同じ空は二度とない 同じ風は二度と吹かない 同じ日は二度と来ない だからこそ思う 何時いかなる時も共に在りたいと 「刻々と過ぎ行く春を、人は春のかたみと言ったのだっけ……」 古き人は夏の名残と言い、秋惜しむと言い、逝く冬と言う、去りゆく季節を想い。 萌え咲き実り枯れ種を付け散ってゆく草花を人の一生になぞらえ、その儚さを愛でた。 「永遠なんてもの、存在しないんだ」 露天風呂の縁に頭を置いて、白澤が力を抜けば直ぐ水面に体が浮かび上がってきた。 桃源郷の月は大きい、その月に腹を見せながら、こんな風に仰向けになり星空を見上げることなどないと気付く。 外で眠る時はいつも獣姿で、角が邪魔になるからと伏せて眠る、ならば眠る時の己は『地』に服従していることになるのか……白澤には獣の習性など関係ないのにそんなことを思った。 あの鬼も角が邪魔だからと『天』を向いて寝ているのかもしれない、ならば自分とあの鬼は毎夜向かい合って眠っていることになる……まぁ徹夜の多い鬼のことだから毎夜ではないけれど。 この店は丁度閻魔殿の真上辺りにあると落とし穴を掘った彼なら気付いているだろう、罪滅ぼしのつもりはないが、自分が複雑にしてしまった閻魔の治世にほんの少し良い影響を与えられていればと思う。 嫌いなのはあの鬼だけだから嫌がらせに他の者を巻き込むことはもうしないでおこう……あの鬼が本当に苦しめるには他の者を巻き込んだ方が効果的だとは解っているけれど、自分だって他の者に迷惑を掛けたくない、自分が嫌がらせなんてするのは世界で唯一あの鬼だけだ。 他の皆には幸せになってもらいたい、幸せそうな人の顔は、とても美しいと思う。 ――これから私たち結婚式を挙げに行くんです―― ああ言った女性の顔もたいそう美しかった。 天国の綺麗な場所で、ふたりきりで結婚式を挙げるという恋人の顔も同じ様に美しかった。 思い付きの戯れの所為で、その真似事をしなくてはならなくなったが、自分の顔はああも美しいだろうか、あの鬼の顔は――……考えるのも虚しい、鬼灯はこんな約束きっと本心では無下にしたいと望んでいる筈。 それならば自分は力一杯楽しんでみようではないか、どうせ戯れ、一時の遊び、こんな機会は二度と尋ねてきてはくれないのだから、嗚呼そうだ。 あの鬼も知っていそうな祝い歌でも舞ってみようか、古詞ならいくらでも知っている、吉兆白澤の主な出番は即位式だけれど、その後に行われる皇帝の結婚式で躍る舞歌の方が相手を知っている分心を込めて贈ることができていた。 数千年前に亡くなった鬼灯には思い入れも何もないだろうが『君が代』でもいい、あの国で祝いの席では必ずと言って良いほど詠われていた和歌は、あの頃の人々に身近なものとして親しまれていた、それこそ諸外国に合わせ国歌を作る際に用いられたくらい。 あの歌の『君』には色んな意味があって、時の皇の治世が永遠に続くようにとも、家族が健康長寿であるようにとも、愛する人と永く生きられるようにとも、一人ひとりが各々の願いを思い浮かべながら詠っていた、僕は憶えている。 白澤はここでふと、鬼との婚姻で祝詞を贈るなんて可笑しいかと思い当たった、というか喩えふたりきりの式だろうと自らの婚礼で自らが詠うなんて……それに鬼なら祝いよりも呪いの方が似合ってる。 もしも、あの鬼へ呪いを残せたら、一世の祝福を与える己が、永久に続く呪いをかけたらどうなるだろう。 「くだらない」 逆上せあがってしまったのか……永遠なんてもの存在しない、永遠を願った歌だって時と共に意味を変えてしまったろう、そんな風に全てのものが緩やかに変わっていく、変えていくのは現世を生きる人間だ。 