烏頭と蓬、そしてお香が桃太郎つてに白澤から呼び出されたのは現世へ長期滞在することになった鬼灯を見送った直ぐ後だった。 まるで鬼灯の居なくなるタイミングを見計らったようだし、男は居るとしか認識していない白澤に名指しで呼ばれたことを不審に思った蓬だったが、烏頭とお香がのほほんと「今日はお休みだから良いわよ」「なんの用だろなぁ」と桃太郎に着いて行くのを見て自分の考え過ぎかもしれないなと思い直した。 白澤は女性さえ絡まなければ誰にでも平等に優しい善い人で、獄卒が健康診断や予防接種などで毎年世話になっている相手、それに人に福を与える吉兆の神獣だ、自分の幼馴染と仲が悪いからといってあまり警戒するのも失礼だ。 まぁ、その幼馴染に対しても悪戯程度の危害しか与えないし(しかも毎回百倍くらい返される)女好きといっても病人には女以上に親切で、他人の女には手を出さない信条という彼を皆が口では軽んじながら信頼しているのも事実である。 どうせ鬼のいぬ間の洗濯とか言って皆で騒ぎたいのだろう、現世で独り仕事中の好敵手に「お前の友達と家飲み中(はぁと)」とか嫌がらせメールを送りたいのかもしれない、後が怖いけれど其れくらいなら付き合ってやってもいい、というか己が居なかったら桃太郎だけで白澤(ゆるふわ)烏頭(ばか)お香(おっとり)の相手をしなければいけない。 それは可哀想だな……なんて考えながら極楽満月までやって来た蓬は、白澤の部屋に通された瞬間持ってきた荷物を床に落としてしまっていた。 高い窓から差し込む太陽光を一身に浴びて、木製の古いベッドの真白なシーツの上に座る中国神獣白澤はまるで「西洋の宗教画か!」とツッコミを入れたいくらい美しいが、長年この男と知人ならばそんな光景を見る機会もままあるので、これだけならそう驚くべきことでもない。 蓬が驚いたのは彼がその白い腕の中に赤子を抱えてうつらうつらと揺蕩っていたからだ。 「白澤さん、ついに誰かを孕ませたんすか?」 なんて言いながら無遠慮に部屋の奥へ進み、赤子を覗き込む烏頭にギョッとする、なんちゅう訊き方をしているんだ相手は一応こんなんでも神獣様だぞ? いや、白豚相手に遠慮なんてする必要ないですよーーと日頃から幼馴染に言われていることを素直に受け取っているだけかもしれないが……と、蓬がハラハラしていると、今度はお香がやたら足元を弾ませながら烏頭の後ろへ続く。 「強く望まぬ限り子孫は残せないとお聞きしておりましたが、遂にそう思えるお相手と出逢われたのですか?」 彼女の背後にいる蛇達もがキラキラキラキラと瞳を輝かせて赤子を凝視している、その姿が捕食しようとしているみたいで別な意味でもハラハラしていると、烏頭とお香の動きがピシャリと止まってしまったのが見えた。 「……」 「……」 「……」 「あの、白澤さん……この子って」 「違うから」 「でも、あの」 「違うからね?」 「いやいや、でもこれって」 「どう見ても……」 「だから違うってぇ」 三人の様子が可笑しいと思い蓬が眺めていると、隣にいた桃太郎が苦笑しながら言った。 「そう思われるのは当然だと思いますけど、本当に違うんですよ、お二人共」 「へ?そうなの?」 「あら私ったらてっきり……」 「なんで二人とも桃タロー君の言うことなら信じるの!?」 「大声出さないで下さい白澤様、折角寝たのに起きちゃいますよ」 「……うん」 桃太郎も白澤に近づいたので、一人だけ入口付近にいるのもどうかと思い、蓬は意を決して皆の傍へと足を踏み出した。 そして赤子を除き見た瞬間、烏頭とお香が言わんとしていたことに気付いてしまった。 「鬼灯?」 白澤の抱えるその赤子は、幼馴染の昔の姿ソックリだったのである、いや、それよりももっと幼い、齢なら一歳くらいだろうか? それでも鬼灯の面影を残した赤子は、鬼灯の好敵手の胸のなかで大人しく寝息を立てている。 「言っとくけど、アイツの隠し子でもないからね」 いや、それは解かる、鬼灯はこの神獣と違って誠実だから、しかし他人の空似にしては似すぎている。 