火は破壊の象徴だ。 山火事、火山の噴火、民家の火事、街の戦火、海に撒かれた油が燃える様、これまで幾ら見てきたかしれない。 そして今でも瞼を綴じれば思い浮かぶ最愛の妻を灼かれたあの日。 あれより永らく私にとって火は忌むべきものでしかなかった。 中ツ国にはこんな話があっただろう、ある画家が地獄絵図を完成させる為に我が娘を焼いたと、その画家が描いた屏風は素晴らしい出来だったという。 当然だ、愛する人が焼かれる様はまさに地獄で愛する人を燃やす炎は憎悪の対象でしかない。 私は憎む、私から妻を奪った炎を 私は恨む、私に我が子を斬らせた火を これまでもこれからも永劫に―― しかしこの神獣はそれを未来へ導く灯火だと言った。 これまで何千年と人々が火を熾し寒い冬を超える様子を見てきたのだと、暗い夜空の下でも火を囲めば皆が笑い合えると慈愛の笑みを浮かべながら。 そして太陽のない黄泉を照らすのは地獄の業火でしかありえないとも言った。 火へ対する畏怖は確かに必要だが、ただ嫌悪するには皆あまりに多くの恩恵を授かっている。 それは、この神獣と彼の鬼神にも言える事やもしれない……火の無い世界を想像できないように白澤はもう鬼灯のいない一生など考えられないのだろう。 何度傷付けられたって遠くに行こうとはしない、火を畏れながら火を暮らしの傍に置くヒトのように…… 「一つ、昔話をしていいですか?」 そう言って岩に座り、己をその横へと促した白澤は何処か遠くを見るように足元へ視線を落とした。 つまらないかもしれないけど、と前置きした神獣に、それよりも男同士の恋愛話に抵抗があるかは気にしないのだろうかと少し呆れた。 溜息を吐くと心が落ち着き、先程まで感じていた火への憎悪を一時的にだが忘れることが出来た。 この神獣の言うとおり火によって生かされた命を幾億と見てきた私が火を憎むことは間違っているかもしれない。 しかし憎しみが理屈を凌駕してしまうのだ。 こんな私を責められる者がいるのか? この世の全てを創った神だって唯一特別な誰かを失えばこの世の全てを呪いたくなる程の絶望を覚えるだろう。 白澤お前ならば理解出来るのではないか? お前にも同じように底知れぬ愛があるのだから。 「ああ、聞かせてみよ」 「……謝々……」 隣に腰かけた私を見ることなく、神獣はゆっくりと何時も弧をかく唇を開いた。 * * * あれはまだ現世が月で暦を見ていた頃で、一年の中で一番夜が長い季節の事だ。 寒さによって亡者が増える閻魔庁にとっては繁忙期と呼ばれる、また違う意味で夜を長く感じる季節だったと思うが、そんな時に白澤は桃源郷であの鬼と会っていた。 桃に寄生した宿り木を珍しく思い、それを肴に独り酒盛りをしている時に鬼灯が目の前に現れた。 全ての光を吸い込んだような黒い装束の中で白い首筋を映えさせる赤紅の衿、姿を確かめた途端に桃源郷の空気が揺れ、これは風を呼ぶ鬼だなぁと思う。 鬼灯が後ろで纏められていた髪をばっさりと切ったのは最近の事だった。 はてさてどのような心境の変化があったのやら、それともただの気分で切ってしまったのか、髪を我が命と扱う女達は彼が髪を切った理由を憶測しては騒ぎ立てた。 それがひどく面白くなかったことを思い出し、白澤は眉を顰める。 「どうしたんだ?今地獄は繁忙期と言うじゃないか、お前が離れていいのか?」 「部下に無理やり休みを取らされたんですよ」 「ふーん」 そう言われよく見ると酷く焦燥した顔をしている、こんな男に指揮を取られる部下は溜まったものじゃないだろう。 鬼灯を見詰めながら白澤は少し身を引いた、警戒の証だ。 「じゃあ此処に来ないで部屋で休んでろよ、隅が酷いぞ」 「眠れないので夜風に当たりに来たんですよ、それに此処に来れば……」 「ん?」 言葉を区切った鬼灯に白澤が首を傾げる。 此処に来ればこの顔が見れると思っただなんて言えるものか。 「旨い酒と肴にありつけると思って」 「……なんだよ、それ」 鬼灯が隣に腰を降ろすと、白澤は気が抜けたような笑みを零しながら彼へ持っていた杯を渡す、今宵は独り酒だから杯はこれしかない。 