白澤の中で人は皆平等だ。
一人の命には一人分の重みがあり、一つ一つ違う形をした命の代償は同じ命ですら払えない。
誰かを救うため犠牲になって良い命もなければ、誰かが犠牲になってまで救う価値のある命もない、生殺与奪の権利など神ですら持っていないと思うのだ。
だから大勢の為に誰か一人を生贄とするなんて考えは理解しがたかった。
白澤は博愛の神、人を愛し、人を見守り、時折よき統治者の前に現れてはその治世に吉兆を授ける獣。
しかし人のする全てを許容出来るわけではない、許容できぬ想いは怒号よりも嘆きとなり、人を愛するが故の悲しみとなる。

『どうして……』

それは、よく晴れた日。
澄み渡る空の水色と乾いた地面の黄土色と祭壇の茶色、全てが白黒の世界に変わる。
ただ祭壇に横たわる齢十にも満たない小さな子だけが鮮明だった。
白い装束、黒髪、肌は死人の色……つい、数日前までは暖かい熱を放っていた屍。
そう、白澤はそれを屍と呼ぶ。
神に捧げられたものであっても、屍は屍だ。

『何故』

何故こんなことになっていたのか、どんな理由があったとしても納得できないと解っていて問わずにいられない。
この時ばかりは白澤も寄り辺がない感情をどう処理していいか解らず、いつものように嘆き憐れみ、次の世で幸せになるよう吉兆を預けることも出来なかった。
人は一夜の夢のように儚く、しかし夢と違って二度と同じものは見れないと知っている、空に消える火の塵を掴んでも黒い煤が掌に残るだけ。
だから今まで白澤は仙道や神となることを約束された者にしか心を砕いてこなかった。
ただ、偶々見つけたこの子はどことなく自分に似ていたから……同族のいない白澤はまるで我が子か弟のように感じたのだ。

天の許しが下りず直接関わることは出来なかったけれど、この子をずっと見守ってきた。
孤児だからと奴隷のように働かされて、賢い子だったから怪我をしたり暴力を振るわれることはなかったけれど、同世代の親がいる子達とは確実に差をつけられていたのを見て何度攫ってしまいたくなったことか……そしてこの子が生贄に決まり、もう限界だと白澤が思ったその時、白澤の体は透明な壁に覆われてしまった。

『もっと生きてて欲しかった………』

君には生きてゆく力がまだ残っていた。
たとえ一生交われなくとも君の生きる姿を最期まで見守っていたかった。
生贄なんかならないで、逃げ出してほしかった。
そして精一杯、最期まで生きていて欲しかった。
けれど君は諦めてしまって、僕は小さな命がゆっくり終わって往くのをじっと見ていることしか出来なかった。

――消えてしまいたい

この時、白澤はもう特別など作らないと決めた。
ほんの少し気に入っていた子を失っただけでこんな想いをするのだから、特別に“好き”な相手を失えば自分はどうなってしまうか解らない。
特別な相手を無くしたまま、永遠の時を独りで往きていくなんて自分はきっと狂ってしまう……それこそ、世界を呪ってしまう程に。

この子との縁を切ろう。
白澤は急に怖くなって、神獣姿に戻った。
そして空を駆けた。

縁を切ればいい……そうすれば自分はこの子の事を忘れてしまえる。
実際に記憶から消えるわけではないけれど、白澤が意識しなければずっと思い出さずにいられる。
他の“知識”と同じように、思い出そうとしなければずっと仕舞い込まれたままだ。

『特別に“嫌い”だったら良かったのかな……』

だったらお別れは悲しくないのかな
なんて思いながら白澤は天高く昇っていった――それは、何千年も昔のこと




* * *




白澤のベッドで眠る白灯の隣で自分も休んで居た鬼澤だったが、夕方になると起き出して白澤達が寛ぐ庭先にやってきた。

「おー、おはよう、もういいの?」

仙桃を齧りながら白澤が振り返り、それに続いて鬼灯と桃太郎も鬼澤の方を見た。
自分達が寝ている間にまた殴り合いの喧嘩でもしたのだろうか、真白の筈の服が少し血で汚れているのを見て眉を顰める。