それを虚しいとも、悲しいとも、残酷だとも思わない、ただ変わりゆくものをずっと憶えていようと思うだけだ。 そう変わってしまってもいい、ひとりで変わってゆくお前が愛おしい、僕を変えて逝くお前が愛おしい。 「白澤様、いつまでお風呂に入っているつもりですか?」 家の中から長湯は身体に毒だと言う弟子の声が聞こえた。 すっかり考え更けってしまっていた自分に呆れていると、眠ってしまったのかと焦った声がしたので慌てて返事をする。 今、体調を崩す訳にはいかない、数日後に婚礼を控えているのだから―― ――地獄には月も太陽も無く、季節の変わり目というものも稀薄だ。 ただ、現世で夕暮れと言われる時間帯はなんとなく気分が沈んでゆく気がする。 生きていた頃は、里も野山も全てを染めてゆく黄昏の光が好きだったけれど、今は夕日も見えない。 真っ黒になった空の下、閻魔殿にある私室で鬼灯は机に向かい息を殺し一心にペンを滑らせていた。 長く硬い指が持つのは彼がいつも使用している金魚草のついたボールペンや筆ではなく、今時珍しい羽ペンだった。 (こんなことをして……) 葉鶏頭に教えられて購入した最高級の紙と墨はサラサラと筆記を受け流しているが、自分の心は裏腹にドロドロと澱んでいた。 こんなことをして何になるのだろう、だけど辞めることはできず、こうして仕事を早く切り上げてまで集中して行っている。 羽ペンは地獄に生息する渡鴉のものを譲ってもらった、紙の淵には金箔で意匠がなされている、墨には自分と白澤の血を混ぜた。 たかが戯れ、ほんの遊びにこれだけのものを用意するなんて馬鹿げている、しかし一番容易く手に入れたものが唯一無二の神のものなんて人は出鱈目だと思うだろうか、結局息を止めたまま、最後の文字まで書き終えた。 厳格な婚姻の証文盤、墨の中に翳む微かな血の匂いは蟲もそうだが神聖なものも邪悪なものも寄せ付けない、半永久的に消えない二人だけのものだ。 火に掛けても水を掛けても消えない、ただ指先に力を入れただけで崩れてしまう文字を、そっと撫でてみる。 永遠なんてものは存在しない、白澤の方は知らないが鬼神の己にはいずれ終わりがくるだろう、自然の流れかもしれないし誰かの意思かもしれない。 万物の知識の神獣なんて大層な名の付く神を害しているのだ、いつ天罰が下っても文句は言えないのだ。 あの獣は気付いているだろうか、敵対し始めて千年以上、毎回命懸けの覚悟で接し続けていることを。 気付いていて自分を護っているのかもしれない、閻魔殿の真上に住み着き、人知れず祝福を降らせていたように、知らないのは此方の方だったら……なんて愚かな。 (今のままでは差がありすぎる) 釣り合わないどころか、同じ天秤に乗ることすら出来ていない……でも (私にも悠久に近い時がある) 墨が乾ききったことを確認すると紙を丸めて筒に入れた。 人だった私が鬼となり、一介の獄卒から閻魔大王第一補佐官となり、そして鬼神という格が付いたのだ。 まるで御伽噺の亀のように、このまま歩んで行けば必ず追い付ける日が来ると、あの寂しがり屋な神は独りでこれ以上進んで行けないと思っているから。 永遠を誓う証明と紙には書いてある、二人とも永遠なんてないと思うから気安く名前を書けるだろう、だが永遠がない無いと証明した者だっていないのだから、もしかしたら自分の恋がそうなるかもしれないと鬼灯は嘆息を吐く。 私は世界を変えたい、貴方を置いて逝く日がこないように、変わらぬ心を持ち続けて。 ――結婚は親や友達の為にするんじゃないから、式はふたりでしようって言ったら頷いてくれたんです―― ああ言った彼の瞳には独占欲が滲み出て、彼女はその束縛にうっとりと身を委ねていた。 