dea様リクエスト 鬼の成長は人に比べるとゆっくりだけど神からすればあっと言う間のこと、子鬼から成鬼になるまで長く見積もっても数百年、鬼神と神獣の子だからもっと長いかもしれない ただこの子は体が大人になる前に独り立ちしてしまいそうだな……見聞を深めたいとか言って世界中を旅したり、なんたって白澤の目を受け継いでいる、新しい情報を仕入れれば実際に近くで見て確かめたいと思うだろう 僕としては我が子に持ちうる知識を全て授けたいし、鬼火で灼かれた体が回復したら大人の遊びなんかも教えてあげたいんだけど鬼灯が許してくれないだろうな いつまで経っても親の脛をかじって暮らすニート鬼もいるけど鬼灯がそんな育て方をする筈はないし、やっぱり早く独り立ちしてしまうのだと思う この子が独り立ちするまでの期間 僕がアイツと結婚していられる期間 大切に過ごそう 愛する人と愛する子と家族でいられる時を その二人の為だけに生きてゆこう あの鬼を自分のものにしようだなんて望まないから あの鬼を不幸にしたことが赦されるだなんて思わないから だからせめて僅かな間だけでも本当の家族のようでいさせてほしい その記憶を糧に 永久を独り生きていられるように *** イザナキの宮殿から帰ってきた鬼灯たち親子を待ち受けていたのは、ささやかなパーティだった。 この日に帰って来ると聞いた桃太郎が思いつき、二人の友人知人を集めてくれていたらしい。 赤子に気を遣ってかクラッカーや大きな音を出すものは使われていないけれど、穏やかな「おめでとう」と優しい笑顔が出迎えられ白澤は少し泣けた。 うさぎ漢方【極楽満月】の店内を見渡せば紙の花や紙の輪っかで飾り付けられ、植物の鉢や調合道具が隅に置かれ代わりに大きなテーブルが店の中央にあり、その上に所せましと御馳走が乗っている。 赤子を抱いた白澤はすぐに取り囲まれた。 元々顔立ちの似ている両親から生まれた子はどちらにも似ているとも言い難いけれど額の一本角は鬼灯から目じりの朱は白澤からの遺伝だろう、皆、赤子を見ては可愛い子だと言ってくれる、麒麟と鳳凰は言祝をくれた。 日本最高位の神様一家にも散々祝福されて、もう人生勝ったも同然だと思う、ただ鬼神と神獣の子として様々な弊害を受けるだろうこの子にとってはこれで差し引きゼロになったのかも知れない。 名前は何だと聞かれたので白澤は得意げに【鬼雨】だと答える、鬼は鬼灯から一字もらい、雨はお世話になった水の神に因んで付けたのだと。 それを聞いて鬼灯は何を勝手に決めてるんだと怒ったが、皆が良い名前、この子にピッタリだと言うからそれ以上文句も言えなかった。 鬼灯と白澤はこの子が生まれた時、自分達が三世界全体に雨を降らせたことを知らない。 パーティが終わり白澤が自室に戻ると鬼雨を抱えた鬼灯が当然のように付いてくる、元々今日は白澤の部屋に泊まる予定だったので、拒むつもりは無かったのだが少々気まずい。 「ごめんねぇ、全部君に任せちゃって」 白澤のベッドには白澤の本体が横たわっていた。 つまり、今まで鬼灯と一緒にいたのは白澤の分身である、パーティを始める前に一度荷物を置きに部屋へ戻った時に術で出現させたのだ。 「ううん、また僕だけ楽しんじゃってごめん」 「いいんだよ、僕が参加しても皆に心配かけるだけだし」 白澤本体は力なく笑った。 「大丈夫ですか?」 「……うん、桃源郷の気が一番体に合うみたい」 鬼灯が話し掛けると一瞬ぽかんとなる、白澤はまだ数千年来いがみ合っていた天敵から心配されたり気遣われることに慣れていないようだ。 「無理しないでくださいね」 「……大丈夫だよ」 優しい言葉を掛けられて嬉しいよりも恐怖が勝つ。 現在白澤は鬼火に全身を灼かれた影響で消化器系が機能していない、見た目は少し顔色が悪い程度なのだが、体の内部の殆どが焼け爛れている状態だった。 