それが白澤を襲ったのは、ある休日の昼下がりだった。 店が休みの時は大抵衆合地獄へ行ったり買出しに行ったりして過ごすのだが、今日は女の子と遊ぶ気分でも無く、要りようの物も特に無かったので、のんびり散歩でもして過ごそうかと思っていた。 調合中でもない白澤はトレードマークのようになっている白衣と三角巾を外し、いつもより身軽な彼は跳ねるように桃源郷の丘を登ってゆく。 白澤は丘の上に吹く、桃の甘い香り漂う風が大好きだ。 「んんー気持ちいー」 背伸びをして全身で風を感じる白澤はひどくリラックスしていて気付かなかった。 自分の背後に忍び寄る白い影の存在に…… 「たぁー!」 「あ痛っ!!」 突然どすんと何かが大声を上げて背中に乗ってきた。 そのままそれと一緒に地面にコロコロ転がり丘の下まで落ちる。 「え?え?」 目を白黒させる白澤の上でソレはブンブンと尻尾を振り、首筋にグリグリ額を押し付けている、地面に背中の角を潰されて痛い。 「すみません、ちょっと目を離した隙に逃げちゃって」 すると其処へソレの飼い主らしき人物がやってきた。 声は抑揚もなく、足取りもゆっくりと近付く黒い影にもっと急げと叫びたい。 黒い影が白い影の首輪を掴んで引っ張ると、それはあっさりと白澤の上から退いた。 もしも飛びついてきたのが可愛い犬で、やって来たのが可愛い女の子だったらロマンスの始まりだったかもしれない。 しかし実際白澤の目の前にいるのは可愛い犬でもなければ可愛い女の子でもない。 白い獣耳と二つの角、ふかふかの尻尾を生やした自分ソックリな男と、額に一本角と眼の模様、自分より五センチは背の高くなった天敵ソックリな男だった。 「……」 自分たちは有名だから真似をする人もいないとは限らない、白澤はジッと二人を見詰めその正体を探った。 その結果解かったのは目の前の二人は本来の姿をしていて、それぞれ割合は違うが鬼灯と白澤の気が混ざったようなものを発しているということだった。 「君たち何者なの?」 体についた草や土を払った白澤は、不機嫌を露わにしながら二人に問うた。 自分ソックリな男の気配から、鬼灯ソックリな男の眷属だという事が知れて、反吐が出る。 折角いい気分で余暇を楽しんでいたのに、地獄と関わったあの日から白澤に麗らかな休日なんてものは存在しなくなったのだ。 店に帰ると丁度内弟子の桃太郎が芝刈りから帰って来た所だった。 「え?え?ちょ?え?白澤様と鬼灯さん??」 案の定、驚愕した桃太郎は疑問と戸惑いを浮かべながら白澤とそれはを交互に見る。 今から説明してもらうから家に入れると言うと、急いで片付けるから待ってて欲しいと言って店の奥に引っ込んで行った。 その後ろ姿を見ながら鬼灯ソックリな男は顎に手を添えて感心したように唸る。 「流石は桃太郎さんですね」 「は?」 「普通の人なら私の姿を見ただけで卒倒することもあるのに平然としている、やはり彼自身に強い神性があるのでしょうね」 男に白澤は鋭い眼差しを送る、彼から放たれる神気は確かに凶悪だ。 従業員が全員いなくてよかったと安堵すると共にそれを自覚しながらも制御しなかった彼に怒りを表す。 「そんな危ないもん垂れ流しにすんな、店は休みでも桃源郷には観光客だって来るんだよ」 既に桃源郷全体に結界が張られていることには気付いていたが、桃太郎を試すようなことをした彼に何か言わずにはいられなかった。 「そうですね、抑えましょう」 白澤の言葉に従い神気を抑え、ついでに自分の首に抱き付き尻尾を降っている白澤ソックリな男にも妖気を抑えるよう命じた。 