もも様リクエスト

ある日、五道天輪王は言った。

「チュンはいつもよく働いてくれるね、何かご褒美あげたいけど何がいいかな?」

するとチュンはこう答えた。

「白澤様が私に惚れる薬作ってよ!」

すると五道天輪王はにっこり笑って返した。

「いいよ、神獣にも効くとっておきのを作ってあげよう」

そうして数時間後、出来上がった薬を見て、綺麗な虹色にテンションの上がったチュンは瓶に詰める前にそれを持って行ってしまった。

「あ、ちょっとチュン!」

五道天輪王が止めるのも聞かずチュンはとてとてと頭上に薬の入った壷を置いて桃源郷へ走る、流石のバランス感覚で一滴も零さない。
正直自分がまだ白澤の事を好きかと考えると違うような気がしたが、確かに好きだったのだ。
死塊の自分に恋を教えてくれた、とんでもない奴だと後に知れたが、あの人は優しく一緒にいて楽しかったし嬉しかった。
だからこれは恩返しなのだ。
本当の恋を知らない神獣に、他人を愛する素晴らしさを教えてあげるのだ。

そう思って辿り着いた極楽満月の店先。

「だーかーらー!!僕は神獣白澤だって言ってるだろ!!偶蹄類でも牛目でもねえよ!!」
「はいはい、それで白豚さん」
「白豚でもねぇぇぇぇえ!!」

平和で穏やかな筈の桃源郷にて毎度お馴染みの光景になりつつある鬼神と神獣の大喧嘩。
チュンはこれを見ていると毎回なんともいえないイヤな気分になる。
だって地獄の礎を築いた中心人物の一人であり同じ十王の補佐官として腕っ節しでしか敵わない鬼灯と、恋人としては最悪だったが仕事の役に立つだろうと惜しげもなく術も知識も教えてくれた白澤という、頭脳面では一目置いている人達が子どものような舌戦を繰り返しているのだ。

気に入らない、なんなんだ。
何千何万年も何度も何度も同じような事で喧嘩して、よく飽きないものだと思う。
ここいらで、少し関係を改めれば良いのに。
そう思ったチュンは、次の瞬間自分でも思いがけない行動に出ていた。

「へ?」
「あ?」

ばしゃぁぁあん

と、頭上に掲げた壷の中身を二人に向かってぶちまけた。

あれ?いったい自分は何をしているんだ?白澤が私に惚れる為の薬を作ってもらったのに、それをぶっかけるなんて……、チュンは混乱していた。
ハッと気づき、鬼灯と白澤の方を恐る恐る見てみると、水も滴るなんとやら状態になった二人がお互いを熱く見つめ合っていた。

動いたのは一瞬で、白い獣の両手が鬼の大きな手に囚われる。
炎の燃えるような真っ直ぐな瞳で見られ、目を逸らせないまま溜息だけを漏らす。
鬼灯の尖った耳が鬼灯色に染まり、白澤の滑らかな肌が桃花色に変わる。
なんだこれは、なんだこの空気は、僵尸なのに心臓がドキドキする、なんだこれは、チュンは更に混乱した。

「白澤さん……愛してます」
「僕もだよ、鬼灯」

チュンの混乱がピークに達した後も、二人は次々と愛を語らい出した。

愛してる、大好きだよ、貴方は私のもの、僕だけの鬼、綺麗ですよ、美しいね、尊敬しています、僕は恋慕っている、離したくない、離さないで……

見詰め合いながら、撫で合いながら、二人の間の距離はどんどん近付いてゆく。
なんだこれは!! なんなんだこれ!!? どうなってる!!?
チュンは二人を観察しながら、どうしてこうなったのか原因を探る……と、一秒で思い当った。

(あの惚れ薬のせいか!!)

なんということだ、自分の所為じゃないか!!
流石は五道天輪王様のとっておきの薬だ!!
アレだけ日頃大嫌いだと言っていた者同士がこうも仲良くなるとは!!
って、違う感心している場合じゃない。
なんとかせねば……

そう思って二人に話し掛けようと近付くが……え?
なかなか近づけない、いや本気で物理的に近づけない。
二人に近づける最大地点をトントンとノックをするように叩くと赤と白の混じったような気が乱れる。
これはまさか鬼神と神獣の本気が成せる障壁!?? もしかして無意識に障壁出現させちゃってる??お二人さん?

