生きていた頃、閻魔様はいつも厳しい顔をして怒っているものだと思っていた


でも、死んだ後に会った閻魔様は優しい顔をして話し掛けてくれた


そして今、閻魔様は悲しい顔をしている



* * *



今まで正三角形を象っていた三対の内、一つが崩れ

小さい黒髪頭が閻魔の膝へフニャフニャと落下していった

「ありゃー疲れて寝ちゃったみたいだね」

細い腕を伸ばし無造作に置いてあるストールを取るとその肩に掛けてやる

「そうしてると、まるで母子だね」

「父と子って言ってくれない?」

妹子が笑うと閻魔は角砂糖を数個頬張り紅茶をズーと飲み干した
それは甘過ぎるだろうと何度か注意をしたがあまり気にしていないようだ

「まぁある意味子どもみたいなもんだけど」

閻魔の膝に眠るもう一回り小さい閻魔
修行の為に転生させた己の半身だと妹子には説明してある

「ほんとぐっすり寝てるね」

妹子が顔を覗き込んでも頬をつついてみても微かに眉間を寄せるだけで起きる気配はない

閻魔の膝がそんなに気持ち良いとは思えない、なにせオッサンである

「今日のお仕事ちょっとキツかったかな?」

クーデターによって傷付けられた冥界の要所要所に活力を送る役割を担った閻魔と、その閻魔を冥界に連れて行く為、現世と冥界を繋ぐ門を開く役割を担った妹子

高校生がやるにしては少々特殊すぎる其れは、二人にとってやはり相当な重圧になっているのだろうか

「閻魔はテスト勉強で寝不足なだけだから、気にしなくていいよ」

「あ、そうなんだ」

妹子は時たま心を読んだ風に適切な言葉をくれるから困る
閻魔は誤魔化す様に紅茶を口に含んだ

……苦い


「じゃあ妹子も寝不足なんじゃない?」

「僕は就職コースだからそこまで厳しくないよ、進学コースで勉強しなくていいのは太子くらい」

「流石だね太子は」

「ていうかアンタの半身なら閻魔ももう少し出来てもいいのにな」

「ああ、でも今は脳の制御が外れてるだけで……オレも人間の頃は普通だったよ」

比べる人はいなかったけどねーと閻魔

「アンタ人間だったの?」

なかなか気になる発言をしてくれる

「あれ?知らなかった?閻魔信仰にあついご家庭のお子さんなのに」

「ウチはどっちかっていうと十王信仰の方だから」

「まぁ篁の時代はそうだったもんね……ていうかそっちの方を突っ込まれるとは思わなかったよ」

「いや、脳の制御ってのも気になるけど」

「妹子、人間は普通あらゆる能力を制御されてるって聞いたこと無い?」

「どっかで聞いたような……その制御が外れた時、絶大な力が出せるとか出せないとか」


火事場の馬鹿力とかバーサーカーとか、イタコの憑衣もそれの類だという

「それ、常にその状態なのオレは」

知的能力や身体能力がいつも全開、それが人間ならすぐに壊れてしまう

「人が生きていくのに必要な事はオレには必要ないから」

「へぇー……そう」

妹子はさも興味なさげに答えた

「それより饅頭に聞きたいことあったんだった」

「それは良いんだけどさぁ妹子……やっぱその呼び名やめない?最近この子までそう呼び出しちゃってるし」

そう言って膝の上でなお熟睡中の閻魔を見やる

「でも両方閻魔じゃ紛らわしいでしょ?」

「鬼男くんや太子は“大王”って呼んでくれてるのに何で君らは“饅頭”なの?」

数ヶ月前から妹子と閻魔は二人で此処へ通っていたのだが、ある日太子が駄々をこねて無理やり着いて来た事があった
それ以来たまに太子と鬼男も同行するようになった

「あー……あん時は太子が迷惑をかけてすみませんでした」

「いやそれは楽しかったからいいよ……この子とオレを区別するなら“大王”で充分だと思うんだけど」

「まあいいじゃん、我が家では饅頭なんだし」

「……別に無理に変えろとは言わないけどさ」

猫の姿で妹子の部屋にいるところを妹子の親に発見された閻魔はその瞬間から文字通り猫可愛がりされるようになった
そして元々閻魔信仰にあつい小野家が閻魔にとってより心地良い空間に変わった

