薬の原料となる薬草を買い求めにホモサピエンス擬態薬を飲み、はるばる中国の市場までやってきた。 ぼったくり価格で売られているのを何度か値切ってお目当ての薬草を格安で買うことができた(店主の顔が酷く怯えていた理由は考えない方がよい)鬼灯は、此処よりも治安の良い場所に取った宿に戻ろうとしていた。 歩きながら雲ひとつない晴れ渡った空を眺める、最近地獄の外に出る事がめっきり減って空を見るのも久しぶりだった。 停留所で街行きのバスを待っていると、一人の男が話しかけてきた。 「オニーサン、ちょっと隣いいアルか?」 「ええ、どうぞ」 ものの試しに中国語を脳内で翻訳するついでに語尾に「アル」をつけてみたのだが、それだけで胡散臭さが半端なくなるのは何故だろう。 人好しそうな顔をした胡散臭い言葉遣い(己の翻訳のせいだが)の男は鬼灯の隣にちょこんと座ると、勝手に話し始めた。 「いやぁ今日はいい天気ね、こんな日はお客さんもきて商売繁盛アルよ」 「よかったですね」 持っている大きな鞄を見るに、この男は行商人なのだろう。 「でも、一個だけ売れ残りあったアルよ」 「そうですか」 ああ、これは買わされるパターンだな……と、男が話しかけてきた目的を思い至った。 今回は自分への土産を一つも買っていないし予定よりかなり安く薬草が手に入ったので別に買ってやってもいい、つまらない物を買わされるのも旅の一興だ。 そう思ってしまったのは、別に男の雰囲気が腐れ縁の天敵に似ていたからではないと鬼灯は思う。 「じゃーーん!これね!綺麗アルだろ?」 鞄の中から売り物を取り出して鬼灯の目の前に翳す商人、先程よりも変な日本語に脳内翻訳してしまったのはきっと動揺の所為。 (なんで) 赤い紐に古銭の結ばれたストラップのような耳飾り、それが一目で耳飾りと解ったのは知り合いにこれと同じものをしていた者がいたからだ。 「これは……?」 「我が村に古くから伝わる吉兆のアイテムね!心清らかな者がつけるとイイコトが起こるって言われてる耳飾りアル!!」 確かに色といい形といい縁起が良さそうではあると昔から思っていた。 もしかするとこの商人の村にあの神獣が訪れた事があるのだろうか、アレに似せて作られた模造品なのかもしれない。 「オニーサン買わないアルか?安くするアルよ?」 そう言う商人によって赤い耳飾りが掌の上に置かれた。 ジッと見ると、その紐はあの男の耳にあったものと同じく綺麗な赤色をしていた。 紐の結びもしっかりとしていて解けそうにないし、古銭も本物のようだ。 コレだけが売れ残ったというのなら、他の商品はさぞや良いものだったのだろう……この男の店に訪れたかったなと内心で思う。 「いいでしょう、おいくらですか?」 「わーい!まいどありアルー」 そして提示された価格のあまりの安さに、逆に怒りが沸いた鬼灯だった。 予約していた宿に着くと、まず食事とシャワーを済ませた。 今回はプライベートなので報告書を書く必要はない、手持ち無沙汰になった鬼灯は行商人から買った耳飾りを取り出す。 見れば見る程、白澤の着けていたものと似ているが、本物の古銭には自分が付けた傷があった。 それ以前は古くなるとまた新しいものを作っていたそうだが鬼灯が古銭に傷を付けて以来、紐だけ取り替えていたと聞く。 それももう“あの時”壊されてしまったけど―― 「しんみりしている場合ではありませんね」 本当に吉兆のアイテムなら、あの行商人が手放す筈がない、そもそも心清らかな者が着けると良いことが起こるというが地獄の鬼がその心清らかな者に当てはまるとも思えないから、これはただの土産品だ。 持ち帰っても誰にも見せられないから、ここで一度装着してみるか、ほんの記念に……そう思い鬼灯はそれを耳に当てる。 すると、突然その耳飾りから眩い光が放たれた。 (……なんだこの展開) 眩さに目を瞑りながら冷静に光が収まるのを待つ鬼灯。 長年あの世で人外なんてやっていると些細なことでは驚かないのだ。 そうしているうちに光がだんだん小さくなってゆき、鬼灯の耳から耳飾りがなくなっていた。 「はじめまして、驚かせてすみません」 別に驚いてはいないし、はじめましてでもないだろう。 聞き覚えがありすぎる声を聞きながら、ゆっくり瞳を開いてゆく。 「貴方が僕の主様ですか?」 地獄で御伽話の主人公達と関わっていると、こういう話は珍しくないが、実際自分が体験したのは初めてだった。 