「吻我……」

ちょっとトローンとした顔で「キスして」って中国語で言っちゃってるよこの人、数百年来の付き合いだけど初めてみるよこんな白澤!!

「わかりました」

鬼灯も鬼灯で鬼のものとは思えない柔らかい笑みを零しながら、そっと手を頬に添えている、白澤がその手に自らの手を重ねながらそっと瞳を閉じる。
二人して睫毛プルプル震えちゃっている、中学生カップルかお前ら!! と、チュンが障壁の向こうからツッコミを入れた。

そして、ついに店先で口付けし始めた二人……唇が触れあうまでの中学生カップルのような緊張感が一遍し、情熱的な大人のキスに変わる。
チュッチュチュッチュ、ヂューヂューヂューと袋の鼠かという音を立てながら口付けを深めてゆく二人を見ながら、チュンはなんだか恥ずかしくてたまらなくなる。
薬の効果だと解かっているが、こんな熱いキスシーンをされてしまっては本気で愛し合っているのだと錯覚してしまう、ていうか幸せそうな顔しやがって末永く爆発しやがれ!という気持ちになってきた。
嫉妬深い(浮気は許さない)筈の己がこんな気持ちになるなんて信じられないチュンは「流石五道天輪王様のとっておき!!」と、己の上司を褒め讃えることで心臓を落ち着かせていった。



張っていた障壁が消滅した後、二人ともチュンからボッコボコにされたのは言うまでもない。




* * *




鬼灯と白澤が大変なことになったらしいという噂は海を越え空を越え遠くEU地獄まで流れていた。

「こんにちはぁー」
「……」

興味津々という様子で、半分は本気で心配しながら、西のバカップルことベルゼブブとリリス夫婦が訪れた。

「にーはお!リリスちゃん!相変わらず可愛いね!」
「どうも、ベルゼブブさん、お久しぶりです」

来日してから一時間も経っていないがベルゼブブはもう既に家に帰りたくて仕方なくなった。
仕事中では無碍にされることは確実だと思い、鬼灯の休日を狙ってやってきたのだが失敗だったようだ。
自宅という完全プライベートな空間で、自重もなにもない白澤が先程から鬼灯に擦り寄り、時々頬にキスしたり甘えた声を出したりしているのを見なくてはならなくなった。
鬼灯の方も満更でもない顔をして腰に手を回していたりする、おい客をほったらかしでイチャイチャするなよ!!と普段の自分達を棚に上げベルゼブブは腹を立てる。

「ちょっと、あんまり見ないで下さい、白澤さんが減ります」
「そっちが見せつけてきてんだろ!!ってか減らねえよ!!」

ベルゼブブを睨みながら、白澤を抱き寄せる鬼灯に、ツッコミが冴えわたる。

(補佐官がトップで、神獣がボトムか……)

鬼灯と白澤の役割について冷静に分析しつつ、嫁の元浮気相手が男に突っ込まれてると思うと微妙な気分になってくる、いや逆もイヤだけれど、とベルゼブブは思った。

「それにしても変わった家ねぇ」

リリスはというとそんな男衆よりも二人の愛の巣が気になるのか先程からキョロキョロと家の中を見回している。
長屋という日本に古くからある住宅形式で、長い平面の建物を何軒かに区切った……今でいうアパートのようなものだ。

「元々、地獄で落ち着いて調合する為とかコイツと共同研究する為に借りてた部屋なんだ」
「二人の職場からも通いやすいですし、新居が建つまでの仮住まいとして使っているんです」
「新居……」
「地獄と天国の境あたりに建ててるんですよ」

