そもそもな……。


蓄えた髭を濡らすことなく酒を揚々と飲み干した麒麟がげんなりしたように、少しだけ嬉しげに口を開いた。

今日は控えていたビールも解禁らしい。


「あやつらの仲が拗れた地獄の式典の頃より可笑しかったんじゃ」


麒麟の言葉に当時を知る獄卒達は懐かしい記憶を思い返す。

あの時は何が何やら解らず、後で真相を知り神獣の馬鹿な行動に呆れたり怒りが湧いたりしたものだ。

此処にいる麒麟や鳳凰の祝福のお蔭で何事も起らなかったけれど、そんなくだらない理由で閻魔庁が呪われたらどうしてくれていたんだ。


「言うておくが吉兆の神獣である白澤に不吉をもたらす力はない、あれは完璧に個人的な嫌がらせだった」


と、真っ赤なワインの注がれたワイングラスを回しながら鳳凰は溜息を吐いた、画的に違和感ありまくりである。


「は?じゃあなんで白澤さんあんなことをしたんですか?」


正面で聞いていた烏頭が心底不思議そうに問うてきた。

個人的な嫌がらせならもっと個人的な場ですればよいのではないか?わざわざ地獄の大事な式典中に起こすなんて空気が読めないにも程がある。


「ああ、儂らも訊ねたわ、お前のした無駄なことで地獄と天国の関係に亀裂が入ったらどうしてくれると」


すると白澤はこう答えたそうだ。


「ああすることで、今後もし地獄が災厄に見舞われた際に皆それを白澤が与えた凶兆の所為だと思うだろう……とあの馬鹿は言った」

「え……?」


思わずその場にいた全員が絶句する。

そして先程自分が思い至った心理を思い出した。

『そんなくだらない理由で閻魔庁が呪われたらどうしてくれていたんだ』

たしかに自分達はそう思ったのだ。

白澤が他を呪うような者ではないと知っていながら――


「あの馬鹿がしたことは、閻魔庁が問題を解決できなかった時に閻魔や補佐官殿に向けられる筈の怒りや不満の矛先を己に向けさせる為のパフォーマンスじゃ」

「白澤くん……」


閻魔が息を呑んだ。

彼とは長い付き合いだがそんなこと一言も告げられなかった。

しかし考えてみれば、いくら怒りが湧いていたとはいえアノ頭の良い白澤が鬼灯だけではなく他の者から怨まれるような事をする筈がない。

ならやはり麒麟の言うように白澤は閻魔や鬼灯の為に泥を被ったということだ。


「なんだよそれ、あの人コッチを舐め過ぎじゃねえの?」


ムスっとしながら地獄烏賊のスルメを噛み千切る烏頭、隣にいた蓬も頷き、お香はそんな二人に「そうね」と同意する。

いくら親しいとは言え、地獄も閻魔庁もあの人に自己犠牲のようなことをされてまで守られる筋合いはない。


「だいたい、鬼灯は“そうならないように”あんな一生懸命働いてるってのによ」

「は?」


今度は麒麟と鳳凰が驚く番だった。


「いつかアイツがあんまり仕事熱心だからよ、俺達三人で真剣に忠告したことあんだよ」

「そしたら鬼灯様ったら」

「あの式典の出来事の所為で、地獄で何か問題が起きたら白澤さんが責められちまうから仕事には手を抜けない……なんて言いやがって」


彼が仕事に対して厳しいのは勿論それだけの理由ではないが、あの時白澤がしてしまった事で拍車がかかったのは間違いない。

自分達には素直に話す鬼灯を思い出し幼馴染達は一斉に溜息を吐いた。


「それはすまなかったな……しかし白澤が桃源郷へ居を構え薬の研究にいっそう力を入れるようになったのは、働き過ぎな鬼神の疲れを少しでも癒したいという想い故なのじゃ」

「それを言ったら鬼灯が金魚草を育て始めたキッカケは薬の研究をする白澤様の役に立つような新種の植物を作りたいと思ったからだぜ」


勿論二人ともそれだけが理由ではない、が、しかし行動目的の大部分をお互いが占めていたのも確か。


「見事なまでの擦れ違いっぷりだな……」

「……」


鳳凰の呟きに座敷中の獄卒達が内心で同意を示す。

あの二人は今まで何故ああもいがみ合っていたのだろう。

というか表面上の態度は最悪だった気がするが何故そこまで想い合えていたんだ。

不思議でならないし、もしあの二人が素直になったら……と思うと恐ろしくあった。


「まぁ地獄の者達には迷惑をかけてしまうかもしれないが……あの馬鹿の恋を長年見守ってきた我らからすれば白澤の想いを補佐官殿に知ってもらえて嬉しい限りだ」

「それは儂だってそうだよ、鬼灯君さっさと告白しちゃえばいいのにね」


好々爺の微笑みを浮かべ閻魔大王がのほほんと返した。

それを見て麒麟と鳳凰も同じような笑みを浮かべる。


「ああ長かったのぉ」

