結婚という制度が出来てどれくらい経つのだろう、たしかどこかの国の神様が作った取り決めだったと思う。 神様がしているんだから人間もそうした方がいいとかなんとか言って、最初の人類たち(リリスちゃんや閻魔大王)の頃からあったから相当古い。 「付き合って下さい」 「無理」 何度目か解らない好敵手からの告白に白澤はそれと同等数は口に出した答えを返した。 「何故ですか」 尋問するような瞳で聞かれ白澤は途方にくれる。 ――僕はお前に不満があるわけではないし、僕が言ったことでお前がなにかを改めてしまうのは勿体無いよ―― そう言ってしまえば自分の想いを聡い彼に知られてしまいそうだ。 「とにかく無理なものは無理なんだよ」 ここは天国の崑崙にほど近い、高貴な神しか立ち寄れない場所。 こんな所に呼び出されたのは己の神格が上がったことを証明したいのか、いや、この鬼のことだから単に綺麗な虹の下で交際を申し込みたかっただけかもしれない。 「それで私が納得するとでも?」 「……もう、いい加減諦めてよ……」 白澤には鬼灯を拒絶する理由があった。 第一に白澤は女性が好きで男には興味がない、第二に白澤は吉兆の神であり鬼灯は闇の鬼神だ。 ただ彼を拒絶する言葉を自らの口から吐きたくはないし、その二つも白澤にしてみれば大した問題ではなかった。 この鬼にとって大事なのは、地獄の秩序を守ること、罪人に罪を贖わせることだと思っている。 だから、自分がこの鬼に罪を犯させるわけにはいかない。 「僕はお前なんか大っ嫌いなんだから」 ――この時のお前の顔をきっと僕は何億光年行った先でも忘れない―― * * * 一部の者しか知らないが神獣白澤には既に伴侶がいる。 数千年前は性に奔放だった彼がある時期から誰の誘いも受けなくなったのは、その相手に操を立てているからだ。 (まあお陰で女の子関係のトラブルは減ったけど……) 白澤は鬼灯が見せた顔を思い出して大きな溜息を吐いた。 女の子関係のトラブルはないが男関係でこんなことになるとは……まさかあれだけ自分を嫌いだと言っていた相手から惚れられるとは思わなかった。 (アイツに会うの気が引ける) そう思いながら注文を受けた品を閻魔殿へと配達に出かける白澤、桃太郎は三日前か現世にある支店へ手伝いに行かせている。 桃太郎もそろそろ独り立ちの時期か、そしたらまた寂しくなるな等と思いながら地獄の門を潜る、別れなんて慣れているけれど寂しいものは寂しい。 本来ならずっと己の傍にいてくれる存在を伴侶にすべきだったのだ。 閻魔殿に着き審判の間の前まで行くと、中がどうも騒がしかった。 亡者が暴れているのなら自分は入って行かない方がいいだろうと、暫く扉の前で待つことにすると中から鬼灯の幼馴染達の声が聞こえる。 「大王大変です!鬼灯様が」 「流石の鬼灯くんも説得出来なかったみたいだね……だから鴉天狗警察連れていきなって言ったのに」 「このままでは戦闘に発展するんじゃ……」 「大王現世へ向かう許可を下さい!!俺達すぐ応援に向かいます!!」 中の会話を聞いて白澤は思わず飛び込んだ。 「アイツいったい何してんの!!?」 会話の内容から現世で危機に瀕しているのは解る、状況を教えてほしかった。 「白澤くん!?いや、日本地獄の問題だから君に教えるわけには……」 「僕ならアイツを助けられるかもしれません!!」 他の者には悪いが鬼灯が苦戦するような相手なら、獄卒や警察が束になってかかっても敵わないし逆に邪魔になってしまう、だから鬼灯も一人で行ったのだろう。 けれど神獣白澤なら、戦闘力はなくても知恵と吉兆で彼の補助をできる。 「教えてよ!なにがあったの!?」 やけに必死な形相の白澤に押されつつ、そういうことならと口を開く閻魔。 「鬼灯君は今、現世にいる邪神を倒しにいってるの」 「邪神を?何故アイツが……」 「まあ、それは色々事情があって」 「そっか、なら詮索はしないけど、いったいどんな邪神なの」 「うん、元々は日本の○○って地域の土地神だったんだけど、数千年前の人間に自分の奥さんを殺されてから人を祟るようになって」 「……」 この時点でやな予感はしていた。 「本来守るべき土地に疫病を流行らせたり日照りを続かせたりしてたらしいんだけど、ある時からパッタリ収まってたんだ」 「うん」 気を張っていないと今にも震えだしてしまいそうだ。 