あれより強い独占欲を見せれば、あの白い獣はどうするか、きっと逃げてしまうに違いない。 ああ、今日はもう眠ってしまえ……明日も沢山食べて沢山寝て、数日後の婚礼に備え―― * * * 二人が結婚式を挙げることとなった日は実はこよなく日柄がよく、天界では様々な祭りが催されているそうな、それを聞いた白澤が動揺したのを見た瑞獣仲間が首を傾げたが深くは追求してこなかった。 元々店の定休日であったので桃太郎は昨晩からおじいさんおばあさんの家へ泊まりに行っていて夜まで帰ってこない、だから何時に来てもいいと伝えたのに、正装姿を他人に見られたくないと鬼灯は早朝訪れると言った、本当に来ると言った。 だから、まだ夜も明けていない部屋に下着姿の白澤が佇んでいる、何時間か後にはあの鬼と結婚式を挙げる。 辻占の結果に従っただけであり、擬似的な式であり、あの鬼の心は伴っていないが、偽りであれど永遠の愛を誓う。 白澤はここ数日、酒を控え食事に気を使い生まれて初めて化粧水などを使って体を磨いてきた。 付け焼き刃にしかならないと思っていたが、心なしか肌艶がよくなった気がする、あの鬼は酒や女の匂いのしない白澤の匂いは嫌いではないと言っていたから香などなにもつけず、無垢な自分で彼を迎えようとしていた。 鏡の前に掛けられた礼服は、これから纏う純白だ、白は普通葬儀で着る色だが自分は白澤だから白色のソレを作った。 縫い跡の見られない絹地を一枚一枚するりと着付けてゆく、天界では着付けの精霊を召還してもらっているが今回は完全な私用なので自分で全て準備をしようと思ったのだ。 服を着て、靴を履き、髪をどうしようか迷う、化粧の匂いが苦手なら整髪料の匂いも無い方が良いのか、勿論化粧はしない、しなくとも切れ長の瞳を強調する朱は入っているし、唇と爪はなにもしなくとも桃色に色づいている、最近規則正しい生活をしていたからだろう。 神の集う式典ですらこんなに着飾った事は無いというのに、好きな相手に見せるというだけでこんなにも気を遣うとは、我ながら現金な性格をしている、というか女々しいのか。 「仕方ないよなぁ」 鏡に映った自分に苦笑する、髪飾りはあの鬼に選んでもらおう、自分では決められなかったなんて言ったら優柔不断を嫌う彼を苛々させてしまうかもしれないけれど、髪くらいは相手好みにしても良いだろう。 渋々ながらも自分の髪飾りを選ぶ、なんだかんだ言って優しい鬼の姿を想像して笑みが漏れた。 そうしているうちに夜が明け、鬼灯が訪れる時間となっていた。 「ごめんください」 店の椅子に座ってぼんやりしていると鬼の声が戸の向こうから聞こえてくる。 「いらっしゃい、どうぞ」 戸越しに話す声は少し篭もっていて、壁を伝わって自分の体を包んでいるようで、肌が熱くなるのを感じる、戸を壊さずに先に声を掛けられるなんて珍しくて、しかもまだ部屋の中は薄暗いからまるで逢い引きしてるみたい、なんて思ってしまった。 「開けますよ」 「……うん」 小さく返事をすると、ゆっくり戸が開かれていった。 鬼の背後から朝陽が差し込む、天の岩戸を開いた神はこんな光景をみたのだろうか、眩くて目を開けていられなかった。 一方、鬼灯も思わず目を細めた、戸の隙間から光芒が射し白澤の貌を少しずつ浮き立たせていく。 最初そのあまりの白さに驚いた。 中華式だから真っ赤な服かと思っていたけれど白澤は全身に真っ白な礼服を着ていた。 以前着ていた漢服より全体の影像が小さく日本の着物に近い形をしている、絢爛豪華さはなくも着る物をより高貴に見せる。 