鬼火に灼かれながら同時に再生していたのは、子を宿す為に作った胎と、子を生む為に作った女陰と同じような器官と、体の表面だけ、神獣である白澤は呼吸ができなくなったって死にはしないし、脳や心臓が止まっていたって思考することは出来るからと内臓の再生を後回しにした。 その結果、暫く食事どころか水も飲めない身体となった、再生途中の肺は呼吸するのですら苦しい。 最初から子どもが独り立ちするまで女遊びを控える気でいたが、生殖器が元に戻るには本当にそれくらいの時間が掛かるかもしれない。 「……」 表面上平気そうな顔をする白澤を見て、鬼灯は切ないような悲しいような気持ちに駆られる。 この人がこうなってしまったのは自分の子を生んだ所為……生まれてきた子が愛おしいから後悔なんてしないけれど己の体質を憎まずにいられなかった。 「じゃあ僕はまた本体に戻るから、白澤のこと頼んだよ」 「黒澤ッ」 白澤は分身の名を咎めるように呼ぶ、分身の名前は鬼灯の幼馴染達が付けたものだ。 匿っている時に白澤のイメージと反対の黒い服ばかり着せていたからだと鬼灯は後で聞いた。 それが少しだけ悔しかったのを思い出す。 自らも白澤でありながら白澤を心配する黒澤は、弱りきった本体を見てついつい鬼灯を頼ってしまったのだと思う。 「ほら、早く戻っておいで」 「うん……これで少し元気になってね」 そう言いながら白澤に抱き着いて消えてゆく。 白澤の中に分身が過ごしたここ数時間の記憶が戻ってきた。 「みんな“おめでとう”だって」 我が子の誕生と己の無事を祝福してくれている、鬼灯の意思など考えず自分一人で生むことを決めたのに誰もそんな身勝手な自分を誰も責めはしなかった。 たとえ地獄中の人から否定されても、今日来てくれた皆が認めてくれているなら、それで少しは救われると白澤は思った。 「良かった……嬉しい」 泣き笑いのような表情を浮かべる白澤を見て、鬼灯は途端に口付けたい衝動に駆られた。 しかし理性を総動員させて自制を掛ける、今手を出してしまえばきっと歯止めが利かなくなるからだ。 妊娠と出産を終えたばかりの弱った身体に負担はかけられない、自分の体質の所為で普通なら与えることのないダメージを母体に与えてしまったのだから。 白澤本調子に戻るまで、身体機能が全て回復するまでは暴力は勿論、軽い接触も避けようと心に誓う。 数千年と恋い焦がれた神獣を手に入れたのだ。 少しくらい我慢出来る。 「今日は疲れたでしゅう……もう眠ってしまいましょう」 白澤のベッドの横に置かれた赤ちゃん用のベッドに鬼雨を寝かせる、絡繰り好きの幼馴染のプレゼントなので妙な仕掛けがないか訝しんでいたが、ただ普通より丈夫なだけのベッドだった。 瑞獣二人からの祝福のお陰か安らかな寝顔を見せる我が子の角にキスを落として、鬼灯は白澤の隣へ滑り込んだ。 肌が触れそうで触れない微妙な位置にいる想い人にドキドキと再生途中の心臓を傷めながら白澤は思う――こうして鬼灯の隣で喧嘩もせずいられるなんて夢のよう……いや、夢だ。 泡沫の夢だと思っていなければならない、この幸せは子どもが大きくなるまでの期間限定のものだと……ちゃんと言い聞かせておかないと……失った時が怖い。 「おやすみなさい白澤さん」 「おやすみ……」 翌日。 朝早く中華天国からの使いという若い神が訪ねてきた。 何でも天帝からの出産祝いを届けにきたというのだが…… 鬼灯はその贈り物を見て、茫然と呟く。 「サツキとメイの家……」 閻魔大王と似たような体型をした妖精?が出てくる日本のアニメーション映画。 その主人公が棲んでいた家と同じものが極楽満月から少し離れた丘の上に建っていた。 さすが天帝やることのスケールがでっかい。 「いやいやマックロクロスケが出てくる家で乳幼児育てたくないよ」 衛生面がどうとか、最初なにもない霊山で単独出産しようとしていた癖に何やら文句を垂れる白澤。 