今でこそ一度死ねばその魂は浄化され全ての罪を精算した状態で生まれ変わるのだと知っています そういうシステムを作ったのは私達ですし、私達が作る以前から輪廻転生はありました ただ、私がそれを知ることが出来たのは黄泉という場所に下りてからでした 誰だったか憶えていませんが生きていた頃、集落にいた大人からお前は前世に何か罪を犯したから『みなしご』なのだと言われたことがありました 前世の罪が今生に受け継がれる……所謂カルマというやつですね、確かに世界にはそういう概念があって、それを否定することは出来ません なので、ひょっとしたら本当に私は前世で罪を犯してきたのかもしれませんが今となっては確かめようもないことです ……いえ、きっと識っている者に訊ねれば解る筈ですね、まぁ訊いてしまえば相手をひどく困らせてしまうでしょうが…… 時折考える時があります 果たして私に親がいない事は『罰』だったのか、兄弟姉妹がいない事は『罰』だったのか だとしたら、あの頃私が不当だと感じていた扱いは正当なものだったのでしょうか? もしそうなら、この柱に括られた村人たちは本当に私の私怨だけでこのような目にあっているということになります ああ、違うと言ってくれますか、すみません別に悩み苦しんでいるわけではないんです 不思議なことに、そんな事を考えながらも私の心はとても凪いでいる…… 他人を裁く立場にある私が、こんなことをして赦される筈が無いのですが 鬼火と人間の混ざった私は、恐らくこの世界においてイレギュラーな存在なのだと思います 自意識過剰と言われたらそこまでですが、きっとあの神獣と違った意味で唯一無二の存在なのでしょう アレが番を持たないのと同様、私にも同類と呼べる者がいません 血縁もいない、正真正銘天涯孤独の『みなしご』です ……上等じゃないですか 一介の鬼である私にとって『他と違う』はむしろ褒め言葉 まだまだ非力かもしれませんが私は私自身の力で、時に他人の力を借りながら、私がいなければ成立しない世界を作ってきました その世界には私を愛し、私がいなくなれば悲しんでくれる人々も沢山います そして世界にとってイレギュラーな私だから、世界の理を越えてゆける、きっといつか……あの馬鹿が囚われている強大な網を引きちぎるくらい出来ますよ ええ傲慢で結構! いずれ裁かれる時が来ようとも たとえこの身が滅びようとも 私が生きたという証は私と関わった全ての存在の中に刻まれていますから その証が、あの獣を永遠の孤独から救うのだと信じていますから * * * 白澤がイザナキの宮殿でちょっと特殊な妊娠生活をしている間、彼から店と桃太郎の事を任された白澤の分身は桃源郷で大人しく過ごしていた。 本体が弱っているからか、仕事をした後すぐに自宅へ引っ込み夕食と入浴を終えると酒も飲まずに床へ入る。 そんな白澤を桃太郎や馴染みの客達は心配したが、その度に意識せずともできる軽薄な笑みを貼り付けて「大丈夫、大丈夫」と煙に巻いていた。 鬼灯も時々店にやってくるが、いつもより覇気のない白澤とは喧嘩する気にならないのか一言二言の嫌味を言った後、すぐに帰ってしまう。 本体が出産を終えて本調子に戻れば彼とまた喧嘩できるだろうか………と、考えては別に喧嘩せずに済むならその方が良いではないかと首を振る、なにが悲しくて好きな人と毎度毎度喧嘩せねばならないのか。 そう、きっと言っても誰も信じないだろうが白澤は鬼灯が好きだった。 (僕がもうちょっと動けたら、本体に食事あげに行けるのにな) 分身は白澤がイザナキの宮殿にいるとは知らないので今頃きっと現世の霊山で霞を食べて過ごしていると思っていた。 