長閑な陽が差す桃源郷の朝、薬局うさぎ漢方極楽満月の裏庭に、地面に描いた大きな魔法陣を前に絶望する神獣が一匹……それとも一頭と数えた方がいいのだろうか、神だから一柱? なんて、従業員と共に早朝から見守っていた桃太郎も自分達の店長に負けず劣らず絶望を覚えていた。 こうして朝を迎えるのは何度目だろう、白澤は涙ながらに桃太郎と従業員を見て「また失敗しちゃったぁ」と口に出す、そんなのは魔法陣の真ん中に置かれた盆を見れば解るのだ。 頭はいいのに、手先は器用なのに、潜在能力異常なのに、桃太郎は益々己が師匠のセンスの無さに疲弊する。 「薬だったら上手く作れるのに」 そりゃあ漢方薬の権威ですからね、はい。 地面に描かれた魔法陣を消して(白澤作の割には綺麗に描かれてる)混沌とした色をしている盆の中身を浄化した後、みんなは開店準備に取り掛かった。 アレから三ヶ月経ったが白澤の腕と背中に刻まれた刺青を消す薬がまだ出来ていない、つまり桃太郎の腕に刻まれた桃花も消えてないので早く作って欲しいのだが、この力はあってもセンスのない神獣はことごとく失敗してしまうのだ。 曰わく、天帝が考案した術が施されている聖水らしく、解ける薬を作るのにも同じ様な術を使わなければならない、白澤が普段作っている漢方・和漢薬よりもEUの魔法薬に近いものらしい。 その術式のことは正しく覚えているが、如何せん白澤には難しいものだったようだ。 赤黒い炎と朱い鬼灯(植物)を背負った白澤は、それが透けないように黒い下着をつけているし、桃太郎も誰からも気付かれないようサラシを巻いていなければならない。 まったく迷惑な師匠だが、桃太郎はもはや『馬鹿な子ほど可愛い』という心境にまでオカンキャラを極めていた。 それから数時間後、本日の業務も滞りなく終わり、従業員達も帰路につき、師弟ふたりでマッタリと少し遅いおやつタイムに浸っている最中だ。 「お疲れ様。今日は焼きオニギリだよー」 オニギリはおやつに入るんですか? と、笑う師匠にツッコミを入れると、オニギリは日本の点心じゃないの? と、日本中のオニギリ好きに怒られそうなことを言ってきた。 「アンタそれでも知識の獣ですか」 薬作りは失敗するし……と、呆れるとわざとらしく拗ねた表情をして、 「だって専門外だもん」 だって〜だもんって、幼子かアンタ。 「もう、こうなったらEUの方に頼ってみたらどうですか?」 向こうには魔法薬のプロがいる。 天帝の耳に入れたくないなら中国の術師は頼らない方が良いだろう、いくら口が堅いと言っても国のトップに探られて秘密に出来る筈がない。 「うーん、でもEUに知り合いがいないからなぁ」 「そうなんですか?意外……」 そういえば鬼灯に紹介されるまでリリスにも、その夫でありサタンの秘書官であるベルゼブブにも面識がなかったと言っていたのを思い出す。 「あっちの方の悪魔って可愛いんだけど、ちょっと悪戯が過ぎるところがあるから」 嫌いじゃないんだけど、積極的には関わらないようにしてる……と、柔らかく拒絶した。 「たしかにEU悪魔に関するエグい話は沢山ありますね」 アジア圏の悪魔になら白澤は強い、相手の糧となる“怨み妬み”といった感情を殆ど持たないからだ(故に唯一それを齎す鬼灯が天敵になってしまっている) しかしEU悪魔の糧は相手の“悲しみや恐怖”それが強い神様のものならご馳走になる、桃源郷で日和ってる白澤なんて恰好の餌食だろう。 「まぁ、持って生まれたものなら仕方ないよね、悪魔とはそういうものだと理解して、アチラの領分を侵さないようコチラが気をつければ良いだけの話……遠くで見てる分には可愛いし」 「はぁ」 この人は自分に理解できないものであっても、相手の本質まで否定したりしないのだな、と桃太郎は思った。 吉兆の獣からすれば鬼の残虐性なども好ましくない性質だろうけど、この人なりに上手く折り合いを付けて受け入れているのかも知れない、博愛主義にも程があるが鬼や悪魔からすれば都合の良い存在だ。 これで警戒心が薄かったら悲惨なことになっていそう……この人が酸いも苦いも嗅ぎ分ける妖怪の長であって良かったな、と思う。 