人から鬼になった日と

鬼から人になった日なら

前者の方が思い入れがある

私はそれも忘れてしまっていたけれど

あなた達はずっと憶えてくれていて

ずっと私を探してくれていたんですね

「おかえりなさい」

そして……

「ただいま帰りました」

胸の中で踊る、あたたかい火に私は自分でも解るくらい表情を綻ばせた



* * *



余命宣告を受けたその次の週から休学届けを出し、主治医に無理を言って田舎の病院に移してもらった。
最後の時は誰にも会わずに静かな場所で過ごしたいという希望を叶えてくれた主治医に感謝しつつ、罪悪感も覚えている。
鬼灯のいる病院は外観は古いけれど中は清潔で暖かみがある、高齢の医師とその妻である看護師の二人しかいないホスピスだった。

この病室に持ち込んだのはノートパソコン、携帯電話、衣類の入ったボストンバックと養護施設の園長が“退院するまで”と条件付きで貸してくれた鬼灯が小さい頃からのアルバム……そして大きな棺が一つ。
それについて何も口出しはしてこなかった医師と看護師だが、もし自分が死んだ時は、あの中に入れて欲しいと言った時には少し悲しそうな顔をしていた。

その悲しそうな顔をした二人は今、目の前で泡を吹いて倒れている。

「さて、どうしたものか……」

頭を抱えようとして掌にチクリと硬く尖ったものが当たった。
入院してから一度も切っていない伸びた前髪が中心で分けられている、鏡を見ればさぞや懐かしい姿を目にすることができるだろう。

「これを夢だと思ってくれませんかね……」

死亡した“人間が鬼になる”過程を目の当たりにしたのだから相当ショックを与えてしまったに違いない、心臓止まって仕舞わなくて良かった。

「まだ私も混乱してるんですが……」

鬼灯の生る季節に拾われたから“加々知鬼灯”と名付けられた青年は、そう名付けた園長のセンスに脱帽する、だって自分は生まれる前から鬼灯だったのだから……

「こんな時どんな顔したらいいのか」

そう、言いながら顔は笑っていた。
全て思い出したのだ、自分が生まれる前に地獄の鬼だった事、そこであった諸々を。
鬼灯はベッドから起き上がり、倒れている医師と看護師を丁寧に抱え休憩室まで運びソファーに下ろした。
寄り添うように眠る二人の口元を拭いてブランケットを掛ける。

暫く此処で寝ていて下さい。

病室に戻った鬼灯は真っ先に棺へと向かい、重い蓋を軽々と開いた。
中には一人分の白骨とその白骨の頭蓋骨を抱く男が眠っている、頭蓋骨の額の一本角を見て大きな溜息が漏れた。

「貴方、何してんですか……」

この男のことも全て思い出した、やっと、やっと。
地獄の鬼神だった己の最期を看取った天国の神獣、スケコマシで漢方の権威で他の誰にでも優しいのに自分だけを恨んでいた愛おしい恋人。

「私が死んだから、同じ棺の中に入って自分も眠りについたんですか?貴方そんな人じゃなかったじゃないですか」

いつだって好きなのは自分の方で、告白も自分が無理矢理言いくるめたような形で、この神獣は交際を始めてからも一向に態度が変わらなかった。
もっとも鬼灯が暴力を振るわなければ何でも言い合える友人のような関係だったので険悪な仲というわけではなかったし、口付けも体も赦してくれていたから他の男よりは特別なのだと思っていた。
だから、己の生を終える際にもこの神獣を悲しませずに済む、地獄も安泰で何も心残りはない、きっと鬼灯という存在がいなくなっても世界は円滑に廻り、白澤もこれまで通り気紛れに生きてゆくのだろうと思った。
見たことのないくらい慈愛に満ちた微笑みで私を見送ろうとする白澤に、私という枷がなくなって清々しているのだと、愛しい人を悲しませなくて良かったと、そう安心して満足に逝けた。
魂の奥に“さみしさ”を隠しながら……

♪〜♪♪

鬼灯がどうしたものかと思っているとおもむろに携帯電話が鳴った。
表示されたのは登録はされていないけれど見覚えのある番号、すばやく通話ボタンを押した。

『もしもし鬼灯くん?』

――その声を聞いて泣きそうになったのは一生の不覚だ

「閻魔大王ですか?お久しぶりです」

『あ、もう思い出したんだ!浄瑠璃鏡で見てたけど大変だったね……お出迎え課がそっちに向かってるからお医者さんと看護師さんは上手くフォローしてくれる筈だよ、あとホモサピエンス擬態薬も持ってってもらってるからね』