自分は桃太郎や客達から心配され、柔らかいベッドで寝ているが、本体の白澤はきっと独りで苦しみを耐えているのだと思うと申し訳なくなってくる。 分身も本体と一つに戻れば記憶を共有することになるから、そんな後ろめたくなる必要はないのだと解かっているけれど、白澤の性格上どうしても同情的になってしまう。 (やっぱり何か作って持って行ってやろ) お腹の子供の為にも栄養のある物を食べた方がいいだろう、鬼灯の子だから大丈夫だろうが元気な子を生んでもらいたい。 分身白澤はだるい身体を無理やり起こして、台所へ向かった。 「白澤様!起きてていいんですか?」 台所に行くと食卓に座って何やら作業をしている桃太郎がいた。 「大丈夫だよ、病気じゃないんだから、桃タロー君は何して……」 彼はテレビ音をBGMにしながら、家計簿をつけていた。 テーブルの脇には封の切られた封筒が重ねられているので、郵便物のチェックもしてくれていたのだろう。 (桃タロー君はいいお嫁さんになるよ、うん……) 普段から薬剤師に弟子入りした筈の桃太郎が実質花嫁修業中みたくなっていることに面白さと同時に申し訳なさを感じている白澤は苦笑いを零しながら冷蔵庫を開けた。 「何か作るんですか?俺が作りましょうか?」 「いや、お茶飲みに来ただけだから」 桃太郎がいるのでは本体白澤へ持っていく為の料理を作ることもできない、健康時ならともかく不調時の白澤がそんなことをすれば彼は代わりに持っていこうとするだろう、それを諌めるのが面倒くさいのと、これ以上彼に嘘を吐くのに心が痛むのとを考えれば今日は諦めてしまった方が良いと判断した。 「なんかテレビ面白いのやってる?」 「いや俺も適当に歌番組きいてたんで……あ、ニュースになってる」 家計簿に集中して途中で番組が変わったことに気付いていなかった桃太郎が顔を上げると、スポーツ情報を流していた画面が急にキャスターのいるスタジオに切り替わった 【ここで緊急ニュースです】 キャスターが鬼ということは地獄のニュースなのだなと桃太郎は少し緊張した。 天国のテレビなのに地獄のニュース番組が映るのは偏にココの店主と店員が地獄と縁深いからだ。 【地獄一多忙な鬼として有名な閻魔大王第一補佐官・鬼灯様が先程マスコミ各社へ自身の婚約を発表なさいました】 スラスラと渡された原稿を読んでいるキャスターだが表情は驚きを隠せないでいた。 瞳に『あの鬼灯が?』と書いてある、それはそのニュースを見ていた極楽満月の師弟も同じだった。 「え……?」 「えぇぇぇええ!?あの鬼灯さんが!?」 婚約するなんて完全に寝耳に水だった。 女の影どころか、仕事と金魚草関係以外で外出しているところを殆ど見ていないのに……比較的よく顔を合わせる自分達が気付かなかいなんて、もしかして相手は同じ職場の獄卒なのだろうか? 桃太郎がそんなことを頭の中でグルグル考えている中、その横に立っている白澤は―― (……) ショックで言葉を失っていた。 「白澤様?」 「へ、へぇ……あいつが婚約なんてね、物好きな子もいるもんだねえ」 桃太郎に気遣わしげに声を掛けられハッと気付いた白澤はカタカタと震えながら、無理やり笑った。 (……くそっ……なんで) 激しく動揺している自分を叱り付けるように、手の甲に爪を立てる。 鬼灯に愛する人が出来てその人と家庭を築くことを己はずっと望んでいたことではないか。 仲は悪いが腐れ縁のよしみだと言って吉兆の瑞獣として祝福してやろうと思っていたではないか。 そしてその相手が妊娠したら母体が鬼火に妬かれぬよう己が代わりに…… (……そうだ、僕の本体が出産する前に、相手の娘が妊娠したらどうしよう) 白澤の顔から血の気が失せた。 