只今地獄の繁忙期、それに合わせて白澤の経営する極楽満月も忙しくなる、そんな忙しい合間に薬の注文を受けた白澤は獄卒達の様子を見るついでにと配達へやって来た。
どうせ今は忙しいからと鬼灯から印を貰うのは後回しにして閻魔庁内の医務室へ赴き体調不良を訴える者はいないか、どのような症状の者が多いのかなどを訊ねた。

(そっか、じゃあ次はアレとアレの注文が多いかもしれないな……えっと足りない材料は)

獄卒の話を聞きながら店の在庫を思い出していると

「あ、白澤様!こんにちはー、今日はどうしたのー?」
「こら、真面目に話してる最中だろ」

地獄のチップとデールこと唐瓜と茄子が通りすがった。

「いいよ、もう話は聞けたから……ありがと、仕事忙しいのに引き留めちゃって」

唐瓜と茄子の目線に合わせしゃがみこみニコリと笑うと、医務室にいた獄卒を振り返って礼を言った。

「いえ、いつも白澤様がよく効く薬を作って下さるので助かってます」
「え?そう?どういたしましてー」

男はいるとしか認識していない白澤だが、素直に感謝を述べられると嬉しいのか、その獄卒に笑顔で返した。
あの闇鬼神もこれくらい言ってくれていいのに、いつも急な注文に対応しているんだからと思っていると、脇腹辺りに強い衝撃が走った。
ゴスっっと鈍い音と共に、鉄の塊……鬼の金棒が体にめり込んできて白澤は近くの壁までぶっ飛ぶ。
打ち付けた全ての箇所から出血し、ぴくぴくとまるで打ち上げられた魚のように痙攣している姿には、地獄の獄卒でもドン引きだ。

「貴方、こんな所で油売ってる暇あるなら早く薬もってきなさいよ」
「お、お前!いきなりなにすんだよ!!ていうか、お前今メッチャ遠くで裁判してたとこだろ!!それ終わるの待ってたんだよ!!」

裁きの間の奥で裁判をしていた鬼灯が、裁きの間の隅っこの方にいた白澤まで一直線に金棒を投げてきたのだ。
途中で誰かにぶつからなくてよかった。

「そうです、厳粛な裁判中にごちゃごちゃ話されては気が散ります」
「気が散るって……他の人だって普通に喋ってるのに」

なんで自分にだけそんなことを言うんだと睨みつけると、氷点下以下の冷たい視線で返され。

「耳障りなんですよ……貴方の声」
「なッ?」

これには流石の白澤もカチンとくる。
自分の声が気に入らないのは仕方ないが、だからって他の者が喋っているところで自分だけが文句を言われるなんて可笑しい。
ていうか、それが長年連れ添ってきた恋人に対して言う事か!?

「わかったよ!!そんなに言うなら帰るよ!!ほら薬!代金はいつもの講座に振込みね」
「はいはい解かりましたから、さっさと帰りなさい、桃太郎さんに店を任せて来てるんでしょ」

しっしっと犬でも払うように追い返され、白澤の怒りは最高潮に達する。

「お前なんか大ッッッ嫌いだ!!」

裁きの間から退出する際、白澤は鬼灯が耳障りだと言った声で思いっきり捨て台詞を叫んでやった。

「……鬼灯様」
「……今のはちょっと」
「いや、でも白澤様も大人げないっちゃ大人げないな」


取り残された唐瓜と茄子と獄卒は、冷徹な顔をして裁判へ戻ろうとしている鬼灯の後ろ姿を見詰めながら呟いた。



* * *



「なんだよ!鬼!人でなし!馬鹿!ドS!朴念仁!唐変木!変態!ワーカホリック!!」
「白澤様、鬼灯さんへの恨み節を吐きながら木の実砕くの止めません?」

店へと戻った白澤は怒りを隠そうともせず、それでも急ぎの注文を熟す為に薬作りに没頭し始めた。
今は客もいないので、遠慮なく鬼灯への恨みを吐いていられる、こんな時でも優秀な従業員さん達は通常運転だ。

「だってさ!僕の声は耳障りって言ったんだよ!!あの鬼!!」
「はぁ」

勢いよく桃太郎の方へ向いた白澤は、怒りのままに叫んだ。
毎回毎回あれだけ怒鳴り合っても擦れない丈夫な喉の持ち主の声は、耳障りとは程遠いように思える。

「くっそぉ……アイツ自分がイケメンボイスだからって……畜生……僕だってお前みたいな声になれるもんならなってみたいよ」
「怒るのか褒めるのかどっちかにしてください」

この師匠が鬼灯の声を大好きなのを知っている桃太郎は、鍋が煮詰まらないように掻き混ぜながらツッコミを入れた。

「……そんなに僕の声ってイヤかなぁ……」
「さあ、俺はそんなこと思ったことないですけど、そればっかりは好みの問題なのでなんとも」
「そりゃあ閨の中とかなら男の声聞くと萎えちゃうかもしんないと思って我慢してるけどさ……でもこれからは普段も我慢しなきゃダメなのかなぁ?」
「アンタらの夜の事情なんか知りませんし、普段は声出さないわけにもいかないから仕方ないんじゃないですか」