「その神が最近また祟り始めてね、そこら辺だけずっと雨が続いてるんだ」 「……雨が」 「うん、だからどうにかして止めさせたいから良い案はないかって木霊くんから相談を受けてね、そしたら」 「鬼灯が自分がどうにかするって出て行っちまったんだ」 彼の鬼の幼馴染が一人、烏頭が頭を掻きながら言った。 獄卒たちも不安げな顔で鬼灯とその邪神の映る鏡を見ている。 そして白澤は…… 「ごめんなさい」 ドサリと、持ってきていた薬の箱を床に落とし、皆の前で俯いた。 「白澤くん?どうしたの?」 鏡から目を離し、気遣わしげに白澤を覗き込んだ閻魔は、顔面蒼白している彼に驚いた。 「ごめんなさい、その邪神は……」 思い出したくもない、過去の過ち―― 「恐らく、僕の夫です」 その告白に審判の間にいた全員が驚きの叫びをあげた。 「今から数千年前の話になるんだけどね」 初めての恋と書いて初恋、多くの者が思春期を過ぎる頃には体験しているそれを白澤が知ったのは意外にも彼がすっかり大きく育ってしまった後だった。 白澤は己の初恋はある人間の子どもだったと言う。 その子は聡明かつ勤勉で、かと言ってつまらない人間ではなく、白澤から見ても面白い子どもであった。 周りに心開ける者がいないのか滅多に感情を表すことはなく、一人でいることが多かったが、ただ動物と戯れている時には少し表情を和らげていたと思う。 白澤はそれを好ましく見ていた。 「あの頃は現世の人間に関わっちゃいけないって言われてたから、ただ見詰めてただけだけどそれで充分だった」 恋を成就させる気はなかった。 あの子は人間、人として成長しいつしか妻を娶り己の血を残す、そんな人間としての幸せを手に入れるべきだ。 自分は神としてこれから永遠にあの子の魂を見守ってゆこう。 そう、白澤は決めた。 「ちょっと待って、妻を娶りって……その子男の子だったの?」 「うん、それも僕が恋を諦めた理由のひとつ」 自分ではあの子に家族を作ってあげられないから。 「それから暫くその子を見守ってたんだけど、その子の住む土地一帯だけ日照りが続くようになってさ」 察しのよい獄卒達はハッと気付いた。 その日照りの原因こそ、今現世で雨を降らせ続けている邪神なのだ。 白澤はこう続ける。 日照りの原因など知らない人間達は天の神に生贄を捧げ雨を乞おうとした。 そうして生贄に選ばれたのは白澤の恋した、その子だった。 「あの子が“みなしご”だったから……ただそれだけの理由で生贄に選ばれてしまった」 お前が死んでも誰も悲しまないと、小さな体に叩きつけた。 あの時感じた悲しみを今もずっと抱き続けている。 「でね、僕はどうにかしてその子を助けようと邪神に近付いたんだ」 そしてこう言った。 「僕に出来ることなら何でもするから、どうかこの土地に雨を降らしてくれって」 白澤はギュッと掌を握りしめ、推し押せてくる後悔に耐える。 人間や他の生物を傷付けること以外なら何でもする、自分は確かにそう言った。 それに対し邪神はこう答えたのだ。 「己が人間に害なすのは人間が己から妻を奪ったからだって……僕が新たな妻になれば人間を許し雨を降らせてくれるって……」 「それで……」 邪神の妻になったのか、初恋の相手を救う、ただそれだけの為に? 「好きでもない男の妻になることはツラかったけど、それであの子が助かるなら構わなかった……あの子には生きて幸せになって欲しかった、あの子が僕に恋を教えてくれたんだ……僕にはあの子しかいないから……けど!!」 白澤と婚姻の儀を結んだ邪神は、いとも簡単に白澤を裏切った。 彼が欲していたのは妻としての白澤ではない、白澤の中にある神の力だった。 愚かな獣よ! お前のような醜き獣に我が妻の代わりなど出来うるものか! お前に出来るのは我が一部となりこの地に生きる全ての者に死を齎すことだ! 夫となった男に投げつけられたのはそんな言葉だった。 「酷い……」 誰かがそう呟いたのが聞こえて自嘲の笑みが漏れる、自分が愚かで醜き獣だということは自分が一番よく解っていたことだ。 