これは暇を持て余した神々のちょっとした悪戯。 「天狗の隠れ蓑?それが?」 頼まれた薬を袋に詰めながら、白澤がカウンターの中から訊ねる。 今日は麒麟と鳳凰が揃って定期薬を受けとりに来る日だからと、桃源郷の薬剤師達は朝から調合していたのだ。 師匠が真面目に仕事してくれてご機嫌な桃太郎は、月餅とそれに合う花茶を淹れて持て成している。 「ああ、酒の飲み比べをしてな、勝った景品として借りてきたのだ」 麒麟の膝の上に広げられたポンチョ型の蓑を訝しげに見ながら白澤は口を開く。 「ていうか麒麟、プリン体気にしてなかったっけ?」 「このワシがビールの事で負けるわけにもいくまい」 「いやいや、そういう問題じゃなくってね」 漢方医と古くからの友人として心配して言ってるのに、と溜息を吐く白澤だったが、自分も普段から弟子の忠告を聞かないから、このまま会話を続ければ藪蛇を出すなと思い話題を再び戻した。 「天狗の隠れ蓑ってアレでしょ?被った人が透明になるってやつ」 「そうだ」 「へー、凄いですね」 桃太郎が興味深げにその蓑を見る。 「鳳凰ちょっと羽織ってみせてやれ」 「ああ、いいけど」 月餅を食べ終え、丁度お茶も飲み終わった鳳凰が麒麟の膝の上から蓑を取って、軽く被って見せる。 すると少しずつ鳳凰の小さな体が視界から消えていった。 「すごい!ホンモノだ!!」 「天狗さんもよく貸してくれたよね……」 「もうワシらはコレで散々遊んだからな、此処に来たついでに天狗に会って返そうと思っている」 「麒麟にしては早く返すね」 毎日占いコーナーに出るくらいで、自分のように商売をやっているわけではない二人は時間の感覚が少々ズレていて、この二人にものを貸すと百年単位で返って来ないことがザラにある。 「実は悪戯が過ぎると霊亀から叱られてしまってな」 「応龍からも早くしてこいと……」 「アンタらなにしたの……」 割とお茶目なところのある爺コンビは、コレを使っていったいどんな悪戯をしたのだろうか。 「あ!」 すると、白澤が何か閃いたような声を出した。 なにやらワザとらしい。 「僕、今日閻魔庁に往診に行く予定だったんだよね、天狗さんちの近所も通るから、ついでに返してきてやろっか?」 ニヤニヤと笑いながら提案する白澤は多分親切心で言っているのではないない、桃太郎は「うわぁ」とこの時点でイヤな予感がした。 「そうか、ならば頼むとするか」 「麒麟さん!?」 いいんですか?という顔で麒麟を見る。 これでも一応師匠のことを尊敬している桃太郎は、基本的にイイヒトな白澤が隠れ蓑を悪用するとは思わないけれど、ウッカリ落としたりするかもしれないという心配はする。 「コイツももう良い大人だ、心配いらんよ」 「そうそう、いっつもちゃんとおつかい出来てるでしょ」 「いい歳こいておつかい行かされる奴もなんだがな……」 そう言いながら、白澤は往診用の鞄を背中に背負い、その上から隠れ蓑を被った。 「……え?」 「じゃあ行ってくるよ!桃タローくん爺達からお代もらっといて!」 そしてドアを開けると足早に地獄の門へと歩いていった。 「……麒麟さん、鳳凰さん……アンタら……」 「成功だな」 「うむ、ここまで上手くいくとは思わなかった」 桃太郎の目には先程、隠れ蓑を被った白澤の姿がしかと見えていた。 つまり、あの隠れ蓑の話は嘘だということになる。 「偽物ではないし、嘘も吐いておらぬぞ、ただあの隠れ蓑は一日一回、一人しか効果が出ないという代物なのだ」 だから鳳凰が一回使ってしまった時点で、もう今日一日は普通の蓑でしかないということだ。 「でも、教えてあげなかったじゃないですか」 「聞かれていないからな」 と、言って、お茶のおかわりを自分で注ぎだした麒麟を見て、桃太郎は呟く。 「ヒデェ……」 この瑞獣ほんとに人を幸せにするのだろうか…… まぁ普通の人なら女風呂をちょこっと覗いたり、悪い人なら盗みを働いたりする、しかし白澤に限ってそれはないと思える。 数年間の弟子生活の中で止むを得ずあの人の行動パターンを熟知してしまっている桃太郎は、彼の行先に目星がついてしまった。 (とりあえずメール送っとこ) 迷惑な瑞獣達の悪戯に巻き込まれるであろう鬼神が、少しでも怒りませんように……一応師匠を大事に想っている弟子はいそいそとフォローの文章を打ち始めた。 * * * 閻魔庁、鬼灯の執務室の前で、白澤は百面相をしていた。 流石に地獄の門や町中を透明で通り抜けるのは危険だろうと思い、此処に来るまで隠れ蓑は脱いでいる。 白澤は入口の横に鞄を下すと、ポンチョのような隠れ蓑を羽織る。 これで自分の姿は誰にも見えない筈。 いよいよ、鬼の巣窟に侵入する時がきたのだ。 (おじゃましまーす) 換気の為か開け放たれたドアを無言で潜った。 部屋の奥には机で書類を捌く鬼の姿がある、久方ぶりに顔を見た喧嘩相手兼恋人だ。 (あーあ、眉間に皺寄せて……今度は何日寝てないんだろ……) 執務机の正面に立つと、じーーーっと普段は観察できない鬼灯を見詰めた。 一方鬼灯は、白澤が入って来た事には気付いているが、今は喧嘩している場合ではないので相手から話し掛けらるまで手元の書類を捌くことに集中しようと思っている。 (どうしよ、とりあえず来てみたけど、何するか考えてなかった……) 今の自分は透明人間だと思い込んでいる白澤はここにきて、鬼灯に仕掛ける悪戯が思いつかない。 とりあえず、ポルターガイストでも起こして驚かそう。 そう思った白澤はパンと手を叩いて鬼灯の気を引いた。 「……」 鬼灯が前を見ると花瓶を持って何やら手の上げ下ろし運動みたいなことをしていた。 なにやってんだろう、コイツ……まぁ、めちゃくちゃ殴りたいけど無視しとこう、無視が一番こたえるだろう。 忙し過ぎて相手するのも面倒くさい鬼灯は再び手元の書類に目線を戻した。 (……チッ!やはり地獄の鬼、ポルターガイストくらいじゃ毛ほども驚かねえ……) では、今度は何をするか……白澤は思い悩みながら鬼灯に近づく。 と、その時窓からの風が吹き込んできて重ねてあった書類の一番上が落ちそうになる。 (おっと) そして白澤は思わずソレを空中で受け取り元の位置に戻してしまった。 「あ、どうも」 「っ!!?」 白澤はビクッと肩を震わせ二歩程後ずさる。 鬼灯は自分が礼を言ったくらいでココまで驚かれるのは心外だと眉を顰めた。 (……もしかしてコイツ何かいるってことには気付いてるのか?) というか全部見えているのだと、気付かない知識の神獣。 するとその時、鬼灯の携帯の着信が鳴った。 (メールか……気になるけど覗いちゃダメだよね) たとえ恋人であっても相手のプライバシーを侵害してはいけない。 ひょっとしたら企業機密かもしれないし、と目を逸らす白澤。 一方、鬼灯は桃太郎からのメールを素早く読んで、事態を察した。 そうか白澤は今“透明人間ドッキリ”に引っかかっている最中なのか、先程の奇行は自分を驚かせようとした結果か……なんだコイツの無害さ。 と、鬼灯は呆れてしまう、あまり悪いことをされても困るけれど折角透明人間になったのだからもっと色っぽい悪戯仕掛けてこいよとも思う。 鬼灯は桃太郎へ「わかりました」と返信し、携帯をまた机の上に置いた。 (メール終わったか……) すぐ終わったということは大した用事じゃなかったのだろう、少しホッとして白澤はしゃがみこんで鬼灯を下から眺める。 この角度から見ると余計に疲れているのが解かる……少しくらい休めばいいのに、でも頑張り屋で責任感が強い所も好きなんだよね。 なんて思いながらジッと見詰める白澤を、ちらりと見て鬼灯は思わず眉間を押さえた。 透明になっていると思い込んでいるからか、白澤の表情や目線から鬼灯への好意がダダ漏れだ。 ともすれば体全体で「鬼灯心配だよー」「鬼灯すきだよー」と言っているような感じがする、いや己の願望かもしれないけれど…… (とっとと仕事終わらせましょう……) 今は仕事に集中して後で思いきり構ってやろうと決意した鬼灯だったが、その集中力が続くのも、白澤が優しく自分の頭を撫でてくるまでだった。 END |