「だから自分で作るしかないんだ」 湯呑みを両手で持ち遠い目で壁に掛かった植物の干物を見上げて白澤は乾いた笑いを零した。 ああ、疲れてる、最近花街にも行かず酒も飲まずに薬作りに没頭してるからストレスが溜まっているのだろう、恋人の鬼灯との接触も避けているし、寂しさも感じている頃だ。 というか鬼灯には事情を話しても問題ないと言うのに、白澤は「アイツに知られたら引かれる・気持ち悪がられる・嫌われる」と頑なに聞こうとしない。 「ていうか実は白澤様、その刺青を消したくないとか思ってたりして」 「そ、そんなわけないじゃん!!」 途端に赤くなる頬を見て微笑ましいと笑う、桃太郎は自分の腕にある桃の花に段々と愛着を持ち始めていた。 それは綺麗な模様というのもあるけれど、無意識とはいえ自分が従属していると思えるくらい好きな印しだから、だから、きっと白澤もそうなのだろう。 「これあったら女の子と遊べないじゃん」 「これを機に女遊びと深酒辞めたらいいんじゃないですか?」 女癖と酒癖さえ直してくれたら最高の師匠なのに、勿体ない。 「そんなの無理!」 (まぁ深酒はそうでしょうが……) 桃太郎も白澤の腕に鬼灯の刺青を見るまでは師匠の女癖を直すのは不可能だと思っていたが、見た後なら鬼灯にどうにかしてもらえば良いだけではないかと思う。 桃太郎はそれまでどこか白澤の鬼灯への感情を疑っていたし、白澤自身も鬼灯に本気で入れ込んでいるなんて思ってもみなかったに違いない、博愛の神がたった一人の鬼に満たされる筈はないと。 「でしたら口の堅い女郎と遊ぶしかないんじゃないですか?」 相手も商売ならギリギリ浮気でないと言える、それも手当たり次第ではなく賢い女を選んで買えば良い、それなら桃太郎も安心だ。 鬼火と鬼灯(植物)の刺青も鬼灯から嫌がらせで彫られたとでも言えば、良い女はそれ以上追及してこないだろう。 すると、白澤は珍しく眉間に皺を寄せて首を振った。 「たとえ閨を共にしなくても、こんな鬼灯まみれの体で女の子と遊ぶとか失礼でしょ」 「たとえそれを消したとしても、アンタが鬼灯まみれなのは変わらないでしょうが……」 「それはどういう意味です!?詳しく説明してもらいましょうかーー!?」 「「!!?」」 バターンと音を立てて引き戸が内側に倒れてきた、それでも飛んでこないだけ普段より穏やかな登場なのだが、 「最近、閻魔殿にも衆合地獄にも現れないと聞いて、不審に思い来てみれば元気そうじゃないですか」 穏やかさとは無縁な表情をした鬼神が黒いオーラを身に纏いゴゴゴゴゴと擬音をバッグに立っていた(幻覚と幻聴だ) そしてそれ不審に思ったじゃなくて心配したんだろうとツッコミたい。 「……お前!?いつから聞いてたんだよ!!」 「だから自分で作るしかないんだ……辺りからです」 白澤は絶句した。 その後の話の内容から鬼灯(植物)の刺青が彫られてるのはバレている事になる。 「さっさと入って来ればよかったのに」 鬼灯にお茶を出すために立ち上がろうとする桃太郎、すると白澤が縋るような瞳を寄越し「お茶なら僕が淹れるよ」と制止する。 「でしたら僕は野菜を穫りに庭に出ますよ」 鬼灯さん、どうせ夜まで居るだろうし、夕食の買い物にも行きたいと告げれば「こんな奴に出す食事なんて無いよ!」と口を荒くする。 「酷いですね、鬼灯まみれの癖に」 「変な呼び方すんな!ていうかソレって蔑称になんの!?」 「ならないんですか?鬼灯まみれ」 「ならないけど呼ぶな!普通に名前で呼べ!」 (うわぁ無自覚に凄いデレたよこの人……) 偶蹄類、白豚、牛には類別するなと怒るのに、鬼灯まみれは良いのかと小一時間問い詰めたいが、無表情で動揺している鬼神が許さないだろう、もう知ーらないっと、と桃太郎は席を外し台所へ引っ込んだ。 意外と冷蔵庫は詰まっていて買い物に行かなくても良さそうだ。 食材のラインナップを見て白澤は無意識に鬼灯の分まで買っていたのだと気付き苦笑う、そう思えばおやつの焼きオニギリだって自分達にしては珍しいものだった。 