桃源郷の景観に不思議とマッチしているし、観光客も増えそうではあるけれど。 「ていうか制作側から訴えられたりしないかな?これ」 「たしかに貴方の国が作ったものにしてはハイクオリティパロディですが……大丈夫じゃないですか?巨匠もまだご存命だし」 冷静に答える鬼灯だったが、心なしか周りの空気が浮ついている。 きっと童心に帰り家の周りをわーーっと駆け回りたいのだろう、あの姉妹のように井戸のポンプをキコキコしたいのだろう、マックロクロスケ出ておいでーと叫びたいのだろう、しかし大人だからと必死に我慢しているのだろう。 (可愛……) 白澤は赤い顔を俯かせた。 どうしよう鬼灯が可愛すぎて吐きそうだ。 いや、出産を終えてから常に吐き気は伴っているのだけれど…… 「えっと……お前今日休みなんだっけ」 「はい、大王には今日まで休みを頂いていますが」 「そっか……じゃあ僕と鬼雨は極楽満月の部屋にいるからお前この家の掃除頼めるか?大変だろうけど……赤ん坊育てられるくらい綺麗にしてほしい」 天帝は恐らく鬼灯がジブリファンだと聞いて気合を入れたのだろう、ハイクオリティパロディ過ぎて引越し当初の汚れまで忠実に再現されてしまっている、これでは本当にマックロクロスケがいるかもしれない。 「わかりました」 鬼灯の瞳がキラーンと光るのが見えた。 よし思いっきりハシャギ回れるよう一人にさせてやろう、ついでに自分は休もう、少ししか歩いてないというのに正直体力の限界だ。 白澤はそう思うと桃太郎と鬼雨の待つ店の中へと戻って行った。 ちなみにやっぱり著作権が怖いというのと、古い家は何かと不便ということで三日後には形を変えられてしまったが、その間、鬼灯は父の書斎のあった場所に仕事を持ち込んだり、丸い浴槽に白澤と二人(半ば無理やり)浸かったりと精一杯堪能していた。 そんなこんなで新婚生活が始まった二人なのだが、正式な結婚は手続きが面倒だからと白澤が断った為に事実婚という形であり、鬼灯が仕事で帰れない日が多い為に単身赴任状態で、なかなか甘い時間が過ごせないでいた。 というよりも鬼灯の方は白澤に手を出してしまわぬよう極力接触しないように心掛けていたし、白澤の方はいまだに自分の片想いだと思っているので甘い雰囲気になるはずがない、しかも白澤は鬼灯が好きだという気持ちがバレているかも解からないという状態だった。 ただ、今度子どもを生む時は麒麟や鳳凰も頼れるから今回よりも楽だ等と言っている為、鬼灯の頭の中に“白澤は第二子出産に積極的”という事がインプットされている、普通これでバレていないなど思う筈がないと思うのだが…… そして肝心の子育てはというと、忙しい鬼灯と寝込む白澤の代わりに殆ど黒澤と桃太郎で行っていた。 店は産休育休というていで臨時休業を取らせてもらっているが、時々どうしてもこの店の薬じゃないと駄目なんだという人に対してだけ白澤が処方し桃太郎が調合した薬を売っている。 (僕、みんなに迷惑かけてる……) 我が子なのに碌に世話も出来なくて申し訳ない、今までご贔屓にして頂いていたお客さんに申し訳ない、弟子である桃太郎に漢方のことを教えてあげられなくて申し訳ない。 白澤の中で不甲斐ない、情けない、自分は親としても店主としても師匠としても失格だという気持ちが日に日に膨らんでいった。 ある日、桃源郷の中で白澤の姿が見当たらない時があった。 日常生活に支障がないくらい回復しているが、まだ衆合地獄に行けるような体調ではない、どこに行ったのだろうと心配になった桃太郎は仕事中の鬼灯にメールを打った。 今、白澤は黒澤を出現させていない、彼がいたら何となくの居場所は探れるのにな、と思っていると来客があった。 鬼雨が生まれて以来、月に数回顔を出すようになったイザナキとナキサワメだ。 