そうそうに明かせてしまえる弱点なんて弱点とはいわないのではないか? たとえば神獣白澤が嫌いだと公言する“甘いもの”と“閻魔大王の第一補佐官”だって白澤を死に至らしめる程の弱点ではない。 だから誰も白澤を貶める為に鬼灯を利用しようとはしなかった(怖ろしくて出来ないと言った方が正しいが) 鬼灯とてあの神獣を甚振る為さまざまな嫌がらせをしてきたが、何をしても時が経てばケロリとしているのだ。 それではいけない、どうにかしてあの男に己の痕を残せないか、出来れば一生トラウマに残るようなものがよい。 とはいえ、他にあの男の弱点と思えるものも思いつかない。 そして鬼灯はふと思いついた。 “甘いもの”と“閻魔大王の第一補佐官” その両方を同時に摂取した時あの神獣はどのような反応を見せるのだろう。 嫌いなものを二重三重にして与える、呵責の基本だ。 そんなわけで思い立ったが吉日と、鬼灯は金棒を担いで閻魔殿を後にした。 時は夕刻、普通の店なら閉まってしまう時間だ。 珍しくとった休日の最後をあの神獣への嫌がらせで締めくくるというのに虚しさを感じられないのは、きっと己にとって其れなりに意味のある行動だからだろう。 それとも意味のない行動がいつの間にか習慣に変わってしまっているのか、そうかもしれない何百年、何千年と続けてきたのだから…… 「お邪魔します!!」 「邪魔すんなら帰れ!!」 途中買い物を済ませてきたから予定より少し遅くなってしまい、桃源郷に辿り付いた頃にはすっかり日が暮れていた。 この神獣が花街に出かける前でよかったと僅かに胸をなで下ろす。 「もう店仕舞いの時間だよ!何しにきやがったこの闇鬼神!!」 「いえ、大した用事ではないのですぐに終わります」 と、いつもはだらしなく下がった目尻を釣り上げ怒る白澤に近付きながら、袖の中に入れていた瓶を取り出す。 「?なんだそれ……」 それを見ながら不思議そうに眉を顰めるのを見て、鬼灯はどうしてこの神獣はこの時点で逃げ出さないのだろうと呆れた。 知識の神のくせに学習能力がないのか、ああ無いから何度だってその白い頬に紅葉を作るのだ。 鬼灯は白澤の頬に手を添え、反対の手で瓶の蓋を開け中身を口に含んだ。 「へ?なにお前」 そして添えられた手に預けるように傾げられた首を掴んで、鬼灯は白澤の唇を奪った。 これには白澤も驚きすぐに離れようともがくが、首を掴まれている為に不可能だ。 息苦しさに口を開ければ、その隙間から甘い液体を流し込まれる。 「んんーー!!?」 鬼灯が口に含んだものだから毒の類ではないだろうが、その甘さに思わず肩を跳ねさせた。 「んっ」 一方鬼灯は先程から火を灯すような吐息を出されていることを不快に思い、首から手を放す。 喉が楽になった白澤はその甘い液体を早く飲み込んでしまおうとするが、そこを鬼灯の舌が邪魔した。 神獣体の時とは違い薄く柔らかい舌を鬼の長い舌が絡みつく。 ――鬼灯……―― 「!!?」 次の瞬間、突然突き飛ばされた白澤は壁に背中を打ち付けられ床へとずり下がっていった。 キッと鬼灯を睨み上げる目は、涙で滲んでいた。 「テンメェ!!いきなりなにすんだよ!!この変態鬼!!!」 「変態鬼とは失礼な」 あんなことをされた後だというのに懲りもせず自分に近付いて襟首を掴む白澤に呆れたように溜息を吐いた。 「いきなり人の唇奪っといてなに飄々としてんだよ!!」 「別にいいじゃないですか、減るもんじゃなし」 「減るわボケェ!!」 ところで白澤から出て来る文句は急に唇を奪われたことばかりで、蜂蜜を含まされたことへの文句まだ一言も発していない。 コイツの中で“私”への嫌悪は“甘いもの”よりも勝るものだと思った鬼灯は少しばかし気分が上昇した。 