夕食にしようと作った焼いていない普通の具入りオニギリを皿に移し鬼灯用の湯呑みと一緒に盆に乗せて運ぶ。 店の方が騒がしいので気持ち急いで。 「……なにやってんすか」 「桃タロー君たすけて!襲われる!!」 「人聞き悪いですね!いくら私でも桃太郎さんの見てる前じゃ襲いませんよ!」 「襲ってんじゃねえか!ぎゃあああ!!」 うるせえ、久しぶりにうるせえコイツ等。 カウンターの上で身包みはがされそうになっている師匠をスルーして桃太郎はテーブルにお盆を置いた。 「お目当てのものでしたら腕捲るだけで見れますよ鬼灯さん」 「ちょ!なに言ってんの桃タロー君!」 「脱がされるよりはマシでしょう」 俺だって男の裸は見たくないですし、と言えば、奇遇だね僕もだよ! と返され、へぇアナタいつも人の筋肉見て興奮してんじゃないですか、と聞きたくない師匠情報を知らされた。 「で?これはいったい何なんですか?」 白澤が、鬼灯まみれというよりは鬼火分の多い腕を晒したことによって場はいくらか落ち着いた。 来客用の椅子にふんぞり返って、金棒の柄を撫でる鬼灯(鬼神)はもう本当に恐ろしかった。 「……彫り師の女の子に彫られたの、完成するまで模様は教えてもらえなかったから、気付いたらこんな……」 「はい却下、アナタだったら刺青なんて一日もあれば消えてしまうでしょうが」 それが三ヶ月も残るなんて呪いの類じゃないですか? そう言われ何故だか酷く腹が立った。 「はぁ?これが呪いだって?ふざけんな!!」 「そうです酷いです!いくら鬼灯さんでも怒りますよ!」 刺青への愛着がそうさせるのか、師弟から同時に怒鳴られ鬼灯は更に眉を顰めた。 「ならば、どういうことかちゃんと正直に説明しなさい!」 「……わかりました」 「え!?やだよ!やめて!」 堪忍して喋り出そうとする桃太郎を止めようとした白澤に、目にも見えない早業でチョークスイーパーを掛ける鬼灯。 「ぐっ!てめっ!?なにす……」 「俺が説明し終わるまでそうしててください」 「はい、そのつもりです」 「んー!!んー!!んー!!」 意識を落とさない為か首を絞める力は弱まったが、その硬い掌で口を塞がれ、体は足でガッチリホールドされてしまった。 「では……」 桃太郎は口を開く、最初にされた説明とここ三ヶ月で新たに得たコレに関する情報、白澤が天帝の広間で裸にされ大勢の前で背中から薬を掛けられたという話では怒りに震え、思わず白澤の首を折りかけたが鬼灯は最後までその話を聞くことが出来た。 「で、その刺青を消す為の薬を作っているのに失敗ばかりしてんですね、この馬鹿は」 「馬鹿言うな阿呆!!仕方ないだろ!天帝考案の難しい術式なんだから!!」 漸く解放された白澤は桃太郎の後ろに回り込みいつも通り悪態をつく。 「それを解っていて桃太郎の腕にかけたと」 「その時はこんなに失敗するとは思ってなかったんだ!!」 「アンタのその自信どっから来るんだ……」 自分の背中にしがみついている白澤の頭をポンポンと撫でながら呆れたように呟いた。 「いっそ天帝を頼ってみたら如何ですか?怒られやしないんでしょ?」 「はぁ?いくら怒られないからって言えるかよ!何百万年も世話になった主の象徴が浮かばなかったんだよ!それなのにお前の象徴が浮かんだなんて言えるもんか!!」 天帝は白澤を孫のように溺愛しているのだ。 白亜の時代から自分のものだと周知させ、従わせてきたのだ。 しかし、白澤が真の意味で誰のものにもならないと理解してくれていた。 だから数千年前、その白い背中に従属を明らかにする刺青が浮かび上がらなかった時も許してくれた。 そんなお気に入り愛玩神獣をポッと出の新人(新神?)に取られたなんてショックだろう。 ショックでもあるが、漸く白澤にも番同等の存在が出来た事を祝福するだろう、西王母も一緒に、そしたら天界全土を巻き込んだ宴だ。 「どうすんの天界で鬼灯祭りが開催されちゃったら!」 「なんですか……天界が浅草化するんですか……」 「僕に刺青が浮かんだ記念とか言って鬼灯記念日だのなんだの作るよ!