珊瑚の寿命は人よりずっと長い、それに生殖方法がヒトとは違っていて何代も前の始祖の遺伝子をそっくりそのまま受け継いでいるのだという。

もしかしたら全ての珊瑚はその持の記憶をも受け継いでいるのだろうか?生まれた時の記憶と、最初の一生を……



『さてね、珊瑚と話したことがないから解らないよ』



酔い淵にいた知識の神に尋ねればすげなく返される。



『でもさ、いくら同じ身体を持って記憶を共有していたとしても、皆別々の命であることには間違いないよ、性格も違うんだろうしね』



魂の質も全く別物だから、と続けた神に首を傾げてじっと見つめる。



『なに?言ってなかったっけ、僕には魂の質がわかるんだって……そうか……うん、だからさ、お前がもし生まれ変わって全くの別人になっちゃってもさ僕はお前がわかるよ、同じように喧嘩は出来ないかもしれないけど』







――――――ウソツキ。


鬼灯は記憶の中にいるだろう己のライバルのヘラヘラ笑う顔を思い浮かべ顔をしかめた。

気付かなかったではないか、ずっと昔に唯一自分を愛してくれていたというのに忘れてしまっているんでしょ? と、苛ついた気分になる。

丁の頃とは魂の質が変わってしまっているから仕方ないかもしれないが、自分だって白澤が丁を見ていたことを知らないが、そのせいで一斉一代の告白を断られたのだとしたらいったい誰に怒りをぶつけていいか解らない。

そうだ。

あの神が己の告白を断ったのは彼が今も丁を好いているからに違いない、だってアイツは周囲の評価とは反対にひどく一途なのである。

自分が振られた原因は人だった頃の自分にあるのであって、間違ってもこの名無しの邪神なんかじゃない。

鬼灯は敵対する邪神に渾身の一撃を降下ろす。


山に響き渡るはずの打撃音は雨水と雨音に消された。


「腐っても土地神ということだけありますね」


先程から地の利を駆使して自分の攻撃を避け続ける邪神を誉めながら、炯眼を隠すことはしない。

鬼灯も邪神の反撃を避けてはいるが、そのせいで地面がいくつも削れていく、降り続ける雨のせいで地盤が緩んでいるのだ。

これ以上土地にダメージを与えるような戦闘は避けたいが、いったいどうすればいいのだろう。

力では負けないのに、埒があかない。

鬼神が何度目か解らない舌打ちを吐いた時だった。


「鬼灯!!」


天から一匹の白い獣が降ってきた。

滅多に呼ばない己の名を呼んで……


何故か一滴も濡れていないのは神の為せる技なのか白く柔らかな毛をふわふわと靡かせながら鬼灯の横へ着地する。


「白澤さん……」


呼ぶ声に一瞬顔を向けた後、白澤はキリっと邪神へ向き直り叫んだ。


「ねえ!そこの君!僕の鬼灯に怪我させてないだろうね!!」


“僕の鬼灯”

鬼灯はその言葉に開きかけていた口を塞げなくなった。

口の中に雨が入ってくるのも厭わず横の白澤を凝視する。


「僕のねえ……浮気か?我が奥方よ」

「誰が奥方だよ、君が約束破った時点で婚姻は解消されていい筈だよね?そんなわけだから大人しく掴まって離婚届にサインしてもらうよ」


神々の結婚や離婚って役所を通すものだったろうか……混乱中の鬼灯の頭に過ぎていったのはそんな疑問だった。

というか、奥方ってなんだ、この神獣は私のモノだぞと混乱が解けていっているのか強くなっていっているのか解らない中で沸々と怒りが湧いてくる。


「俺がいつ約束を違えたよ?あの時お前らが封印しなきゃ約束通り雨を降らしてやるつもりだったのに」

「此処周辺の人間を全て殺そうとしていたじゃないか、僕は人間に危害を加えること以外ならと言って君の願いを聞き入れたのに」

「お前に危害を加えろなんて言っていない、お前の力を使って俺がヒトを滅ぼす気でいたがな」

「なにを言ってるんだよ!!約束が違う!!それに僕はあの子が生贄になるのを阻止してほしいって頼んだじゃないか!!」

「その前に村人を全て殺せばアイツが生贄になることはなかっただろう?あの時代の孤児なんてどうせ生きていたって幸せになれやしないんだから、いっそ皆と一緒に死んだ方がアイツも救われ……」