というか、いつの間にか怒りが収まっていた白澤に驚く、相変わらず鬼灯に関することでは感情の起伏激しい。

「……桃タロー君、僕きめたよ」
「はい?」

いつの間にか手も止まっているし、無駄話してないでちゃんと仕事してくださいと言おうとしたところで、白澤の真剣な眼差しとかち合った。

「声変わりする」
「なに言ってんだ爺」

思わず桃太郎の手も止まってしまった。

「もう無理でしょ、その年になって声変わりとか、老化現象ぐらいでしか」
「ひど!桃タロー君!僕を誰だと思ってんの?」
「薬だけが取り柄の助平神獣」
「……桃タロー君、最近口悪いよ?アイツに似てきたんじゃない?」

と言って、よよよと嘆く白澤を無視し鍋を掻き混ぜる作業を再開させた。

「そうじゃなくて僕は漢方の権威なの、世界中の薬の研究をしてるの」
「だからなんですか?」
「声を変える薬だって持ってるんだって」
「はい?」
「ちょっと待ってて」

呆気にとられた顔をした桃太郎を置いて、白澤は一度倉庫に引っ込む。

「じゃーん、こないだ魔女の谷で買ってきた魔法薬」

戻ってきた白澤が抱えていた瓶の中には、透明なキャンディが詰まっていた。

「これ舐めると一定時間自分の理想の声になれるってお薬なんだよ」
「なんでそんなもの買ってきたんですか?」
「水無しで飲める薬が作れないかなって思って色んなの参考に買ってきたんだ……あと、どうせだったら甘い方がいいかと」
「いや、漢方と魔法薬と作り方全然違うと思うんですが、参考になるんですか?」
「う……」

言葉を詰まらせる師匠に呆れたように息を吐く桃太郎。
白澤の事だから。どうせ鬼灯の声になって彼から言われたい台詞をレコーダーに吹き込もうとか思って買ったんだろう。
何故解かるかというと鬼灯が片想いを拗らせていた時に、白澤に化けてもらった檎に同じような事を頼んでいたからだ。
当然檎は断っていたし丁度その場に居合わせた幼馴染達が止めていたので実現はしていないと思う。

「ち、ちがうよ!別にこれでアイツの声になって「白澤さん我愛迩」とか録音しようなんてこれっぽっちも思っちゃいない!!」
「何故わざわざ自供した……」

充分に煮立った薬を確認し、火を止めた。
もうこうなってしまっては師匠も仕事が手に付かないだろう、最近忙しかったし自分も気分転換が必要だと思った桃太郎は薬が冷めるまでの間この白澤に付き合うことにした。

「ためしに一つ食べてみたらいかがです?」
「うん」

薦めると瓶の蓋を開けてキャンディを一つ取り出す白澤。
透明なキャンディが朱色に色付いたので、少し驚いた。

「じゃあ食べるよ」

と、言って口の中に放り込み、暫くころがす、味はイチゴ味の様だと思った。
やがて全て舐め終えた白澤は恐る恐る声を上げる。

「あ、あー……あ、変わってる、ちょっと高くなってるね……子どもみたい」
「本当だ、違和感ハンパないですけど」

同衾中鬼灯が萎えないかと気にしていた白澤だから、ひょっとしたら女の様な声になってしまうのではないかと懸念していたが流石にそれはなくて胸を撫で下ろす。

「よし!じゃあ僕これからアイツに匿名で電話かけるから」

非通知設定で、と言う白澤に、それイタ電ですよと言うと、大丈夫だよと白澤は何故か自信満々に答えた。

「最後に間違えましたって言えばバレないでしょ?」
「いや、そうじゃなくて、迷惑だからやめなさいって……」
「大丈夫、すぐ終わるから」

と、言いながら既に鬼灯の携帯へと電話を掛けていた。
発信音を聞きながら、ひょっとしたら非通知では出てくれないのではないかと不安になったが、鬼灯は七回目のコールで出てくれた。


『はい、こちら鬼ず……』

「好きです!!」

『……』

「ずっと前から貴方のことが好きです!」

『あの、どうしたんですか』

「……すみません!間違えました!!」


プッ!
それだけ言うと白澤は思いっきり電源ボタンを押した。

「……白澤様……?」

携帯電話を持ったまま、へにゃへにゃと床に座り込んだ白澤が桃太郎を見上げ。

「えへへ」

顔を真っ赤にさせて笑った。
お前コレがやりたかっただけか!! と、肩を落とす弟子。
この恋人限定で天邪鬼になる師匠が素直になるには、それ相応の準備が必要だろうなとは思っているが……