鬼灯の耳から消えた耳飾りを付け白いふわふわした道服に身を包んだ男が宙に浮いていた。 そして、男はゆっくりと鬼灯の目の前に舞い降りる。 「僕は守護神獣、名は白澤と申します」 にこりと柔らかい微笑みを零された瞬間、鬼灯の頭の中は真っ赤に染まった。 「やっぱりお前かーーーーーー!!」 それが己の天敵だと確信した瞬間、何も考えられず条件反射で殴ってしまう鬼灯、ホモサピエンス擬態薬を飲んでいてよかった。 鬼の体だったら確実に彼を壁に埋め込んでいただろう、そうしたら色々と面倒なことになる。 「え?え?なに?」 床に転がった白澤は目を白黒させながら鬼灯を見詰めた。 その透明な眼差しに顔に腹が立つ……お前、私を見た時はもっと違う反応をしていただろう。 そもそも自分がわざわざ中国まで薬草を買いに来なければいけなくなったのは、こいつの所為だ。 こいつが、こいつが―― 「僕、別に強盗とかじゃないよ!?いきなり出てきて吃驚しただろうけど……えっと、中国語わかりますか?」 ――こいつが桃源郷にいれば、こんな所まで薬草を買いに来る必要もなかったのだ! 「……怒ってる?それともやっぱり中国語わからないかな?」 自分に気付いていない、というか初めて見る相手にするような対応の白澤に眉を顰めつつ鬼灯は必死で冷静さを取り戻した。 「わかりますが、できれば日本語でお願いします」 「承知……貴方様は日本人なのですか?」 殴られた痕がもう消えている神獣は恭しく鬼灯の前に傅いた、以前の白澤では考えられない。 「改めて紹介させていただきます。僕の名前は白澤、貴方様の忠実なる下僕でございます」 「……」 「どうか貴方様の名を教えてください、我が親愛なる主よ」 鬼灯は厳粛な面持ちで自分を見上げる白澤にゆっくりと手を伸ばし…… 「へ?」 ガチン!! と、その脳天に拳骨を振り下ろしたのだった。 「いったぁい」 「殴った私の手も痛いです」 一度床に沈んだ白澤は、手で頭を押さえながら涙声で嘆く。 「うぅ……記念すべき初めての主様から二回も殴られた……出逢ってまだ十分も経ってないのに」 「それくらいで済んでラッキーと思いなさい、アメリカだったら撃ち殺されてますよ」 「銃社会こわい……」 「日本でも一人で取ったホテルの部屋に見知らぬ人が現れれば叫ぶなり逃げるなりされます」 「そんなことないよ、もしかして部屋間違えたのかな?ってまずは事情を聞……」 「警戒心がなさすぎる!!」 「ぎゃん!!」 今度はチョップを受けた白澤は近くにあったベッドの端に頭を乗せて痛みを耐えだした。 それを見て鬼灯も溜息を漏らす、煮え滾るような怒りを内心に隠しながら。 (なんでコイツこんなとこにいるんだ……?私のこと忘れてるみたいだし) 自分と恋人だった白澤は、今は中華天国で監視されながら暮らしている筈だ―― 「なんなんですか、いったい貴方……」 訊ねながら、数十年前に白澤を連れ去った中華天国の使者の言葉とその時の光景を蘇らせる。 二人揃って原因不明の病に侵された鬼灯と白澤の前に突然現れ『このまま一緒にいれば二人とも消滅してしまう』と言って、自分の最愛の人を鳥籠の中に閉じ込めてしまった。 あの天帝の使者……何故か顔が思い出せない、あんなに憎々しく脳裏に刻み込んだ顔なのに記憶から消えてしまっている。 (そういえば……さっきの行商人の顔も……) 鬼灯が考え込んでいる内に、頭の痛みが引いた白澤がヨロヨロと立ち上がり鬼灯の前で説明を始めた。 「だから守護神獣ですって、その耳飾りを着けることの出来た心清らかな方をお守りするって役目を持つ」 「へぇ」 「あ、信じられませんか?僕こう見えて神獣なんですよ、ここじゃ出来ませんが大きな獣に変化だって出来るんです!後でお見せいたします」 「それは是非お願いします」 久しぶりに神獣の毛並を堪能できるかと思うと心が弾むが、その前にもっと聞いておかなければならない事がある。 「仮に貴方が言うように、貴方がその耳飾りを着けることの出来た者を守る守護神獣という存在だとしましょう」 「仮にって……本当だよ、後でちゃんと変化してみせるから」 敬語で喋っているが時々素に戻るのか言葉が崩れる白澤、本人は気付いていないようだが鬼灯的には此方の方が話しやすいのでほっておくことにした。 「貴方は何故そんな役をやっているんですか?」 