「漸く説明して下さるわけですか」

待ち長かったと鬼灯はジッと鬼澤を見る、苛々して白澤に当たってしまっていただろうが思ったより落ち着いている。

「はい、詳しい事はまたEU地獄や中華地獄……天界の方々の前で説明するとして、その前に知っておきたいことがあればお話ししますよ」
「そんな世界を巻き込んだ事態なんですか?」
「ええ三世界ですね」

シレっと言ってのける鬼澤に桃太郎は冷や汗を垂らす。

「僕等も僕等なりにお前の言ったことを整理していた」

鬼澤と白灯は別世界の鬼灯と白澤だということ。
二人の住まう世界に数百年前、空亡という妖怪が誕生したということ。
空亡はブラックホールのような存在で、ほっておけば世界の危機だと感じた神々が空亡を封印しようとしたこと。
空亡を封印する代償に誰かが生贄にならなければならなかったこと。
しかしその為に世界の摂理を保つ為に必要な神や大妖を犠牲にするわけにはいかなかった。
だから、鬼神鬼灯がそれに選ばれた。
初めから神として生まれたのではなく自力で神となった者なら、たとえ消えても世界の摂理は保たれると考えたのだ。

「それであってるか?」
「ええ、空亡を封印するのに使われるのは、空亡と同等以上の力を持つ者の魂でした」

世界の神々が集まる会議で決定したことだ。
空亡は日本人の生みだした妖怪だから日本の神が処理するべきだと、国内外の鬼灯をよく知る神々は反対してくれたが、それを覆すことは出来なかった。

「……お前はそれに納得できたのか?」
「はい、私が生贄となることで地獄が守れるのでしたら……と」

自分の意志で決めたことだ。
全てを諦めてしまった丁の時とは違うのだと言い聞かせて、役目を受け入れた。

「私は現世へ立ち、空亡と対峙しました……その時の空亡は既に街一つ分は呑み込んだ後で並みの神では太刀打ちできない程の強大な妖怪となっていました」
「そうですか……」

鬼澤は最初空亡を“空に浮かんだ小さな黒い穴”と形容していたが、その穴は物を吸いこむ内に大きく強くなっていくものだったらしい、詳しい性質などはまた後で語ってくれるだろうが、話の展開が早すぎて想像がついていかない。

「そこで十二神将に空亡の動きを一時だけ抑えて頂き、その間に私は空亡を封印する儀式を始めました」

なんてことない風に仏教界の大御所の名前が出て来たことに桃太郎はついツッコミを入れたくなったが、白澤や鬼灯がスルーして真剣に聞いているので自重する。

「しかし、封印の儀式の最中で邪魔が入りました」
「それが其方の世界の白澤さんというわけですか……」

別世界の鬼灯に神格を譲り渡して身代わりになったと聞いて、いつ出てくるのかと思ったら、そんなギリギリの所でかと鬼灯は溜息を吐く。
恐らく本当に最後の最後、鬼澤が生贄としてその身を捧げる直前に現れたのだろう、不意をつかれた鬼澤が驚いている内に代わりに封印を完成させた。

「……ええ、その通りですよ」

苦虫を噛み潰したような顔をして当時の事を思い出す。
“思い知ったか、ざまあみろ”と言って笑った顔が憎たらしくて堪らない、そんな鬼澤を見て白澤は少し愉快な気分になった。

「ふーん、そっちの僕は最期にお前に一矢報いたってわけか、ざまあみろって感じだな」
「ちょ!白澤様!ご自分が生贄になったっていうのに何言ってるんですか」
「そうだ、そっちの世界のコイツ私の身代わりで生贄になったんですよね?何故まだ生きてるんですか?」