白澤が眩さに顔を隠すと、ゆとりある袖の中で束になった半透明な布が揺れ、取り入れたばかりの朝陽を反射させている、帯は銀糸で襟や袖には近付かなければ見えないような刺繍が白い糸でなされていた。 鬼灯の服装は和漢親善試合の時に着ていたものと似ているがあの時とは違う白妙の布が使われいて、これは歩くのが夜中でなければ酷く目立つだろうと思われる。 夜警の者などに見つからないで来れただろうか、そう思いながら白澤はまじまじと見上げた。 二人とも髪には何も着けていないが、鬼灯の方はいつも下げている横髪を後ろで小さく括っていた、白澤に比べ硬めの生地で作られた衣装の角に朝露が煌々と輝いている。 息ができなくなるくらい美しい。 「お前も、白なんだ」 やっとのことで出てきた言葉は色に関することだった。 日本男児の婚礼服は白もあるが黒い羽織袴の印象が強い。 「ええ、貴方が赤を着ている可能性を考えまして、黒と赤だと桃の木にそぐわないでしょう」 「そんなことないよ、お前いつも黒と赤着て来るじゃん」 それはまるで桃の木に……桃源郷に似合うのだと言われたようで、鬼灯は一瞬眩暈を覚えた、もう既に可憐な姿をした白澤に心奪われているというのに、そんなことを言われては。 「白澤さん」 「ん?なんだ?」 呼ばれて近付くと、ふわりと頭の上に何かを被せられた。 「これは……」 ウェディングベール。 透け感が薄く、留め金が白い大きな鳥の羽になっている其れは白澤の今着ている衣装と不思議と合うものだった。 「サムシングフォーって知ってますか?」 「ああ、あの……何か一つ古い物を、何か一つ新しい物を、何か一つ借りた物を、何か一つ青い物を……ってやつ?」 「ええ、結婚式の時に身に付けるのが風習だとリリスさんに伺ったことがあって、新しい物はそれでいいでしょう、古い物は貴方の耳飾りで」 出逢った頃からずっと同じものをしてますからね、と古銭の部分を摘ままれて心臓が飛び跳ねる、だがサムシングフォーとは花嫁の風習ではないか、何故男が着けなければならないのだとも思う。 それにリリスのことは自分も大好きだけど、こんな日に他の人の名前を出すことないではないか。 「借りた物は、知り合いの中では一番夫婦生活が巧くいっている篁さんからハンカチを」 ほら、また他の人の名前を呼ばれて面白くない気分になる白澤……だが、鬼灯からいきなり襟口に手を入れられハンカチを押し込まれてしまいそれどころではなくなった。 「い、いきなりなにすんだよ!?」 顔を真っ赤に染めて怒られ、自分の今しがたの行動を振り返った鬼灯はハッとする、相手が男性で天敵とはいえ急に胸元に手を突っ込むのは不躾だった。 「すみません」 「ったく、今度からちゃんと言ってからするんだよ」 事前に言えば許されるのか、と面食らっている鬼灯に白澤は訊いた。 「あと一つ、青い物は?」 「ああ、コレを腕に」 手渡されたのは青い珠と勾玉の付いた数珠だった。 全身、履き物まで真っ白な中で耳飾りと数珠だけに赤く色付いている、青い数珠を元々していた数珠と重ねて付けようとして止まった。 「じゃあ、僕のはお前がしといて」 そう言って白澤は己がしていた数珠を差し出す、よかったら貰って欲しいと思ったが恐らく式を終えれば返されるものだ。 お互い渡された数珠を自分で着けて馴染まない感触を意識する。 日本式か中国式に則るのかと思えばイギリスの風習も出てきて変な気もする、それを言えば原因となった辻占も本来のやり方とはかけ離れてたから、式も自由でいいかもしれない。 