「薬に頼りなさんな」
「うん、でも今はこれが限界」

白澤の声はもう既に元に戻っていた。
最初から声変わりするつもりなんてなかったのだろう、ただ一時、好きな人に好きだという為に使った魔法。

「さて、じゃあお仕事戻ろうかな」
「そうしてください」

と言って桃太郎が、座り込んだ白澤の手をとって立ち上がらせようとした時。

「お邪魔します!!!」

扉が倒れてくる音と共に、漢方の匂いが充満した部屋に風が吹いた。
鬼、襲来だ。

「お前……どうした?」
「鬼灯さん?」

手を繋いだ状態で、己の方をみてポカンとする師弟を見て鬼灯はギリっと歯を噛んだ。

「とりあえず貴方早く立ち上がりなさい」
「うん」

いつもと微妙に様子の違う鬼灯に、扉を壊された苦情を言うのも忘れて言われたとおり立ち上がり桃太郎の手を放す白澤。

「で?」
「で?ってなんだよ」
「なんだよはコチラの台詞です……なんだったんですか先程の電話は」
「……は?」

そう訊ねられ身体が固まる白澤。
何故バレているんだ? 声は変えていたし非通知でかけたし……自分と気付く要素はどこにもない筈なのに

「なにわけわかんないことを」
「誤魔化しても無駄です」
「あ!ちょ!なに……」

手の内にあった携帯電話をひょいっと奪われ、勝手に弄られる、返せと手を伸ばす前に体を回転され届かなくなった。

「ほら、やっぱり貴方でしょ」

振り返った鬼灯が発信履歴を翳す、そこにはハッキリと先程の時刻と通話相手が記されていた。

「……なんで解かったんだよ、声変えてたはずなのに」
「そりゃあ貴方の声ですから」
「はぁ?」

心底わからないと首を傾げる白澤を尻目に鬼灯は店の中を見回す。

「ああコレですか貴方の声を変えたアイテム」
「ちょ!また勝手に」

テーブルの上に置かれているキャンディの瓶から、ひとつ取り出した。
すると、そのキャンディが桃色に色付く。

「ピーチ味ですね」

キャンディをぼりぼり噛みながら呟いた鬼灯の声は、少し擦れていたけれど柔らかく響くものだった。
それが鬼灯の口から発せられていることに違和感はあるが、それでも……

「どうですか?私の声」
「どうって……」
「白澤さん」

その声を聞きながら思ったこと、それは――

「お前の声だな」

苦虫を噛み潰したような顔で白澤は吐き捨てた。
桃太郎には正直よく解からないが、変わってしまった鬼灯の声を白澤の耳は鬼灯のものだと判断したらしい。

「声色が変っても抑揚とか息の仕方とか特徴出るもんな……失念してた」
「ハン、ざまあみろ」
「いや、それ普通わかりませんって」

本気で悔しがる白澤に、本気で勝ち誇ったような鬼灯を見て、どうして自分はあの時白澤に付き合おうなんて考えたのか……と桃太郎は途方に暮れた。
そうこうしているうちに鬼灯の声も元の低いものへと戻っている。

「で?なんであんなことしたんですか?白澤さん?」
「ああもう良いだろ別に!!恋人に好きだって言って何が悪い!!」
「悪くないと思うなら普通の時に普通に言えばいいだろうが!!」

どうしよう、世界一くだらない痴話喧嘩が勃発してしまいそうだ。

「そうですよ何故声を変える必要があったんですか!!私はいつもの貴方の声で言われたかったのに!!」
「はぁ?僕の声をイヤだって言ったのお前だろ!!」
「私がいつそんなことを言った!!」
「今日言ったろ閻魔庁で!!僕の声が耳障りだって!!」
「……」

言われて思い出したのだろう、鬼灯の動きが一瞬止まった。
その隙に白澤は反論を開始する。

「あの時、別に女の子口説いてたわけじゃないし、仕事に必要な話をしてただけなのに金棒投げてきたじゃないか!他の人達だって喋ってたのに僕にだけ気が散るって言って!!」
「……だから!何故貴方の声だけが聞こえたんだろって不思議に思わなかったんですか!?」
「なにが!?」
「だから!私と貴方の距離はとても離れていて、間には他の人が何人もいて各々自由に喋っていたのに、何故貴方の声にだけ反応したんだろうって疑問に思わないんですか!?」
「え……?それは、僕の声が耳障りだったからだろ?」

この遣り取りに桃太郎は床に撃沈した。
そんな桃太郎の周りに兎が集まり、もふもふと癒してくれた。

「ああもう……ですから、わかるんですよ貴方の声は、どこにいたって私には解ります」

はぁと一度大きな息を吐いて、鬼灯は真っ直ぐ白澤と向き合いながら語りかける。

「周りがどんなに騒がしかろうと、貴方の声は耳に入ってきてしまうんです」

だから耳障りなんですよ、と言った鬼の耳の先が仄かに赤い。


「……」


その意味に漸く気付いた白澤は、耳障りと言われた声を出すことも叶わず。
ただただ、赤く染まりゆく頬を隠すことに専念するしかなかった。




END