白灯という妖怪として鬼澤の傍にいる異世界の白澤を指して鬼灯は質問した。

「ああ私に神格を譲り純妖怪となったアイツでも空亡より格上でしたから封印に使うのは魂の半分だけで済んだんですよ……その魂を封印の中から無理やり引き摺り出してアイツの身体に定着させるのに繋ぎとして白澤の目を一つ使いましたが」
「……ってことはお前、目が八つしかないの?」
「ええ、顔に付いてる三つと、左胸に一つ、背中に二つ、両手の甲に一つずつ……で、計八つです」
「あの獣にも一つ付いてるのですか?」
「そうですね、うなじに一つ……首輪で隠れていますが」
「そうだ!なんで首輪してんのか聞こうと思ってたんだった!!」

最初に見た時から問い質したかったことを思い出し、白澤は怒りを露わにする。

「今のアイツは赤ん坊みたいなものです……ほっておくと何処行くかわかりませんから」

知識も常識もない状態で力だけは強い妖怪を野放しにしても碌なことにならないのは目に見えている、それに目を一つやったことで白灯は鬼澤の眷属となったのだ、どのように扱っても自分の勝手だろうと鬼澤は言った。

「赤ん坊でも妖怪でも最低限の尊厳はあるだろ!!」
「尊厳というのは他人に危害を与えない保証があって初めて意味を成すものですよ」

何をしでかすか解らない獣には鎖が必要だと言えば、白澤は渋々納得した。

「まあ元が善神ですから悪さはしませんし、白澤だった頃よりも素直で可愛いくらいですけど」
「「か、かわいい!?」」

桃源郷師弟は同時に大声を上げた。
あの鬼灯(今は鬼澤だが基本的には同じ存在)がいくら己の眷属だからって白澤(白灯)を可愛いと言うなんて信じられない。
信じられないと言われれば、白澤が鬼灯の身代わりになったことも信じられないのだが……

「あと、他に聞きたいことは?」
「私は三つほどあります」

鬼灯が口を開いた。

「一つは、貴方がたがコチラの世界に来た理由……まぁ大方予想はできますが」
「はい、恐らく予想どおりだと思いますよ」

鬼澤は息を吸いこんで一気に説明した。

「私達の世界は此方の世界よりも数百年は時間が進んでいます。個人的な事――たとえば鬼灯と白澤の関係性など――は違いますが二つの世界は同じ歴史を辿ります。現に数百年前に私達の世界で起こった事と同じことが此方の世界で起っている……つまり、もうすぐ此方の世界にも空亡が出現するということです。私はそれを報せに来ました」

此方の世界の鬼灯と白澤が同じことを繰り返さないように、と、目を伏せる。

「では、二つめの質問です。貴方の目的はそれだけですか?」

これは一つめの質問の答えを解かった上で、考えていた質問だ。
我が事ながら鋭いと思いながら鬼澤はそれにも答える。

「はい、あわよくば……白灯を元に戻せないかと……」

此方の世界で空亡を倒す方法が見つかれば、空亡封印に使っている魂の半分を取り戻せるかもしれないと思ってやってきたのだと告白する。

「ではその方法を話し合わなければなりませんね……」
「鬼神と神獣の力を持ったお前でも考えつかないことを他の人達が考え付くかわからないけど……なにもしないでいるよりマシだな」

鬼灯と白澤は珍しく見解の一致したように見えた。
なにせ地獄と自分達の命が掛かっているのだから当然かと思いながら、桃太郎は心強く感じた。

「ベルゼブブさんにも知恵を借りましょうか、貴方と一緒で頭だけはいいので……あとはセトさんとか」
「僕は瑞兆同盟には声かけとく……今度は誰かを生贄にするとか言いやがった神々抜きでやろうぜ」
「俺にも何か手伝えることがあったら言って下さい!!」

