――白澤お前変わったな

――昔は惚れた女にすぐ熱を上げ入れ込んでいたのに

――今は……




* * *




あーまた……やってしまった……
あと何度この絶望を味わえば良いのだろう

脳裏にそんな言葉を浮かばせながら神獣は原因となった鬼神に怒鳴りつける。

「ほら!またお前が殴るから角が失けちゃっただろ!!何回目だよお前!」

人型を模している時は角は引っ込めてあるけど無くなっているわけではない。
自分の体から離れてしまえば可視化できるのだ。
白澤の角はだいたい鬼灯と目があった瞬間に抜けて、次の瞬間殴られて地面に落ちる。
目撃者は皆殴られた衝撃で落ちているのだと思っているのがまだ救いだった。

「知るか!良いでしょ……また生えてくるんですから」
「はぁ!?」

なんという言い草、なんという横柄な態度。

白澤は怒りに震えた。
こんな相手に角を欠けさせられた――というより根本から抜けているのだけど――なんて屈辱でしかない。
白澤は転がっている角を乱暴に拾って白衣のポケットの中に突っ込んだ。
早く隠してしまわなければ

「ほら今月分の薬!と、オマケで閻魔大王に軟膏と湿布!!」

折角の薬を潰されないよう鬼灯の胸元へ押し付ける。

「オマケ?」
「あの人もどっかの補佐官の所為で生傷絶えないだろ?まったく大王も大変だよねーー僕だったらそんな部下とっくにクビにしてるよ」
「私がいなくなっては地獄が回らないでしょう」

そんなことは知っている。
でも、もし大王ひとりでも仕事をするようになったら、コイツは自分の存在意義を失ってしまうのではないかと不安だった。
現に白澤がクビにしていると言った時ほんの少しだけ動揺が見えた。
一瞬だけ、まるで捨て犬のような瞳をした鬼灯に白澤も内心で動揺する。

「たまには労わってやってもいいだろ?いくら丈夫って言ってもあの人は人間なんだから」

人間は恐怖に弱い、地獄にいればだいぶ身近に感じるが元来鬼や悪魔は人を害なす者だ。
鬼は他者を加虐するもので悪魔は他者を堕落させるもの、しかし世界に必要だから存在しているもの、妖怪の長でもある白澤はそれらと長年割り切った付き合いをしてきた。
地獄を総べる閻魔大王も同じように地獄に棲む全て種族の特性を許容してきているんだろう、そんな器が備わっているから人間でありながら大王として認められているのだ。

「元々人間だったお前には大王の苦悩も理解できるだろ?あの人を支えてやれんのはずっと傍にいたお前だけなのに、そのお前が大王に優しくしてやらなくてどうすんだよ」

コイツは捨て犬ではなく番犬だ。
番犬だってたまには家の中に入り飼い主を癒したりするだろう。

「……つまり貴方は同じ種族でなければ理解できないと言うんですか?」

すると鬼灯は予想外の返しをしてきた。
今までこの鬼の答えを予想できた試しはないけれど、白澤の伝えたい言葉の意味に気付かない筈はないのに

「いや違う……だから、種族は違うけどお前は長いこと苦楽を共にしてきたんだから、少しは大王の気持ち解かるだろ?」
「……」
「あの人もお前くらいしか頼れる奴いないんだからさ、もう少し甘くなってもいいと思うぞ?」

すると鬼灯は白澤の寄越してきた紙袋に視線を落として長く大きな息を吐いた。
どうしたのだろう。

「とりあえず、これは有り難く頂いておきますよ」
「おう」

白澤の答えが気に召さなかったのか、どこか腑に落ちないという表情をした鬼灯だったが直ぐに思考を切り替えたようで、普段通りの無表情で紙袋を持ち上げてみせた。

「貴方には……」
「ん?」
「いえ、なんでもありません……」

店を出る際、一度だけ振り返って何かを言い掛けた鬼灯は、白澤の顔を見ると僅かに微笑んだ。

「では、また」

呆然と佇む白澤を尻目に見て、地獄の鬼神は自らの棲家へとスタスタと歩いていってしまった。

「変な奴……」

その姿が全て見えなくなった途端、白澤の頬は桃色に染まった。
鬼灯の笑顔を見たのは何百年振り、しかも自分に向けられてだなんて。
わけもわからないまま彼は扉の前で蹲る。

(眩しいなぁ)

明るい桃源郷の空の下だけれど鬼灯の通った道は特別輝いて見えると言ったら皆驚くだろうか、でもそうなのだ。

今日も今日とて殴られてしまったが、あの鬼はけして身の程を弁えていないわけではない……むしろ残酷なまでに身の程を知っている。

一介の鬼に過ぎない鬼灯が他国に見くびられぬように自国が不利にならぬよう、閻魔大王の第一補佐官としての主張をはっきり伝え時には強引に意見を押し通すという、そんな怖ろしくて誰も出来ない、でも誰かがやらなければならないことを一人で行ってきたのだ。
鬼灯が加虐でいるのも冷徹でいるのも全て地獄の為だと白澤は思っている。

あの性質はアイツが必死で地獄を守ってきた結果形成されたものだ。
だって子どもの頃のアイツはもっとキラキラとした瞳で神々を見ていたし、敬っていたじゃないか……そう思ってしまうと、もうダメだった。

それからというもの彼からどんなに殴られようと罵られようと心の底から嫌いにはなれなかった。
神獣白澤は一介の鬼に過ぎない鬼灯のことを“凄い”と思ってしまったのだ。
地獄の為、閻魔の為に神様だって出来ないことをやってのけてしまうところを尊敬してしまった。
あの時から非道い扱いを受けても本気で憎めなくなった。
鬼灯が鬼灯の性質を失わないでくれるなら自分を大切にしてくれなくても構わない、だって心から尊敬している者を“どれだけ自分を大切に出来るか”なんて基準ではかるのは自分の心を侮辱することになるじゃないか。