その様子にどうやら白澤は機嫌が良いらしいと判断した鬼灯は心の中でそっと安堵した。 注がれた酒が煌々と輝くのは鬼灯がこの桃源郷に棲む聖霊達に歓迎されている証だとは教えられずとも解っている。 (これはきっと得難いものなのだろう) そして白澤は己の注いだ酒に躊躇い無く口付ける鬼灯を不思議そうに見ていた。 この鬼の顔を負の感情抜きで見るのは初対面以来ではなかろうか、あの時は目つきの鋭い若者だと認識していたが、こうして見るとどこか涼しげでなんとも精悍な顔つきだ。 常闇の鬼なのに何故かこの常春の園に相応しいと思えるのは、この佇まいの所為だろうか、極楽の住民である神獣が傍にいてとても落ち着く…… (こいつの隣に、こんな穏やかな気持ちでいられるなんてな……) ならば己はどうだろう、地獄と名を変えた黄泉に少しでも馴染んでいるだろうか、閻魔大王とこの鬼によって天国と地獄が明確に別けられ以前は無かった隔たりを感じてしまうのだけれど。 (ダメだ、何を考えているんだろう) 混沌とした常世を整える為に心血を注ぐ者が目の前にいるというのに、それを嘆くようなことを思ってしまった白澤は心の中で自分を叱咤した。 余計な事を考えぬ様になにか話し掛けてみようか、たとえば前々から思っていたことをこの機会に言ってしまえばよい。 「本当にたまに休息するのも大事な仕事だと思うよ、お前あまり根を詰め過ぎるとそのうち本当に倒れるぞ?」 そうして口から出てきたのは漢方医らしい“忠告”であった。 「なに言ってるんですか?貴方とは鍛え方が違うんですよ、私がこれくらいで倒れるわけがないでしょう」 ああ、どうしてこの鬼は“有り得ない”なんて言葉を使ってしまうんだろう。 「あのな、お前はこれから神の中を渡り歩くことがあるだろうから忠告しといてやるよ」 閻魔大王が地獄を納めて随分と経つ、国が大きくなれば他国の神の目を引くこともあるだろう、少なくとも中華天国の女神達の目は鬼灯を見ている。 自分に似ているからと引き合いに出されている以上、彼女達の前でこの鬼に失態などされたくはない。 「神の前でそう易々と断言しない方がいい、僕は半信半疑で聞いてるからいいけど、もし相手の神が信じてしまえばそれだけで契約となる事もあるからな」 中には軽く言った言葉でも一方的に契約を結んでしまう神もいて、そんな風に交わした契約であっても違えた時はその神の神格に相応しい罰が下る事になるのだ。 だから神の前では容易く断言などしてはいけないというのに鬼灯はいつも自分の目的や目標を言い切ってしまう、肝心な言葉を濁す傾向にある白澤からすれば羨ましい気質だが、それはこの世界では寿命を縮めかねないものだった。 鬼灯の事は嫌いだがいなくなれとまでは思っていないから、身を案じて言ってやったというのに―― 「信じてはくれないのですか」 ……返されたのは思いがけない、ほんの少し拗ねたような声色。 普段は自分に対し怒号か軽蔑しか吐かない口からそんな声を出された事に白澤の胸が高鳴った。 だってこれはこの鬼から信じてほしいと言われたようなものだ。 「信じない事と心配する事は違うだろ!?お前だって自分の部下を頼りないなんて思ってないけどつい口を挟んでしまうじゃないか!!」 だから白澤も普段は見せない動揺を見せ、つい本心を漏らしてしまった。 すると鬼灯は心底意外そうな表情を(傍から見れば無表情にしか見えないが)浮かべ、こう問う。 「貴方私を心配してたんですか?噂には聞いてましたが随分とお人好しですね」 「……別にそんな大して心配してないよ……って、お前、僕の噂なんて聞いてるの?実物の僕を知ってるのに?」 億歳越えの神獣からキョトンと擬音が付きそうな幼い表情で見詰められ今度は鬼灯が動揺する。 「中国に留学していたこともありましたし、私と貴方の折り合いを良くしようと節介を焼いてくる方もいるんですよ……」 「ああそうなんだ……はぁ……なるほど」 日本地獄の者ならば鬼灯が怖くて白澤の話題など出しもしないだろうが、鬼灯の留学時代に世話を見ていた者ならば口を出してくるのかもしれない。 