イザナミとの話を聞いて最初はあまり良いイメージのなかったイザナキだが、今は頼れるお祖父ちゃんのように思っている。 何故なら婚約発表以来ずっと地獄最強の鬼神を拐かした淫獣だとして白澤を詰めていた神や妖が、イザナキが懇意にしていると知るや否や大人しくなったからだ。 流石は日本最高神天照大神の父親である、そして詳しいことは知らないが白澤を詰めていた神や妖はその後全て鬼灯の手によって二度と白澤に近寄れないようにされたそうだ。 二人に白澤の行方が解らないと告げるとナキサワメは桃太郎に大盆と水瓶を持ってくるよう頼み、地面に陣を書き始めた。 ナキサワメが言うとおり陣の真ん中に盆を起き水瓶から水を垂らす、盆がいっぱいになったところでナキサワメが蹈鞴を踏むと盆の中の水は水鏡に変化した。 「何か白澤様が普段身に着けられているものはありませんか?」 そう訊かれたので、替えの三角巾を渡すとそれを水鏡の上に翳して何やら呪文のようなものを呟く。 「見つかりました」 ナキサワメに呼ばれて桃太郎は水鏡へと近寄る、映し出されたのは炎燃え盛る大熱処、イザナキの元妻イザナミのいる阿鼻叫喚地獄だ。 「白澤様!!」 まだ体が全回復していないのに何故あんな所にいるんだと、膝を付いて苦しむ白澤を見て叫ぶ。 「俺、迎えに行ってきます!……それより鬼灯さんに連絡した方が早いかな?」 「ちょっと待ってください」 水鏡の中の白澤に近づく影が見えた。 その人は周りにいた侍者らしき鬼に命じ白澤を運ぶ。 「お母様……」 倒れ込んでいる白澤を偶然見つけたのか、それとも気配を察したのか知らないが白澤はイザナミに保護されたようだ。 彼女なら鬼灯の結婚相手に危害を与えることはないだろうと安堵する、桃太郎が声は聞こえないのかと訊ねるとナキサワメはやってみると頷いた。 「ほら、しっかりしろ」 イザナミは意識が朦朧としている白澤の背中を軽く叩き呼び起こす。 「ん……ありがとう……ナキサワメちゃん」 「たわけが!」 「痛っ」 声の似ているナキサワメと間違わられ憤慨するイザナミに、目を見開いて驚く白澤。 「吃驚したのはこっちの方じゃ、あんな所でうずくまっていた」 「あ、僕……阿鼻叫喚地獄に来て……」 白澤は思い出したように呟いて、黙り込んでしまった。 「どうした?なにかあったか?」 「いいえ、すみません、ありがとうございます……お礼は後日……」 「礼などいらぬが、まぁ好きにするがよい……そうだ、体調が優れぬのでなければ茶に付き合ってもらえぬか?」 「へ?」 「話し相手がいなくて暇なのよ、そなたはお気楽な顔をしてなかなか博学と聞く、女人を楽しませる術も長けているのだろう」 「まぁ……」 尊大なもの言いの中に優しさが見え、ああ母様だなぁとナキサワメは微笑みを零す。 こうして二人で茶を飲むことになった(白澤も漸く水くらいなら口にできるようになった)のだが、頭の良い者同士というのは初対面でも話しが弾む。 白澤は普段なら女性と二人で話しているとつい口説く方向へいってしまうのだが妊娠中に世話になった親子の元妻で母だと思うとそんな気にもなれず、普通に会話を楽しんだ。 「で?どうして今日は此処にいたのだ?仕事は休んでいると聞いたし、ここ周辺に用事があるとは思えないのだが」 「えっと」 侍者が席を外したタイミングでイザナミはもう一度訊ねた。 二度も訊かれてしまったし、秘密にする理由もないので、白澤は言い難そうに口を開いた。 「赤ちゃんにミルク作ってあげようとしたんだ……」 「ふむ」 「そしたら……火が怖くて」 お湯を沸かそうとコンロに火をかけた瞬間、鬼雨を生む前に身体を轟炎に包まれた記憶がフラッシュバックしてきた。 急いで火を消したが、あの時の情景が頭から消えず、苦しくなって外に飛び出して所有地の泉に飛び込んだ。 