桃太郎には神々のような知恵はないが、白澤がそれに集中できるよう、手助けなら出来ると思い声をあげた。

「ありがとう桃タロー君」

本当にいい子だねえと、背中から抱き着いて桃太郎の頭を撫でまわす白澤を見て鬼灯は内心ゲッソリする。
仲の良い師弟が仲良くしている様なんて、本来なら心和む光景なのだろうけど自分にはどうしてもそうは感じられないのだ。

「最後の質問です……鬼澤」

自分と同じ存在を鬼澤と呼ぶのには抵抗があったが、自分ではなくなった存在を鬼灯と呼ぶのも同じくらい厭だったので結局「鬼澤」と呼んだ。
閻魔大王からもらった大事な名前を変えられてしまった鬼澤、閻魔大王からもらった大事な名前の半分を与えられた白灯……

「貴方と、白灯はどのような関係だったのですか?」

異世界があること、空亡という妖怪がいるということ、鬼澤から聞いた話でそれは理解できた。
しかし博愛の神がたった一人の為に神格を譲り身代わりになることを選んだのだということは今の鬼灯には理解出来なかった。

まるで異世界の“白澤”にとって“鬼灯”が特別だったみたいだ。

「……私と白澤は」

鬼澤が言う“白澤”が“白灯”の過去の名前だというのは解かるが、白澤は一瞬ドキリとした。



「愛しあっていました……」




「……えええええええええええええええええええええええ!!?」




それを聞いて一番最初に反応できたのは桃太郎だった。
他の二人は呆然としている、きっと友人くらいの仲なのだろうと思っていたのに、予想外過ぎる。

「いや、でもそれなら其方の世界の白澤様の行動も腑に落ちるかも!?」

神格を渡したのだって、身代わりになったのだって、特別に愛していたのだとすればそう不思議なことじゃない。
室町時代から現代までを知っている桃太郎は世界には愛する人の為に自分を犠牲にする人が結構ザラにいたことを思い出した。

「うわー……」
「マジですか……」

しかし、それを聞いた本人達の落ち込みようったらない。
白澤は単純に別の世界の自分が大嫌いな鬼灯を愛していたことにショックを受け、鬼灯は別の世界の自分が白澤の恋人という座を手に入れていたのにショックを受けている。

「まあ、私も白澤があんな事をするまでは自分が本気で愛されていた事に気付けなかったのですが」

最期の言葉と表情を見るまで白澤の愛情を他の者へ向けている博愛と同じものだと思っていた……それが鬼澤が生きてきた中で最大の不覚だった。

「……あのさ」

白澤がなにか言おうと口を開いた、その時。

「たぁーー!」
「へ?」

午前中、白澤がされたのと同じように鬼灯の背後に白灯が飛びかかってきた。

「白灯!」
「もう回復したんだね、よかった」
「ちょ、重……くないけど邪魔です。どいてください」
「白灯さん、うちの扉壊してきましたね……」

流石は分別のつかない妖怪であると、庭への出口を見ながら桃太郎は苦笑する、誰が壊そうとこれを修理するのは自分に違いない。

「こら白灯、その人も困ってるでしょう……こっちに来なさい」

鬼澤がそう言うも、白灯は尻尾をブンブンふりながら鬼灯に頬ずりをする。

「ほーずき!ほーずき!ほんもの!だいすき!!」
「え……?」
「フン、いい気味だな」

鬼灯に懐く白灯を忌々しげに見る鬼澤へ、白澤は嘲笑を向けた。

「なんですと?」
「……白灯にとっては白澤の神格を譲り受けて変貌したお前の魂より、元のコイツの魂の方が好ましいって事だろ?」
「!!」

白灯が最初に愛したのは、唯一愛したのは“鬼灯”だ。
“鬼澤”がその進化系だということを理解していない白灯は、この世界の鬼灯こそが自分の愛した者だと判断したのだろう。