それによって気付く、妖気を感じていたということはこの自分ソックリな男は妖怪なのだ。 (しかもコイツは桃タロー君のことを知ってる……やっぱり) 細長の目を更に鋭くして店先で桃源郷の風景を眺める二人を睨む、額上部の白い一本角の下に自分と同じ紋様が描かれた鬼灯ソックリな男、よく見れば両手の甲にも目の紋様がある、ひょっとして白澤同様に九つあるのか、それも後で聞こう。 「準備が出来ました……どうぞ」 店の中にあるテーブルの上に湯呑と薬缶の置かれた盆と茶菓子が置いてある、話しが長くなると見越して飲みたくなったら自分で淹れろということだろうか、異様な客を客と扱いたくないだけかもしれない。 四角いテーブルを挟んで四人は向き合って座った。 「さて、折角だけどさっきの質問に答えてもらおうか?君はいったい何者なの?」 口火を切ったのは白澤だ。 「貴方は私をなんだと思いますか?」 質問に質問で返され一瞬ムッと眉を顰める白澤だったが大きく息を吐いた後、怒ることはせず答えた。 「神獣だろ?」 「え?」 隣の桃太郎が驚きの声を上げる、神獣の誰かが鬼灯と白澤に化けてこの桃源郷に来たのか、しかし真似るにしては本人とは明らかに異なる姿をしている。 「桃タロー君、コイツら別に僕達に化けてるわけじゃないよ、これがコイツらの本来の姿だ……まあ僕のソックリさんは獣姿が本体と言えるだろうけど」 「え?え?え?どういうことですか?」 鬼灯と白澤ソックリな姿が、目の前の二人の本来の姿という師匠に弟子は混乱を極めた。 「どういうことか僕も知らないし……認めたくはないけど、コイツの気……間違いないよ」 額に手を当て、大きく溜息を吐いた白澤は桃太郎の方へ顔を向けながら、横目で男を睨んだ。 「コイツは神獣白澤だ」 「……はい?」 桃太郎は白澤の言葉の意味を直ぐには理解できなかった。 だって“神獣白澤”はこの世に唯一の存在だ。 「ついでに言うとあの鬼神の気も感じるな」 「鬼灯さんのですか?」 「うん、なんていうか……混ざってる?」 そして、白澤ソックリな耳と尻尾を生やした男は己の妖怪の部分と酷似していると白澤は言う。 「どういうことか説明してくれないか?」 嘘を吐いても僕の目は誤魔化せないぞ、とどこか怒りを乗せて訊ねる。 「そこまで解るなら、きっと予想がついていることでしょう?白澤」 「あの鬼と同じ顔で僕を呼び捨てすんな!!」 激昂し立ち上がった師匠を弟子が抑える、呼び捨てにした方は涼しい顔で白澤を見ている。 「私とこの白灯は、こことは別の世界に存在する貴方と鬼灯です」 大人しく座っている白澤ソックリな頭部から耳と角の生えた男(尻尾もある)は白灯という名前のようだ。 「つまりアンタ達は異世界の白澤様と鬼灯さんってことですか?」 「ええ……厳密に言うと同じものではありませんが」 「ああ、魂を見れば解かるよ、僕とその白いのと、お前とアイツは魂の形が微妙に違う」 己の師匠が魂を見るとか怪しいことを言っているが、まあ九つも付いていれば魂が見える目があっても可笑しくないなと桃太郎は思い深く追求しなかった。 以前、白澤の友人から此処とは違う世界に自分と同じ魂を持つ存在がいるという話は聞いていたし、彼女曰く別の世界へ渡ることは可能だけれど同じ魂を持つ者と同じ世界には居られないとも言っていた。 異世界の鬼灯と白澤とこの世界の鬼灯と白澤と魂の形が違うからこそ、こうして二人は渡ってきているのだろうと思う。 「私はその世界で閻魔大王第一補佐官にして万物の知識の鬼神獣」 「鬼神獣……?」 