お前はどうせサタンから貰った城だろ? みたいなニュアンスを含ませて言うと、ベルゼブブはシャーッと蛇のように威嚇する、蠅なのに。

「ちょっとベルゼブブさん!コイツと喧嘩していいの僕だけなんだからねっ!」
「いや、喧嘩ってしていいとか、悪いとかでするもんじゃないから」

どちらかが怒りを表明したら始まるもんじゃないのかと、変な嫉妬をされて冷静になったベルゼブブがツッコむ。

「ここではお二人どういう暮らしをしているの?」

いつの間にか旦那の膝の上に座っているリリスが、いつの間にか恋人を膝の上で横抱きにしている鬼灯に訊ねると、ふむ……と顎に手を当て首を傾げた。

「別に変わったことはしていませんが」
「きゃー!鬼灯今の顔かわいい!!もっかいして」
「はい?」

横抱きにしている白澤の方に顔を向けて首を傾げる鬼灯、その破壊力に打ちのめされた白澤は赤い顔を見られまいと鬼灯の首に手を回しギューッと抱きついた。
なにこれ砂糖吐きそう。

「二人とも仕事をしていますからね、休日以外は、ここで朝食を食べて、職場に行って、食事と入浴を済ませてから帰ってきて、少し会話をするか酒を飲んで眠る……休日は二人で掃除や洗濯をしたあと晩酌用の酒と肴を買いに行ったり、和漢薬の共同研究を進めたり、外食して、温泉に入ったりという生活です」

現世が江戸の頃からある古い長屋なので、水回りが全て共有化されている、だから、朝食以外は職場で摂るし、入浴も使い慣れた職場のものを使っているのだと言うと、官吏と薬師なのに質素な所に棲んでいるんだなと、素直に感心された。

「まぁ家が出来るまでの半年程ですからね、それに二人とも今よりずっと不便な時代を生きていましたから……」
「近くに人を感じられる暮らしっていいよね、ここで暮らす奥さんとか子ども達とすっかり仲良くなっちゃった」

(ああ、井戸端会議とか似合いそうだなこの神獣)
(あと、子どもの面倒とか押し付けられそうよね白澤様)

白澤なら団地妻ならぬ長屋妻たちとも会話が弾みそうだし、子どもの遊びにも最後まで付き合えそうだ。

「そうなんですよ、この人ったら半獣体になって近所の子ども達を尻尾でくるんだり猫みたいにじゃらしたりして遊んでんですよ」

尻尾を出した白澤がくるくる回る度にその後ろに付いてはしゃぐ子鬼達の楽しそうな様を思い出して憤慨する鬼灯。

「ちゃんとお前にもしてあげてるじゃない……」
「いやです、貴方のもふもふは私だけのものです」
「もぉ……」

またもやラブラブオーラを醸し出す二人を尻目に、ベルゼブブの優秀な脳に“神獣の尻尾は鬼じゃらし”という要らん知識が蓄積されてしまった。
何かに気付いたリリスがノックをするように宙を叩くと透明な壁のようなものがあった。
どうやらこの障壁、鬼灯と白澤が二人の世界に突入すると自然と発生してしまうらしい、便利なもんだ。



「じゃあ鬼灯様ぁ白澤様ぁ新居が出来たら見に来るわねぇー」
「うん!歓迎するよー」
「……」

ベルゼブブとリリスを見送る時。
ニコニコと愛想よく手を振る白澤とは違い、鬼灯は二人の愛の生活を邪魔するなと言わんばかりの目だった。
誰が行くかと思いつつ、その頃までに五道天輪王の薬の効果が続いているのだろうかと少し心配になってくるからベルゼブブもお人好しである。
五輪転生王の作った薬……というか怪しげな術が施された聖水のせいでこうなってしまったのだと、閻魔大王からこっそりと教えてもらっていた。
幸せそうな二人だったが、そう思うと素直に祝福できない、だって、ここまでイチャイチャしてしまうと薬が切れた時のダメージは凄まじいものだろう。

