うちはいつからメンタルホスピタルになったんだろう?

その日の京介は明らかに様子がおかしかった。
全身が痣と傷だらけなのはいつも通りだからクラスメイトの誰も気にとめない(それもどうかと思う)けど表情というか雰囲気が明らかに落ち込んでいる風だった。

それでも話しかければ無理やり笑顔を作ってみせるのが妙に健気で痛々しい、表面上おちゃらけキャラの京介がここまで鬱々としたオーラは隠しきれずにいるのは珍しく、
彼がそうなった理由は多分えみか絡み……というか彼女絡みしか思い付かない。

でも当のえみかは我関せずといった面持ちで授業が終わると早々に部活へ行ってしまった。
いつもは教室でだべりながら彼女の部活が終わるのを待っている京介だが今日に限って真っ直ぐ家に帰るという。
フラフラ歩く姿は危なっかしくて堪らない。まあ京介なら多少怪我をしたってすぐ治ってしまうだろうけど(実際朝あった傷は殆ど目立たなくなっている)おちゃらけてない京介はある意味とても隙だらけだった。

だいたい大財閥のお坊ちゃんなんだからSPの一人や二人つけていればいいのに、本人は安全より自由の方が大切らしい。

(あっ)

何にもない所で転ぶ京介。
暫く観察していると京介はボーっと床を見つめそのうち徐に立ち上がり、またフラフラと歩き始めた。
うーん本気で心配になってきたぞ。

実をいうと俺はこうなった経緯をえみかから聞いて知っている。でもまだ京介側の事情……というか何故あんなにも落ち込んでいるのかは知らない。

(ああっまた……)

今度は壁にぶつかった京介、うわーすっごい痛そうな音がした。
なんていうか……コレを放っておくのは友達として如何なもんだろう?

「京介」

「あ……嵐士いま帰り?」

俺の存在に今気付いたのか
ずっと近くにいたのに(ちょっとむかつく)まあ京介がこけた時に手も差し伸べなかった俺も俺だけど……

「うん、そう……でさ、京介……もしよかったら一緒に帰らない?」

「え?」

戸惑った様子で俺を見上げる、京介を見下ろせる奴って貴重なんだろうな、背が高くて少し得をした気がする。

「うん、いいよ、一緒に帰ろう!」

泣いてるような笑顔で京介が承諾してくれた。
それで……それからなんだかんだ話して、京介を我が家に招いてみたまでは良かったんだけど……
何時間経っても京介はちっとも元気にならない。

母さん特製あったかご飯も全く効果を示さず、逆にうちのバカップルな両親が余計な琴線に触れてしまったようで
京介は始終泣きたいのを我慢しているみたいだった。

「京ちゃんのお口に合わないかしら?」

「いえ凄く美味しいっすよ」

もう笑顔さえ作れずに声だけで笑う京介。普段とは全然違う。
もーお前、どんだけ限界なんだ!


そして風呂に入ったあと京介は俺のベッドに潜り込むと遂にぐずぐずと泣き出してしまった。


「京介どうしたんだ?」

いつもクールな和泉まで心配している。

「ご、ごめ……大丈夫だから」

言っとくけど全然大丈夫じゃないからね。
俺は和泉に目配せして、京介と二人っきりにしてもらった。部屋を出る時に和泉はもう一度京介を見て、眉をひそめた。
多分(笑っててもウザいけど泣いたらもっとウザい)とでも思ったんだろう、だからそのあと俺に(任せたぞ)という視線を送ったんだと思う。

「はぁ……京介」

あのなぁ?あんな和泉は貴重なんだよ?

「何があったの?」

俺には全部話してくれるかな?

「あらし…」

俺の名前を呼んでまた一筋涙を流す。
こうして見るとまるで情緒不安定時の従姉妹のようだ。きっと京介を百科事典で索引すると『めぐみ目めぐみ科めぐみ属』と出てくるだろうな……

「あのね……」

「うん?」

きっと京介やめぐみが辛い目にあっても大抵の人は『いい気味』だとか『自業自得』だと思うだろう。それくらい嫌われてるから
でも、めぐみの場合はまだ庇護欲くすぐられる容姿をしているけど、京介の場合は加虐心を煽るだけ(但しSな人限定)多分めぐみよりも同情要因はあるし、俺は京介を嫌ってるわけでもないしSっ気があるわけでもないから
だから弱ってる京介を見てると(助けたい)なんてマイノリティな思考回路が働きだすんだろうな、俺。

「えみかに殴られた」

(は?)