それは桃太郎の聞いた事のない種族だった。 「初代白澤から神格を継承した二代目白澤“鬼澤”です」 * * * 現地視察を無事終えた鬼灯は、視察先の保育園から滞在先のアパートへ戻る途中だった。 これからアパートの部屋でレポートを作成し、明日の朝直接閻魔庁に出勤するつもりだ。 (あっという間に過ぎたな) 一週間保育園で臨時の保育士として働いて思ったのはそれだった。 座敷童子のお陰で子どもの扱いでそう疲れることもなくなったが、純粋さ故の露骨な質問責めは正直堪えた。 “かがちせんせーはすきなひといるー?” “およめさんいないのー?” 自分だからまだ良かったものの恋人いない歴が年齢に達していそうな大人が受ける精神的ダメージは計り知れないだろう、だいたい穢れた大人にとって子どもの穢れなき目で見詰められるだけで辛いものがある……あ、無垢な子どもから己のした罪を問われ続ける地獄なんてあっても良いかもしれないな。 なんて考えながら歩いていると、公園の方から子どもの声が聞こえてきた。 「かーごめーかーごめー」 かごめ かごめ 江戸時代くらいから賽の河原の子供が時々やっていた遊びだ。 保育園に置いてあった愛唱歌の本にも載っていたから最近の子も知っているんだろう、長く歌い継がれて来た遊び歌。 数千年前に生まれた鬼にとっても少し不気味で、懐かしい感じのする歌だった。 ただ一つ不思議に思うのは、籠の中の鳥と歌っておきながら子ども達に囲われているのは鬼だということだ。 「やーい、かごめーかごめー鳥女ー!」 「私は鳥じゃないもん!」 「こえー鳥がしゃべったー」 「もう!!」 よく聞くと動揺ではなく“かごめ”という名の少女を少年がからかっている様だった。 ああ残念、あんな良い反応をされては苛めている方も面白くて止められないだろう……公園の中へ入り、ブランコに座って子ども達を観察しはじめた鬼灯が、からかう少年と怒る少女を見ながらそう思った。 少女に追い掛けられながら少年はキャラキャラ楽しそうに笑っている、好きな子をつい苛めちゃう小学生男子というのはいつの時代にも存在するらしい、しかしこのままではあの少年は本気で嫌われてしまいそうだ。 あの少女もいつぞやの瑪紫愛や桃羅流のような勝気と図太さがあれば、からかわれる事もないだろうに……あんな可愛い反応をするから……なんて少年の方が確実に悪いのに思ってしまうのは、他人事に思えないから。 (……私も傍から見たらあんな感じなのだろうか) 大人が本気で暴力をぶつけているのだから、あの少年のような微笑ましさはないだろうが根本的な部分は似ている。 好きな子から構われたくて苛めてしまう小さな子どもと同じだ。 「たまき君なんかもう知らない!!バカ!!大っ嫌い!!」 鬼灯の耳に少年の名前が“たまき”らしいという特に役に立たない情報が入って来た。 いや、いつか彼の裁判を執り行う時に「昔かごめって子をからかって大嫌いと言われたことあるだろ」と言ってやろうと思う。 すると大嫌いと言われた、たまきという少年は。 「俺だってお前なんか嫌いだよ!ばかごめ!!」 そう捨て台詞を吐いて去って行った。 “お前なんかもう知るか!大嫌いだ!!” “私も貴方が嫌いですよ、バカ駄獣” 鬼灯はブランコを漕ぐのを止め、前に伸びる自分の影を見詰めた。 今しがた少年少女が繰り広げたしょうもない遣り取りは現地視察の前日に鬼灯と白澤した遣り取りそのままである、ということは自分達の遣り取りもこんな風にしょうもなかったのか、鬼灯にも多少は馬鹿馬鹿しい事をしている自覚はあったが……これ程とは思わなかった。 