「水に浸かって頭冷やして落ち着いて考えてみたら、大熱処で焼かれる亡者達を見てたら火に馴れるかなって思い付いて」 「頭冷えてないであろうソレ」 コンロの火を怖がるくらいなのに、いきなり阿鼻叫喚地獄に来るなんて阿呆ではないのかと思う。 「えっとショック療法?」 「ショックで倒れたら意味ないだろう」 「だって……」 白澤は出来るだけ早く治したかったという。 「火を使わなきゃ料理も薬も作れない……」 それで、どうやって子どもを育てていけば良いのだろう。 「あの子の世話も、桃タロー君に任せっぱなしで……あの子の為に何もしてあげられない」 離れた所にいるイザナキとイザナミが同じように顔を歪めた。 白澤がこうも己を責めるなら自分達がホノカグツチにした仕打ちはどうなるのだろう、生んだことを悔やみ、生まれたものを怨み、抱きかかえもせず、呪いと怒りだけを降り注いだ。 母体を灼く子どもなど生まれてこれただけでも幸せではないのかと、我が子を殺めたイザナキは思ってしまう、死んでしまう程の苦しみに十月以上も耐えたのだ、愛情がなければ出来ないことだ。 「それを言うなら、わらわなど黄泉に堕ちて以降に生まれた子など顔も見ておらぬぞ」 それ以前に生まれた子も、生まれた時から完成された神だったので育てた記憶も薄い。 「わらわを母失格と思うか?」 「そんなことないよ!ナキサワメちゃんだってイザナミ様のこと大好きだし!」 即座に答えた白澤を見て水鏡で見ていたナキサワメは息を吐いた。 「そういえば、そなた随分とナキサワメと仲良くしてくれているようだな、あの娘はなかなか心許して話せる相手がいないと聞いていたから安心したぞ、感謝する」 「いいえ、感謝しなければならないのは僕の方です……ナキサワメちゃんがいてくれなかったら僕はこんな元気じゃなかったですよ」 「……たとえそうであっても、そなたは鬼灯の子を生んでいたであろ?」 「そりゃあ、そうだけど」 鬼灯の子が母の胎で鬼火になると聞いた時から、鬼灯と鬼灯の愛する人との間に出来た子どもを代わりに生むと決めていた。 その気持ちは今も変わらない。 「ナキサワメちゃんは本当に良い子ですよ、僕がずっと思い描いてたアイツのお嫁さんの理想そのものだし」 「は?」 白澤の使う呼称は基本的に穏やかだ。 君、あなた、あの方、あの人、あの子、彼、彼女など、優しい音色で言うことが多い。 そんな白澤がアイツなんて雑に呼ぶ相手は昔馴染みの瑞獣と最近まで天敵だった地獄の鬼神しかいない。 「ナキサワメちゃんは本当に素敵な女性です。美しい見目と高い地位を持ちながらソレを鼻にかけることもなく、なんの縁もない外海の獣である僕を無条件で助けてくれました……妊娠中はずっと自分の身を省みず僕に神気を送り続けてくれて、食事や睡眠のことを気遣ってくれて……そんな風に献身的で家庭的で……何よりアイツのこと大切に想ってる……あんな子がずっとアイツの傍にいてくれたら良いってずっと思ってました」 「……」 この神獣はその条件に自分が当てはまらないとでも思っているのだろうか……我が子が褒められ悪い気はしないが、白澤だって鬼灯に対しては呆れる程に健気ではないか。 イザナミは湯呑を持つと最後の一口ぐっと飲み込む、そろそろ茶会もお開きの頃合いだ。 「……長く引き留めてしまって悪かったな」 なんだかどっと疲れてしまった。 今ならこの神獣に対し可愛さ余って憎さ億倍だった鬼神の気持ちがよく解る。 「いえ、助けてくれてありがとうございました……今度から気をつけます」 「……って、そなた!また此処にくる気か?炎には徐々に馴れていった方が良いと思うぞ!?」 「でも……」 「そもそも、何故そうなってまで鬼灯の子を生もうと思ったのか不思議でならない!!」 いくら不死身の神獣だからって、痛いものは痛いし、熱いものは熱いと感じる、怪我だって火傷だって負ってしまうのだ。 