そう、それが聞きたい。 どうして中華天国にいる筈の白澤がそんなお守り精霊みたいなことをしているのか、そうなった経緯が分かれば何故鬼灯のことを忘れているのかも解るかもしれない。 「あ、それはですね僕もよく解っていないんですよ」 「はい?」 「なんでも僕は僕の上司にあたる方に普通だったら到底叶えられない願い事をしたそうです。それが叶うのだったら何でもすると言って……まぁ憶えてないんですけどね」 「はぁ」 「で、その願いを叶えてもらったんですが、その対価として過去の記憶と一部の感情が消えてしまったらしいんです」 今度は鬼灯が頭を抱える番だった。 恐らく白澤の願いは『鬼灯と共にいられるようにしてほしい』だ。 白澤とこうして話していても、あの病を患っていた頃に感じていた魂を削られるような痛みと苦しみがないということは、もう一緒にいても平気なのだろう。 しかしその所為で鬼灯のことを忘れてしまっては本末転倒ではないか、消えてしまった一部の感情というのも気になる。 「しかし僕のもう一つの願いを叶える為にはそれだけでは足りなかったようで、この耳飾りの持ち主を一万年間お守りしなければならないと言われました」 「は?」 一万年だと? 「はい、一万年間この耳飾りを着けることの出来た方々にお仕えし、守り通すことが出来たらその願いも叶えて下さると」 「……」 一万年、それ程の時を掛けてまで叶えたい願いがあったのか……恋人なのに気付かなかった。 「そんなわけで僕の主人になってくださいませんか?」 再び目の前に傅いた白澤が、鬼灯の顔を見上げながら訊ねた。 その瞳は不安げに揺れている。 「私が断ったら貴方はどうするのです?」 鬼灯が訊くと白澤は悲しそうに瞳を伏せ、首を振った。 「どうすることもできません……再びその耳飾りの中へ戻り……次の主候補が現れるまで待たなければなりません」 「そうですか」 鬼灯は考えた。 一万年、己の寿命を考えればギリギリ最期までいられるだろう。 しかしまた恋に落ちることが出来たとして、白澤が役目から解放された時に己に残された時間はとても少ない。 そうすればまた白澤を苦しめてしまうのではないか、この時点で己は彼から一億年以上の思い出を奪ってしまっているのに……。 でも自分以外の人間が(いくら心清い者であっても)白澤の主人になるなんて鬼灯には赦せなかった。 「わかりました……仕方ありませんね、貴方の主とやらになって差し上げましょう」 「本当ですか!?」 白澤の顔がパァっと明るくなる。 そんな顔を他の者に見せていたかもしれないと思うと胸がムカムカとしてくる。 恐らく、こうなったのも天帝の思し召しだろうから有り得ないのだけど(あの人も優しいのか残酷なのかよく解らない事をする) というか自分の知らないところで勝手に自分と白澤のことを進められているのに腹が立つ。 「では、私の紹介もしておきましょう」 「はい」 鬼灯を憶えていない白澤がキラキラとした顔で“初対面の主様”を見ていることにも苛々したが、あれから数十年ずっと独りで耳飾りの中にいたのだとしたら仕方ない事のように思えた。 「私の名は鬼灯、今は訳あって加々知と名乗っていますが、本名は鬼灯です」 ――ああ、そういえばもうすぐ“時間”がくる―― 「はい、鬼灯様」 「鬼灯でいいですよ、敬語も止めてください」 「……え?しかし」 「私がそうして欲しいと言っているんです」 すると、白澤は少し悩むような仕草を見せ、頷いた。 「……わかったよ鬼灯、君が望むなら」 「あと、私といる時は出来るだけ顔を上げていなさい」 言われた通りに顔を上げる白澤に、鬼灯は満足げに目を細めた。 もうすぐ、己の身体に変化が訪れる頃だろうか―― 「あと、もう一つ」 両耳がピリピリと鈍い痛みを鳴らし、上下四本真ん中から三つ目の歯が疼き出す。 身体も硬くなり、爪がみるみるうちに伸びて鋭く尖る。 「私、人間じゃないんですよね……」 今は丁度ホモサピエンス擬態薬の効果が切れる時間帯だった。 「え……?」 「ですから……」 鬼灯の外見の変化を目の当たりにした白澤がわなわなと腰を抜かす。 自分だって神獣だというのに、どうしてそんなに驚くのやら。 「きっと私が貴方の最初で最後の主になるでしょうね」 自分の言葉を聞きながら呆気にとられた顔をする白澤を見て、鬼灯は少しだけ気分が上向いたのだった。 END |