「僕を取り込もうとする邪神と必死で戦って……鳳凰や麒麟の手も借りてどうにか封印したんだけど」 というよりも雷撃をくらい気を失ってしまった白澤が目覚めた時、既に鳳凰麒麟の手によって邪神は封印されていたのだ。 「目覚めてすぐに、あの子の村に様子を見に行ったけど、もうそこにいた村人が全員亡くなった後だった」 白澤が気を失ってから数年経っていた。 邪神が封印され祟りは収まったけれど、疫病と日照りの期間が長すぎたのだ。 「あの子の身体も気配もどこにもなかった……きっとあの子の魂は天の神に捧げらせてしまったんだ」 あの魂はもう神に吸収され輪廻に戻って来れないだろう、白澤は永遠の初恋を失ってしまったのだ。 「もっと早く、僕が行動に出ていればあの子も村の人達も助かったかもしれない」 「白澤様……」 数千年前は異国の神獣が管轄外の人間に関わるなど赦されてはいなかった。 特に白澤は為政者に吉兆を運ぶ瑞獣、只人の為に力を尽くすことは禁忌に等しい。 だが、たとえそうであっても……―― 「……ごめん、それより今はあの鬼をどうにかして助けなきゃね、僕が出て行って丸く治まるならいいけど」 「ちょっと待って!白澤くん彼処に向かうつもりなの!?」 閻魔大王はどたどたと近づいてきて白澤の両肩を掴む。 そんな話を聞いた後に、向かわせられる筈がない。 「うん、愛情はなくとも彼が僕の夫なのは違いないし、今の彼が恨んでいるのは彼処の人間よりも彼を封印した僕らでしょう」 本当ならとっくに婚姻を解消したかったのだが、それには封印を一度解く必要がある。 彼が人や妖に害を成す者だと知っているのに如何してそんなことが出来ようか、自分は多くの犠牲を払う危険を犯すよりも永遠に伴侶をつくらず独りで生きていく方を選ぶ。 「で、でも危険だよ!?君に会ったらなにをするか解らないんでしょ!?」 「じゃあ、あの鬼に任せとけって!?冗談じゃない!!!」 そもそも何故無関係の鬼灯が邪神との交渉に向かったのかも疑問に思う。 興奮した白澤は閻魔を振りほどき本性の一部である角を表し、目を黄金色に光らせた。 もう厭なのだ。 ただ見ているだけなんて。 「行きます……僕はもう、二度と同じ後悔をしたくないから」 あの鬼を守る為なら、なんだってする。 まっすぐな眼差しで言った彼に息を飲んだ閻魔に一礼し、白澤は踵を返した。 「待って!白澤さま!!」 「……なぁに?お香ちゃん」 足早に出口へ向かう彼を呼び止めたのはこの中では比較的親しいお香だ。 「貴方はその初恋の子の顔を憶えてらっしゃるの!?」 「はい?」 突然の問いかけにキョトンと首を傾げる白澤。 「憶えてないよ?邪神の放った雷撃であの子に関することを殆ど忘れてしまったから」 ただ、魂の質は憶えてたから、もうあの子と同じものが世界にいないと知っているけれど。 「では名前は!?」 お香は尚も叫ぶように問うてきた。 どうして彼女がこうも必死で聞くのか判らなかったが、こんな時でも女性の頼みを無下にはできない。 白澤は早く駆け出したい気持ちを抑えて振り返り、最後にこう言った。 「憶えてるよ……彼は“丁”という名の、とても愛らしい子だった」 数千年ぶりに口に出した名前は、気持ちとは裏腹に優しく声に落とされた。 愛おしい名はどんな時にでも心を和らげてしまうらしい。 * * * 一方、邪神と交渉中の鬼灯は、彼の昔語りを聞き終え驚愕に打ち震えていた。 「それは、本当なんですか?」 「ああ、あの野郎、俺との約束を違えやがった」 雨を降らせてくれるなら何でもすると言ったのに、いざ邪神が取り込もうとすると反抗した。 だがそれは邪神の目的が白澤の力を使ってこの地すべての人間を滅ぼすことだと知ったからだ。 「安心しな、俺の恨んでた人間どもは居なくなった。だからもうこの地を滅ぼす気はない」 邪神の願いはただ一つ、己が妻“白澤”への復讐。 「黄泉の連中に伝えな……白澤を寄越せ、そしたらこの雨を止めてやると」 この一言により、鬼灯の中の目的が『邪神の説得』から『邪神を倒す』ことへ変更されたのだった。 END この後は多分白澤さんが駆けつけ鬼灯さんと共闘して、邪神さんに向かって鬼灯さんを「僕の夫になる者だ」的な紹介をしたりして 邪神さんの妻も実は生きていたりして、邪神さんも改心して、最終的に鬼灯さんが盛大な愛の告白をして、イチャイチャして終わると思います |