大昔から気さくで寛大だった白澤は中華天国の評判がすこぶる良い、気さくで寛大過ぎて上からも下からも雑に扱われることが多いがそれでも“余所の国の鬼神と険悪な状況”をどうにかしてやりたいと思われるくらいには大事にされているのだろう。 「それにしても私主観の貴方と他人主観の貴方とじゃだいぶ差異があるようですね」 「そりゃあそうだよ……だって僕から見たお前は他の誰とも違う……」 「……それはどういった風に?」 「うーん、なんて言ったらいいのかな初対面の時に感じたんだよ、他の鬼とは雰囲気が違うなって」 鬼灯はそれを聞いて少し落胆した。 万物を識る力を持つ神獣だから、己の体が鬼火と人の混ざり物だと感じ取ったのかもしれない、意識して使うことのない真実を見る眼がなくともなんとなく解るのかもしれない。 「一つ、昔話をしていいですか?」 まぁ、それでもいい。 人だった頃は孤独で堪らなかったけれど今は“他とは違う”ことを強みだと思える、それでこの神獣の目に留まることが出来たなら自分にとっては幸運だ。 「え?昔話ってお前のか?僕なんかが聞いていいのか?」 恐らく無意識に出た「僕なんか」という言葉に眉間の皺が深くなった。 自己評価が低いわけではなく、鬼灯から見た白澤の評価がそんなものだと思っているのだ。 今までの態度を顧みれば理由が己にあるのは明らかだが腹立たしかった。 「ええ、貴方に聞いて欲しいのです」 貴方だから聞いて欲しい、そして全て話終えた後に感謝の言葉を言えたらと願う。 本当に伝えたい想いは伝えられないけれど――それならばせめて―― 「うん、わかった、話してほしい」 真剣な気持ちが伝わったのか白澤は鬼灯の方へ向き直り、じっと彼の言葉を待つ体制をとった。 「ええ、では私が憶えている中で最も古い記憶のことから……」 そして鬼灯は語り始めた。 まだ丁と呼ばれる人の子だった時代の自分の話。 白澤はそれを冷やかす事もなく時々相槌を打ちながら静かに聞いていた。 丁の人生は自分でもそう珍しい話ではないと思っている、地獄で裁判をしていると自分より悲惨な思いをしてきた者なんて老若男女いくらでも出てくる。 それによって慰められることはなかった筈だが、以前より冷静に昔の思い出語りをしていると気付いた。 幼い頃の記憶で一番鮮明なモノはもう既に塗り替えられているから、慈愛に満ちた眼差しを此方に向ける大きな白い獣……その背に乗って見下ろした光景。 丁が元々人の子だとは知らない神獣はとても近しい者を語るように現世の人々の営みについて教えてくれた。 村の大人がどれ程祈っても神様は雨を降らせてくれなかった、だから神様は人間のことなんか嫌いだと思っていたのに白澤は人間がどうしようもなく愛おしいらしい。 そういえば自分が捧げられた先の水の女神も、両目に大粒の涙を浮かべながら鬼灯に謝罪し、黄泉の国で好きに生きれば良いと解放してくれた事を思い出す。 ――この神獣は人が平等に好きなのだ、みなしごでも関係なく 話を聞いていれば解る。 そんな白澤に対し最初に抱いたのは“好感”だった。 (それがどうして“特別になりたい”という想いに変わったのか) 身の上話を終えた鬼灯は、優しげな表情を此方へ向ける白澤から鬼灯は視線を逸らし、手酌で注いだ酒をクイッと飲み干す。 白澤と出逢ってからそれまで見ていた悪夢を見なくなって、代わりに彼の優しい眼差しを夢見るようになった。 幼い鬼灯は彼から注がれた慈愛の中に母性に似たものを感じたのだろう、たった一度の邂逅で“丁”の孤独はすっかり癒されてしまった。 そんな彼への好感が尊敬に変わったのは二度目の邂逅、尊敬が幻滅に変わったのは三度目の邂逅、四度目の邂逅以来は幻滅が嫌悪に変わっていった。 それが何時の間にか“執着”や“独占欲”に変化してしまったのだから人生は不思議だと思う、もう死んでいるし人間でもないけれど。 「お前その頃から苦労してたんだな」 「ふ……まぁそのお蔭で今があるんでしょう?