官吏という立場上デキ婚は出来ないと今まではきちんと避妊していたかもしれないが、結婚すればその必要もなくなる。 鬼灯ならば経済的に余裕もあるし、双方が望んでいればすぐにでも子を生める環境だ。 (もし……その子が妊娠したら) 今いる鬼灯と白澤の子を堕胎させて、鬼灯の真に愛する者の子を孕むべきなのだろうか―― 「ヤダ……ヤダ!」 「白澤様!?どうしました」 顔を真っ蒼にさせて蹲った白澤に驚いた桃太郎は椅子から飛び降りて彼へ駆け寄った。 白澤は自分の下腹部を押さえながら震える声で何度も「ヤダ」と繰り返した。 「ヤダ……堕ろしたくない!」 「へ?」 「ヤダ、生みたい……お願い待って」 ――あの子が生まれてくるまでは、あの子の場所を奪わないで…… 「はくたく……さま?」 そう呟いてからは無言で震える白澤の背中を摩って、桃太郎は彼の言っている意味を考えた。 堕ろしたくない、生みたい……まるで自分が妊娠しているような物言いだが、目の前にいる白澤が妊娠している様には見えない。 【婚約について今から緊急の記者会見が始まります】 反射的にテレビを見ると、恐らく閻魔殿の何処か広間だろう場所に金の屏風がありその前に白いテーブルが置かれている画面に変わっていた。 そこに鬼灯が沢山の報道陣からフラッシュを焚かれながら現れる、その後ろに妙齢の美しい女性が着いてきていた。 彼女が婚約者なのだろうか、イザナミの面影があるから恐らく日本の古い神の誰かだろう、地獄一の鬼神の妻には充分な肩書きだ。 しかし、彼女の後に現れた男に会場は大きくどよめいた。 (……あれ、イザナキ様じゃ) イザナミと決別してから何千年と地獄に足を踏み入れることのなかった神が、閻魔殿にいる。 俯いてテレビを見ていない白澤はイザナキには気付かず、ただただ己の中の恐怖と戦っていた。 『皆さん、今日は私事で集まって頂き誠にありがとうございます』 椅子に座った鬼灯がマイクを取って挨拶をするとまた大量のフラッシュが焚かれる、慣れている鬼灯は平然としているが、両隣に座ったイザナキとナキサワメは眩そうに目を細めた。 『まず、誤解されている方がいると思うんで言っておきますが私が婚約する相手はこの女性ではありません』 「へ?」 てっきり隣の女性がそうだと思っていた桃太郎は思わず素っ頓狂な声を上げる。 それを聞いた白澤も恐る恐るテレビを見上げる。 『私がこの度婚約する相手の名は皆さんもよくご存じだと思いますが』 テレビ画面に映る鬼灯は、堂々と真っ直ぐに此方を見据えている。 観ている人はまるで自分に語りかけられているような錯覚に捕らわれるだろう。 そんな瞳で、良く通る低い声で彼が紡いだ名は―― 『神獣・白澤です』 呼ばれた本人すら予期していなかったものだった。 * * * 一方その頃、イザナキの宮殿では、一匹の獣が広い浴室で久しぶりの湯浴みを満喫していた。 妊娠も四カ月を過ぎ、胎の中の鬼火の半分は胎児に変化しているので初期よりだいぶ楽になったのだ。 それでも普通の人間なら即死してしまうくらいの苦痛を有するのだけど、驚異的な回復力を持つ神獣はその苦痛にも慣れてしまっていた。 濁った眼はまだ治らないが萎えていた足は漸く動かせるようになったので、侍女(恐らくイザナキ眷属の神)に頼んで浴室に湯を張ってもらったのだ。 「はぁ……気持ちいいー」 イザナキとナキサワメが用事があるからと出て行ってくれていて助かった。 あの二人がいたら白澤一人で入浴など許してくれる筈がないからだ。 