……今の閻魔には特に……


「それで饅頭に聞きたい事なんだけど」

声色を真剣なものへと改める妹子

「うん?なに?」


自分や鬼達とは根本的に違う、生きてる人間の眼差し
閻魔はその言葉をしっかり聴こうと身構えた

「太子や鬼男はなんでアンタを覚えてないの?」

「え……?」

「鬼男はともかく太子には飛鳥時代の記憶あるのに何でアンタの記憶だけゴッソリ抜けてるの?……あの頃からアンタとは仲良かったのに」

その質問は予想外だった
何故なら閻魔はその分の記憶を妹子へ返していない
閻魔の事はみんな忘れている筈だった
それによって生まれる矛盾項も上手く補えていたのに

何とか誤魔化したくて笑ってみせるが妹子の射抜くような視線に思わず目を逸らしてしまった

閻魔の背筋に冷たい汗がツーと走る


「僕は覚えてるよ……何でか知らないけど」


わざわざ記憶を隠しているのだから閻魔にとって言いたくない事だというのは妹子にも想像がつく

都合の悪い事をいつも隠してしまおうとする

最初からすべて無かった事のように


「ねぇどうして太子からアンタの思い出を奪った?」

「そんなこと……」


だから、そうなる前に核心を突いてしまえばいい
閻魔は妹子に嘘を吐けないのだから


「フフ……」

言葉を失っていた閻魔は暫くすると喉を鳴らして笑いだした

「そんなこと教えてどうなるの?」

先程とは打って変わって強気を見せる閻魔
虚勢を張るというよりも面白がっているようだ
すると妹子は閻魔を見詰めたまま、ただ口だけを動かし


「別に?ただ……」

「ただ?」

「僕になら全部話してもいいんじゃないかなぁって思って」

「……なんでそう思う?」

「アンタがどうなろうと僕には関係無い、迷惑もかからない、アンタと閻魔なら確実に閻魔を優先する、太子や鬼男が悲しむような事なら絶対言わない、僕を利用したアンタに気を使う程、心広くもない」

ここまで一気に言い切った後、閻魔はもうスッカリ冷めてしまったお茶で喉を潤した
少し苦いが妹子には丁度いい

「もう一回だけ言うよ」

 閻魔とアンタだったら僕は迷わず閻魔を優先させる
 太子や鬼男を危険な目に遭わせられないし、
 傷付きそうになったらアンタに言われる前に逃げ出す

「約束するから」


閻魔は今度こそ完全に言葉を失う


「…………」

「僕はアンタの前をただ通り過ぎていくだけの人じゃないんだよ」


話して欲しいと思う、その胸の内を

自分は閻魔にのめり込み過ぎない

閻魔の所為で傷ついたりしない

だから安心して話せば良い


妹子は真実を渇望する
誤解や疑いはもうまっぴらだ


「アンタが神様だけど人間で、人間だけど神様だって言うなら……大事にされる権利も、信頼される理由も持ってる筈」


ふと見ると閻魔は鳩が豆鉄砲くらった様な顔をしていた
それを妹子は笑った

「はぁ……妹子ってさ時々すごく狡いよね」


自分だけではない太子にもそうだ
大切な人が必死で封印しているモノだって無遠慮に解放してしまう


「そうかな?」

「そうだよー今オレちょっと言いくるめられそうになったもん」

「人聞き悪い……ていうかここまで来てまだ話してくれる気にならないのか?」

「んー……この子が居る所じゃねー」

未だに眠り続ける閻魔の頭を撫でながら言う
残念そうにしている妹子をチラッと見ると閻魔は苦笑を零した


「だから、続きは妹子の部屋で話そう」

「え?」

待っててくれるなら鏡の中から現れる

聞いてくれるなら全部話す


「今夜、猫になってね」



そう言う閻魔の頬には一筋の水が滴っていた

閻魔が泣いたのを見たのはこれが初めてだった




続く