現に水分を摂るのすら精一杯なくらいダメージを受けている、こんな熱い地獄にいて思いきり水を飲めないなんてさぞ辛かろう。 すると白澤は、少し考えた後、こう答えた。 「……こう言ったら貴女は怒るでしょうが……アイツの子を生めるなら死んでもいいって思ったんです」 みなしごの鬼灯に血の繋がった存在が生まれることには、それくらいの価値があると思っていた。 「死んで地獄に堕ちるのならば、どれほど幸せかと思ったんです」 愛する者と同じ世界に逝けるのなら……構わないと、幸せを感じることが出来るだろうと、今だって会おうと思えば会える距離にいる癖に、もっと傍にいたいと思ってしまった。 「結局エゴかなって」 「……」 それは世界中の恋人たちが愛する人から貰いたいと願うものだ。 現にイザナミはあの時、なによりもイザナキの“エゴ”が嬉しかったのだと思い出す。 禁忌を犯してまで自分に逢いたいと黄泉まで来てくれたことが本当に嬉しかった……だから裏切られた時、世界を呪うほど絶望してしまった。 「お望みとあらばいつでも落してやりますよ」 「ッ!!?」 聴き慣れたバリトンボイスが背後から聞こえ、思いっきり振り返ると、予想通りの鬼が立っていた。 「桃太郎さんから貴方がいなくなったと聞いて探してみれば、こんな所にいたんですか……」 「お、ま……」 「気付いていなかったのか?鬼灯ならさっきからそこの柱の影にいたぞ?」 「なんですぐ話し掛けて来なかったんだよ!!」 「女子会の邪魔してはいけないと私も気を遣ったんですよ」 「いらん気を遣うな!!だいたい僕は女子じゃないし!イザナミ様は女子って年齢でもないだろ!!?」 「ほぉ……」 水鏡の向こうで聞いていたイザナキが思わず吹き出す、たしかに日本列島が出来る前から生きているイザナミを女子と呼ぶには無理があるだろう。 しかし女タラシのスケコマシの白澤にしては迂闊なことを言った……鬼灯の出現にそれだけ動揺したということか。 「ではイザナミ様、うちの駄獣がお世話をかけました」 「いや気にするな、おかげで面白い話がきけたからのお」 そうだ、呆れもしたが白澤の話は大変興味深いものだった。 イザナミも世間の女子(強調)同様、恋話が好きなのだ。 「じゃあ、帰りますよ、白澤さん」 「……お前なにその体勢」 「見てわかんないんですか馬鹿、おんぶですよ阿呆、お・ん・ぶ!!」 「無理あるとこに罵倒を混ぜてくんな!ていうか……おんぶって」 蒼白かった白澤の顔が一気に赤く染まる、それを見て鬼灯は盛大に舌打ちを吐いた。 白澤の体調が回復するまで二つの意味で手を出さないと決めているが、ことあるごとに鬼灯のキャパシティを越えてくるから困る、お陰で随分我慢強くなったものだ。 一方、舌打ちされた白澤は鬼灯が仕事を中断させられてイライラしていると思ったらしく、慌てて背中に乗った。 自力で帰る自信がないのだから、ここは素直に言う事を聞いて早く鬼灯に仕事を再開させてやらなければ、もうこれ以上迷惑をかけてはいけない。 「イザナミ様、見苦しい格好で申し訳ありません、今日は本当に助かりました」 「私からも礼を言います。ありがとうございました」 「だから良いと言っておるだろ……まったく、気を付けて帰るのだぞ」 「はい」 「では、失礼いたします」 そうして帰って行く二人を見送ったイザナミは (あやつ、夫になっても名前で呼ばれていないのか……不憫な……) 愛情は充分ありそうだが、頼りにはされていなさそうな己の次代補佐官にほんの少し同情したのだった。 「……」 鬼灯におぶられながら、顔が熱く感じるのはここが大熱処だからだ、けして鬼灯と密着して恥ずかしいからではないと自分に言い聞かせる白澤。 だいたいの者が年下な彼はおんぶをされた経験が殆どない、かろうじて酔っぱらった時に閻魔大王に担がれるくらいだ。 