「それは大変助かりますが、それよりも!」

『ああ、わかってる白澤君のことでしょ?吃驚だよねー』

記憶は戻ったが人間として二十数年過ごしたからか閻魔大王の気の抜けた声を聞いていると落ち着くようになっていた。

『時間ないから手短に説明するよ、詳細は後で本人に聞いて』

本人に、ということは白澤はちゃんと目醒めるのかと鬼灯は安堵する。

『多分君も解ってるだろうけど、その棺の中の白骨は君の前世の遺体だよ、君と一緒に墓に入りたいって白澤君に頼まれて土葬にしたの』

この時点で色々と聞きたいことがあるが今は閻魔の話が全て終わるまで待とう。

『驚いたでしょ?ワシらも白澤君がそう言い出したとき嘘かと思ったもん』

鬼灯と白澤が恋仲というのは一部の者の間では有名であったが、白澤が他の女性よりも鬼灯を優先しているように見えなかった為その申し出を受けた時は意外だったと言っているのだ、閻魔は。

『でも最初からそのつもりで、君が死んだら一緒に眠りにつく許可を天帝から取ってたみたい』

(最初からって……)

鬼灯が告白した時、白澤はゆっくり答えを考えたいと数ヶ月中華天国に逃げ出したが、もしかするとあの時から決めていたことなのか?
だから鬼灯が死にゆくまでの間あんなに穏やかに過ごしていたのか?

どうしよう早く本人の口から真相が聞きたい。

『鬼灯君と一緒に逝けたらいいんだけど自分は死ねないし死んだら皆に迷惑かけるから、せめて隣で永遠の眠りについていたいんだって言ってたよ』

なにその場面、見たい聞きたい羨ましい!! 鬼灯は棺の中に顔を突っ込んで悶えた。

『その時たまたま烏頭君が移動式防犯カメラの試験やってて映像と音声が記録に残ってるから、信じらんないなら見てみるといいよ』

「烏頭さんグッジョブ!!」

顔を上げ思わず叫んだ。
持つべき者は機械オタクの幼馴染である、恐らく鬼灯の死を悼みつつきちんと仕事をしていた所もポイントが高い。

「それで?白豚を目醒めさせる方法は?」

『仮にも恋人を白豚って……あ、もしかして鬼灯君そっちに新しい恋人いる?それなら目醒めさせてあげない方が白澤君の為……』
「いませんよ!」

少々食い気味で怒鳴った。

「たとえ記憶がなくとも私がコイツ以外を愛するなんて有り得ません」

今まで何度か告白をされ、断る理由がないので付き合ってみることはあっても長続きしなかった。
毎回別れ際に「本当は他に好きな人いるんでしょ」と心当たりもないのに言われていた理由が漸く解った。
この魂の中に忘れられない存在がいたからだ。

『ふふ、それはよかった……白澤君を目醒めさせる方法は簡単 “王子様のキス”だよ、僕の王子様はもういないから永遠に目醒めることはないよねって白澤君言ってた』

「なんだ豚の癖に眠り姫気取りか」

キスくらいお安いご用だが、事情を知る者が自分達を見て「あの二人キスしたんだー」と想像されるのは苛っとくる、今更だけれど。

『でね、その棺を現世に落とした理由もそこにあるんだ』

「……と、言うと?」

『鬼灯君もだけど白澤君がいないと結構困る人がいたみたい、なんせ君とは違って急にいなくなっちゃったからね……それで白澤君を起こすために常世中の王子や皇子やプリンス達にキスさせてみようって計画が立っちゃってさ、そんなことしても無駄なのに』

鬼灯の尖った耳がピクリと反応した。

『だから慌てて現世に逃がしたってわけ、あわよくば君に拾ってもらえればと思って君が行きそうな場所に隠したんだよ』

「なんですか、それ」

眠っている無抵抗な相手に手を出すなんて、しかも複数人で、下衆ではないか、ゲスの極み王子ではないか……鬼灯の胸で鬼火が燃え上がった。

『そしたら、それまでこっそり白澤君を守ってくれてたらしい君の鬼火も一緒に現世に降りちゃって、君が呪われるハメに……』

「ああ……やはり私の災難はこの鬼火の所為なんですね、病気も……」

『ごめん』

「構いませんよ、結果的にまたこうして鬼に戻れましたし」

人として生きるのも悪くないが、やはり自分には鬼の体が性に合っていると鬼灯は無表情のまま不敵に嗤った。
誰も怨んでいない自分が死んだ後この三体の鬼火を呼び寄せたのも、その所為だろう。

『けど、君が転生するなんて思わなかった……解かってたら白澤君もこんなことしなかったろうに』

「恐らく私が元人間だったからでしょう、ウチの神獣がご迷惑をおかけした様で」

『それはいいんだけどね』

閻魔の苦笑いが聞こえる、白澤を連れてこの人にお礼参りにいかなければいけない気がした。

「……ありがとうございます」

元が人間で良かったとこれ程思ったのは初めてだ。
これで自分の魂は永遠に輪廻を巡ることになるが、記憶は鬼火が保管してくれているから何度だって人から鬼に成ることが出来る。
閻魔大王の二代目第一補佐官と同じ存在にはなれなくとも、魂の帰る場所というものがあるならきっと、永久に愛する者の所だ。

