血に濡れた手とその向こうに横たわる京介を見ながら息を整える
また、やってしまった
血を舐め取りながらやはり自分は男の血を見るのが好きなんだと思い嘲笑った
兄の事をとやかく言えない加虐嗜好だが、被虐嗜好の京介には丁度良いのかもしれない
でも京介のそれは相手に対する好意が大きい程強くなる欲求で、あたしのモノとは質が異なる
本当はあたしより強いくせに無抵抗に殴られ続け、まるで愛撫を受けているかの様に悦ぶ

あたしにいつか裏切られると確信してる癖に心すべてを預ける

まるで耐える事が愛情だと言うように

そんな狡いくらい無垢なんだ


未だ起き上がらない京介は幸せそうに眠っていた
その顔にこびり付いた血と傷跡が痛々しくて目を背けると、彼の寝息のように穏やかな波が夕日に照らされキラキラと光っていた


幻想的なその一面世界はあたしの目にはくすんで見えた


……どうしていつもこうなんだろう……後悔するくらいなら最初から殴らなければいいのに、京介には口で言った方が堪えるとわかってるのに先に手が出てしまう
殴っても意味はないのに殴ってしまう、でも悪いのは京介だからといつまでも自分を甘やかす


ねぇ京介、早くかえりたい

早く目を開けて欲しい
救いを求めながら『壊して』を繰り返すその目が好きだから

「えみ……か?」

不意に声が聞こえた
ああやっと起きたのかと振り返ると京介は目を細めて笑っていた
多分バックの川が眩しかったんだろう

「待っててくれたんだね……ありがとう」

アンタの為じゃない、と言おうとして止めた

「もう少し……ここに居ようか」

その目が『逃がして』と叫んでる様だったから
あたしは絶対逃がしたくないと思った

「川が光ってて綺麗だよ」

「……」

「ねぇ……」

バッと口元を手で押さえたかと思うと京介は大量に血を吐きだした

「京介ッ!?」

あたしは驚き京介に駆け寄った
京介にとってはこれくらい、よくある事なのに何故だか激しく動揺した

どうしよう
どうしよう
どうしよう
京介だから死にはしないけど
でも普通の人なら死んじゃうくらい酷い怪我だし……

「……あ」

そう思った瞬間、体中から血の気が引いていく

今更ながらなんて恐ろしいんだろう
あたしが京介にしてる事は普通の人なら死んでしまう事

「京介……ごめっ……ごめんね!」

気が付けば体は震えて
あたしは必死で謝っていた

「……えみか、もう大丈夫だから……」

心配しないで、という風に微笑む顔はやはり苦しそうに歪んでいる

「ごめん、ごめんねぇ!!」

「ううん、こっちこそ吃驚させてごめんね」

京介は悪くないのに何故謝るんだ

「なんで怒らないの!?」

京介が本当は全然我慢強くないのを知ってる
すぐ痛がるしすぐ泣くし辛いのも苦しいのも嫌いなのに

それでも我慢するのは、あたしが不器用だからだ
京介があたしの暴力を黙って受け入れるのは京介が愛を感じ、愛を伝えるにはそれしかないからだ

「えみかはさ……普段は良い子だから……オレ怒ったりしないよ?」

「京介……」

「殴られるのはオレが悪いし……時々コワいけど、それはえみかの調子が悪い時だから」

「……」

「たまたま調子が悪い時に……いつもみたいに構ってもらおうとしても駄目なのに、それでも構ってもらいたいんだ」

何度も暴力振るってるのに、たまたまだと思ってくれてる
普段のあたしは良い子だと言ってくれてる

「オレは優しくされたくて好きになった訳じゃないから」

もうすっかり回復した様子の京介があたしを見て照れくさそうに笑ってる

「えみかが傍にいてくれる事が大前提だから別に殴られるとか気にしてないし」

ダメだ……あたし、お兄ちゃんにくっ付いて喧嘩ばかりしてたあの頃から全然成長出来てない
自分の実力見誤って打ちのめされたあの時と同じだ

好きだからって何しても赦される訳じゃないって


京介があたしよりずっと……あたしを好きでいてくれてる事に気付いてやっと理解った


「それにさ今のえみかに殴られるのオレだけだから……ちょっと嬉しいんだよ……」

京介は赤い顔を隠したいのか、あたしを抱き締めようと腕を広げた
でも自分の体が血だらけなのに気付いた様でその腕がピタッと止まって離れていく
京介は苦笑を見せた後、寂しそうに俯いた

「バカだね……」

あたしが傷付けて流れた血
他でもない京介の血
愛おしくない筈がない

(バカはあたしか……)

これを歪みだと言うならそれでいい
もう後戻りできない

「えみか?……ッうわ!!」

「あーもう動かないで……」

力ずくで抱き締めると胸の中から「痛い」と弱々しい声で訴えられた

腕を緩めて京介を解放したあたしはもう一度、今度は優しく抱き締めた

京介の体から徐々に力が抜けていった

「えみか、大好き……ほんとだよ……大好きだからね」

耳元で幸せそうに話す京介からは血の匂いに混じって京介自身の匂いも感じられる


(あたしも)


すぐそこでキラキラと輝く水面はもう……

くすんで見えたりしなかった








end