心配してくれる気持ちは嬉しいのだが、こんな四肢はやせ細っているのにお腹だけポッコリと出た身体なんて他人に見せたくはない。 獣姿ならマシだろうが浴室が毛だらけになってしまうし、人型の方が洗う時間が少なくて済む。 「この宮殿に置いてもらえて本当によかったなぁ……最初は天帝に怒られるんじゃないかって心配してたけど」 日本の国造神が中国の神獣を自らの家に長期滞在させるなんてバレたら国際問題に発展しないかと気を揉んでいたけれど、なんでもイザナキは中華天国の最高神・天帝と親交があり、ナキサワメは天帝の娘・織姫と友人関係にあったそうで、二人がオブラートに包みに包んで事情を説明したら、あっさり許可してくれたらしい。 ちなみに相手を伏せて白澤が妊娠していることも伝えたら天帝は初孫を喜ぶ祖父のような手紙を寄越してきた。 「天帝があいつを怒らなくて本当によかった……」 天帝のことだから恐らく相手も察しているに違いないが、中華天国で隠し子が百人単位でいるのではないかと訝しまれている白澤だから、自身が妊娠してもそう驚かないと手紙に書いてあった。 妊娠させた側じゃなくて安心したとまで書かれているのを見た時は流石に今までの行いを恥じたものだ。 「後はこの子が無事生まれてくれば万々歳だねぇ」 湯船に浸かりながら胎を撫でる、あまり長時間の入浴は胎調に良くないと聞いた事があるので、そろそろ上がらなければいけない。 侍女が寝具も新しいものに交換してくれると言っていたので、清潔な服に着替えて髪を乾かしたら今日は早めに就寝してしまおう。 (ナキサワメちゃんがいなくても、ちゃんと休めるぞってとこ見せなきゃ) 家を出る時何度も「私がいなくて眠れますか?」と聞いてきた過保護な水の神を思い出し、微笑が零れた。 顔こそイザナミに似ているが、性格は穏やかで優しい女神は自分が好きになる相手というよりも鬼灯が結婚するならあんな子がいいと思える相手だ。 (ま、あいつの選んだ相手だったら誰でも祝福できるんだけど……) しっかりした鬼灯の事だからきっと恋人選びもきっと間違わない。 自分にとって最高の伴侶を手に入れて、最高に幸せな家庭を築くに違いないのだ。 白澤はそれを目の当たりにする日がくるのを心待ちにしながら、同時に覚悟をしておかないといけないと思った。 その時までに自分は何千年前の初恋を、殺してしまわなければならないのだから―― * * * 鬼灯の婚約記者会見を、白澤はテレビの前に座り込み、ただ茫然と聞いていた。 イザナキは語る。 鬼火と人間の混ざった鬼灯の子が母親の胎内で鬼火となることを、普通の鬼や妖では受精した直後に焼き殺され、焔属性の神魔でも鬼火という特殊な火を胎内に宿せばどうなるか解からないと、言ってしまった。 テレビで、大勢の人が観ているというのに、白澤がずっと隠していた鬼灯の秘密を暴露してしまった。 「なんで……そんなこと言ったら……あいつのお嫁さんになってくれる娘いなくなっちゃうじゃないか」 鬼灯を慕う人間が離れていくことは無くても、これから恋人になりたいと想って近づく者は各段に減るだろう。 (白澤様は識っていたのか?) その言葉を聞いて桃太郎は思った。 たしかに白澤の能力なら鬼灯の子が生まれる未来を想像しただけで、その子がどんな存在なのか識ってしまうことが出来るかもしれない。 ならば何故それを本人に伝えなかったのか、知らずに誰かを妊娠させてしまえば相手を殺してしまうというのに、どうして教えてやらなかったんだ。 『彼の子が鬼火であるという可能性を考えた儂が、鬼灯殿にそれを伝えようとした時、白澤が目の前に現れた』 テレビの中のイザナキの口から白澤の名前が出て、桃太郎は神妙に画面を見詰めた。 