『閻魔大王!そろそろ次の亡者がくる!!』
『鬼灯様と電話また後で!』
『あ……ごめん!一旦切るね!お出迎え課が付く前に白澤君起こして事情説明してあげて』

一子と二子の声が聞こえた。
自分がいなくなった後も閻魔殿に住みついて閻魔大王を見張ってくれているのだと思うと嬉しくなった。

「ええ、ではまた……」

閻魔の白澤を起こせ発言は正直セクハラではないかと思ったが、別に気にせず起こすことにした。
鬼灯は棺の中からゆっくり白澤を持ち上げる(白澤が抱きしめているので頭蓋骨もついてくるがもう嫉妬することもない)と、自分が寝ていたベッドに仰向けに下した。
コレは姫というより野獣だし己も王子ではなく化物だけど、眠り姫の王子はこんな気分だったのかと思う。

「早く起きてください……私の野獣」

何十年と眠り続け、以前より乾燥した唇に自らのそれを押し当てる鬼灯、久しぶりに味わう感触に胸がじんと熱くなった。

――ああ、泣きそう

一旦白澤から顔を離し目頭を押さえる、人間として生きてきた時間の中で涙もろくなったのかと思ったが、これまで感情的に泣いたことなど一度もなかったことを思い出す、だからこれは鬼の目にも涙なのだ。

「ん……」

やがて、白澤はうっすらと目を開けた。

「おはようございます白澤さん」

その彼に柔らかい声で言ってやると、茫然と鬼灯を見上げて言った。

「……夢?」
「白澤さん……?」
「夢だろうな、もう二度と目醒めることはないんだから」

見開いた瞳がスッと細められる。

「やだな……夢も見ないくらい深く眠っていたかったのに」

頭蓋骨を持っていた白澤の腕が鬼灯の方へ伸びてきて、首筋に回される。

「永久に、幻のお前を見続けるなんて、どんな悪夢だよ……」


耳元に落とされた声は絶望に震えていた。



それから――殴って殴って殴って抱きしめてキスをして噛み付いて、漸く白澤にコレが夢ではないと解からせた頃にはすっかり日が暮れていた。

「成程……僕が寝てる間にそんなことがあったのか」

白澤は照れくさいのか鬼灯を直視することはなく、一本角の頭蓋骨を抱えながら足元ばかり見ていた。

「お前が生まれ変わるならもうちょっと待ってりゃ良かった、そしたら人間として育つお前も見れたし」
「はぁ」
「まいいか、その楽しみは次お前が死んだ時までとっとくとしよう、次なんに生まれ変わるかわかんないけど」

業が深そうだし、虫だったりして……と、笑う白澤に、自分が虫に生まれ変わっても愛してくれるだろうかと一瞬不安になる。

できれば今度も人間か、それが駄目だったら――

「貴方と同じ神獣だったりしますかね?」
「は?まっさかぁ」
「わかりませんよ」

億年以上も一人ぼっちで頑張ってきた神獣に、この星からご褒美があるかもしれない。

「で?お前これからどうするの?」
「どうするというと?」
「このまま地獄に帰る?」

お出迎え課も着いたことだし、遺書と一緒に“探さないで下さい”というメモでも置いて消えれば、どこか身投げでもしたのだろうと思われる。
しかしそうしてしまえば、此処の医師と看護師に迷惑を掛けるので出来れば避けたかった。

「病院の方々には少々手荒ですが魔女の谷の魔法道具で記憶を操作させて頂きましょう」
「記憶操作って?」
「生き別れの兄弟と再会し、骨髄を提供してもらい奇跡的に助かったという設定で」

少々無理があるが、魔法でどうにか出来る範疇だろう。

「生き別れの兄弟って僕?兄と弟どっち?」
「どちらでもいいです……学校の方にもそう説明して、とりあえず卒業するまで此方で過ごしたいですね」
「卒業するまでってお前博士になりたいんだろ?」
「ええ」

大学を卒業し院に入り博士号をもらうなら最低後十年は現世にいなければならないのではないか、と白澤は思う。
というか現世で生きる許可を地獄の十王達から取り付けるところから始めなければならない。

「周りが老けない事に疑問を持ち始めたら地獄へ戻ろうかと、その間に体も鍛えておかなければ獄卒として働けませんね」
「また獄卒になるんだな、あれはお前の天職だろうけど、折角なら地獄や天国でも考古学続ければいいのに」