「コイツの名はな、丁と鬼火が混ざったコイツの魂を体現したものなんだよ、それを変えてしまったなんて馬鹿じゃないの?僕だって気分が悪いよ」
「はい!?それは貴方が勝手に神格譲ったりしやがったからじゃないですか!!」
「元はといえば生贄になんかなろうとしたお前が悪いんだろ?」

神獣と鬼神獣の間に不穏な空気が流れ、気候の穏やかな筈の桃源郷の空に黒い雲が渦巻くように集まってきた。
怯えた桃太郎が、思わず白灯のくっついていない方の鬼灯の腕にしがみ付く。

(なんか凄く抱き締めたくなるようなこと言われる気がしますが気のせいでしょうか)

一方、そんな場面を目の当たりにしつつ鬼灯の心は先程からの白澤の台詞に囚われていた。

「お前の世界の白澤は最後の博愛をお前に捧げたんだろ」
「……」

鬼澤は黙り込む、最後の博愛を捧げるとはあの時確かに言われた言葉だった。

「そう思って僕はお前に神格を譲ったんだろ?だから今の白灯からは白澤の博愛が抜け落ちてる、だから一番好きな者以外には無慈悲なんだよ」

鬼澤よりも鬼灯を気に言ってしまえば、もう二度とお前を一番に想うことは無いと、冷淡に諭される。

「どうせお前は“博愛”なんて貰っても虚しいものだって思ったんだろ?だからこの子はお前を“特別”に想ったんだろうよ……それがいつか自分を苦しめるって知りながら」

人は我儘だ。
神がどんなに恩恵を注いでも博愛の中の一番では足りないと駄々を捏ねる。

「……」
「お前この子にどれだけ残酷なことしてたか解ってないみたいだから教えてやるよ」

白澤の神格を手に入れたなら理解できるだろうけど――と前置きして白澤は語り出した。

「この子はお前より先に死ぬよ」
「ッ!!」
「高位の妖怪だから普通より長生きするだろうさ、けど確実にお前より先に逝ってしまう……そしたらお前はどうするの?そこから始まる永久の時をずっとこの子を想いながら独りで生きてくの?」
「白澤さん!!」

堪らず鬼灯が止めに入った。
傷付けられてゆく別世界の自分を庇うように……

「僕が誰かを“特別”に愛するってのは、そういうことなんだよ!!お前は“白澤”がどんな覚悟で、お前と恋人になったと思ってるの!?」

どうしてこんなに腹立たしいのか、その理由が頭の中でだんだんと言語化されてゆく。
鬼灯と白澤の魂が変貌していたから、その変貌が二人の望んだものではなかったから、別の世界の自分と鬼灯が愛し合っていたと知ったから、その上で鬼澤が生贄となることを選んだと聞いたから、丁の死を思い出したから。
全てが全てが腹立たしくてしかたない。

「僕と愛し合っておきながら、生贄になろうなんてするなよ!!」

博愛の神に“特別”を教えておきながら、独りで逝こうとするなんて酷い。

「この子だってお前が天寿を全うするならまだ我慢できたろうさ、だけど生贄になるなんて絶対駄目だ!赦せない!!」

元々人間のする生贄なんて行為は許容できなかった。
たった一人の生贄を捧げられて沢山の人間を救う他の神達の考えも理解できなかった。
だって違うじゃないか、命の重さは全部一緒だけど全く同じ命なんて存在しないじゃないか、唯一無二のものに対価なんて存在しないだろう。

「白澤……?」

鬼澤の胸倉を掴んで自分より少しだけ背の高くなった彼を睨み上げる白澤、その瞳は赤く充血していて彼が本気で怒っているのが解かった。
こんな顔、鬼灯ですら見たことがない。