「地獄の鬼神と天国の神獣がとうとう結び付いてしまうか」

「月下老人もびっくりだな」

「めでたいよね」


そう言って笑い合う自分達のトップと異国の瑞獣を眺めていたら、獄卒達もだんだんと肯定的な気持ちになってきた。

鬼灯が白澤の番となってもそれはそれで結構なことではないか、というか自分達の尊敬する上司が異国の神に認められたなんて誇らしいことだ。

話を聞くと白澤は随分と地獄や地獄の住民達を大切に想ってくれているし、意外と純情なところもある。

位としても申し分ない。

鬼灯が白澤を愛しているのなら祝福しよう、そう皆が思い始めた丁度よいタイミングで烏頭が立ち上がり。


「よっしゃ!みんな乾杯しようぜ!!」


そう言ったので皆大いに盛り上がってしまった。

歓声の中「お前が仕切るなよ」という蓬の声と「今日は私も羽目を外しちゃおうかしら」というお香の声が烏頭にかかる。

皆が皆楽しそうに飲み交う中、瑞獣と幼馴染達の暴露は続き、新しい情報が出る旅に大盛り上がり。

それら全ては二人が無事恋仲となった暁に本人達に教えてやろうということに決まった。



一方、そんなことも知らない鬼灯は暗い夜道を白澤を背負いながら桃源郷の薬局へゆっくりと歩いている。

――さて、どのようにしてこの神獣に本音を吐き出させるか――じっくりじっくり考えながら。




* * *




数週間後。



「白澤さん、好きです、私に貴方の全てを寄越しなさい」


鬼灯は、白澤の背中にズシリと重い金棒を押し付けながら心の中で「やっちまった」と嘆いていた。

もっと丁寧に誠心誠意籠めて長年の想いを告白する筈だったのに、どうしてこうなった。


「隙があろうとなかろうと攻撃してくる癖になに言ってんだよ!ていうか官吏がカツアゲなんかしていいの!?」


案の定伝わっていない、恐らく「好き」を「隙」だと思われた。

腹がたった鬼灯は金棒に力を込めながら、地獄の底から這い上がってくるような声で「違いますよ」と言った。

そんなんだから全く伝わらないんだよと彼の上司または幼馴染が此処にいれば突っ込んでくれたろうに。


「お慕いしてると言っているんですよ」

「は?お前が既に死んでんのなんてとっくに知ってるよ」


今度は「お慕い」「お死体」と間違えられた。

少々無理があるが長年罵倒と侮蔑ばかり与えられてきた白澤の残念な脳では鬼灯からの好意的な言葉を正しく変換できないのだろう。

鬼灯はここ数千年の己が態度を反省しつつ、これは長期戦になると覚悟した。

それでもいい、そのために長年溜め込んだ有給をとってきたのだ。

上司にも部下にもこの神獣をものにするまで帰って来なくて良いと言われている、早く仕事に戻る為にも気合いを入れねば。


「白澤さん」


背中の金棒をどかし、その場に胡座をかいて白澤を膝の上に乗せる、これに一番近しい体位なら対面座位、何故わざわざ体位に例えたのかわからないけれど。

ちなみにここは薬草を育てている畑のド真ん中だった、青臭い風の中にふんわりと花の匂いも漂う、シチュエーションとしては悪くなかった。

農夫スタイルの白澤の手袋と帽子と長靴をとりポイッとそこらへんに投げ、膝上に座らせた為自分より少し高い位置にある瞳を真っ直ぐ見据えた。


「白澤さん」

「な、なに?」


思わぬ至近距離に動揺し、逃げるのを忘れていた白澤は、オロオロと返事をした。

名前を呼ばれただけで金縛りに合うなんて百戦錬磨のプレイボーイが聞いて呆れる。


「白澤さん」

「だ、だから何って……」


必死で眼を泳がせている白澤の頬に軽く口付けると驚いた目が此方を向く。


「私は、貴方を、愛しています」


今度こそ誠心誠意籠めて言えば、流石の白澤にも伝わったらしい。


「は……?」


暫くして我に返った彼は顔を一気に赤らめてズサズサズサっと鬼灯から後ずさった。


「う……嘘つけ!!」

「嘘じゃありませんよ?貴方を愛しています」

「あ、愛!?な?きゅ、急にそんなこと……」

「急じゃありません、私は初めて逢った時からずっと貴方だけを想ってきました」

「……あ、あ……」


立て続けに放たれる愛の告白を受け白澤は冷や汗をダラダラ流し、背後に生えた桃の木の力を借り立ち上がった。

そして、そのまま声にならない叫びを上げながら全力疾走で逃げて行った。

靴を脱がせているので裸足だけど桃源郷の柔らかい土なら傷付くこともあるまい、そもそも奴は獣だ。

鬼灯は彼が見えなくなるまで見送ると腕や首をポキポキ鳴らし始める。


「さて、そろそろ追いかけましょうかね」