「まるで分身みたいな」 「あーーそれ惜しいねぇ……」 眠たげに船を漕ぎながら白澤は答える、赤子を落としそうで怖いが、人間という生き物はどんな状態でも子どもだけは手放さないものだという(白澤は人間ではないけれど)世のお母さん方よろしく、瞼が下りそうになるとハッと気付き、赤子を抱きしめる力を強くする様はなんかもう意地らしくて仕方ない。 「この子、鬼灯のなんなんですか?」 分身は惜しいと言った。 それなら何だろう、自分達の幼馴染と関係ある存在だという 「ああ、この子はね、アイツが鬼になる時に切り離した“心”の一部だよ」 何気なしに言われた言葉に驚く。 「アイツが鬼になる時って、もう四千年以上前ですよね?」 「うん」 「それが今頃になって現れたんすか?」 「白澤様がお隠しになっていたの?」 「んーっていうか、桃タロー君、説明してもらっていい」 今、頭回んないからと言って赤子を抱いたままゆっくりベッドに横たわる白澤、どっからどう見ても育児疲れ真っ最中だ。 「俺も今朝、白澤様から聞いた話なんですが」 この子は鬼灯がまだ人間の子供だった頃に抱えていた“寂しさ”や“哀しさ”や“人恋しさ”といった感情らしい、鬼が成型されるのに必要な感情は“恨み”“悔しさ”“憎しみ”“歯痒さ”“怒り”“憤り”であり、この三つは必要なかった、強い鬼になる為にはむしろ邪魔であったそうだ。 だから丁は鬼になる時それを捨てたのだという。 無意識のことで朦朧としている間の事だから本人は憶えていないが、偶々近くに降りていた神獣はその光景を目撃していた。 既に鬼へと変化を遂げた持ち主の周りで彷徨う“感情”を、神獣はなんの気まぐれか拾ったという、恐らくこのまま放っておいたら妖に喰われて永久に苦しむことになる事を解かっていたからだと後の彼は思ったそうだ。 しかし、魂ならまだしも“感情”という目にも見えず掴みどころもないモノを入れておく道具など、どこの世界を探しても存在しない。 どうしたものかと暫く悩んだ神獣は、その“感情”を己の身の内に宿すことに決めた。 そして今日の朝まで、誰にも気付かれず自分の中で鬼灯の感情をせっせせっせと育ててきたそうだ。 「長年、白澤様の力を吸っていた所為か、遂に具現化して生まれてきたそうですよ」 「鬼灯が鬼になってからって、神の気まぐれ期間長過ぎでしょ」 「ていうか“目にも見えず掴みどころもないモノ”を捨てたり拾ったり出来るんだな」 「不思議ねぇ」 「今の話不思議で済ましていいのか?」 一番不思議なのは鬼灯を嫌ってからも白澤がそれを続けてきたということだが、そこは敢えてつっこまないであげた。 「つまりこの子は鬼灯の分身っていうより捨てられた感情の一部ってことか」 蓬が呟くと、横になって少し回復した様子の白澤が唇を尖らせながら怒ったように答えた。 「そうそうアイツ僕の事を反芻動物だなんだと蔑んでおいて自分は感情ひとつ消化も昇華も出来ずに吐き出しちゃったんだよ?無責任にも程があるよね?ていうか僕反芻しねえし!」 「はぁ……」 不思議に思いながらも、なんとなく白澤と桃太郎の話は理解した。 しかし、何故自分達が呼ばれたのか解らない、今日一日で既に育児疲れをおこしているようだから、手伝ってほしいのかもしれないが、それなら鬼灯と親しい幼馴染たちよりも口の堅い妓に頼んだ方が鬼灯にバレる可能性が少ないだろう(どうせ知られたくないと思っているに違いない) それに聞いたところによると普通の子供ではない、神獣の力を吸って育った赤子の世話など自分達には荷が重すぎる、白澤ともなれば子育て神あたりとも知り合いだから、そちらへ協力を乞うた方が良いのではないか、と蓬は思った。 「で?俺達はなにすればいいんすか?」 烏頭が訊いた。 彼のことだから特に何も考えず疲れた様子の白澤を見て助けなければとでも思ったのだろう、幸い烏頭もお香も蓬も子どもの世話は得意な性質だ。 「白澤様が子育てに慣れるまで、お手伝いすれば良いのですか?」 