「僕を愛するっていうなら最後まで……生きろよ」

ふるふると震えながら、懇願するみたいに白澤は鬼澤の胸に縋りついた。
白灯の気持ちを考えたら自分のことじゃないのに、自分のことみたいにカナシイ。

「死ぬなら僕の隣で笑って逝けよ、どんな事情があっても生贄になんかなるなよ……いくら世界の為でもお前が犠牲になるなんて赦さない、絶対に赦さない……鬼灯」
「……違いますよ……私はもう鬼灯ではありません」

ですから、その名前はそこで呆けてる此方の世界の私に言ってあげてください、と鬼澤は白澤を引き剥がす。

「まったく、滅多に呼ばない名前なのに言う相手間違えるなんて、本当に馬鹿な駄獣ですね」
「うっさい!お前に馬鹿なんて言う資格ないからな!!お前がいなくなったら皆が悲しむって思わなかったのか!?だいたい地獄だって困るだろ馬鹿!!」
「白澤様……」
「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ!!」
「ここにきてジブリネタか!!」

それまで白澤の言葉を呆けながら聞いていた鬼灯だったが、思わずツッコミを入れた。

「……こちらの白澤さんもやはり馬鹿です」
「なんだよ、そう言われる筋合いはないって言ったろ?」

鬼澤は不思議な気持ちを抱えながら白澤を優しく見下ろす。
いつも喧嘩をしたり怒られた後は気分が悪くなるだけだったのに、今日は何故か心が温かくなった。

白澤にとって者の命は皆平等だから、生贄という制度を許せないと言う。
白澤にとって鬼灯は特別な存在だから、犠牲になるなど赦せないと言う。
傷付けられたと同時に癒された気がした。

「差別と不公平に殺された私が……心の底から貴方の博愛を厭えるわけがないでしょう」
「……へ?」

だって丁は自分や自分の身内のことしか考えない利己的な大人に殺されたようなものだ。
その事を未だに忘れない怨念の鬼が、誰にでも分け隔てなく接する神達を敬わないと思っているのだろうか。

「私が貴方に初めて惹かれたのは、貴方にその博愛を与えられた時です」

我が子だけを可愛がる親を見て唇を噛み締めた子どもが、平等に降り注ぐ慈愛の尊さに気付かないと思っているのだろうか。
何億回と亡者の裁判を重ねてきた地獄の第一補佐官ならば“特別”の裏に隠された残酷さを知っている、自分の特別な者だけを護ろうと他を犠牲とする醜さも知っている。
自分のように謂われない差別や中傷を受けた者が少しでも報われるよう罪人を罰する地獄を作った。
閻魔大王を慕っているのだって彼の裁判がいつも公平に行われているからだ。
そんな自分が神の博愛を尊いものだと思わない筈がないだろう。

「嬉しかったです……神様の優しさを貰えて私も漸く他の子と同じように……普通になれたのだと思いました」

もし白澤が特別な者だけを救おうとする神ならこんなに好きだと思わなかった。

「私は白澤の誰にでも優しいところ、一億年以上生きてる癖に未だに別れを怖がる臆病なところ、酒と女に弱いところ、力はあるくせにセンスがないところ、命の価値は同じだと思っている癖に同じ命は二つとないと思ってるところ、神様なところ、妖怪なところ、時々とんでもない失敗をするところ、私のことを想って泣いてくれる所……こんな私の身代わりになんてなった馬鹿なところ、全部ひっくるめて愛しています」
「……」
「白澤と生きたい、たとえ先立たれたとしても、白澤が生きていたという事実を私が憶えていたい……私はこの子を未来永劫ずっと愛し続けます」

それがどんなにツラくカナシイことであっても――

「ごめん……お前の気持ちを決めつけてしまっていたね、僕は」

鬼澤の瞳をジッと見上げながら白澤は微笑んだ。

「白灯の気持ちを思い知れって思ったけど、僕や白灯もお前の気持ちを考えてなかったのかも」

鬼灯に抱き着いたまま、鬼澤と白澤の様子を不思議そうな表情で見ている白灯へ視線を移し、また鬼澤の方へ向き直った。

「誰かの為に自分が犠牲にされる気持ち、相当の覚悟がなきゃ出来ない筈だよね……ごめんね、お前の覚悟を否定するようなこと言って」
「いいえ、あの時の私の選択をハッキリ間違ってると言ってもらえて嬉しかったです……最後まで生きろと言われて」