――そんなことを、以前酔っぱらって閻魔大王に言ってしまったな――……その時の幸せな気持ちを思い出して白澤の顔が緩む。

酒を飲むと普段隠していることまで口に出してしまう癖は治さなければならないけど、あれは衆合地獄の高級な店でのことだから恐らく外部に漏れないし、閻魔大王だったら理解してくれると思って言ってしまったことだった。

「……桃タロー君、僕ちょっと倉庫に行ってくる、すぐ戻るから」
「はい、もう店も閉まる時間ですし……ゆっくりされてください」

気遣わしげに白澤を促す弟子は神獣の角が抜けることの意味に薄らと気付いているのかもしれない。
白澤は店の奥の奥にある倉庫、そのまた奥にしまっている大きな箱を引っ張りだした。
あまり埃を被っていないのは掃除が行き届いているのもあるけれど、こうやって頻繁に蓋を開いているからだ。
数千年間、白澤の想いを仕舞い込んできた箱はもういっぱいになってしまっている。

「もう何回目なんだよ……」

箱の淵に手を置いて、切なげに睫毛を揺らす。
神獣白澤には他の瑞獣のような番が存在しない。
それは初めから決まっていたことであり、そのお蔭で自由に恋愛が出来ると思っていた為、サミシイとは感じなかった。
だが瑞獣達はそんな白澤に訊ねたのだ。

――お前はまだ己の番を見つけていないのか?

天帝曰く、白澤は恋に落ちると頭にある双角が抜け落ちるのだと
その角を恋に落ちた相手に捧げる事で己と同族の番に変えるのだと

白澤はそれを聞いて絶望した。
それは己が今までしてきた“恋”が偽りのものだと言われたようなものだった。

そして初めて角が抜けた時に感じた絶望はその否ではなかった。
鬼灯に殴られる直前に、頭からころりと落ちたそれに気付いた瞬間、湧き上がった感情は恐怖。

もしこれを捧げてしまえば鬼灯を変えてしまう。
自らの手で常闇の鬼神まで上り詰めた男を永久を生きる中華神獣と同族にしてしまう。
それは、あの鬼が地獄の為に重ねてきた努力を一瞬で無に帰すようなものだ。

「駄目だ……」

もう何千年と生きる鬼灯だけれど白澤から見ればまだ成長過程にある。
今はまだ未熟な所が多いけれど、これからも壁を乗り越えていけばいつかきっと誰よりも強く成長する。
白澤の想いはその邪魔にしかならない、鬼灯にはその輝きに気付いた同じ輝きを持つ誰かが相応しいのだ。

(僕に出来る事は……)

箱の蓋を閉めるのと同時に白澤は己の心にも蓋をした。

(お前の大切に想うものを大切に想うこと)

鬼灯が地獄を大切に想うなら鬼灯が地獄を護る手助けをしよう、そもそも白澤は地獄も地獄に棲む生き物たちも好きだから苦ではない。
鬼灯が地獄を大切に想うなら彼の地がいかな困難に見舞われようと、この身を尽くし掬い上げよう。

本当に大切なものがなんなのか決して悟られないよう、嫌いだという言葉に隠して……
それがこの白澤の愛情だ。

これからもきっとずっと変わらない




* * *




がやがやと騒がしい大衆の店。
地獄の王とその補佐官がこんな場所に来るのも珍しくない。
大きな図体をした王は、誰も聞いて聞いてはいないと知りながら小さな声で内緒話のように囁く。


――鬼灯くん、どうしたの

――どうした……とは?

――君が酔っぱらうなんて珍しいじゃない……それとも何か考え事?

――……そうですね、すこし悩んでいました

――え?なに?なに?ワシでいいなら何でも相談に乗るよ?

――いえ閻魔大王に言っても仕方ないことなので……

――そんなぁ


鬼灯はちびちびと酒を飲みながら昼間白澤から言われた言葉を思い返す。
彼は自分を閻魔の支えだと、大王を理解し信頼される存在だと言っていたし、そう自負することも出来る。
だがしかし……はたして白澤にはそんな相手がいるのだろうか、とも思った。
理解することに種族は関係ないと言っていたけれど、同じ時を刻んでゆく相手が欲しいとは思わないのだろうか?

白澤には番が存在しない、いたとすれば自分は嫉妬に狂うだろう。
鬼灯の心は対神獣の事となると極端に狭くなる。

こんな時ばかりは閻魔大王のように寛容な心の持ち主が羨ましくあった。
ちらりと隣を見れば、気が向いたら相談してくれとばかりの顔をしていた。

(私が一番大切に想う方のことを考えていたのですよ……)

どうすれば彼を護り、支え、共に生きる唯一の存在になれるのか……そんな途方もないことを考えていました。

こう訊けば隣に座る閻魔大王はきっと答えに困るだろう、彼は鬼灯の想う人も、その人から鬼灯がどれほど嫌われいるかも知っているのだから……

鬼灯を我が子のように心配している彼は、きっと望みのない恋は棄てろと優しく諭してくるに違いない。


――まだ、諦めたくないですからね……

――うん?なにか言った鬼灯くん?

――いえ別に……


この時の鬼灯は知らなかった。

閻魔大王に訊けば自分が彼からそれほど嫌われていないと教えてくれるということも

素直に告白すれば何もしていないのに彼の頭部から二つの角がころりと落ちてしまうことも

瑞獣達がそんな二人をやきもきしながら見守っているということも知らなかったのだった。








End