『そして白澤は言った……鬼灯殿の子を妊娠する者が現れたら……その子は自分が代わりに生むと』 「!!?」 会場にどよめきがはしった。 今テレビを観ている全員がきっと同様に驚いていることだろう、桃太郎もその通りだ。 『白澤の話はこうだ……鬼灯殿の子を受精した時点で母親は高熱を出す、それを診療する振りをして、受精卵を自らの胎に移すと』 母親の胎には幻で作った仮初めの子を入れ、生まれた後で入れ替えるという白澤の計画を淡々と説明しだした。 『儂はあの者に訊いた「お主は我が子でもない存在に十月十日の間その躰を灼かれ続けるのだぞ」と、それでも良いのかと……』 地獄で体を焼かれ続ける亡者を見てきた獄卒なら、一度でも火に触れ火傷を負ったものなら、想像しただけで死んでしまいそうだと思う苦しみ、神獣といえどもそれを負い続けていられるのか……? 『すると彼は大丈夫だと笑ったのだ……とても美しく切ない笑顔で「鬼灯の子だから」耐えきれると』 「……」 桃太郎は、隣に座り込んでいる白澤の様子を見た。 彼の横顔は先程よりもしっかりと、透明に、鬼灯達の顔を見詰めている。 イザナキの話が終わり、今度は鬼灯が喋りだす。 白澤が自分の子を妊娠した。 他の者との子ではない、確かに自分と白澤の子だ。 だから結婚して生まれてくる子を共に育てる。 それを聞いて白澤の表情は、酷く歪んだ。 (僕は、あいつの幸せを奪ってしまったんだ) 冷徹に見えて情深い鬼灯のことだ。 自分の子を妊娠したと知ったら、たと大嫌いな相手であっても責任をとらなければならないと感じたのだろう。 白澤と体を重ねたことすら憶えていない癖に。 (余計なお世話だ) 白澤が望んだのは鬼灯の幸せだ。 確かに我が子にとって両親が揃っている方が良いだろう、でも白澤はそれよりも鬼灯と鬼灯の愛する人の幸せを願っていた。 『紹介が遅れました、彼女はイザナキ様の娘のナキサワメ様、現在イザナキ様の宮殿で妊娠中の白澤さんの世話をしてくれている方です』 「え!?」 『驚いた方も多いでしょう、実は今桃源郷の極楽満月にいる白澤は分身なんです。彼の本体はイザナキ様の宮殿に身を寄せています』 「そうなんですか?」 驚き震える桃太郎の顔を見て、白澤は鼻の奥がツンとなった。 大事な弟子である彼をずっと騙していたことがバレてしまった。 「ごめん、桃タロー君……」 「いえ……謝らないでください」 桃太郎は、先程の白澤の言葉を思い出し、頭の中で推測した。 この会見ではまるで鬼灯と白澤が恋人同士だったように捉えられるが、実際の二人は気持ちを伝え合ってもいない。 白澤は鬼灯の子を自分一人で生んで、父親の名を隠して育てるつもりだったと解かってしまった。 「おツラかったでしょう……」 「……ぅう」 年下の弟子から優しく慰められ、胸がいっぱいになった白澤は膝を立ててそこに顔を埋めてしまった。 『私は父から水の力を使い鬼火に灼かれ熱に魘される白澤様を癒す役を任されてきました』 ナキサワメ、聞いた事がある……イザナキがイザナミを失った悲しみで流した涙から生まれた水神だ。 ああだからイザナミに似ていて、それでいて優しい雰囲気をしている筈だと桃太郎は思う。 『妊娠初期はそれはもう酷い苦しみ様でしたが今は妊娠して四月が過ぎお腹の子が鬼火から普通の胎児に変化してきているので、白澤様の体調もだいぶ落ち着かれましたわ』 彼女がそう言うと会場から安堵の息が漏れ始めた。 いくら神獣とはいえ鬼火にずっと灼かれていると聞いては心配せずにいられなかったのだろう。 『入籍は母体が落ち着いてから、式の予定は今のところありません』 ざわめく会場にピシャリと鬼灯の声が落ちる。 