それなら自分も役に立てる、と思いながら白澤は提案した。

「私がいなくなったことで地獄の呵責が生ぬるくなっていなければそれでも良いのですが……あの大王の事だから部下を甘やかしてるに違いありません、それを見た時にほっとける気がしないので……」
「……言えてる」

地獄の獄卒達が鬼灯がいなくなっても頑張ろうと思っていることは間違いないのだが、あの頃はまだ鬼灯以上に指導できる者はいなかった。
まだ鬼灯不在で数十年しか経っていない地獄がこの鬼神のお気に召すものとなっているとは思えない。

「大学の人に説明するなら生き別れの兄弟として暫く此処にいた方がいいよね」
「……そうですね」

暫くと言わず、自分が地獄に帰るまでずっといていいくらいだ。

「それじゃあ紹介する時の僕の名字ツクモでいいかな」
「ツクモ?」
「ほら白って書いてツクモって読むから」
「なるほど」
「下の名前はタクかサワかな……ナギサでもいいけど」
「ナギサ?」
「三水に丁って書いて汀だよ、お前が鬼火に丁だから僕は水と丁、ほら瑞獣の瑞は水って意味もあるし」

人差し指で宙に文字を描く白澤の説明を聞いて鬼灯は軽く眩暈を覚えて眉間を押さえた。
なんだコイツは、本当にあの『体の相性がいいから付き合ってるだけだし』と言わんばかりだった神獣なのだろうか?
無自覚だろうが、こんなデレてくる彼が信じられなかった。

「お前はどれがいい?」
「正直どれでも……言いやすいのはやはりハクタクさんですが」
「じゃあ本名はツクモ サワであだ名がハクタクってことにしようか」

どこの世界に行き別れの兄弟を名字含めたあだ名で呼ぶ奴がいるのだと思いながら同意する、これまでの呼び方を変えなくて良いなら楽だ。

「じゃあ、僕は一旦EU地獄に行って必要な魔法道具買ってくるから、お前は暫くお出迎え課の方からもらった擬態役で……」
「その前に白澤さん、私に話すことがあるんじゃないですか?」
「へ?」

今にも立ち上がって行ってしまいそうな白澤を呼び止めた鬼灯は、その腕の中にある頭蓋骨に視線を落として

「どうして貴方があの棺の中に入っていたのか、私まだ説明されていません」
「……お前、閻魔大王から聞いたんだろ?ならいいじゃないか」
「よくありません、貴方の口から聞くまでは」
「……」

バツの悪そうな顔をして、目を逸らす白澤に鬼灯は苛ついた。
ここまで行動や態度に出していて、決定的な言葉はくれないのか、コイツ。

「言ってくれるまで放しません……貴方が何故私と同じ棺に入っていたのか」
「……」

両肩を掴んで真っ直ぐに目を見ると、白澤の頬に一筋の水が流れ、鬼灯は驚愕する。

「……本当に生きてるんだな……」
「なにを今更……先程から何度も言ってるでしょ」
「……ごめん、今更実感しちゃった」

そう切なげに呟く。

「お前が死んでしまった後の僕がどうなってしまうのか不安だった……だから天帝に頼んで一緒に眠らせてもらえるようにしたんだ……そうしないと怖くてお前と恋愛なんて出来ないから」
「……何故それを私に言わなかったのです?」
「それは、えっと……恥ずかしくて」
「私は貴方に私の気持ちを素直に伝えていたと思うんですが、恥ずかしくなかったですよ」
「お前はそうかもしれないけどな!!」

叫ぶ白澤の顔は本当に恥ずかしそうだった。
付き合っていた頃にも見たことが無い表情に、鬼灯の理性は崩壊した。

「へ?」

ベッドに白澤の体を押し倒して覆いかぶさる。
突然のことに硬直していた白澤だったが、すぐに体中を真っ赤に染め上げる。

「ちょ!?なにすんだ!?」
「安心してください、いくら私でもお世話になっている病院の病室で致したりしませんよ」
「当たり前……っていうか骨」

ころころと床を転がる頭蓋骨に気をとられている白澤の顎を掴んで自分に向かい合わせた。

「何故、私が死んでしまうのが不安だったんですか?」
「えっと神はその感情一つで現世に天災が起こしたりするんだよ、だから僕の所為で現世をメチャクチャにしない為に……」
「他の親しい方が亡くなっても貴方そうはならなかったじゃないですか」
「だから、それも解かってるだろ!?好い加減はなせよ馬鹿!!」

必死で押し返そうとする白澤だが彼の力では鬼灯はビクともしない。


「駄目です。貴方が言って下さるまで放しません」


――好きって言うまで、このままです


そう言いながら、唇以外に口付けを落としてゆく。


――好きって言うまで、唇は塞ぎません


「こっの……鬼ーーー!!!」
「ええ、鬼ですよ?」



強情な鬼に、頑固な神が折れるもの時間の問題だった。














END