家族のいなかった私ですけど今は皆さんに慕われているので結果的に良かったのだと思いますよ」 「自意識過剰な奴……ま、否定はしないけど」 自信満々に言い切る鬼灯にまた笑みが漏れる。 ああ良かった、今この鬼が寂しくなくて……できればこれから先もずっと寂しい想いなどして欲しくない、永遠に幸せでいてほしい。 (コイツに本当の家族ができればいいのに) 寂しくはなくとも血の繋がった家族がいればもっと幸せだろう、白澤にも家族はいないから想像しかできないけれど、きっと鬼灯が過去感じていた孤独を癒してくれる筈。 この鬼は可愛くないがこの鬼の子はとても可愛いだろう、この鬼はきっとその子をとても可愛がる、そしてその子を生んでくれた女性の事をなによりも愛おしく感じるだろう。 そう思った瞬間、どうしてか胸が痛んだけれど……白澤は目を瞑り夢想した。 女性は皆綺麗だけれど将来鬼灯の伴侶となるならとびきり優しくて暖かい人がいい、あの鬼の血をこの世界に残す女性なら―― (え?) ドクンと、心臓が大きく波打った。 (なんだ?今の……) 瞼の裏に突然浮かんだ光景、その正体を白澤は確かめようと白澤はもう一度目を瞑る、すると今度は先程より鮮明に見えた。 それがなにか頼んでもないのに脳内に勝手に情報が入ってくる、万物の知識を司る神は、その力を制御する術があまり得意ではない。 だから識りたくもないのに識ってしまう、ほんの少し未来を思い描いただけで、その未来に待ち構えるものを理解してしまった。 「白澤さん?大丈夫ですか?顔が真っ青ですよ?」 尋常ではない白澤の様子に隣にいた鬼灯が気付き気遣うような声を掛ける。 その声にかろうじて彼を振り返り、首を振った。 「ごめん、実は僕も最近忙しくてあまり寝てないんだ……ちょっとしか飲んでないのに酔っちゃったみたい」 つい嘘を吐いてしまった。 「そうなんですか、すみません気付かずに付き合わせてしまって」 珍しく殊勝に謝る鬼灯へ対し「構わない」と言う余裕もない。 ただ首を振って、彼の肩に掴まりよろよろと立ち上がった。 「悪いけど今夜はこれでお開きってことで……」 折角ふたり穏やかな気持ちで呑めていたのに勿体ない気もするが、それどころではなかった。 「そうですね、では送っていきますよ」 そう言って鬼灯は白澤を抱きかかえ極楽満月へと歩き出す、驚いた白澤だが自分ひとりで店に帰れる気がしなかったので鬼の好意に素直に甘えることにした。 ゆっくりと運ばれながら白澤は泣き出したくてしかたないのを必死で耐えた、震える体に気付いた鬼がさらに己と密着させる。 どうしてだろう?この鬼の胸の中はこんなに温かくて、この鬼の腕はこんなにも優しいのに、この鬼には我が子を抱くことが許されないのか? 「ついてなくて大丈夫ですか?」 寝台に白澤を下した鬼灯は心配そうにそう訊いてきたが、白澤は今出来る最上の笑顔を浮かべそれを断った。 「僕は大丈夫だから、お前も早く閻魔殿へ戻って休め」 そうしないとお前もこんな風になるかもしれないよ、と優しく諌められれば従わないわけにもいかない。 確かに休息は必要だ。 「わかりました……つらくなったら誰かを呼ぶんですよ」 「わかってるって、お前こそもっと部下を頼って回せる仕事は回してやれよ」 と、白澤は笑うがどうしても無理をしているように見えてしまう。 これは早く帰った方が白澤の気が休まるのかもしれないと思った鬼灯は早々に立ち去ることに決めた。 「では、よいお年を……」 本当はもっと伝えたい言葉はあったけれど、それはまたの機会でいい。 「ああ……お前もよいお年を」 そう言ってから今は年末だと思い出した。 次に会うのは年が明けた後だろう、その時はきっとお互い罵倒し合い殴り合いのような挨拶が交わされる、それが少し楽しみだと思った。 鬼灯が部屋を出て気配が完全に消えた後、白澤は静かにハラハラと涙を零し始める。 今年が無事終わるようにほんの少し吉兆を預けて返したかったけれど、それも出来なかった。 「あれは嘘じゃないの?