「で?感想は?」 「感想って……は?」 そう問うと何を思い出したのか顔を真っ赤に染め上げる白澤。 「いやイキナリだったから驚いて、なんか飲ませてくるし……って、アレなんだったんだよ!すごく甘かったんだけど!!」 「蜂蜜ですよ、蜂蜜、水飴にしようかと思ったんですが流石に私にも堪えるなと」 「今頃になって気持ち悪くなってきた……僕が甘いの苦手だって知ってるくせに……」 顔を青くし震えるように言う白澤を見て、確かな手応えを感じた鬼灯は次はパイでも投げつけてやろうと算段を立てる。 「そうでなければ嫌がらせにならないでしょう」 「……嫌がらせ?」 「それ以外になにがあると?」 「…………いや、随分と体を張った嫌がらせだなと」 そろそろネタ切れになってきた? と、震えながら訊いてくる神獣に鬼はいいえ貴方への嫌がらせなら湯水のように湧き上がってきますよと不敵に笑った。 「今回は趣旨変えを試みたまでです」 「自分もダメージ受けてまですることかよ」 と、しゃがみこんで俯く白澤を見ながら、今言われた言葉の意味を考える。 (自分もダメージ受けてまで……) そう思い返しても、白澤との口付けはそう悪いものではなかった。 男と口付ける趣味などないが白澤の場合本体は獣なので飼い犬や猫に噛まれたようなもんだと思えば大したことではない、それに悪戯に触れた唇は柔らかかった。 舌を伸ばした咥内は温かく、一瞬だけ触れた舌は……そういえば。 「白澤さん、さっき私の名前を言いました?」 「はい?」 「貴方の舌に触れた瞬間聞こえたんですよね、貴方の声で鬼灯って」 「舌が触れたとか言うな気色悪い!!」 両腕で自分の体を抱き締めながら、また怒鳴りつけてきた。 「誤魔化さないでください、今まで一度も口に出したことのない私の名前をどうしてあの時言ったんです?というか口を塞がれていた状態でどうして言えたんですか?」 白澤の怒りに鬼灯が乗らず、ただ淡々と見下げながら疑問をぶつける。 勘違い、幻聴だと言ってもどうせ聞いてはくれないだろうと、白澤は諦め気味に溜息を吐いた。 「封印してんだよ、お前の名前」 「は?」 「こういう伝承聞いたことないか?」 “白澤はその名前を呼ぶだけで鬼を祓ってしまえる” 「ありますけど……ガセでしょ?現に貴方お香さんや茄子さん達の名前は普通に呼んでるじゃないですか」 「それは僕があの子たちには怨念を抱いていないから」 「……」 この神獣に似つかわしくない言葉に、鬼灯はぴたりと動きを止めた。 「ほら、僕さアレじゃない……力はあるんだけど其れを発揮するのが難しいっていうか、逆に発揮されちゃうとそれを抑えるのが難しいっていいうか」 「要するに術のセンスがないってことでしょ」 「うっさいなハッキリ言うな!まあ確かにその通りだけど、つまり僕が本気でお前の消滅を望んでお前の名前を呼べばお前という存在が消えてしまうかもしれないんだよ」 白澤は立ち上がり、鬼灯の左胸に人差し指を当てた。 「お前との口論中にうっかり怨念を込めて名前を呼んじゃう可能性もあるだろ」 「……まぁこう言うのも癪ですが貴方の方が神格が上ですからね、運が良くて人格崩壊ってとこですか」 「そう!もしそうなっても僕は全然構わないけど、地獄のみんなが困るだろ?だからお前の名前自体を言えないようにしてるのさ」 と言いながら白澤は舌を出して見せた。 「お前の名を呼ぼうとしても音となる前にこの舌が封じてしまうんだよ」 だから僕の口先からお前の名が出て来ることは永久にない、此方も大嫌いな相手の名前なんて呼びたくないし丁度良いだろう。 