「証文も持ってきたので後でサインして頂きます」 鬼灯は床に置いた風呂敷を指差す、あの中に墨やペンも入っているのだろう、そういえば金棒は持ってゆくのか、別に良いけれど必要ないと思う。 「用意周到だな」 「ええ、やるからには徹底的に楽しまなければと思いまして」 「……」 「どうしました?」 「いや、僕も同じこと考えてた」 白澤は嬉しそうに微笑む、疑似の式とは言え好きな相手が自分との結婚式を楽しもうとしていたのだ。 その微笑みを見た鬼灯は一瞬面食らって、暫くすると微かに口角を上げた。 「行きましょうか、完全に夜が明けましたし」 「そうだな」 ふたり連れ添って歩く、常春の桃源郷でも朝は空気がピンと張っている、鼻腔を擽る様々な花と隣を歩く人の香、目に映る色彩は桃と樹と若草、そして乳の混ざったような柔らかな青いそら。 (気持ちいい) ふたり同時に空を仰いで、風の中へ進む、白い服と黒い髪が優しく靡いて擦れる音がする。 「桃の木はどちらに?」 「もうちょっと行った先ー」 観光客の殆ど訪れない穴場は桃園の奥にあるという、危険だというわけでもなく白澤の私有地だからと誰もあまり深い所へ入っていかないんだとか。 「天国の人って遠慮がちだよね」 というか私有地を惜しげもなく開放してる貴方がお人好しなのだ、地獄なら見学料とる、危険な為監視を付けなければならない等理由はあるが、こんな綺麗な景色を独り占めしたくならない者はいないだろう。 「今日だけは立ち入り禁止にしたかったけど」 何気なく呟かれた言葉に全身が粟立った。 天敵と一緒の所を見られたくないという意味だとしても、この桃源郷を鬼灯と結婚式を挙げる為に閉ざしたいと言ったのだ。 嫌われてはいても閻魔大王第一補佐官という立場故、彼の中の優先順位で己が高位にいる事は知っていたけれど、それは仕事上であって個人的に優先されることはないと思っていた。 「どうした?」 「……いえ、暖かくなってきたなと」 「ああ、お日様が上ってから暫く経ったもんね……あ!ほら見えた!あそこの木だよ」 小さい丘を登ると、数十歩先にそれは見事な桃の木が立っていた。 「これはこれは」 「凄いだろ?」 自慢げに笑う白澤をいつもだったら殴りたくなるのに、今は衣装効果かとても可愛らしく見えるから厄介だ。 (そうか、可愛いのかコイツ) 景色を見ながら並んで歩いていたから、白澤の全身をよく見ていなかったが随分可愛らしい格好をしている、格好もそうだけれど今日の白澤はいつもより肌艶がよく見え、酒や女の香りもしないから鬼灯を苛々させる要素が少なかった。 昔着ていた漢服はふわふわし過ぎてどこか飛んでいってしまいそうだが、裾が引きずる程長い今の服装はもし飛び立とうとしても簡単に引き留められそうだ。 「というか引きずって歩いていた割に裾が全然汚れてないですね」 「ああ、これね微妙に浮くように作られてるんだよ」 「ほぉ」 さては名のある神の作ったものか、鬼灯は中腰になり興味深げに裾を捲った。 その際に白澤の足も間近で見れたが、やはりいつもより艶やかで白澤本来の匂いがする。 「ばっ!!だから、そういうことする前に……」 「許可を得ればしても良いのですか?」 「……」 普段着から人前で肌を晒すことを好むようにも見えないし、実際地獄の門番の格好をしていた時は慣れない露出に落ち着かない様子だった。 女性なら兎も角男性に触られたり見られるなんて嫌がりそうだと思っていたが、そうでもないのだろうか。 「い、今はないいんだ……お前は僕の伴侶だからな」 「……そうですか」 顔を赤く染めながらそんなことを言う白澤につられ鬼灯も耳を熱くする、どうやら彼のこの戯れを楽しみたいという気持ちは本当らしい。 