それを好きな人からされていると思うと、桃源郷に帰るまで耐え切れそうになかった。 だいたい鬼灯はいやじゃないのか、結婚相手になってしまったとはいえ大嫌いな天敵だぞ……と思った時に、そういえば鬼灯は以前から自分に触れることは躊躇わなかったと気付く。 そうだ……殆どが殴られたり絞められたり潰されたりだったけど、鬼灯は穢い穢いと言う割に白澤に直接触れることを厭わなかった。 亡者に対してもそうだから期待は出来ないけれど、もしかしたら自分は思ったより鬼灯から穢いと思われていないのかもしれない、もふもふ好きだし。 「白澤さん」 「なっなに!?」 「……?」 考え事をしている最中に突然話し掛けられ、つい声が裏返る。 「貴方、火が怖いんですか?」 「……うん」 もしかしてと怖れていたが、どうやら鬼灯からイザナミとの会話の重要な部分を聞かれていたらしい。 「私の背中に耳を付けてみてください」 「え?へ?」 「いいから早く!」 「っうん!」 基本お人好しで頼まれると断れないタイプの白澤は、相手が鬼灯でも急かされるとつい言う事を聞いてしまう、本人はこの癖を直したいと思っているが千年くらい経っても治っていないのでもう不可能だろう。 「……どんな音が聞こえます」 「えっと、別に普通に心臓の音と……あと、風の音?」 「それは鬼火が燃える音です」 鬼灯の背中に耳を押し当てたまま白澤は固まる。 「私が、怖いですか?」 「え?」 「鬼火を身の内に宿す、私が怖いですか?」 鬼灯が喋る度に背中に押し当てた方の耳に声が籠る、怖い感じは全くしない……むしろ―― 「怖くない……」 「では、私の火で少しずつ慣れてゆきましょうか?」 「うん……………」 「白澤さん?」 「……」 「寝てしまったんですね、まあ仕方ない……今日は疲れたでしょうから」 冷たいと思っていた鬼の肌の内に炎があると思ったら不思議と安心する。 目を閉じた白澤の夢の中で、鬼灯がクスリと笑った気がした。 * * * それから白澤は、家にいる時、さりげなく鬼灯の近くへ寄るようになった。 成程、徐々に馴れてゆくとはこういうことか……たしかに、当初のように緊張することはなくなって、天敵の傍だというのに心が穏やかだ。 今も、赤ん坊を胡座の上に乗せている鬼灯の横で、ごろごろと寝転がってテレビを観ている。 情熱地獄というドキュメンタリー番組、今日のゲストはカマーさん、いつか鬼灯が出た回があって白澤もチラリと映ったりしたのを思い出す。 忙しく家に帰って来ることのない鬼灯の顔を鬼雨が忘れてしまわないように、今まで録り溜めていた鬼灯の出る番組を観せて「ほら??だよ」と教えてきた。 乳幼児が政治の話や金魚草の話ばかりのテレビを観ても意味は解らないだろうが、父親の顔が映る度に喜んでいるので白澤の作戦は功を奏しているのだろう。 ただ幼稚園に通わせる時に周りの子から浮いてしまわないようチャイニーズエンジェルや鬼面ライダーシリーズなども見せておいた方が良いかもしれない……というか幼稚園や学校に通わせるべきなのだろうか? 習い事をさせる必要はないと思うけれどマナーは日本のものと中国のものどちらを教えたら良いのだろう……なんて、先の事を考えても頭が痛くなるだけだけど、鬼灯とそういう話し合いをするのは嫌いではない。 「……鬼雨」 鬼灯の優しい声が、子どもの名前を紡ぐ。 家族を知らなかった鬼が不器用に戸惑いながら……我が子へ優しく触れる。 鬼雨と過ごす間、鬼の爪は丸っこい、明日には伸びてしまうけど、優しくなった爪の先が無垢の頬を撫でるのを見て、気付く。 (子ども……喜んでるんだなぁ) 白澤が生んだ、二人の間に生まれた子を鬼灯が確かに愛しているのだと解かると安心する、幸せだと感じる。 鬼灯の体質を識った時から、いつか鬼灯の心から愛する人が妊娠したら、その子をこっそり自分の胎に移して代わりに生む覚悟をしてきた。 