「いや、待って……この子の世話を頼みたいのは確かなんだけど、その前にひとつ言っておかなきゃ事があるんだ」 これから育てること前提で訊ねるお香に釘を刺すように、白澤は言う。 「僕ね、この機会にこの子を消そうと思ってるんだ」 「え?」 これには桃太郎も聞いてませんよという顔をする。 「今のアイツは独りじゃないし、負の感情を抱いたとしても直ぐにちゃんと昇華できてるみたいだけど、或いは魂の糧にしてるみたいだけど」 それが出来なければ、いくら仕事であっても悪い思い出ばかりの現世へ長期滞在なんてしようとしないだろう、あの鬼は大胆に見えて慎重で、己の器と相手の許容範囲を見誤らない。 つまり心を病ませる可能性があると解っていたら親しい者達から離れたりしないし、甘えるべき所では用法用量を守って適切に甘えられる、それが転じて行き過ぎた暴力暴言になってしまう事もあるが、相手に本気で嫌われるラインの寸前を器用に踏んでいるだけなのだ。 「……でも、この子はアイツが人間だった時、鬼になるのに邪魔だとして捨てられたものさ、このまま存在していたらアイツにどんな影響を及ぼすか解からない」 「……そ、そうなの?」 「うん、それに僕のセンス的なものを吸い取ってる状態だからその気になれば僕が使えない“厄”を祓う術だって使えちゃうんだ」 「……え?」 「安心して、僕とは逆でセンスはあるけど能力はないから、祓えるとしても現世にいる小っちゃい悪霊程度だよ、地獄の住民にはなんの害もない」 「それなら」 「でも、これからこの子が大きくなったら力が強くなるかもしれない、そしたら危なっかしくて地獄の近くになんか住んでられない……まぁ天界に帰って二人で暮らすのもいいかなって思ったんだけどね」 「そんなの駄目です!!」 思わず叫んだ桃太郎に白澤は優しく微笑み掛ける。 「うん、解かってる、ここで僕は少なからず必要とされてる……衆合地獄で遊べなくなるのも厭だしね」 わざと明るく、何でもない事のように続けた。 自分の横で眠る赤子の胸を優しく叩きながら。 「だから僕はこの子がまだ幼い内に滅してしまおうと思う。アイツに悪影響を及ぼすかもしれない存在を、将来地獄の害になるかもしれない存在を」 憶測でしかないが、もしかしたらそれよりも悪い事が起きる可能性もあると告げる、鬼灯も己から生まれたものが大事な地獄を傷付けてしまったら辛いだろうと、鬼灯を大切に想う幼馴染達が絶対に反対出来ない理由を突き付けて、白澤は微笑んだ。 「負の感情だから、消すんじゃないんですか?」 「……それならもっと早く消してるよ」 “寂しい”や“哀しい”や“人恋しい”等はけして良い感情ではない、心を弱らせ時に身を病ませるものだ。 しかし、白澤には無理やり消し去ろうとは思えなかった。 「それで?俺達は結局なにをすればいいんすか?」 白澤の話を聞いて腹を括ったのか、一度大きく嘆息した烏頭が「仕方ねぇな」という表情で彼らを見ていた。 烏頭は馬鹿だけど、こういう潔く付き合いの良いところは美点だと思う。 「僕がこの子を消す為の準備が終えるまで……丁度アイツが視察から帰って来るくらいかな?それまでの間に出来るだけ此処に来て一緒に遊んで欲しい」 「それだけ?」 「うん……この子がアイツから捨てられたのは君達に出会う前だから友達って存在をまだ知らない、僕の中にいて僕と同じ時を過ごしてきたけど、この子自身の人生ってわけじゃないから」 白澤が他人と親しくし楽しいと感じても、この赤子も同じ思いが出来ていたかは解らない。 「もうすぐ消えちゃう存在と仲良くなって欲しいだなんて酷い願いだと思うよ、でも消える前にどうしても友達と遊んだって経験をさせてあげたい……それにこの子が消えちゃった後で悼んでくれる人が誰もいなかったら、さみしいじゃない」 言霊を信じる鬼の前で、この子は消えると何度も口に出す神獣、赤子を撫でる手は慈愛に満ちているのに。 「どうして私達なのですか?」 お香が紅の塗られた下唇を噛む、神獣の答えなど解っているが、彼の願いを叶える為の決定打が欲しかった。 