『会見は以上で終わらせていただきます』 『あ!最後に、回復していると言っても白澤様の身体は今とてもデリケートな状態なので、子供が無事生まれるまでそっとしておいてください!』 『そうですよ、くれぐれもにイザナキ様の宮殿に押しかけたりしないでくださいね、極楽満月にも』 『まぁ儂の家まで辿り着けたらの話だがな』 そう言って三人は立ち上がると、一礼して会場を後にした。 その後ろ姿が見えなくなるまでフラッシュが焚かれ続けてるのが見えた。 ――プツッ! 「……」 桃太郎が黙ってテレビの電源を落とすと、極楽満月の台所に重い静寂が訪れる。 ――ピンポーン するとそこに玄関のチャイムが鳴った。 二人の肩がビクリと揺れる。 「!!?」 「誰でしょう……まさかもうマスコミが?」 まさか、あの会見が終わった後に地獄からやってくる不埒者を牛頭と馬頭が通すわけがない。 ならば天国の住人が心配して様子を見に来てくれたのかもしれない。 「俺が出ますから白澤様はここで待っていてください」 「うん」 いつになく頼もしい桃太郎が白澤にはお母さんに見えてならない、自分もこんな母親になりたいなと場違いにも思った。 「白澤様、お客様ですよ」 暫くして戻ってきた桃太郎が連れていたのは、犬・猿・雉ではなく…… 「お香ちゃん……?」 と、鬼灯の幼馴染の烏頭と蓬の三人だった。 「白澤様、早速ですが家を出る準備をしてください」 「へ?」 「鬼灯の会見は観たよな?なら解かるだろ、暫く雲隠れするぞ」 「マスコミにバレないようにコッソリな」 「はい、白澤様、これ二、三日分の着替えと歯磨きセット、携帯の充電器も入れてますから充電切らさないようにして下さいね」 「桃太郎さん気が利くな」 「では白澤様、これにお着替えください」 「は?え?え?」 あれよあれよという間に夜逃げの準備が整ってゆく、気付かぬ内にいつもの白衣ではなく黒いチャイナ服に着替えさせられ、少し長めのカツラを被らされれば、一見白澤だと解からない変装の完成だ。 「暫くは俺の家と蓬の家で過ごしてもらう、狭いのは勘弁な」 「そ、そんな迷惑かけられないよ!」 鬼灯の子を生むと決めた時に誓った、誰の手も煩わせず一人で生むという誓いを思い出し声を上げる白澤。 すると、お香が目の前まで迫り、睨みつけるでもなくジッと白澤の瞳を見詰めた。 「え?なにお香ちゃん……?」 「白澤様、貴方が鬼灯様の子を生もうと思ったのは“同情”からですか?」 「……え?」 「鬼灯様が“可哀想なみなしご”だから施してあげたいと思ったのですか?」 「ッ!違うよ!!」 咄嗟に否定する。 同情も施しも神の本分で、それを神獣である白澤が行うことはけして悪いことではない、しかし白澤にはその言葉が酷く侮辱的に聞こえた。 「あいつに血の繋がりを……家族をあげたいと思ったのは確かさ!」 天涯孤独の白澤でも家族というものは尊いものだと知識でしっている。 世の中にいる血の繋がらない家族や子に恵まれない夫婦たちを否定するつもりはないが、それでも生けとし生けるものの一つとして、血の繋がりの尊さを謳わずにはいらんれない。 心強いとか、安心できるだけじゃない、歪んでいたって、憎しみ合っていたって家族には天網のように刻まれていた強い絆があるのだ。 血の繋がりのある者は、ただ、そこいてくれるだけで自分がこの世界にいても良いのだと思わせてくれる、無条件で愛せて、肯定できて、それを何倍にもして返してくれる。 