その気持ちは今も変わらないし、いつかきっとそんな日が来ると信じ準備をしているけれど……――本当は自分と鬼灯の子が欲しかったのかもしれない。 ずっと大嫌いな自分の子じゃ鬼灯を癒せないと思っていたけれど、そうじゃなかったんだ。 「ぱー、ぱ」 「ッ!?」 鬼雨が鬼灯の顔を見上げて、生まれて初めて「ぱーぱ」と言った。 その瞬間、鬼灯は白澤の方を見て、 「白澤さん!聞きました!?今この子……」 「……ぅ」 「なに泣いてるんですか?貴方」 白澤の頬に一筋の涙が零れているのに気付き、目を見開いた。 「うるさい!うれしいんだよ!あと悔しいんだよ!馬鹿ぁ……」 「……そうですか」 馬鹿は自分だ。 こんなことで泣くなんて本当に馬鹿だ、親馬鹿だ。 でも本当に嬉しい。 「私も……なんか感動しました……」 途惑いながらも、喜びを噛み締める鬼灯の顔を見て、もう一筋涙が流れた。 その涙を、切りそろえられた鬼の爪が拭う。 今なら、言えるだろうか…… 「あ、のさ……お前、次の休み、いつ?」 「え?なんでですか?」 「ほら僕の体調もだいぶ良くなったしこの子も首が座ったし……」 今は再生されきって丈夫な筈の心臓が壊れそうなくらいドキドキいっている。 「三人でピクニックいかないか?お弁当もって……」 自分で言っておきながら顔を真っ赤にさせている白澤、なんというかピクニックという響きが自分達に似合わな過ぎて恥ずかしい。 一方鬼灯は今更白澤の照れ顔に驚くこともなく、神妙な表情をしながら口を開いた。 「……お弁当って貴方、料理できるようになったんですか?」 鬼灯の中の鬼火は怖くなくても、他の火が平気になったという報告は聞いていない。 料理は桃太郎が作ったものを極楽満月で一緒に食べているし、薬作りだって再開していない。 「おにぎり、なら火使わないから……」 (え?) 「おかずはお前が作ってよ……」 鬼はポカンと口を開けたまま固まった。 無理して「大丈夫」だと言ったら、怒ってやろうと思ったのに、まさか自分を頼ってくるなんて予想外だった。 「い、厭ならいいよ!桃タロー君に頼むから!!」 「待ちなさい誰が厭だといいました」 こんなチャンス滅多にないのに棒に振って堪るかと即答する。 「おかずですね、解かりました」 「本当にいいの?」 「貴方私のこと料理も出来ない男だと思ってました?」 食堂頼りで自炊することは殆どないけれど、本気を出せば寿司だって握れるんだ。 愛する妻子の為だと考えれば腕が鳴る。 「ありがと、楽しみだなぁ……」 そう満面の笑みを見せた後、鬼雨に向かって「??がお外連れてってくれるってー」なんて甘い声で語りかけている白澤を抱きしめたい衝動に駆られた鬼灯だったが理性を総動員させて今回も自制する。 手を出すのは白澤の身体機能(生殖器も含め)が全て回復してからだという自分との誓いを忘れていない。 まぁその所為でずっと白澤の片想いモードが抜けないのだから誓いなどさっさと破られてしまえば良い気もするが鬼灯は一度決めたことは最後までやりとおす男だった。 そして、次の休日、三人でお揃いの帽子と服を着てピクニックへ出かける。 ピクニックと言っても家から見える場所にある桃の木の下だけど、赤子にとっては立派なお出かけだ。 お弁当と水筒とレジャーシート、粉ミルクと紙おむつも忘れずに、ゆっくり歩いて行こう。 愛する人と愛する子と家族でいられる時を大切に過ごしていこう―― 「ところで最近鬼雨から“マーマ”って呼ばれるんだけど……僕そんなこと教えてないんだけど、お前が教えたの?」 「ええ、そうですよ?なにか問題でも?」 「問題大ありじゃボケェーーー!!!」 記念すべき鬼雨の初めてのお出かけが、久しぶりの夫婦喧嘩で彩られることになったのはご愛嬌ということで…… めでたし めでたし? END |