などと言われ気分を害した鬼灯は白澤を一発殴ろうとしたが、金棒を入口の外に置いてきたのを思い出し舌打ちを吐いた。 「一応納得しました」 その封印が何故、自分の舌に触れた瞬間解けだしたのかは知らないが、どうせこのようなことは二度とないのだから考えるだけ無駄だ。 しかしあの時頭に直接入ってきた「鬼灯」の呼び名は、怨念が籠っているようには聞こえなかったが…… まぁ腐っても瑞獣、いくら犬猿の仲とはいえ常に恨みながら接しているわけではない、先程聞いたのは白澤が落ち着いた状態の時に口に出したものだろう。 「では……」 「ってお前本当に嫌がらせの為だけに来たんだな」 注文がないなら無くてもいいのだけど、どうせなら仕事を持ってきて欲しかったと白澤は落胆した。 「貴方そんなに仕事熱心でしたっけ?」 「いいや、ただ急な注文を受けるより減りの早い薬は前もって頼んでくれてた方がいいってこと!お前からの注文はいつも大量過ぎて他のお客を待たせちゃうんだよ」 「ほぉ」 良いことを聞いたというように唸る鬼灯に、白澤は本当に鬼だと思った。 ただ自分以外の他人に迷惑をかけるような男でもないから次回から多少考慮はしてくれるだろう。 「では、今度こそ本当においとま致します」 「あーはいはい、帰れ帰れ」 踵を返し出口へ向かう鬼へひらひらと適当に手を振る。 鬼は扉を跨いだ後、背を向けたまま神獣に呼びかけた。 「白澤さん」 「んーなに?忘れ物?」 「私がこれから神格を上げてゆき、貴方の術の影響を受けない程になったら……」 振り返った鬼灯の視線は真っ直ぐ白澤へ突き刺さる。 「その時は私の名前を声に出して呼んで下さいますか?」 「……ッ!!?」 思わず喉を詰まらせる白澤。 鬼灯はその返事を聞かずに地獄への道を引き返して行った。 どういう意味で言ったのか解らない。 「なんだよ……もう」 白澤はずるずると床に座り込んで、閉じられた扉へ痛ましい眼差しを送る。 そして…… ――ほおずき―― 声にならない声であの鬼の名前を呼んだ。 そこに恨みの色など見られず、ただ果実酒のような甘みがあるだけ。 この四つの音からなる名を、封印し続ける本当の理由は誰にも教えられない。 ――ほおずき―― ――鬼灯―― 先程の口付けの時に聞かれたのは、きっと直前に封じられたものだ。 『最近“鬼灯”が来ないけど、薬は足りているのか』そんな呟きの中の言葉で良かった。 そうでなければ気付かれてしまっていただろう。 ――鬼灯―― 心を込めた声は言霊と同じだ。 音にすれば、きっと己の本心があの鬼へ伝わってしまう。 ――ほお、ずき……――― だから、この舌に封印した。 あの鬼の口付けによって解け出てしまったのは、きっとあの鬼への言葉だから。 「ごめんね」 ――ほおずき―― 声にならない白澤の声は、いっそう切なく彼の心の中だけに響いた。 「折角、名前を呼んでもらいたいって言ってくれたのに……」 閻魔大王から貰った大事な名前、きっと皆に呼んで貰いたいに決まっているのに自分には不可能なのだ。 未来永劫 「大好き、愛してる、?的人」 嗚呼!! こんなことが知られてしまえば自分は此処から消え去るしかない。 それとも嘘吐きだと閻魔大王から舌を抜かれてしまうのだろうか……いっそそれがいい。 その時はこの愛の詰まった舌をあの鬼へ捧げるから―― END 最後までお読みいただきありがとうございます。 最初は長年溜め込んだ白澤さんの鬼灯さんへの思いがキスを通して伝わるっていう甘い感じの話が書きたかった筈なのに どうしてこうなってしまったのやら…… あ、ちなみに自覚ないだけで鬼灯さんも白澤さんを何千年か前から好きっていう裏設定があります(だからキスに抵抗がなかった) |