そろそろ関係を改めなければならない頃かもしれない。 (徐々に距離をおくか一気に玉砕するかのどちらかか……) 好い加減にあの神獣から離れてしまわなければ、己の心の底に溜まる濁りきった感情はそろそろ別の鬼を生み出してしまいそうだ。 改善が見込めないのなら一気に壊してしまった方がいいと考える時点で、もう手遅れなほど自分は歪んでいる。 「おにさん?」 「……」 「おにさん、おーい」 いつの間にか先程の少女が目の前に来ていて、鬼灯を「おにさん」と呼んだ。 最初「おにいさん」の間違いかと思ったが少女は二回目もハッキリ「鬼さん」と呼んだ。 「はい」 「おにさん、さっき私達の話きいてた?」 聞いてたもなにも、あんな大声で喧嘩していたらいやがおうにも聞こえてしまうだろう、まあ気になって公園内に入ったのは鬼灯なのだが。 「はい、貴方の名前のことでからかわれていたんですか」 「そうよー!失礼しちゃうでしょお!!」 警戒心の高い今時の子にしては珍しく、初対面の大人にも臆せず接してくる。 鬼灯は自分で言うのもなんだが人相が悪いし、この少女は鬼と気付いているようなのに、不思議だ。 「この名前はおじいちゃんがお星様みたいな子に育って欲しいからってつけてくれたのよ!」 「お星様……それは籠の目が六芒星に見えるからですか?」 「そう!なのに皆そう言っても解かってくれなくて変な名前って言うのよ!」 それは皆が解かってくれなくても仕方ないのではなかろうか、籠目が六芒星の形なんていう認識は今時の子どもにないだろうし籠すら見たことないかもしれない。 ただ鬼灯の正体に気付いたことから代々霊感の強い家系に生まれて来た子で、祖父という人は魔除けの意味で名付けたのではないだろうかと推測した。 「おじいちゃんにとって私はキラキラ輝くお星様なんだって」 すると今まで怒っていた少女が、ニコニコと嬉しそうにそう言った。 恐らくおじいちゃん子なのだろう、微笑ましく思って鬼灯は彼女に優しく語りかけた。 「はい、良い名前ですね」 ――かごめさん 「……うん!ありがとう!おにさん!!」 頬を桃色に染めて礼を言う少女を見て、何故か天国に住まう一人の男が脳裏に過ぎる。 かごめ かごめ 鬼灯がそう聞いて思い浮かぶのは鳥でも星でもない。 加護目、加護を持つ神の目、その目で囲うは天と地が統べる総て…… どんなに暴力を振るっても、どんなに暴言を吐いてもずっと変らない。 鬼灯は(私は)あの神獣にとって(白澤にとって)その他大勢と同じ、ただの鬼(加護の中の鳥) 「あ、私もう帰らなくっちゃ!」 思考の滓に沈んでいた鬼灯にかごめが言った。 そういえば、そろそろ昼時だ。 「またね!おにのおにいちゃん!」 鬼灯は最後の最後で“おにいちゃん”なんて呼んで去って行く彼女を見送った。 たまき君への反応といい将来は天然の美人局になりそうだ。 「お腹空きましたね……」 弁当でも買って帰るかと思ったが、久しぶりにトロトロの中華粥が食べたくなってしまった。 予定とは違うが今日はもう地獄へ帰ることに決めた鬼灯は、アパートへの道を足早に歩いて行った。 白澤が鬼灯を遠ざけるなんて簡単だ。 鬼灯の存在を本気で拒む、それだけでいい、たったそれだけのことで二人の縁は切れてしまい二度と会う事がなくなる。 しかしどんなに大きな喧嘩をした後でも嫌いと言った後でも、自分は必ずあの人の元へ辿り着けるのだ。 だからきっと自分は……あの神から離れられないのだろう。 「なんだろう……」 一方、鬼灯と別れ帰路を歩くかごめは、空を見上げて首を傾げた。 