「ねぇ、貴方ーアタシもう一か所行きたいところがあるの」
「ん?どこだ?どこでも連れて行ってやるぞ」

先程まで鬼灯と白澤に呆れていたが、彼は彼で嫁に甘すぎるきらいがある。
そんな優しい旦那様に誘惑が得意なリリスはにっこりと微笑み。


「五道天輪王様のところよ」


――彼に会って確かめたいことが出来たの
と、面白いことを発見した子どものような目をして言った。




* * *




鬼灯の関係者談。

「白澤くんと一緒に棲み始めてから鬼灯くんちゃんと定時で上がるようになってくれて助かってるよー」
「その分、仕事にもやる気が出てるみたいですけどね、ふふ……元気そうでなによりだわ」
「最近アイツ幸せそうだよなーまあ表情とか態度とかには表れないんだけどさ、休憩時間にメール見た時とか一瞬雰囲気がすごく柔らかくなるんだよ」
「鬼灯様?ああ白澤様が健康管理してくれてるのかな、前より顔色よくなってるよねー、元気溌剌って感じで閻魔大王と亡者を呵責してるよー!でもそれ以外の時は前より優しくなったっていうか……あ、雰囲気柔らかくなったって言われてんの?うん、その通りだよね!なんか少しずつ白澤様に影響されてんのかな?獄卒のみんな厳しい鬼灯様も好きだけど今の鬼灯様も好きだって言ってるよー」


白澤の関係者談。

「白澤様が花街にも行かず真面目に仕事して下さってるので助かります……ただ少し夜の桃源郷を一人で過ごすのは寂しいですけど……あ、白澤様はずっと寂しかったのかなぁ?鬼灯さんと付き合ってから少しでもその寂しさが埋まってたらいいなって思います」
「こないだ白澤様にあったけど、鬼灯様の匂いすごかったよー、あと仄かに花みたいな匂いした、メスが付けてるんじゃなくて自然の花の匂い!あれなんなのかなぁ?」
「白澤の旦那じゃろ?最近ほんと妓楼の方に来てくれんで遊女たちが荒れとるわぁ、でも鬼灯の旦那とお似合いだからええんじゃと……おなごの考えることはようわからんな、でも白澤の旦那その代わり狐カフェの方に顔出してくれるようになったわ……なんでも急に郭通いを辞めて妲己様に申し訳ないと思ってるのと鬼灯のプロデュースした店だから売上に貢献したいとか、ほんとええ旦那じゃわ」


これを聞いた鬼灯と白澤の談。

「ふふ、お前ほんと愛されてるよねぇ……なんか妬けちゃうなぁ」
「貴方の方こそ、心配されて、匂いも嗅がれて……というか義理堅すぎませんか?」
「檎ちゃんのお店はやましいお店じゃないよ?お前が一番よく知ってるでしょ?」
「そうやって二人きりの時に他の男性の名前出すの止めてくれます?」
「僕はお前の話だったら、どんなものでも聞いていたいなぁ、仕事の話も趣味の話も、周りの人の話も……あんまり仲良しだったら妬けちゃうけど」
「白澤さん……」

己を正面から抱きしめ首筋に唇を寄せてくる鬼灯を撫でながら、白澤は切なげに瞳を伏せた。
これは五道天輪王の薬の仕業だと解かっている、鬼灯がこうして自分に愛しげに触れてくるのも薬の効果によるものだ。
それが解けた時に甘い時間も終わる……

(そうなったら、気持ち悪くてもう一生僕と会いたくないって思っちゃうかな)

まあいい、どうせ鬼灯と過ごせる時間など自分にとっては瞬く間なのだ。
それがほんの少し短くなるだけのこと……最後にこんな時間を過ごせて幸せじゃないか。

「白澤さん?どうしました?」
「なんでもないよ……ねぇ鬼灯、もう一回」

泣いてしまいそうな心を、わざと色めいた声に隠して、鬼灯の身体の中心に触れる。

「僕を愛して……?」
「……はい」

ここは衆合地獄、花街のとある旅館、雪洞の灯りだけが照らす部屋で、夜が明けるまで鬼と獣がまぐわる。
蜜月といえど流石に壁の薄い長屋で致す気にもなれず、こうしてわざわざ色事専門の宿をとるようになった。

本当は、ここまでするつもりはなかったのだ。
この恋は薬が作り上げたマヤカシだと知っている、だから元に戻った時に少しでも鬼灯のダメージが少ないように体を重ねるつもりはなかった。
それでも鬼灯に求められ、断れるような恋ならば、こんなに苦しい想いはしない。