きっと」 「それは正直ウゼェですね」 暦が丁(ひのと)を指すのもなんだか微妙な気分になるというのに、いくら外国とはいえそんな記念日作られたら堪ったもんじゃない。 「わかった?天界にバレる前に消さなきゃいけないの、だからお前も他言無用だよ!!」 「はぁ……」 「花街行かないのもお前避けてんのもそんな理由だから心配することじゃないから!!」 「それは、安心しましたが」 「解ったなら帰れ!僕は薬の開発で忙しいんだからな!!」 と、言い捨てた白澤は鬼灯の顔を見ないまま店の奥の居住スペースに引っ込んで行った。 「……」 「……」 店の中に残されたのは常闇の鬼神こと鬼灯と、桃の化身こと桃太郎。 桃太郎が恐る恐る鬼灯の方を見ると案の定、彼は膝を突いて金棒に頭を押さえつけ悶えていた。 「ほ、鬼灯さん?痛くないんですか?」 「なんなんですか?なんなんですか?なんていうことしてくれるんですかあの白豚は、最近私のこと避けてるな何かアレを怒らせるようなことしたかなと考えてみても心当たりばかり浮かんでくるし、衆合地獄の人ならなにか知ってるんじゃないかと尋ねてみればここ三ヶ月ぱったり来なくなったとか言われるし、遊女だけじゃなく男や子供なんかもアレのこと心配してるし、獄卒や動物も男女問わず心配してるし、芥子さんまで心配してるし、閻魔大王や茄子さんも寂しがってるし、だから仕方なく様子を見にくればなんですか、元気そうじゃないですか、しかも聞き耳立てれば自ら鬼灯まみれなんて言ってて、しかもそれは蔑称にならないとか私どうすればいいんですか?ていうかあの人私のことは名前で呼ばないくせに鬼灯(植物)は言えるんですねチクショー録音しとけば良かった!なんですか桃太郎さん痛くないかって?痛いですよ心臓が、しかしなんだこの胸の高まりは!!」 どうやら鬼灯はトキメキが大爆発しているらしい、脳内にいつぞや再放送で観た映画の主題歌が鳴り響いて困る、そういえばホ○ットニー・ヒュー○トンが天国ツアーの真っ最中だとシロが言っていたとどうでもいいことを思い出す。 「……落ち着いて鬼灯さん」 「はぁはぁ……すみません私としたことが取り乱してしまいました」 「いえ、仕方ないですよね……はは」 今日あの師匠はこの鬼神に対し、自尊心を大きく擽ることしか言っていないのだから…… 「嬉しいですか?」 「嬉しいに決まってるじゃないですか……」 数千年の片思いが報われた気がしている、 そんな気持ちにならなければ失礼だ。 だって一億年以上生きてきて、何百万年と色んなものから愛され続けてきて、それでも誰のものにもならなかった神獣白澤が、たった一人選んだのが自分なのだ。 「数千年分の片思いの辛さがぶっ飛ぶくらい、光栄ですね」 「そんな長いこと好きだったんですか」 それなのに何故ここまで喧嘩ばかりしてきたんだろうと呆れてしまう桃太郎、だが安心した。 「でしたら、それを本人に言ってやって下さい」 「はい?」 「このことを鬼灯さんに知られたら重いと思われて嫌われちゃうかもしれないと、不安だったみたいなんで」 「はぁ?」 馬鹿じゃねぇのかアイツ、と言う表情をした鬼灯に全くその通りですよ、と同意する。 「はい、これ白澤様の部屋の鍵……まぁ鬼灯さんには必要ないかと思いますが」 「桃太郎さん?」 「じゃあ俺、明日までシロ達のとこにでも泊めさせてもらうんで、あ、お腹空いたら冷蔵庫を好きに漁って下さい、最近来てくださらないから鬼灯さんの好物ばかり残っちゃって大変なんです……買ってくるのはあの人ですけど」 「……そうですか……ありがとうございます」 「では、また明日」 と、言って店を出て行ってしまう桃太郎の背中を見ながら私まだ一言も泊まるなんて言って無いんですけどねと溜息が漏れた。 まぁなんにせよ良く出来たお弟子さんだ。 「お言葉に甘えて、腹拵えして……いえ、その前に」 可愛いくないけど可愛い私の神獣、その白磁の背中に刻まれたという鬼灯の所有印をこの目て拝見しなければ…… 鬼灯は手の内にある小さな鍵を弄びながら、音もなく彼の部屋へと歩き出した。 END |