どうせ夜になれば桃太郎に心配掛けまいと戻ってくるだろうが、そこまで待てない。

白澤が去って行った先に数十メートル感覚で小さな角が落ちていっているのが見えた。

鬼灯を愛しく想うと抜けるというコレを辿っていけばあの神獣を見つけられるだろう。

ドングリを拾う要領で、袖の中に抜け落ちたばかりの角を入れてゆく。

自然の木で出来たアーチを潜り某ジブリ映画で田舎に引っ越してきた姉妹の妹になった気分だ。

手掛かりを残している事にあのトト……もとい白澤は気付く余裕もないだろう。

触れる角から力を与えられているようだ。

これが彼の愛だと想うと余計に力が湧いてくる。


「待っててくださいね」


愛していると告げた瞬間の彼の顔を思い出し胸の中で鬼火がくすぶった。




* * *




――数時間後、神獣型で逃げていた白澤は人型に戻り、その場にヘタヘタと座り込んだ。


(おかしい、どこまで行っても桃源郷から出れない)


いつもなら中華天国へ着いている頃なのに、もしや故郷の誰かから結界でも張られている?

鬼灯が麒麟や鳳凰に頼んだとしたら……ありえないことじゃない。


「逃げられないか……」


ならば心苦しいが振ってしまうしかない、逆上され酷い目に遭うかも――いや、あの鬼はそんなことはしない。

瞳を見ればアレが本気の恋だと解る、本気の失恋したならば、あの鬼は静かに受け入れて……ただ深く傷つくだろう。


「……なんて言おう」


せめて一番傷付けない言葉を選ぼう、それすら見通され嫌われてしまえばいい。



「貴方はただ頷いて、私と共に生きればいいのですよ」


と、雨のようにポツリと耳元に落とされた言葉に白澤は硬直する。

神獣である己がこの鬼の接近に今の今まで気付かなかった。


「私の体が神獣の番へと変化していっている証拠ですかね、気配を完全に消すことが出来た」

「なっ!!?」


驚いて振り向き、鬼灯の顔を両手で挟む。

鬼灯の額には変わらず一本角が生えていて、目が描かれてはいない。

大丈夫だ、まだ神獣化などしていなかった。


「冗談ですよ、貴方が思ったより疲れているだけでしょ」


そう言って、鬼灯は自分の顔を挟んでいた白澤の手を掴んで近くの岩まで連れていき座らせた。

自分もその隣へ腰かける、握る強さは緩めたが包み込むように手を繋いだままだ。


「お前、でもなんで神獣の番って……」

「これを見て下さい」


鬼灯は白澤の手を握っている反対の手で帯に掛けていた巾着を膝の上に置いた。


「袖の中から零れてしまいそうで、桃太郎さんに借りに戻ったんですよ」


お蔭で迎えに来るのが遅れてしまいました。

等と言いながら片手で器用に巾着を開く、その中身を見て白澤は絶句する。


「気付いていなかったんですか?ぽろぽろ落ちてましたよ?」

「マジか……」


白澤は頭を抱える、一日にこう何個も角が落ちたことは初めてだ。


「衆合地獄で偶然貴方が鳳凰さん達と話しているのを聞きました……貴方はこの角を捧げれば相手を己の番に出来ると」


ああ自分はまた酔っぱらって失敗してしまったのだ。

深く後悔して、でも知られてしまったことなら仕方ないと諦める。


「でもそれは相手が同じ気持ちでなければいけないんでしょ」

「うん」

「私はこの角を持っていると体の奥から力が湧いてきます、それは私も貴方と同じ気持ちという証拠ではありませんか?」

「……そうだね」


あの追いかけっこをした日から心のどこかで期待していた事と同じことを本人からも言われた。

だから、彼の気持ちは本物だと解かる、だから、自分も本物の気持ちを伝えなければいけない気がした。


「僕はお前を尊敬してるんだ……ただの鬼でしかないのに地獄の為に格上の神達の前できちんと自分の欲しいものを要求できるところ、凄いと思う」

「はい」

「時には危険な橋を渡って、怖くない筈がないのにそれを表に出さなくて、いつも堂々としてて……かっこいい」

「……」

「昔のお前は自分の出生のことで引け目があったのかもしれないし、今だってどうしても埋まらない神仏達との差をもどかしいと感じてるのかもしれない」


ぽろぽろと涙のように零れる角は、白澤の感情と連動しているようだった。


「でもそんなの僕から見たら些細なことなんだよ、僕が好きなのは“ただの鬼”であるお前で、お前が嫌う“みなしご”だった過去だって今のお前の礎となったと思えば愛しくて、その加虐的なところも冷徹な所もお前がお前の大切なものを守る為に形成されたのだと思えば尊くて……そんなことでお前を否定するなら僕はお前だって許さない」