そう言いながら、白澤の両手を握り「ありがとう」と礼を述べる鬼澤、それを見た白灯がハッと気付いたような顔をして鬼灯から離れた。

「だめ!ほーたく、ぼくの!さわっちゃだめ!!」

と、鬼澤と白澤の間に割り込む。

「ふふ、じゃあ君も鬼灯に触っちゃダメだよ?鬼澤が悲しんじゃうからね?」
「ほーたく、かなしい?」
「好きな人が他の人に触ってたら悲しいでしょ?」
「……わかった」

そうやって白澤にやりこめられた白灯は、ぴょんと鬼澤に飛び付いた。

「ほーたくのもの!ほかのひと、さわらない!」
「……」

そんな白灯に思わず天を見上げて小さくガッツポーズを作る鬼澤を見て、桃太郎はなんだか和んでしまった。
桃太郎の横にいた鬼灯はポツリと呟く。

「やはり別世界にいる私は私とは違うんですね」
「え?あー……そうですね」

独り言のような言葉を聞き「鬼灯さんは白澤様を愛してるなんて言わないですもんねーー」と、内心苦笑いを浮かべる。
桃太郎は此方の世界の鬼灯と白澤は本気で嫌い合っていると信じていた。


(私と、鬼澤は違う……)


もし鬼澤の様に白澤を想えたら、自分も白澤から愛されるだろうか……しかし鬼灯は鬼澤の様に白澤の“博愛”まで愛することは出来そうになかった。
最初に惹かれた理由は同じかもしれないけれど、鬼灯はそれでも白澤の“特別”が欲しいと望んだ。

その愛を、憎しみを、恋を、嫌悪を自分だけのものにしてしまいたい。

誰にでも平等に降り注ぐ恩恵なんていらない。



私が欲しい物はいつだって――



「……地獄へ戻ります」
「え?夕飯食べてかないの?」
「こんな話を聞いてじっとしていられるわけないでしょう」


帰って、空亡という迷惑な妖怪をどうにかする方法を調べてみると言って鬼灯は帰っていった。



――白灯を見ていて気付いた


――私が欲しいのは、貴方らしさを失わない貴方だ


――だから、白澤さんが白澤さんでいられる世界を守りたい……この手で




何もせずに手に入れられるから恩恵というのだ。

努力して手に入れるものだから所有物に思える。


自分はまだ博愛の神の特別になる努力をしていない、鬼灯は来た時にも自分を阻んだ鬼澤の結界の前で金棒を強く握り絞める。


「開けて下さい」


来た時はその言葉を言う勇気すら無かった。
白澤に拒まれたと思ったからだ。
自分はずっと白澤から縁を切られたらそこでお終いだと思っていた。

そうやって、諦める必要なんてどこにもないのに、切られた縁を結ぶ術がないなんて探してみなければ解からないのに


――しっかりしろ、鬼灯



白澤を手に入れたいのなら自信を付けろ、自信に見合う力を身に付けろ。

ないものねだりをするのは、それからだ。







* * *




その頃、現世では


「ねえカミサマ聞いて!たまき君たら酷いんだよ!!今日も私に意地悪して」


自分の部屋に空亡を連れ帰った“かごめ”が、愚痴を零していた。
あの後“おにのおにいちゃん”と話して落ち着いていた怒りが、今頃になってぶり返していたのだった。

「もう!たまき君なんて大嫌い!いなくなっちゃえばいいのに!!」


この時、空亡は生まれてきたばかりで自分が何者なのかもわかっていなかった。


ただ、漠然と彼女の言う“カミサマ”という存在について考えていた――









END