「本当に立派な木ですね」 掌で桃の木の幹を押さえると鼓動と共に幽かに気が流れ込んでくる、木の鼓動は水を吸い上げる音と聞いたことがあるが、耳を付けなければ聞こえない筈だ。 流石は神域の寿木、見目の美しさだけではなく内部に大きな活力を秘めている、この地の主である白澤を前に歓びを隠せないと八重咲きだった花を満開へと進化させていく。 「お前に逢えて嬉しいって」 「え?」 「そう言ってる気がする」 目を細め見上げる桃はこれまでにないくらい美しく咲いて儚く散ってゆく、まるで自分の心と共鳴しているように思えて切なかった。 「さて、これからどうすればいいの?」 「何も考えてなかったんですか?」 「他人の結婚式なら数えきれない程経験してるけどね、ふたりきりの式ってのは見たことないし……」 「まぁ自由でいいんじゃないですか?貴方との愛を他の神に誓うのも違う気がします」 愛。 「……とりあえず、お前が用意したっていう証文にサインをしようか」 「……?はい」 袖で顔を隠しながら声を震わせる白澤に首を傾げつつ、鬼灯は言われた通りに風呂敷から台座と証文と墨と羽ペンをとり出した 「この墨……」 「ああ気付かれましたか?私と貴方の血が混ぜてあるんですよ、虫除けと魔除けと神除けに」 「へぇ」 長持ちしそう……というかこれで然るべき額に入れてしまえば半永久的に保つだろう、たかが遊びにこれ程までのものを用意するとは徹底的に楽しみたいと言った彼の言葉に嘘はなかったらしい。 羽ペンくらいなら言ってくれれば自分が用意したのにと思ったが、この渡鴉の羽ペンがふたりには相応しい気がした。 確かに不死鳥の異名を持つ知り合いの羽を貰えれば縁起がいいけれど、何度でも蘇ることをこの頭は輪廻転生に繋げてしまうから…… 「お前から先に書いて……」 「ええ、その心算ですよ」 件の如くと記された文章の一番下、左側に鬼灯がペン先を当てた。 さらさらと流れる字は見慣れた二文字、最近とんと口に出していない鬼の名前、心の中で読み上げる。 「はい、今度は貴方の番です」 彼と場所を代わり、正面から証文を見据える、もう一度確かに本名が書いてあることを確認すると白澤は安堵の息を漏らした。 なるべくゆっくりと丁寧に自分の名前を書いて、そっとペンを鬼灯へ返した。 ペン入れにそれを仕舞った鬼灯が、その指で証文を持ち上げるのを見て白澤はビクリと肩が震えた。 ここまでしておいて「やはり貴方と結婚なんて冗談じゃない」と破かれでもしてしまったら、千年くらい立ち直れない。 「白澤さん?」 「……これからどうするの?」 証文も書き終え、他に用意してあるものもない、酒を持って来ればよかったと僅かに後悔するが折角酒精の香りのしない白澤がいるのに飲んでしまうのは勿体なく思える。 誓いの言葉や誓いのキスも、誓う神がいないことには意味もないし、付き合ってもいない相手に愛を語ったりキスをするなんて、鬼灯には出来なかった。 「このまま暫く……」 鬼灯は白澤に向き合い、頭に被せてあるベールを撫でた。 このまま暫く、麗しい貴方をこうして眺めていたい、白い肌に桃の花が滑るのすら嫉妬し、桃色に染まる頬の可憐さに見惚れる。 二対の瞳に写る自分は、人にも鬼にも蛇にも見えて、こうして神に触れた手が溶け堕ちてしまっても構わなく感じる。 「……ぉ」 白澤が何か言おうと口を開いて、そのまま固まる。 「誓う」 「はい?」 白澤は泣いてしまいそうだった、誓いたい対象が思い浮かんだのに喉が詰まったように口から出て来ない。 「……に、誓う」 「誓う?誰に何を?」 「永遠を……――に、誓う」 思わず目を見開いた。 ――鬼灯に誓う―― 小さい声だったが白澤は確かにそう言った。 「これから先、お前の立場が変わっても、姿形が変わっても、抱える想いが変わっても」 同じ空が二度とないように 同じ風が二度と吹かないように 同じ日が二度と来ないように お前は少しずつ変わってゆく この世界がそうであるように進化と退化を繰り返し生きてゆくのだろう 「お前が過ごす総ての時を見ていく」 総てを愛おしく想える保証はどこにもないけれど、これだけは誓える。 「変わっていくお前の傍にいる、変わってしまったお前を憶えてる、ずっと永遠に」 「白澤さん……?」 恋人ではない以前に自分は酷く嫌われているから結婚なんて出来ないけれど、永久を生きる神獣にこう言われれば満更でもないのではないだろうか。 「お前の生きた証となることを誓おう」 ――鬼灯―― 今度ははっきり声に乗せられた。 「白澤さん」 「っ!!」 鬼灯は衝動的に目の前の男を抱きしめていた。 桃の木の下で黒い髪と白い服同士が合わさり、遠くから見れば一つの塊のように見える。 「ずっと貴方の傍に居ることを、私自身に誓います」 「鬼灯……?」 永遠があるなんて証はない、ただ永遠がないという証もない、それなら私がそれになろう。 「憶えていて下さい、いつか私が消えてしまっても、貴方の心に私がいる限り貴方は永遠に独りにはならない」 そう言って更に強く抱きしめる、今この時だけは二人の間に境界がないのだと信じたい。 「白澤さん」 「鬼灯」 名前を呼びあった二人は、それから無言で唇を合わせた。 戯れで口付けまでするなんて、この鬼らしくもない、それを言ったら己もだけれど。 遊びで口付けをするなんて、この神獣のようだが、己にとっては本気の誓いだから。 天敵という関係で、きっと好きだと想っているのは自分だけだけど、今はまだそれでいい。 愛してくれてなくていい、いつかその想いを変えてみせるから―― ふたりぼっちの静かな結婚式は、こうして過ぎていくのだった。 * * * 白澤はその夜、倉庫の奥から一尺程の大きさの漆箱を取り出してきた。 部屋に戻るとその蓋を開け、その中にベールを畳んで入れ、その上に青い数珠を置く、暫く思案した後に耳飾りと赤い数珠を外し一緒に箱の中へ入れた。 この箱の中は時が止まっていて中に入れた物をずっとそのままの状態で保存できるという玉手箱だ、天帝から一生に一度だけとても大切な宝の為に使えと言われ賜った。 蓋を押さえる紐は鬼灯の帯と同じ一度結んだら解けないという意味の結び切りにし、その上から幾重にも封印を掛けた。 (これで……) これで自分達が離れ離れになろうと、結婚式に使われた品だけは残る。 世界が朽ちぬ限り、永遠に共にあるだろう。 白澤は微笑みながら、その箱をまた倉庫の奥へと仕舞いに行った。 一方、地獄の鬼灯はというと証文を入れておく額をどうしようか真剣に悩んでいる最中で、 「鬼灯様の顔がいつもに増して怖いのだけど」 「最近徹夜もしないし機嫌が良いと思っていたのに」 「昼頃、桃源郷から帰ってきた時からですよ」 「白澤様の服を借りていたから、また喧嘩して服を駄目にしてしまったとかではないですか?」 「ああそれで……」 なんて獄卒達から噂をされていた。 「でも白澤様の服を借りられたのだから、ああ見えて機嫌は良いのかもしれませんよ?」 「かもな……あーなんであのお二人は会う度に喧嘩なさるんだろう」 「まぁ喧嘩するほど何とやらと言いますし、ね」 そして皆、鬼灯と白澤が想い合っているのを知っていたりするのだけれど、怖ろしくて誰も教えてやれないのでした。 めでたし、めでたし? END |