親を見て自分はこの人の生きた証なのだと、子を見て自分はこの子の為に生まれたのだと、兄弟を姉妹を見て自分は自分という唯一の存在なのだと、この人たちがいなければ自分はいなくて、自分がいなければこの人たちはいなくて、そんな風に思えるから。 「でも、あいつじゃなかったら!鬼灯の子じゃなかったら生んでやりたいなんて思わなかった!!」 孤児なんて九つの目で沢山見てきた。 中にはあの鬼より可哀想な境遇の子が何百人何千人もいた。 それをただ見ていることしかできなかった自分が、あんな強い者を救おうなんて思うものか! 「同情ならもっと可哀想な子にあげるし、施しならもっと恵まれない子にあげるよ」 本当は家族なんていなくても鬼灯は幸せになれるのだと知っている、それでも鬼灯に血の繋がった子を生んであげたいと思ったのは 「だだの、エゴだ」 だから、せめて誰にも迷惑かけたくない、だから助けようなんて思わないでほしい。 そう言うとお香の視線がキッと鋭くなって、その細腕を白澤の前で振り上げた。 白澤は咄嗟に殴られると思って両目を瞑る、痛いのは厭だが自分は彼女に怒られて当然のことを言ったのだ。 しかし、次の瞬間白澤の頬に訪れたのは殴られる痛みではなく。 「え?」 「……白澤様、ありがとう」 全てを包み込むような、女性の温かい手のぬくもりだった。 「お香ちゃん?」 「白澤様のそれがエゴなら、私たちが白澤様を助けたいと思うのもエゴだわ」 「そんな……」 「ねえお願い、私たちに貴方を助けさせて?」 美人に至近距離でそんなこと言われて、白澤が絆されない訳がない。 「お香ちゃん……」 鼻の下を伸ばしてデレデレし始めた白澤を烏頭が引き離す。 「おいコラ白澤様、アンタ鬼灯が好きなんだろうが!お香に色目使ってんな」 「そうですよアンタ一応婚約してんだからな、浮気禁止」 「婚約て……僕、了承してないし……会ったら解消してもらわないと」 出来れば会いたくないけれど、あの会見を撤回してもらうように頼まなければ。 「あらなんで?好きなお方と結婚できるのに断ってしまうの?」 「だってあいつにしてみたら子供できたから責任とるだけでしょ?僕はあいつにはちゃんと好きな娘と幸せな家庭を築いてもらいたいんだ」 「……」 「……」 幼馴染三人の頭の中で「鬼灯頑張れコール」が鳴り響いていた。 「まあ、こういうのは他人が教えるよりな、本人が自分で気付かないとな」 「ああ……言葉の足りない鬼灯にも問題はある」 「それより早く帰りましょう、人のいない内に移動した方が良いわ」 「そうだな」 なにやら目の前で自分の解からない話がまとまって行くのをみて、キョトンと首を傾げる知識の獣。 そんな師匠をみて、桃太郎は先程までの重たい空気が賑やかな三人のお陰でだいぶ飛散されたと安堵の息を吐いた。 放っておいたら思考の坩堝にハマっていきそうな白澤だから、自分とここで二人でいるよりも複数人と行動したほうが良いだろう。 「じゃあ白澤様気を付けていってらっしゃい、皆さん白澤様をよろしくお願いいたします」 白澤に手を振って、他三人に頭を下げ、温かく送り出してくれた桃太郎に皆で「行ってきます」を言った後。 ふと思い出したように白澤は立ち止まった。 「そういえばさ……さっき聞きたいことがあったんだけど」 「はい、なあに?白澤様」 なんでも訊いて下さいとお香が優しく微笑む。 「えっと、あのさ皆なんで……」 「ん?」 白澤には先程から気になっている事が一つあった。 そういえばイザナキにもすぐにバレたが、彼は神様だからそういうことには敏いのだろうと思えたのだけれど。 「なんで僕があいつのこと好きって知ってるの?」 心底疑問に思うといった声色に、その場にいた全員が凍りついたのだった。 END |