それを形容するとするなら“宙に浮かぶ黒い穴”だ。 妖怪の見えるかごめでも見たことがない形をしている。 というか生き物の気配はしない、しかし物でもないと感じる。 「あなた、ひょっとしてカミサマ?」 生き物ではない天にいるもの、かごめにとってそれはカミサマに見えた。 * * * その頃、桃源郷の極楽満月では鬼澤と名乗る鬼灯ソックリな男の説明が続いていた。 「そらなき?」 「くうぼう、と言ったら解かりますか?」 漢字ではこうです、と紙に“空亡”と書いて見せる鬼澤、それを見て白澤と桃太郎は納得した。 十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を組み合わせたときに出来る余りの二支のことをそう言う。 十干を天干と、十二支を地支といい、空亡は干支において天の存在しないことを意味する言葉だ。 「数百年前、私の世界に突如現れた妖怪です」 「妖怪?」 「はい、人間の想像から生まれた妖怪なのですが」 鬼澤はその妖怪の特徴を話し始めた。 その姿は宙に浮かぶ黒い穴。 ブラックホールの丸くて小さい版を想像して貰えればいい、生まれてきた時の大きさは十円玉より少し小さいくらいだった。 「空亡を初めて発見したのは現世に暮らす“籠目”という名の少女で、空亡を見た彼女はそれをカミサマだと思ったそうです」 そしてその時丁度友達と喧嘩したばかりで寂しかった少女はそのカミサマ……空亡を連れ帰った。 「なんで黒い穴をカミサマなんて思ったんだろ?」 「妖怪が見える家系の子だったらしく祖父から身を守る為にと妖怪の知識をつけさせられていたそうです……しかし空亡は新しく生まれた妖怪で家にあった文献や祖父の話の中にないものだったので彼女はカミサマだと思ってしまったとか」 「そのお祖父さんから、よく解らないものに関わっちゃいけませんって言われてなかったのかな……あ、ごめん続けて」 「はい」 一番重要なことを忘れている少女の祖父に呆れながら、白澤は鬼澤の話を続けるよう促した。 まだかな? まだかな? 早く鬼澤に抱きつきたくて仕方がないという様子の自分ソックリな白灯がなんだか可愛くて話を早く終わらせてやろうという気になった。 鬼澤の話によると白灯は鬼灯に神格を譲った白澤、つまり白澤から神の部分が抜け落ちた純妖怪ということになる、それにしては言語も喋れないし行動が人懐っこい犬の様だけど、その理由も話を聞けば解るだろうか。 「どうしてそうなったのか、詳しい経緯はまた閻魔大王なども交えた時に説明しますが」 何しろ世界全体に関わる話なので 「これだけは今この場にいる人に先に話しておきましょう」 そう前置きして、鬼澤は淡々と語り出した。 「その空亡がやがて三世界に脅威を与える妖怪となり、神々はどうにかして空亡を封印しようと考えました」 神々が倒さずに封印するということは、倒し方が解からない又は不可能な妖怪なのだろう。。 「封印の法はできましたが、封印する際に生贄が必要でした」 「生贄?」 白澤の目尻がピクリと震えた。 なにか巨大な力を持つ魔物を封印する為に同等の力を持つ者が使われる話はEUに多い、思い付いた神はEUの神の誰かだろう……向こうの神なら鬼灯と縁も浅い。 「白羽の矢が立ったのは私です……空亡と同等以上の力を持ち、死んでしまっても世界の理に影響のない存在でしたから」 「なっ!?」 「でもお前、生きてんじゃん」 「ええ……そうですよ」 鬼澤はそっと、自分の耳から下がった白澤のしている物と似た耳飾りを触った。 「何故だと思います?」 