出した途端“真実”みたいな顔すんだから」


まるで、普段の明るさが全部“演技”のようで
同情なんてしたくもないのに、してしまうではないか



* * *



風呂から上がり部屋に戻った妹子はイヤな予感がして押し入れの襖を開けた
すると一匹の猫…もとい猫に変身した閻魔がすやすやと眠っている

「またか……こいつは……」

ベッドではなく押し入れの中で眠るのは閻魔なりの気遣いだろうが、自分の部屋の押し入れに誰かがいるという方が妙な感覚だ

「饅じゅ……」

妹子は起こそうとしたが……あまりに幸せそうに眠るので、じっと観察してみることにした

(疲れてるんだな)

閻魔という人間は不思議とこういう時の方が解りやすい

こういう時というのは、つまり猫の姿で眠っている時
寝顔は嘘を吐かない、しかも猫の姿なら表情で惑わされる事もない

「ん……」

ピンと伸びた髭が震える、起きる合図だ

「饅頭」

妹子は出来るだけ優しい声で呼ぶ
安心してる、幸せそうな、そのままで目覚めてほしい
二つの瞼が徐々に開いて、カーキ色の瞳の焦点が妹子にゆっくりと定まる

「妹子?」

「おはよう饅頭」

「あれ?もう朝?」

「ううん、だからまだ寝てていいよ」

「いや、目が覚めた……」

「大丈夫なの?」

「うん妹子の家いると元気でる……落ち着く」

閻魔信仰にあつい小野家の気はそれだけで酔わせるのだろう
またすぐに元の閻魔に戻ってしまうのだと思うと少し惜しい気がした
妹子はまだ寝惚けた様子の閻魔を抱きあげて部屋の中央あたりに胡坐をかいた
膝の上で気持ちよさそうに目を細める閻魔の喉を撫でた
こうしていると本物の猫のようで本格的に甘やかしてしまいそうで困る

「ん?あれ??」

閻魔は完全に覚醒したようだ
それと同時に妹子の顔も一変する

「饅頭!お前いつまで寝てんだよ!!」

「い!?妹子!!?だってオレ押入れに……」

「人の押入れに勝手に入るな!押入れがイカ臭くなるわこのイカ野郎が!!とっくに剥ぎ出したわ!!!」

「ひ……酷い」

「で?今日はまた何の用なの?まさかまた寝にきただけじゃないよね?」

「う……」

そのまさかだったりする、というか毎回のことなのだから妹子も予想ついてるよね?……そんな視線を閻魔が向けると妹子はヤレヤレといったポーズで盛大な溜息をもらした

「そうだ!あの子、最近どう?」

思い出したように聞く閻魔にもう一度溜息を吐いた妹子は

「閻魔だったらいつも一緒に会ってるでしょう?」

「そうだけど本人には直接聞きにくいこととかあるじゃん、ほらその……恋愛事とか」

「お前は思春期の娘を持つ父親か」

「娘じゃないし……」

「要するに“鬼男と進展あったか?”って聞きたいんでしょ?」

「はい……」

だんだん妹子に呆れられていくのが目に見えて閻魔はどんどん小さくなる

「はぁ〜もうアンタ一応冥界の王で偉いんでしょ?だったらもっと偉ぶりなよ?上に立つ人が堂々としてたら下の者は嬉しいんだよ?」

「ちょっと……イキナリ惚気ないでよ」

「はぁ?なにが?」

「いや分かんないならいいけど」

「ん?まぁいいや、とにかく鬼男と閻魔の事でしょ?だったら今んとこ全然だよ、閻魔は鬼男が好きで間違いないと思うけど……鬼男はヘテロタイプの人間だし」

相手が男というだけで恋愛対象として意識しない、妹子が見ている前で太子に平気で触れるのだからそうだろう
悪気がない分、性質が悪い

「そっかー……やっぱりね」

太子達とは違って鬼男からは前世以降の記憶を綺麗サッパリ消してある
断片的でも残してしまったら、それを頼りに全て思い出してしまいそうだと思ったからだ
でも、それが仇になったのかもしれない

「まぁ……普通の恋愛するのもいいかもしれないね、鬼男くんは」

閻魔が遠くを見ていると妹子が心底不思議そうな顔をする
そして妹子はこう言った
その言葉を聞きながら閻魔の脳に妙な感覚が走る


「なに言ってんの?」

―なに言ってるんですか……―

「普通な恋なんて出来るワケないでしょ?」

―そんなの許しませんよ―

「恋愛ってのは総じて素敵なもんだよ」

―貴方はこれから素敵な恋をするんですから―



現在の映像と

過去の音声が


綺麗にシンクロした瞬間


(もう……なんでこの子はいつも……)


「どうしたの?饅頭」


突然うつむいてしまった閻魔に妹子は心配そうな声を掛けた

「素敵な恋なら、もうずっとしてるよ……世界で一番素敵な人に」

妹子がその人と同じような事を言うからドキッとした、そう言って閻魔は暫く動かなくなった
猫の顔だから笑えない、猫の体だから涙を我慢しなくていい

妹子はソレが閻魔にとって、もう二度と叶わない恋なのだと悟った

「妹子……オレ、あの子にも素敵な恋をして欲しいんだ……でも鬼男くんが嫌なら贅沢は言わない」

ポトリ、水面に落とす様な言の葉の音はきっと彼の人には届かない

「でもせめて……あの子より長生きしてくれたら、それだけで良いって思うよ?」

それが世界で一番贅沢な願いだと知りながら




続く