ドン!! と、邪神の言葉を遮るように白澤が地を踏んだ。


「黙れ小僧!お前があの子を救ったか!!」


白澤が邪神をきつく睨みながら叫ぶと周りの空気が上昇していき、鬼灯の濡れた前髪までもがフワリと浮き上がる。

此処で漸く冷静を取り戻した鬼灯、今の神獣の台詞はまるであの映画のあのシーンであるが……


「白澤さん惜しいです!」

「え?なんか間違えてた?」


折角神獣姿で登場したのだからと昔鬼灯が好んで観ていた某ジャパニメーション映画を真似てやったつもりが微妙に違っていたらしい。


「まったく……仕方ありませんね、帰ったら一緒に観ますよ」

「え?お前の部屋で?」

「他にどこかありますか?」

「……」


好きな相手から、自分を好きだと言った相手からのお誘いにドキリと胸が高鳴った。

思いがけない甘い雰囲気に邪神は眉を顰めながら訊ねる。


「なあ?ソイツお前のなんなんだ?」

「え?えっと、ほ、鬼灯は僕の……」

「未来の夫ですね」

「え?」


驚いた白澤は人型へ変身し、鬼灯の顔を覗き込んだ。

雨に塗れた顔が自分を見て真摯に頷くのを見て白澤はほんのりと頬を染めた。


「なので、さっさと離婚してもらわないと困るんですよ貴方達に」

「そ、そうだよ!邪神くん!!」

「邪神くんて……」


なんだか気の抜けた呼称に呆れつつ「まあ別にいいけれど」と鬼灯の表情に余裕が戻った。

正直この神獣が戦闘で役立つとは思わないが、傍にいるだけで気合が入ってしまうのだから邪険にはできない。


「さて、どんな手を打ってくれるんですか?神獣さま?」

「ふん、まあここは任せといてよ、補佐官さま」


――白澤は鬼灯に向かって不敵な表情をしながら、鬼灯へ対する想いを確認してゆく。

大嫌いだと言いながら、好きになってくれたらいいとずっとそう思ってた。

最初はただ周りと優秀なだけの鬼だったと聞く、それが頭角を現し始めたのは閻魔大王に仕えだしてからだ。

きっと忠誠心が高く、主君の地位を守ることに必死なのだろう、それが解った時から白澤の鬼灯へ対する印象はガラリと変わった。

元々優れた為政者に惹かれる本能、自分はもう誰のモノにもなれないけれど、吉兆の獣としてただあの鬼の力なれたらとずっと願っていたのだ。


「漸く叶うね」

「……?」


小さな独り言は隣にいる地獄耳には聞こえたろうが、その意味までは知られることはない。



――白澤様、その“丁”という子は……――


彼の幼馴染が教えてくれた。

今大好きな彼と、初めて好きになれた大事なあの子の役に立てるなら、これ程うれしいことはないだろう。



「来々万華」


白澤が手を翳し、そう唱えると其処に色とりどりの花弁の盛られた花篭が現れた。

鬼灯と、先程から興味深げに事態を見守っている邪神の頭に疑問符が浮かぶ、いったいこれでどう戦うというのだ?


「鬼灯!ちょっとそこ立ってて!」

「はぁ」

「君もちょっと待っててね!!」

「はあ?」


指さされ苛立ったのか邪神は一気に戦闘態勢に入った。

白澤のすることに興味など示さずさっさと攻撃してしまえばよかったのに彼はそれが出来なかった。

もしかしたら何か瑞獣の術を使われていたのかもしれない、警戒する邪神に白澤はにっこりと微笑みかける。


「降参するなら今のうちだよ?」


確かに白澤は一人では無力だ。

しかしそこに勝利を捧げたい、この者の統べる世を見たいと思う相手がいれば、その想いが強ければ強いほど白澤も強くなる。

そう、だから戦場に鬼灯がいれば、きっと白澤は最強なのだ。


「ハン!誰が降参なんかするかよ」

「そう、なら仕方ないね」


と声に憐憫を滲ませたのも束の間、白澤は花篭を脇に抱えると花を振り撒きながら鬼灯の周りをくるくるスキップし始めた。


「はい?」


なにやってんだお前、という眼差しが二方向から突き刺さるのも構わず、白澤はスキップを続ける。

気付けば鬼灯の周りだけ雨が降っていない(代わりに花弁は降り注いでいるが)


準備は整った。


「いくよ!」


白澤は鬼灯に吉兆を授けた!