「誰かが身代わりになったんだろ」 白澤はこの場に似つかわしくない軽薄な笑みを浮かべた。 「御名答」 「そうか……だから神格を譲ったんだね、世界に“白澤”がいなくなったら困るから」 「……つまり白澤様は鬼灯さんの身代わりとなって空亡を封印する為の生贄になったってことですか?」 鬼澤がいた世界の神はその役割に耐えきれなくなった時、自らの意志で神格を他に譲ることが出来たと言う、しかし白灯は今までどんなにツラいと思っても他の者に同じ想いを味わってもらいたくなくて“白澤”をやり続けていたそうだ。 白澤は他の世界の自分が、鬼澤に“白澤”の役割を押し付けたわけではなかったのだと安堵した。 しかし一緒に話を聞いていた桃太郎は俄かには信じられなかった。 白澤が仲の悪い鬼灯の為にそんなことをするだろうか、それに姿が変っているといえ生贄となった筈の白灯は生きているではないか、しかし鬼澤は言明した。 「その通り、白澤さんは私に神格を譲った後、私の身代わりになり空亡を封印しました」 その時、ドスンと音を立てて誰かが部屋の中に倒れ込んできた。 「!!?」 鬼澤の話を聞くのに集中して、誰かが入ってきたことに気付かなかった。 いや、桃源郷全体に結界が張られていたから、誰も入って来れないと油断していたのだ。 侵入者はこちらのせかいの鬼灯。 「鬼灯さん!?」 「お前なにやってんの!?」 俯せに倒れた鬼灯の顔からは血の気が失せている、異臭を感じた白澤がその袖を捲ると片腕に酷い火傷と擦傷を受けていた。 「……おい!しっかりしろ!!ここが解かるか!?」 「うぅ……」 返事があったことに安堵した白澤は、すぐ顔付きを真剣なものに変え桃太郎に指示を出す。 「桃タロー君!!僕の部屋に運ぶから担架持ってきて!!」 「はい!」 「私も手伝いましょうか?」 「いい!!お前は触んな!!!」 鬼灯の傷は恐らく鬼澤の施した結界を無理やり破った所為だ。 この男は鬼灯が近付いてきているのを知っていてそのままにしていた。 「何でコイツが結界を破こうとした時に解かなかったんだ!!」 「話をするのに邪魔かと思いまして」 「ッ!?ふざっけんな!!!」 白澤が吠える、己の領域内で怪我人を出したということも、己の天敵に傷を付けたことも彼を酷く怒らせた。 (白澤さん……?) 鬼灯は自分が怪我したことで激昂している白澤を見て、とりあえず自分を阻む結界を張ったのが白澤でなかった事に安堵した。 桃源郷に入れない事に気付き、ついに白澤から拒まれたのかと思ったからだ。 しかし、この自分ソックリな男は誰だ。 彼の言ったことは本当なのか? 「はく……たくさん、いいから話の続きを……」 「馬鹿か!!いいから眠ってろ!!」 「貴方が話の邪魔をしないというなら後で聞かせてあげますよ」 「お前は黙ってろ!!」 白澤は傷のある方の腕が上向きになるように体を動かし、鬼灯の頭を自分の膝に乗せた。 「私は大丈夫ですから……」 「んなわけあるか!!コイツは今、僕より格上の神なんだぞ!!その結界を破るとか……お前ほんと……」 「白灯!?」 説教を始めるか鬼灯を寝かしつかせようかしていた白澤の顔に影が差す。 見上げると鬼澤の隣にいた筈の白灯が鬼灯の腕に手を添えていた。 「やめなさい!なにするつもりですか!!」 鬼澤が止める前に、白灯の体が発光する。 丁度その時、担架を持ってきた桃太郎はその明るさに目を眩ました 「ほーずき……」 鬼灯も眩さに目を閉じてしまったが、白灯の言葉はキチンと耳に届く。 