それはいつもの事じゃない、と言いそうになって慌てて口を噤む。俺の考えと京介の気持ちは違う、えみかに殴られて京介が傷付いたならそれが正解なんだ。

「最近浮気してないのに……」

――ああ、なんとなく分かった。
きっと京介はえみかが『何も理由無く自分を殴った』事がショックだったんだろう。そういえば浮気して怒られるのは嬉しいって言ってたな……理由があれば殴られても良いって思ってるんだろう。
めぐみとはまた違う種類の甘えん坊さんなんだから

「えみか俺のこと嫌いになったのかな…」

それは違う、むしろ逆だよ京介

「今日昼休みにえみかに聞いたんだ、京介と何かあったの?って」

そう言った瞬間、京介は目を見開いた。

「ちょっと待って!まだ言わないで!!」

心の準備が出来てないから、と言った京介の顔は少し期待を孕んでいた。
それは俺がわざわざ京介が傷付くような事を言わないって思われてるからで……確かにそうなんだけど
これが俺じゃなくて、喩えば政宗センパイだったら怯えてる所だろうな。あの人はそんな気遣いしないだろうし(ほんとに京介好みな兄妹だな)
そんな事は置いといて、まぁ俺に対して無防備な京介はイイなって思う。

「京介、最近リンチあったでしょ?」

「なん……で?」

垂れ目が大きく開いて、色素の薄い瞳が真っ直ぐ俺を捉える。
やっぱり俺達が知らないと思ってたんだねーコイツは(はぁ)

「うん、それでね」

「何事もなかった様に続けないで!!え?なんで知ってるの?」

そりゃ学校内でリンチに遭えばウワサになるでしょう、酷いやられようだったとも聞いたし、
嫌われ者でどんなに大怪我してもすぐ回復してしまうお前をボッコボコにするのにそう抵抗もないんだろうけど

「ちょっとは抵抗すればいいのに」

「いやだって…我慢してればすぐ終わるし……それに反撃する癖が付いて、咄嗟でえみか殴っちゃったら大変だし」

だったら殴られるようなことしなきゃいいのにって思うと同時に、ごく自然に出てきた言葉に悲しさを感じる。
あのね、お前がえみかを大事に想うくらい、えみかだってお前を大事にしてるんだよ?

「最近、よく遭ってるみたいだね」

「うん、なんでか分かんないけど」

悩める少年。友人としてお前に教えてあげよう。

「えみかがお前を殴らないからだよ」

「へ?」

京介は間の抜けた声を出した後、俺の顔をじっと見詰めた。今更だけど涙が止まったみたいでよかった(そんなに良くない気もするけど)

「京介が最近浮気をサボり気味だから」

サボるとかサボらないとか言う前に浮気は義務じゃないし、しない方が絶対いいんだけど

「自分がリンチに遭う頻度がえみかに殴られない時期に集中してることに気付いてないの?」

京介は信じられないと言った様子で、でも黙って俺の話を聞いていた。
周囲の京介に対する恨みとか嫉妬とか、えみかが殴ることで緩和されてるのは事実だ。

「今回、えみかがお前を殴ったのはその為だよ」

「え?だって俺てっきり浮気に対して怒ってるだけかと……」

「勿論それが主な理由だと思うよ」

でもね、お前を守る為って気持ちも確かにあるんだよ
……じゃないと好きな人を殴ったりしないでしょ?えみかみたいな優しい子が

「そっか……そうなんだ」

京介は少し申し訳なさそうだけど、それでも嬉しそうに呟いた。

「俺もどうせ傷付けられるなら、えみかがいいや」

そう言った京介はさっきとは打って変わって、幸せそうな笑みを浮かべている。
えみかや政宗センパイの気持ち、今ならちょっと分かる気がする。
きっとえみかの中には『自分以外の人間がが京介の身体に傷を残すのが許せない』って気持ちもあるだろう。ああ見えて人一倍独占欲強いからな。

いっそ雁字搦めに束縛してしまえば京介の不安も消えて浮気することも無くなるだろうに……
でもそれが出来ないから、京介もえみかが好きなんだ。

「明日えみかに謝るね」

「それはやめて、こんなことバラしたって知れたら俺がえみかから怒られる」


だから京介はただ笑うだけでいいよ。明日も、みんなの前でそのキャラを貫けばいい。

少なくともお前の友達は、そんなお前が大好きなんだから