あの鬼の不幸を望んで僕が見た幻想じゃないの?」 これまでの経験上嘘だなんてありえないと知っている、先程目を瞑った時に見えた光景と脳に入って来た情報は確かに真実だし、あの時白澤は鬼灯の幸せを望んでいた。 だから涙が流れるのだ。 「どうして……よりによってあの鬼の子が……」 人と鬼火の合成である鬼灯の子は、母の体で受精した瞬間は鬼火であり、母の胎内を燃やしながら鬼の子へと育ってゆく。 だが当然胎を焼かれた母親は死に、栄養素を亡くした子も死んでしまう……つまり鬼灯は妻と子を同時に失うことになる。 普通の炎とは違い鬼火という特殊な炎だから火属性の妖怪であっても生きていられるか解らない、それ以前に異種族の交配で妊娠など奇跡に近いのだ。 「酷い、そんな……」 それを知ってしまった己は鬼灯に絶対に誰も妊娠させてはならないと告げなければならないけれど、そんな酷いこと出来ないと涙を散らしながら頭を抱える。 ――どうしてこんなに悲しいのだろう? 白澤は涙をぽろぽろ零しながら自問自答する。 コレまで何人もの子宝に恵まれぬ夫婦を慰めてきたじゃないか「子が出来なくとも貴方達の価値が下がるわけではない、子がいない分も貴方達二人が幸せに生きればよい」と、けして軽薄な気持ちではない真心で伝えてきたじゃないか。 でも、今回はそれも出来ない、あの鬼が子孫を残せないのだと思うと胸が張り裂けるような気持ちになる、これまで感じていたような“同情”などでは無くて“自分自身が悲しい”のだ。 「ああ……僕は」 中華天国天界所属、万物の知識を司る神獣、人類が誕生する以前から存在していた神である白澤はこの時初めて気付いた。 己に生まれて初めて“特別”に思える存在ができたことを―― * * * 白澤は恥ずかしそうに笑ってイザナキに言った。 「それから三日三晩泣き続けて四日目の朝に思いついたんです」 「……」 「アイツとアイツの愛する人との間に出来た子は僕が生めばいいんだって」 「それは、大丈夫なのか?」 「ええ、僕は不死身ですし、体の中に女性器を作ることも可能です……あとは幻の胎児を作る術を覚えてあの鬼の妻に気付かれないよう本当の子と入れ替えてしまえば」 「違う!そんなことを聞いているのではない!!」 イザナキは白澤を怒鳴りつけた。 白澤は軽く「不死身だから」などと言っているがそれでも痛みや熱を感じることができるし、なにより傷付くことのできる心を持っているだろう。 「おぬしは己と血の繋がらない赤子に十月以上胎を灼かれても良いと申すのか?」 「はい」 即答だ。 だが、しかし、とイザナキは思う。 「おぬしは鬼灯を愛しているのではないか?」 すると白澤の肩が大きく震えた。 そこまで言えばもう白状したも同然だと思うが、自分が彼を愛していると他人の口から初めて指摘され驚いていたのだろう。 「ツラくはないか?」 彼の孤独を癒したいと望みその傷を治す薬を作っても彼が感謝するのはその薬を手渡した自分以外の誰かだ。 白澤との仲はずっと変わらず険悪なまま、鬼灯は自分以外の誰かと家庭を築いてゆく。 彼を愛していながらそんなこと耐えられるものか。 「……大丈夫です」 その瞬間、伏せ目がちだった瞳に決意の炎が灯ったように見えた。 「……そうか」 白澤の話を聞いたイザナキはもしこの神獣の手助けが出来れば己の長年の憎しみと決別できるのではないかと思った。 これまでずっと火を憎しみ続けることをイザナミとの絆のように感じていたけれど、火を許すことで彼女を受け入れた黄泉に足を踏み入れる勇気を得られるのではないかと。 「あの鬼の子どもを生みたい、自分の子かなんて大した問題じゃない……きっと最後まで愛しきることができます」 白澤はそう日本開闢神の一柱であり最高の神格を持つ天照が父イザナキの前で断言してみせた。 ならばもう彼を信じるしかないとイザナキは小さく頷く、この国の神に認められた事は確かに白澤へ力を与えるであろう。 「鬼灯の子だから」 ただ……きっと最後に零された小さな言葉が、彼を突き動かすなによりも大きな力なのだ。 つづく |