邪神の足下が崩れた!


白澤は鬼灯に吉兆を授けた!


邪神は落ちた先の泥濘に嵌まった!


白澤は鬼灯に吉兆を授けた!


邪神の上に崩れた岩が落ちてきた!



(なんだこれ)



白澤が鬼灯に花弁を振り撒く度「ぎゃ」とか「うおっ」とか「ぐぇっ」とか邪神の声が聞こえてくる。

どうやら鬼灯への吉兆がそのまま邪神への災難となるらしい、戦わずして勝つとはまさにこのこと……いや、違うか。

結局それは花篭が空になるまで続き結果邪神は鬼灯達の目の前で気絶してしまった。


「……あまりに格好悪い勝利に動揺を隠せません」


花だらけになりながら鬼灯が呆然と呟く。


「いいじゃん、ほぼ無傷で勝てたんだから」

「三國志に貴方が登場してなくて良かった……」


こんな神獣がいたら演義が盛り上がらない、数多くの男のロマンが踏みにじられしまっていたところだった。

そんな鬼神の嘆きを聞きながら白澤は笑った後、パンと手を叩いた。


「さて、邪神くんが気失ってる間に天国に運ばなきゃね、途中であの子も誘わなきゃ」

「あの子?」

「うん、この邪神くんの奥さんだった子、最近やっと目覚めたらしくてさ」


鬼灯の瞳が見開かれる、この邪神の妻は人間に殺されてしまったのではなかったか。

だから土地神だったこの男は祟り神へと変貌し白澤を騙しこの地に棲む人間を皆殺しにしようとしたのではなかったか。


「詳しい話は後で、急がなきゃ彼女に会う前に目覚めたらまた面倒くさいよ」

「……そうですね」

「誰かが抑えておかないと邪神くん滅処分になっちゃうかもしれない、彼女が生きてて良かったよ」


白澤と離婚したあと愛する元妻と再婚すれば落ち着くだろうと、穏やかな表情で語る。

それを見て鬼灯は少し拗ねたような声を出した。


「酷い目に遭わされた割りには気にされるんですね彼のこと」

「んーーだって、こう言ったらお前怒るかもしんないけど今のお前がいんの邪神くんのおかげだし」

「まあそうですけど」


“僕の鬼灯”と呼ばれた時点で予想はついていたが鬼灯はここで白澤が自分の過去を知っていると確信した。


「……ねえ、鬼灯」

「なんですか?」

「虹が出てるよ……」


白澤が見上げた方を振り向くと、やけに綺麗な七色の虹が見えた。


「お前が僕に告白してくれた時みたい」

「……催促ですか?」

「いいや、こう見えて僕は“丁”が生きてたと知っただけで胸がいっぱいだから」


今、告白なんてされたら胸が壊れちゃうよ……


そう語る白い頬が桃色に色付き眉はハの字に下がり口は緩やかに頬を描いた。

そして瞳は蜜のように蕩ける、顔だけじゃない全身が喜びで震えている。


「ありがとう……生きててくれて」

「もう死んでますけど?」

「呵呵……それもありがとう」

「はい?」


意味が解らないと眉を顰める鬼灯へ、白澤は苦笑しながら語りだした。

たとえヒトとして死んでも身体が変化し魂の質が変わっても、常世に来てくれた。

今も自分の目に見える範囲であの頃と変わらず懸命に生きている、いいやあの頃よりずっと満ち足りた時を過ごしている。


「その姿を見るだけで僕は幸せだよ」


次の瞬間、鬼灯は白澤に近付き彼の手を手繰り寄せた。


「貴方の胸が爆発してしまっては困るので今は我慢してあげますけど」

「うんうん」

「次に虹が出た時は覚悟しといてくださいね」

「呵呵……わかった」


などと、なんだか良い雰囲気で抱き合う二人だったが、その場所は邪神の背中の上だったりする。




* * *




「……あの二人やっと収まるところに収まったって感じだな」

「よかったわねぇ鬼灯」


そしてその光景はリアルタイムで浄玻璃の鏡で閻魔殿に中継されてたりした。















おしまい