「……はい」


神の愛は重いものだと想像していたけれど、実際言葉にして伝えられると胸が苦しくなる程深いものだった。

だってこれは鬼灯のありのままを愛すと言っているようなものだ。


「でも、だから、お前の想いを受け取れない」

「……何故ですか?」


思わず白澤の手を強く握りしめてしまって、慌てて力を弱める。


「僕の番となることでお前が今まで培ってきものが壊れてしまいそうで怖い」

「……」

「お前が一から築いてきた“閻魔大王の第一補佐官”の像を“神獣の番”となることで穢してしまうんじゃないかって……」


今や閻魔大王の第一補佐官といえば鬼灯を指すし、鬼灯といえば閻魔大王の第一補佐官だと世界中の皆が認識している。

白澤はそれを他人事ながら誇りに思っている『僕の愛した鬼はここまで大きな存在になったのだぞ』と心の中でそっと自慢していた。


「僕がお前を好きだって知られて、お前が出世したのは神獣が吉兆を授けたからだなんて言われたら屈辱的だし」

「私からすればソレの方が些細なことなんですが……」

「なんで!?だって今のお前があるのは全部お前自身の努力の結果……」

「私は、貴方に追いつきたいと思ってました」

「へ?」


鬼灯は白澤の手を離し両手で肩を掴んで向かい合わせにさせる。


「数千年前、貴方から政治の話を聞き、黄泉は世界から遅れているのだと痛感しました。貴方の知識にも感銘を受け、私も貴方のように賢くなりたいと強く望みました」

「……え?初耳だけど」

「ええ初めて言いました。まあお互い様でしょう」


鬼灯だって今日初めて聞いたことが多い。


「ですので、私の成長と貴方の存在を無関係だと思わないでください、あの時貴方が話してくれたことは私にも地獄の発展にも大きな影響を与えているんです」

「僕の話が……?吉兆じゃなくて?」

「はい、ついでに言えば貴方の開発してきた薬、あれのお蔭で病に苦しむ者も減りましたし、私も随分助けられてきました」


これまた初めて言われる感謝の言葉に白澤の耳は赤く染まってゆく。


「白澤さん」

「は、はいっ!」

「貴方私に言いましたよね?私なら大王の苦悩も理解できると、あの方を支えてられるのはずっと傍にいた私だけだと」

「うん」

「貴方にはそんな存在いないでしょ?」


率直に掛けられた言葉が胸に突き刺さる。

ああそうだ、同じ存在である麒麟や鳳凰はいたけれど二人には他の役目もあり、ずっと一緒にいたわけではないから――



「私は貴方のそんな存在になりたいです」

「鬼灯」

「やっと名前を呼びましたね」


鬼灯は微笑む、白澤が見た事のないような、それどころか誰も見た事のないような優しい穏やかな眼差しを彼へ向ける。


「白澤さん、私は貴方と共に生きる唯一の存在になりたいのです」


真っ直ぐに瞳を見詰めたまま懇願する。


「どうか貴方の角を私に捧げて下さいませんか?」

「……ほ」


すると白澤はプルプルと震えだし、そして――


「ほぎゃああああああああああああああああああああああ!!!」


真っ赤な顔して駆け出して行った。


(なにアイツ恥ずかしい!恥ずかしい!!恥ずかしい!!恥ずかしい!!)


全力疾走しながら頭の中は先程の鬼灯の笑顔と言葉でいっぱいになっていく。

一方逃げられた鬼灯は一瞬呆然とした後、眉をだんだんと寄せ始め次第にいつもの表情へ戻っていった。

折角のいい雰囲気を台無しにしやがってあの神獣!


「お待ちなさい!!この白豚ぁぁぁぁああ!!素直に私の求婚受け入れろ!!」


物凄い形相で追いかけて来る地獄の鬼を振り返り白澤は絶対に掴まってはいけないと本能的に察する。


「求婚相手に白豚とか言うなこの闇鬼神!!」


「愛する相手に闇鬼神とかいうなこの偶蹄類!!」


「なんだとこのオタンコナスーー!!」


……こうして再び二人の追いかけっこが開始され。

捕まえた後もなかなか白澤が首を縦に振らず。

鬼灯が脅したり愛を囁いたりして漸く説得に成功した頃。

丁度申請していた有給期間を終えたのだった。





END






なんだこの終わり方は…すみません



最後までお読み頂きありがとうございました