「白澤さん……泣かないで下さい」
「……ほぉずき……違うよ、これは幸せの涙だ」


幸せすぎて死んでしまいそう、本当に死んでしまえばいいのに、と思いながら愛おしい鬼を引き寄せる。

心を曝してしまえば、もう後戻りはできない――




* * *




「きゅーじゅはち、きゅーじゅきゅー、ひゃーく!もういいかーい?」
『もういいよー』

白澤だけが休日のある日、彼は近所の子どもに強請られ“かくれんぼ”をしていた。
隠れるのは長屋の共有スペースだけというルールだ。
小さい子と違って大人には不利だけれど、そこは白澤、頭を使って誰も思いつかない屋根の上に登った。

「白澤様が来てから子ども達が勉強するようになって助かるわ」
「ずっと住んでくださったらいいのに」

軒下で話す主婦たちの声が聞こえる。
白澤は鬼灯の帰りが遅いと暇な時間を使って近所の子どもに勉強をおしえていた。
それが好評なようだ。

「でも、もうすぐ薬の効果が切れてしまうんでしょ?」
「ええ……折角お二人が仲良くなれたのに残念だわ」

白澤の心臓がキュンと詰まる。
何故だか鬼灯は惚れ薬を掛けられたことに気付いていないし、周りの人達がそのことが彼の耳に入らないよう気を付けてくれている。
ただ、ここの主婦たちの中で口の堅いこの二人には事情を話している、最近どうにか普通に話せるようになったチュン曰く五道天輪王はもうすぐ薬の効果が切れると言っていたそうだ。
そしたら自分は今みたいに素直に鬼灯へ愛を語れなくなるし、鬼灯は自分を大嫌いになる。

「あれー?白澤様いないねえ」
「どっかいっちゃったのかな?」
「寝ちゃってるんじゃない?」

下の方から子ども達の声が聞こえる、どうやら自分以外の皆は全員鬼から見つかってしまったみたいだ。

「もうすぐ夕飯よ、戻ってきなさい」

子ども達の母親の声が聞こえる。

「わかったー」
「すぐ帰るからちょっと待ってー」
「白澤様ー!聞こえてるー?僕たちもう家に戻るねー!」
「白澤様も暗くなる前に帰った方がいいよー!」

大声で、自分に忠告する子どもの声に少し笑えた。
鬼の子が暗くなる前に帰れと言うなんて、しかも神で獣である自分にだ。

「ふふ」

あの子も、昔はああだったのかな……
一度だけ逢ったことのある子鬼時代の鬼灯を思い浮かべ、心を温める。
あの頃から、もっとちゃんと見ておけばよかった。
そうすれば自分はもっとちゃんと、こんな薬などなくても素直になれていた筈だ。


「何やってんですか?」

背中にトンと重みを感じる。
後ろから抱きしめられていることに気付いた。
この温度とこの声は、この鬼だけのものだ。

「見つかっちゃった」
「……本当なにやってたんですか?帰ってもいないから心配しましたよ」
「ごめんごめん、子どもたちと“かくれんぼ”してたんだ」
「かくれんぼ……ああ“隠れ鬼”ですか」
「お前達は“隠れ鬼”って呼んでたの?」
「ええ、探される方が鬼ですからね……探す方も鬼ですが」
「へぇ」

それなら、自分には“隠れ鬼”の方が合っているなと白澤は感じた。

「ところで、子ども達はもうとっくに家に帰ってるようですが?」
「いや、もう終わってるのは知ってるんだけどさ、隠れてる最中からちょっとボーっとしちゃって、良い眺めだから」
「ああ、成程……たしかに」

長屋の屋根からは、閻魔庁がよく見える、実は以前からここに登って鬼灯の職場を眺めるのが好きだった。
自分と同じように閻魔庁を眺める鬼灯の瞳が優しく揺らいでいる。

「なぁお前、本当にあそこから引越して大丈夫か?なんだったら通い婚でもいいんだぞ?」
「なに言ってるんですか」
「だって何千年と住んできたんでしょ?離れがたくないの?」