「けが、だめ……いたい、だめ、くるしい、かなしい、いや」 白灯が言う単語だけで紡がれる言葉は、白澤に言われた説教より何故だかしっくりと心の内に入って来る。 「きえないで……」 光が収まった時、鬼灯の腕は元通り回復していた。 「……担架で運ぶ相手が代わったね」 その代わり眠りについた白灯を支えて桃太郎に言った。 「この子を僕の部屋に運ぶから手伝って」 「はい」 「お前も……少し休め」 「はい?」 白澤は鬼灯の頭を膝に乗せたまま、真正面に立ち竦む鬼澤を見上げて優しく語りかけた。 「お前も死にそうな顔してるぞ……」 「……しかし」 「話しはその子が目覚めてからでいい、そんなんじゃマトモに喋れないだろお前」 クスクスと可笑しそうに笑う白澤に眉を顰めて、しかし自分が原因だと気付いた鬼澤は素直にその言葉に従った。 「わかりました、では後ほど全て話しましょう」 そう言って白灯を横抱きにし、鬼澤は勝手に白澤の部屋に運んでしまった。 「……結局、担架無駄になっちゃったねえ、ごめん桃タロー君」 「え?あ、大丈夫です」 「お前もそろそろどけ、足が痛い」 「いえ私まだ体だるいんでー」 「嘘吐け、あの子のお蔭で全回復したろ」 これが白灯の能力だろうか、膝の上から自分の顔を見る鬼灯に白澤は比較的穏やかに話し掛けることが出来た。 「もうお昼も過ぎちゃったし、お粥でも食べて待ってよう」 二人ともお腹空いてるでしょ? そう聞かれた鬼灯と桃太郎の腹が同時に鳴ったのを聞いて、白澤は声を上げて笑った。 * * * ――鬼澤の腕の中、白灯は夢を見る―― ――彼が“白澤”として生きた最後のときだ―― 始まりの刻はおぼえていない、ほんとは憶えているけど、ずっと同じような空と星をみていたから其れが何時からかなんて解らなかった 初めてなんておぼえてない、気付いたら息をするように全てを愛していたから、そう、すべてを平等に 『僕の本分は“博愛”だからね』 何度も何度も言った筈のこと、嘘を吐くのは得意じゃないから、白澤は誰も特別には出来ないイキモノだ それを聞いたヒトは大概かなしそうな顔をして僕を見てカワイソウと言った 僕は全然かなしくなかったけど自分の基準で他のものを秤れるヒトというイキモノが愛しかった 比べられるってことは僕がソレと同じものだと思われてるってこと、その人にとって同じカテゴリーにいるからなんだ だからお前と比べられること腹が立ったけど嬉しかったよ お前の愛は僕より重いね お前の愛は僕より強いね お前の愛は僕より深いね お前の愛は僕より広いね それに比べれば僕の博愛はたしかに薄っぺらく見えただろうけど 『お前がいなくなることは誰も愛せなくなるのと一緒だから』 お前は知らないだろう、ずっと僕のことをカワイソウだと思っていたのは僕自身だったって 何のてらいもなく僕を特別だと言うお前のことがずっと羨ましかったのだって知らないだろう 僕だって本当はずっと誰かを唯一にしたかった 『白澤さん……?』 最後に僕の名を呼ぶのがお前でよかった 初めては憶えてないけど、最後はちゃんと憶えておくよ 『愛してるよ鬼灯、だから僕はお前で終わることをにした』 白澤の感情に新しい花を植えつけたのはお前だったから 『最後の博愛をお前に贈るよ』 『なにを……』 ああ、初めて見る顔だな、出来れば笑顔が見たかった もう目の前は真っ黒でお前の顔どころか自分がどんな顔してるかも解らない、でも お前が最後に見る僕の顔は、きっと不敵に笑えていると思う 『思い知ったか、ざまぁみろ』 舐めてかかってた分、痛いだろ? これが神の寵愛だよ、ばーか END |