「君達がアイツの友達だから」 もしもこの子が丁に捨てられず、鬼灯の中にいたままだったとすれば、この幼馴染み達と過ごす内に自然と消えていただろう。 でもそれは無理やり滅されるのとは違う、天に昇るような優しい消え方だった筈だ。 感情の変化や消滅は基礎代謝のように日々心の中で起こっていることだけど、こうして具現化されてしまった以上は幸せを知ってから逝ってもらいたいのだと言う。 恐らく彼の本心なのだろうけれど、そうやって情に訴えるような言葉を選ぶ白澤は狡い、こんなことを言われたら断るに断れないではないか。 「わかりました、丁度仕事に一段落ついたところですので、出来る限り此処に来させて頂きますね」 「わざわざ有給とったりしたら後で鬼灯にバレるから仕事終わった後になりますけど」 「うん、ありがとう……でも僕と噂になったりしたら迷惑だろうからお香ちゃんが来るときは烏頭くんと一緒にね」 「俺と?」 「そう、体調不良のお香ちゃんに君が付き添ってるって体で、ね?」 烏頭とお香がお互い好き合っていて後は告白待ちという状態というのは周知の事実であるし、今更関係を疑われてもダメージにはならないだろう、と白澤は考えた。 「暫く店は桃タロー君に任せて僕は薬の研究で奥に篭もってることにするから、よろしくね」 「はいはい、わかりましたよ」 本当は赤子の消滅させるなど止めたいところだったが、聡明な師匠の考えを打ち砕くような言葉は出て来ないので、今はとりあえず従っておくことにした桃太郎、普段柔和な白澤でも鬼灯関係のこととなると不器用なくらい頑固なのだとここ数年で思い知っている。 「あと、この子の存在は誰にも内緒だから、たとえ閻魔大王であっても言っちゃダメだよ?誰に見られるか解からないから、うちの庭から出るのも駄目……うちの庭なら一応、外から見えないよう結界張ってるから」 願いを聞き入れられた事に安心したからか、酷く眠たげな様子でうつらうつらと語る白澤、ただの育児疲れではなく、赤子を身の内から出したことで体力を消耗してしまっているのかもしれない。 「そうねぇ本当に鬼灯様と似てるから、誤解する人もいるかもしれない」 「もう何年かしたら俺らと出逢った頃のアイツそっくりになるんだろなぁ」 そうお香と烏頭が話しているのを聞いて、どこか拗ねたような表情に変わった白澤が赤子の手を優しく握りながら言った。 「……そりゃあ今は元となったアイツに瓜二つだけど、長いこと僕の体内にいたんだもん、そのうち僕にも似てくるよ」 「語弊がある言い方しないでください」 恐らく天然で言った言葉に桃太郎はハァと深い溜息を吐いてからツッコんだ。 「ん?」 桃太郎は何故ツッコまれたのか理解していない顔で見上げる師匠に「しかたがないなぁ」と微笑かけ、ベッドの下の方にあった掛布団を白澤と赤子に掛けてやる。 「疲れたでしょう、ゆっくり休んでください、僕たちは暫く店の方でお茶でもしていますから」 「うん……ありがとう、おやすみ」 「あ、ちょっと待ってください!その前に教えて下さい!」 まさに眠りにつこうとした瞬間、思い出したように叫んだ蓬に皆が注目する。 「その子に名前はあるんですか?」 「あっ」 そういえば聞いてなかったなと烏頭とお香は気付いた。 ひょっとしてまだ考えていないのかもしれないが、一緒に遊ぶ時に名前がないとなると不便だ。 鬼灯に似てるからといって同じ名前にするのも白澤が厭うであろうし、だからといって丁というのも違う気がする。 そんな三人の心配を余所に白澤は笑った。 「寧だよ、アイツが日本人だから日本読みで寧(ねい)って呼んでる……こう書くんだよ」 白澤の指が宙をなぞって字を教えてくれた。 「うかんむりは“安らげる家”心は“他人からの優しさ”横目は“遠くまで見通せる”ように」 そう願ったのだと、もうすぐ消してしまう子供に対し、そんな愛情を込めて名付けたのだと白澤は言った。 すぅと眠りに落ちた彼の白い肌に、小さな手が伸びる……寧の手は涙の軌跡のように彼の頬を滑って、また元の位置へと戻った。 END |