薬の効果が切れたら婚約も同棲も解消だ。
だから今建てている新居は自分が買い取って弟子専用の寮にしてしまっても構わないと思っている。
今は桃太郎だけだけど、もう少し増やしてもいいかもしれない、鬼灯と別れた後は寂しいから――

「確かに、実家みたいなもんですし……少し名残惜しいと感じることもなくはありませんが」

抱き締める力が緩まったと思ったら鬼灯は白澤の横へと座る。
鬼灯の手が白澤の手に重なった。

「それ以上に……貴方と、あたらしい関係を築いていきたいと思うのです」
「っ!?」

白澤の顔が真っ赤に染まる、ここ数ヶ月で彼から与えられるデレには慣れたと思ったのに、トキメキが治まるのはまだまだなようだ。

「ねぇ白澤さん、キスしていいですか?」
「そんなこと聞くなっ!!」


座っている姿勢の所為で少し高い位置にある鬼灯の顔を見上げると、優しい口付けが落ちてきた。




* * *




地獄と天国と境にある原っぱに、二人で暮らすには贅沢なサイズの新居が完成した。
面倒くさい手続きを経て入籍も済ませた(すぐに離婚することになるだろうが)鬼灯と白澤がここに引っ越して最初の夜。
最後まで付いて来たがった座敷童子を閻魔庁が廃れてしまったら困るのでと泣く泣く置いてきたのだが、どうせすぐに閻魔庁に帰ってしまうのだから、それまでの間どうか我慢してくれと白澤は思う。

「白澤さん、これからもよろしくおねがいしますね」

ダブルベッドの真ん中で向かい合って、真剣な表情で頭を下げる鬼灯に、思わず白澤も頭を下げ返してしまった。

「どうしたのさ、改まって」
「なんとなく、気分です」
「ふーん」

白澤はそのまま鬼灯のお腹に抱き着いた。
軽い体は新しいふかふかなベッドの上にポスンと転がる。
いつもと逆で、今日は白澤の方が甘えたな様だ。

「ほーずきぃーえへへ」
「どうしたんですか?白澤さん」

耳の後ろをくすぐられてクスクス笑う白澤に、鬼灯の頬も緩む。

「愛してるよー、お前が僕のことを嫌いになっても僕はずーーっとお前を愛し続ける」
「何言ってるんですか、私が貴方を嫌いになるわけないでしょう」
「ふふふ、そうだといいなぁ」
「絶対そうですよ」

ムスっとした顔の鬼が可笑しくて獣が笑う、いつもいつもカッコイイと思っているけれどこんな所は可愛くて仕方ないのだ。
不思議だ、これ以上ないってくらい大好きだった筈なのに、言葉を溜めていた頃よりも言葉に出してからの方がずっと大好きになっている。

(言霊って本当にあるのかもなぁ)

なんて思っていると、額に鬼灯のキスが落ちてきた。

「もう、寝ますよ白澤さん、明日は忙しいんですから」
「ああ、荷物の整理ね……お前もう少し収集癖どうにかならないかな」
「そうですね、貴方がその分相手をして下されば」
「……ばぁか」


二人であーだこーだ言いながら選んだ、ふかふかなベッドに並んでだ。

窓の向こう、天国の夜は月が柔らかい光で照らしている。

優しい月明かりのなか、眠る二人に掛かっていた魔法がゆっくりと解けていった……



翌朝。

「うあああああああ!!!」
「……」

朝陽と共に白澤の絶叫が上がる。

「うるさいですよ!!」

そして久しぶりに鬼灯の鉄拳が飛んできた。

「だってだってだってだって」

薬の効果が切れた白澤は、青くなったり赤くなったりと朝から忙しなかった。
なんだ、昨日までの自分達のあれやこれやそれ!!
特に僕!!よくもまああんな恥ずかしい台詞をコイツ相手にポンポン吐けたもんだ!!

「ああもう落ち着いてください……私はまだ眠い」
「落ち着いていられるの!?隣で僕が寝てるんだよ!!?」
「……ん?って、え?白澤さん?」
「うん、僕……」
「……」

布団の中でカッと目を見開いた鬼灯が白澤を見上げている。
なんだこれは、何故私は白豚なんかと同衾なんてしている、なんだこれ、え?
……あ、想い出した。

はああああああああああああああああああああ!!?

「……」
「……鬼灯?落ち着いて、僕だってお前と同じ被害者だ」

ビクビクと怯えながら後ずさる白澤、そのうちベッドから落ちそうになった。

「うわっ」

重力に従ってベッドの下に落ちてゆく白澤の身体、思わず目を瞑るが予想していた後頭部への衝撃がいつまで経っても来ない。
その代わり、温かいなにかに全身を包まれているような……

「え?」

目を開くと、白澤は鬼灯から抱きしめられていた。
どうして、助けられた?なんで、抱きしめられている?
混乱する白澤の耳元で、寝起きの擦れた低い声が響く。

「夢だけど夢じゃなかった」
「へ?」

そう呟いた鬼灯は更に強く抱きしめながら、続ける。

「この数ヶ月間、私はずっと夢の中にいるような心地でいた」
「鬼灯?」
「これは夢だ……いつか醒めてしまう夢なのだと」

この数ヶ月の間、離さない、離さないで、なら何度も言い合った。
でも今は「逃がさない」という意思がハッキリ伝わってくる。

「でも、夢から醒めても貴方は私の腕の中にいた」
「鬼灯……?」
「昨夜の言葉は真実ですか?」
「あっ」

――愛してるよー、お前が僕のことを嫌いになっても僕はずーーっとお前を愛し続ける――

「……うん、本当だよ」

言いながら、白澤も恐る恐る抱きしめ返す。
期待と不安……そんな気持ちが正しく伝わるといい。

「私が貴方を嫌いになるわけないでしょう」
「……あんなに嫌いって言ってたのに?」
「あれは……貴方がいつまで経っても私のものにならないから……」
「お前は僕がお前のものだったら嫌いにならないの?」
「鬼というのは自分の所有物は大切にするもんです」
「なにそれ……」

つくづく強欲な生き物だ。
呆れてしまう、こんな言葉を嬉しいと思う自分にも。

「じゃあ、これからお前はずっと僕のことを嫌いになったりしないね」
「……」

すぐ近くで、息を飲む音が聞こえた。

「私は、ずっと前から……子鬼の時代から貴方のことが好きでしたよ」
「アハハ、マジで」

本当にあの頃からちゃんと見ていれば良かった。
後悔先に立たずと言うし、過去を振り返るより未来のことを考えるほうが好みだけど。


「嬉しい」

「私もです」


抱き締め合いながら白澤が言うと、鬼灯のハッキリした声が耳元で響いた。
なんかよくわからないが、最初から自分達は両想いだったらしい。


「改めて……これからもよろしく」

「はい」



――結局、この日は荷物の整理どころではなかった。




* * *



五道天輪王とリリス譲と時々ベルゼブブの談。

「あの時は私が止めるのも聞かず、失敗した薬をチュンがもってっちゃうから焦りましたよ」
「あら?失敗作ではないでしょう?ちゃんと惚れ薬の効果が見られるじゃない」
「違うんですよ、あの薬にあるのは一番好きな相手に対して好意を素直に表せる効果だけで、新しい好意を生み出す効果はありません」
「それはつまり?」
「もともと自分の事を好きな相手に使わなければ意味がありません」
「逆に相手が一番好きな相手に対してデレデレになってしまったら自分は失恋確定だな」
「ええ、チュンのように……」
「そういえば彼女大丈夫?」
「はい、そもそも自分に恋を教えてくれた白澤さんに恋の素晴らしさを教えてあげるのが目的だったみたいなので」
「そうなの、良い子ね」
「彼女にも良い相手が見つかるといいな」
「はい……」

鬼灯と白澤、自分が知能面ではどうしても敵わないと思っている、尊敬に値する二人がくっついた。
幸せそうなカップルに心から祝福を送っている可愛い僵尸娘を見て、微笑ましくなる三人であった。






END